第一話 ロールアウト
アンジェラ・カノーヴァ(1)
ひとりの少女が、行く先々で人目を惹いていた。
都市構造体上層をバスで飛ぶ十分弱。最寄りの
白い肌。華奢な体躯。光沢のある赤髪。CJPOの制服。
多少なりとも社会的常識を持つ市民にとって、「
その姿を、
制服を着ているからといって、彼女がCJPOの
ならばこの少女が本物の警兵ならよいではないか? 然り。だがCJPOの入隊年齢は十八が下限、対して少女の外見年齢は十三、四といったところ。もし彼女がCJPOの警兵なら、稀有な童顔と低身長を兼ね備えているか、さもなくば
実際に矮星族なのではないか? すなわち――出生前の遺伝子改変によって細胞の再生サイクルをコントロールし、子供の姿で成長を止めて、常人の数倍に及ぶ長命を生きる人々。彼女がそうした幼形成熟処置を受けたのであれば、肉体が十四歳でも実年齢はその十倍であり得る。然り。
だが常識ある市民はこうも考える。彼女がほんとうに矮星族なら、わざわざ警兵となって命を危険に晒すことなどあり得るだろうか?
医療保険適用外の技術である幼形成熟処置には、高額の費用がかかる。必然的に、矮星族の多くは富裕な家の子として生まれることになる。そして金があれば兵役の義務を回避することは容易く、上流階級の人間はその権利をすべからく行使するものである。中流以下の人々からして、そういうものだと信じている。
結論として、少女の正体が何であれ――コスプレ趣味を犯罪の領域にまで高めた若きミリタリー・マニア、著しく発育の遅れた女性警兵、何らかの事情で兵役に就くことを選んだ矮星族、そのどれであっても――きわめて珍しいことに変わりはなかった。
軍港には連邦の防衛機密がいくらでも転がっている。
艦船、補給物資、
その漏洩を防ぐため、物理と電脳とを問わず、人・物・情報の出入りは厳しく管理される。機械と人間による二重検査。誰にとっても面倒な手順には違いなかったが、それは必要なセキュリティであった。
かく行われる検査に、件の少女が今かけられている。
検問所の警兵が訝しげに注視する中、少女の制服が入港管理システムとの間で通信を行い、ID照合を一瞬で終わらせた。エラーメッセージも警報もなく、機構本部のデータベースから情報が送られてくる。
認識番号:A‐8505‐E001357
所属:戦略技術開発局 第一三五七試験技術運用部隊
階級:
性別:原女性
年齢:十八歳(銀河標準年計算)
氏名:アンジェラ・フィオリーナ・カノーヴァ
その後にも経歴や技能、詳細な精神分析といった項目が続いたが、警兵の男はそれらを最後まで見なかった。仮想視野に表示された兵員情報を腕のひと振りで脇に退けた彼は、視覚への
「もしや、カノーヴァ上級邏将の……?」
おそるおそる、といった口調で警兵が訊く。少女は快活な笑みで頷き、勢いよく一礼した。
「はい! 本日より任に就きます。よろしくお願いします!」
遠い天井からの照明を反射し、少女の赤髪が炎のきらめきを放つ。男は合点した。なるほど、これこそはカノーヴァ家の象徴たる人工形質〈
「ご武運を」
彼は敬礼した。少女は返礼し、検問所を後に歩き出す。小さな背中に家柄ゆえの宿命を負っているとしても、男の目にその足取りは軽やかと見えた。
実際のところ、アンジェラ・フィオリーナ・カノーヴァが兵役に志願した理由は、警兵家系の宿命などではなかった。
彼女は両親の反対を押し切り、ひとえに自らの意志で、犯罪者や反体制勢力と戦う人生を選んだのである。
CJPOの
連邦最高峰の名門大学、エルフェンバインに入学。自らの意志で進んだ軍事学科では優秀な成績を示し、卒業を待たずしてCJPOから士官待遇のオファーが掛かった。
家柄と才能。だがそれ以上に、彼女自身の努力と人徳があった。親も教師も友人も、誰もがみなアンジェラを愛した。
誰ひとり、この利発な少女に人間の暗黒面を教えなかった。
ときに、銀河標準暦一〇一四年、四月六日。
エルフェンバイン大学軍事学科を首席で卒業し、CJPOの三等哨尉として着任するアンジェラは、いまだ悪を知らない。
ふくらみかけの、もはや成長することのない薄い胸をいっぱいに張って、アンジェラ・カノーヴァが歩く。
誇らしげに紅潮した笑顔が、見知らぬ人々にすれ違いざま、無差別の挨拶を投げてゆく。
「おはようございます! はじめまして! あっ、どうも、はい、新兵です。アンジェラ・フィオリーナ・カノーヴァといいます! 今日から配属と……」
軍港内部で働く者たちも、やはり警兵服の少女を珍しがったが、その可憐な笑顔に
アンジェラは光の洪水の中を歩いてゆく。
無数の仮想オブジェクトが視界に投影されている。過去の行動
寄ってきたCMのひとつにアンジェラが目を向ければ、ドレクスラー社の新型
《これさえインストールすれば、星間旅行に付き物だった風土病の心配だって、もう要らない!》
様々なる仮象。だがこれは、軍事施設だけあってまだ大人しい方と言えた。主星の都市構造体なら広告だけでもこの倍以上は表示される。さらに
すべてはパーセプション・プロジェクターが投ずる仮想/拡張現実。アンジェラの脳内に配線された補助脳が見せる、人工の幻覚である。
足元からは一歩ごとにライトグリーンの三角形が飛び出し、ある場所を目指して流れてゆく。目的地への移動ルートを示すガイドポインターである。ポインター自体はありふれた
アルケミスト級試運艦〝テオフラスト〟。
それが、アンジェラ・カノーヴァの初配属先となった艦の名だ。
試運艦――試験技術運用艦という艦種は、新兵器のテストなどを請け負うデータ収集部隊の母艦である。彼らはより多くのデータを取るため、もっとも苛烈な戦火の中を選んで渡り飛ぶ。
アンジェラにとって、危険はむしろ歓迎すべきものだった。安全な後方で幕僚として勤務する提案を蹴って、前線へ回してくれと言い募ったのは彼女の方だ。
現実を知らなければ、現実を変えるための戦いはできない。アンジェラはまず〝敵〟を知りたかった。反連邦ネットワーク〈
アンジェラが戦いに身を投じたのは義憤ゆえだが、犯罪者を鏖殺したいなどと思ったことはなかった。同じ人間である限り、〝敵〟であっても解り合えるはずだと信じていた。CJPOの責務は、悪為す者を社会から排除することではない。彼らを救い、正常な社会生活の中へ復帰できるよう善導することなのだ。
そして〝敵〟を知るためには、〝敵〟と直接接触できる環境に身を置く必要がある。安全な場所から戦地にメッセージだけを飛ばして、「みんな仲良くしましょう」と叫んだところで誰が説得されるというのか。生身の肉体で、触れあえる距離に近づいて、全身全霊でぶつかってこそ相互理解は成る。それは理想を追うアンジェラ・カノーヴァが、当然負うべきと己に課したリスクだった。
「がんばれ私、正義の味方になるんだ」
少女は自分を励ましながら歩いた。エルフェンバイン大学での長いモラトリアムが終わり、いま初めて社会へ出て働く。平和への理想は高く、警兵として市民を守るために戦えることは誇らしく思っていたが、不安を一切感じないと言えば嘘になる。
自分は果たして他人の期待に応えられるのか。俸給に値する仕事ができるのか。フルタイムで――それも、命を危険に晒して――働く生活にほんとうに適応していけるのか。
勤める先が軍事・刑事を司る巨大な武力機構であっても、アンジェラが抱く不安は畢竟、二千年以上前から変わらぬ新社会人の青い悩みであった。
少女の行く先、その船は軌道軍港の最外縁、人工重力が働かないドックエリアに繋留されている。
楔形の鋭い艦体は全長八百メートル超。表面を覆う耐レーザー装甲がダイヤモンドのきらめきを放ち、その下に紅の二次装甲が透けて見える。各所から突き出した小さな棘は、対空防御を担うフォトンドライバーの砲身。後部に突き出した四基の翼は、補助推進器かセンサーの類であろう――人工の岸壁から艦を見上げたアンジェラは、外観から各部の機能を推測してみる。座学に明るい彼女であるから、そのような見立ても利く。
ガイドポインターはいまもアンジェラの足元から発して、仮想空間に残光を曳き、艦前方のキャットウォークから続く開口部へと吸い込まれていく。ここが終着点だ。船の名は〝テオフラスト〟。テクノロジーと戦うためのテクノロジーを育む、錬金術師たちの巨大なフラスコ。
アルケミスト級の基本性能は、おおよそCJPOの標準的な巡洋艦クラスとされている。
純粋な戦闘部隊以外が持つにはこれでも破格の戦力だが、上位戦闘艦と比較すれば、実のところ大したものではない。火力では戦艦に及ばず、
にもかかわらず、試運艦はしばしば戦場でもっとも華々しい活躍を期待され、また実際に演じてきた艦種である。理由はもちろん、ロールアウト前の最新兵器を満載しているからにほかならない。
軍需産業からの金が湯水のごとく流れ込み、
否応なく恒星間社会の注目を集めるこの船に、アンジェラ・カノーヴァが乗り込んだのはなにも彼女の希望によるばかりではない。そこにはCJPO上層部の打算があった。
矮星族の女性が戦地へ赴くことなど普通にはまずないが、アンジェラは自らの強固な意志で警兵となる道を選び、前線配属を志願した。この事実が及ぼすプロパガンダ効果を最大限に活かす人事が、試運艦への配属というわけだった。
そのことをアンジェラは知っている。〝テオフラスト〟への着任が決まった日、父がCJPO本部から投影体を飛ばしてきて、苦々しげに語った。上の連中はおまえを広告塔として祭り上げる気に違いない、と。
彼女は自分に期待される政治的
「……よぉーし」
自分はこの艦の、否、CJPO全体の看板になるのだと気負う。
「がんばるぞぉ」
乗艦すれば、新兵はまず艦長との面接がある。挨拶程度のものではあるが、第一印象こそ肝心だ。硬くなりすぎて自分をアピールできないのでは意味がない。
アンジェラは愛用のピルケースを開き、
青白い小粒のタブレットをひと噛みして砕き、飲み下す。すうっ、と喉が冷える一瞬、製薬最大手エピキュリアン・メディコープのCMが脳裏を擦過した。
――きみよ怒るな。悲しむな。悩む暇があるならば、〝
人体に合わせて注意深くデザインされた合成化学分子群は、心臓が五回と打たぬうちに神経への作用を始める。
錠剤の色に似た青白いスパークが瞬き、七色の光彩へと分かれてアンジェラの世界に広がった。仮想現実の万象を形作る、
負のベクトルを持ったあらゆる認識・感情が反転する。何も恐れるべきことはない。万事はうまくいっており、これからも順調であり続けるだろう。根拠を必要としない、天啓にも似た確信。
だいじょうぶ。少女は頷く。自分は学校での成績も優秀だったし、補助脳やインテリジェントウェアは最高のものを揃えている。
だいじょうぶ。うまくやっていける。これまでの人生で、他人から嫌われるようなことは一度もなかった。善意と愛情をもって向き合えば、人は同じように応えてくれるものなのだ。いずれは敵さえ、敵ではなくなるだろう――
無限の楽観を薬物によって引き出し、アンジェラ・カノーヴァは至福の笑みを浮かべたまま、紅い艦体のそばを漂い流れていった。
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