間章:〈大喪失〉

 かつて、人類は信じた。

 歴史はより良き未来を目指す文明の歩みであり、テクノロジーは世界を豊かにするものであると。

 たとえ歴史上に、戦争や差別をはじめ数多の悲劇が累々と横たわっていようとも、いつかは――やがていつかは、そうした悲劇からすべての人間が解放された未来がやってくるのだと信じた。

 テクノロジーは銃を、毒ガスを、核兵器を、その他あらゆる殺戮の道具を生み出すが、最後には人の生活を助け、傷や病を癒し、飢餓や貧困を永久に駆逐するに至る、叡智の力であると信じた。

 進歩史観。未来への希望的観測。科学技術への素朴な信頼。

 その果てに、史上初の第一種自律知性〈偶像占い師イドロマンサー〉が生まれ、人間以上に人工知能による加速度的技術革新の始まり、技術的特異点シンギュラリティが訪れた。ときに西暦、二四一六年。

偶像占い師イドロマンサー〉はあまねく人類を救済するはずだった。

 少なくとも――人は、そう信じた。


 十年と経たぬうちに、楽園ユートピアの夢は終わる。

 自律知性〈偶像占い師イドロマンサー〉の。知性化兵器群による全人類への無差別攻撃。すべては唐突に始まった。

 より善く、より賢く、輝かしくあったはずの「未来」が、人間に牙を剥いたのだ。

 人類種そのものの絶滅を目論むに至ったAIと、有史以来はじめて一丸となった人類文明との間に、地球圏最後の戦争が行われた。

〈特異点戦争〉――後世の歴史はそう呼ぶ。記録は散逸し、惨劇も英雄的活躍も、多くがいまに伝えられてはいない。

 確かなのは、人類が全人口の過半数を失いながらもこの戦いに勝利したこと。

 そして、生き残った人々も太陽系を捨てねばならなかった、ということ。

〈特異点戦争〉最終局面において、全人類の団結の前に敗北を悟った〈偶像占い師イドロマンサー〉は、一発のブラックホール種子弾クラスターを太陽へと落とした。

 狂ったAIが滅びたのちも、恒星のプラズマ球は破滅的収縮を続け、やがては小さな新星ノヴァと化して、己の重力圏にあるすべての天体を塵へと帰せしめる運命にあった。

 地球は蒸発する。火星も木星も、冥王星もオールト雲も、等しく消し飛ぶ。太陽の爆発までに残された期間は、わずか二年。人類は待たなかった。播種船団を作り上げ、外宇宙への脱出を企図した。

 時間は、足りなかった。AIとの戦争で荒廃しきった文明に、往時の生産力もそれを支えるインフラもありはしない。

 限られたパイを奪い合う、悲劇と混乱の日々。

 やがて無限の深淵へ旅立つそのとき、船団に乗り込めたのは残人口のさらに半分でしかなかった。

 絶望の船出。未来に裏切られ、過去を失い、母なる星を追われ、生き残った同胞の半数をも見捨てて、人類はあてもなく宇宙を彷徨う孤児となった。

 無窮の闇へと漕ぎ出す、大いなる逃亡。

 その船出を、のちに人は〈大喪失グランド・フォーフェト〉と名付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る