エドワード・ローレンス(1)
エドワード・ローレンスは、主星へ向かう定期便の一席で目覚めた。
窓外には宇宙。星は見えない。主星系全域を覆う
「……また
パーセプション・プロジェクターを切れば、機外にひしめく仮象たちは消え失せ、そして編光窓に映る己の顔。遠い先祖から受け継いだ金髪を頭に乗せ、あくびをする大柄な黒人の男は、ときおりエドワード自身にも見知らぬ誰かのような心地がする。
「消えねえな、どうにも」
ブロックノイズだらけの夢の残滓が、補助脳のメモリにこびりついていた。かつてはフラッシュバックのたびに嘔吐を強いられた記憶。いまは身体に何らの劇的な反応も起こらない。記憶が薄れたのでも感情が麻痺したのでもなく、消化器系の大半が機械部品へと置換されただけだ。サイバネティクスによる人工器官は、神経の影響を受けない。
内臓だけでなく、彼の機械化は五体全身に及ぶ。
アロハシャツから出た両腕は義手だ。金属炭素の骨格と、CNT繊維の分厚い人工筋肉から成る
それら機械化部位のすべては巧みに隠蔽され、一瞥しただけでは生身と変わりないように見える。人工皮膚。模造外耳。虹彩テクスチャ。そうする必要があった。連邦では、サイバネは隠すべきものという風潮がある。機械化部分を隠さず生活していれば、よくて好奇の目、大抵は警戒と忌避の視線を向けられる。
表面的な理由は様々である。人間と機械の
だが根本的には、歴史が人々にそのような態度を取らせる。義務教育の場で、公共の電波で、書籍で、口伝で――繰り返し教え、語り継がれる原罪の神話。千六百年にわたる
人類は未だ、〈
「父ちゃァん、これ、広告見てよ! うちの
機内に響いた声が、エドワードを物思いから呼び覚ます。
エドワードには見えぬ何かを掲げて、座席の間の通路を走ってくる男児がひとり。歳は十歳かそこら。手にしているのは玩具の投影広告あたりであろう。あえて仮想視界をオンにして確かめる気は起きない。
「これ買おうぜ、な? 買ってよ! 〝ウルス・ラグナ〟のアーマー着脱可能モデルなんて、リガローク以外じゃ
「どれ、見せてみなさ……なんっ、だっ、この値段は!? どうして同スケールの〝グラディウス〟の十何倍もするんだ!」
ふむふむ、と前列の座席で交わされる親子の会話を盗み聞き、ひとり微笑むエドワード。どうやら子供は
「駄目、駄目だこんなの! うちはその……そんなに、お金の余裕があるわけじゃ、ない……んだぞっ」
後半へ行くにつれ父親の声が小さくなっていったのは、ほかの乗客も数多く居るキャビンで、我が家の芳しくない経済状況を暴露することに恥じらいを覚えたためだろう。
いいじゃないか。エドワードは思わず鼻から笑息を漏らす。平和な父子の肖像。ちらりと羨望が兆す。
自分が故郷に、過去に捨てて来てしまったもの。
座席の背もたれから身を乗り出し、エドワードは話しかけた。
「坊主、シングラル好きかい」
親子が振り向く。サングラス越しに笑いかける黒い顔に、父親は一瞬ぎょっとした様子を見せたが、息子の方はすぐに笑み返してきた。その無警戒なこと、玩具の話ができる大人に悪い奴はいない、と言わんばかり。
「うん。おれ、うちにいっぱい持ってるんだ。けっこうマニアだぜ」
「ほうほう。好きなマシンは?」
「そーだなー、〝クレイモア〟みたいなゴツいのがいい」
「おっ、シブいねえ」
少年は他にも様々な機種名を出す。ダグ、カノーネ、シミター、エペ・ラピエル――主星系でもこれだけ知っている一般人は少ない。どうやら本当に
「けど……やっぱ一番は〝ウルス・ラグナ〟だよな。うん。強いし」
「はーん、王子様か。さすがに人気だねえ」
統一銀河連邦最強の
「あいつなら会ったことあるぜ。〝ウルス・ラグナ〟も、戦場で見た」
「えェ! ホンっトかよぉ! おっちゃん何モン?」
期待と好奇心に大きな目を輝かせ、少年が見上げてくる。エドワードはしばし、逡巡した。自分は何者である、と言うべきか。
いくつかの言葉が浮かんだ。人格の表面に張り付いた社会性の残骸が、慎重にそれを捨ててゆく。己を呼ぶべきまことの名を。
「俺ぁ、しがない雇われ
嘘ではなく、真実にも程遠い肩書き。名乗った瞬間、それまで黙っていた父親がぐいと息子を引っ張り、席に座らせた。
警兵とは喋らせたくない、というわけだ。エドワードは苦笑する。警兵との会話で迂闊な発言をすれば、子供とて〝
ましてや、とエドワードは己を省みる。宇宙船内でアロハシャツにサングラスなどという奇怪な風体、おまけに正規兵でなく傭兵とくれば、いかがわしさも倍増である。身体の過半を機械化したハード・サイボーグであることまで露見すれば、親子そろって逃げ出すだろう。
「そう緊張しなさんなって。無実の市民を弾圧してられるほどには、CJPOも暇じゃねえからよ」
男はおずおずとエドワードの顔色を窺い、社交辞令として最低限足りる程度の愛想笑いを浮かべた。
「はあ、その、すみません……お忙しいでしょうところを、うちの息子がはしゃいでしまって」
「いいんだよ。子供が玩具に熱を上げてられるのは、健全な家庭のひとつの指標だ。それに、忙しいのは反体制派のクソどもが銀河のあちこちで宇宙ゴキブリみてえに湧いてくるせいであって、あんたらのせいじゃない」
「ああ……最近、多いですからねえ。
父親の視線が泳ぐ。何らかの仮想オブジェクトを見ているのだと察したエドワードは、パーセプション・プロジェクターを再起動した。
眼前の空間に流れ始めたニュースフィードは、みな似たり寄ったりの画像を載せている。黒煙、炎上する建物、逃げ惑う群衆。
「サフタ星区で〈
記事をスクロールさせると動画が出てきた。リポーターがどこかの星の地上を歩き、カメラは破壊された市街を映していく。しかし背景の大半にぼかしが掛かっていて、色とおぼろげな輪郭程度しかわからない。
「映像が修正だらけってこたぁ、つまり町じゅうが〝映せない状態〟になってるわけだな。田舎ジャーナリストの仕事だ……主星系のカメラマンなら、放送できないものはそもそも画面に入れねえ」
だが、洗練を欠く仕事ゆえに伝わってくるものもある。エドワードは己が田舎ジャーナリストと呼んだ見知らぬ誰かに、内心の拍手を贈った。
機械化されたエドワードの全身で、ちりちりと古傷の幻痛が燃える。〈
「こういう連中、いったい何が目的なんでしょう? 怖いですねえ」
男の口調には、ニュースを見ている間だけの刹那的な関心があった。それはつまり、彼がこの手の報道に対して日頃いかに無関心であるかを、雄弁に物語ってもいる。
「テロは政治のためにやるもんさ。法定テクノロジー・レベルの引き上げやら、自治権の拡大やら、要求はいろいろで……」
星系ネットの検索エンジンがエドワードの発言を拾い、各地の反連邦勢力が出した要求声明や文書を仮想視界に羅列し始めた。エドワードは鬱陶しげに手をひと振りし、自動検索をオフにする。
「もっとも〈
「ニコラス・ノースクリフは?」
少年が、好奇心とわずかの反感を取り交ぜた笑顔で見上げていた。父親が一瞬硬直し、素早くもぎくしゃくした動きで、息子の頭に拳骨を落とす。
「いってェ! 何す――」
父親が息子を引き寄せ、エドワードに聞こえぬよう早口で耳打ちする。エドワードは聞こえていないふりをしたが、実際には強化された聴覚が一言一句をクリアに聴き取っていた。
「警兵の前で……テロリストの名前なんか出すんじゃないッ」
押し殺した声には必死の響きがある。己の肩書きがこうも市民を怯えさせることに一抹の申し訳なさを覚えながら、エドワードはなるべくのんびりとした声を出そうと努めた。
「ノースクリフの野郎は、まず実在するかどうかわかんねえからなあ。一人でシングラル百機の大部隊を返り討ちにしただの、戦いの最中にも十年先まで作戦を練ってるだの。盛られた伝説が非現実的すぎるぜ」
「そ、そうですよね! ちょっと勢いづいているからと言って、統一銀河連邦があのような怪しげなマスクの、て、テロリストごときに後れを取るわけがない! ですよね」
息子の失態をカバーしようとでもいうのか、追従の言葉で愛国心を主張する男。だが少年に親の気遣いは伝わらない。保身のためのテロ批判を震え声で展開する父の低姿勢に、失望とも軽蔑とも取れる冷めた目を注いでいる。
「なあ、なあ、坊主よ」
「なに」
父親に叱られたせいか、その父が情けなく見えるせいか、機嫌を損ねた様子で少年が答える。エドワードの声にも表情にも、少年への苛立ちなどはなかった。ただ、父親への小さな同情と、共感があった。
「強いシングラル・アクターに憧れるのはいい。それが犯罪者でも、まあ、強いヤツはカッコいいもんなぁ。そいつぁわかるぜ。
だが、実際テロリストになっちまうのだけは止しとけよ。〈
「誰それ」
「俺の知り合いの傭兵さ。完璧に頭がイっちまってて、テロリストを殺すためだけに生きてる。聞いたことないか?」
少年は肩をすくめた。エドワードが視線を向けると、父親も怪訝そうな顔で首を振る。
「そうか。こっちじゃそれなりに有名な話だ。
〈
奴は作った料理を幹部に食わせて、それから撮った番組を見せて、材料が何だったのかを教えてやった。幹部は怒りと嘆きのあまり、気が狂って死んじまったとさ……」
「は? どういうこと? さっぱりわからん」
首をひねる少年の脇で、父親が蒼ざめている。
「ちょっと……子供に聞かせる話では……」
「おお、すまんすまん。まあ〈
「メガリスだって恨み買って――いってェ! このクソ親父!」
「いいかげん黙らないか!」
CJPOを諷刺的な俗称で呼んだ息子に、父親は先よりもかなり強い鉄拳制裁を加えたようだった。そのまま親子喧嘩が始まり、エドワードは自分がこれ以上介入すべきではないと結論する。
折しもそこで、ごうん、と小さく定期便が揺れる。機械の耳に滑り込んでくる女声のアナウンス。窓外に目を向ければ、軌道港の景色があった。
「じゃあな、坊主。あんまり親父さんを嫌ってやるなよ」
出口へ向かうエドワードの足元に立体画素が凝集し、ライトグリーンに輝く三角形が飛び出し始める。CJPOが指定した座標へのガイドポインターだ。
機に接続された昇降用スロープを下り、彼は第二軌道リングの人工重力圏へ降り立つ。目的地は、ここより少し離れた軍港区画に停留しているはずの船。
アロハシャツにサングラス。人工皮膚。陽気な笑み、下手な鼻歌。傭兵にして警兵、という肩書。
数多のカムフラージュに己を包んで、〈
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