第一話 ロールアウト

アンジェラ・カノーヴァ(1)

 ひとりの少女が、行く先々で人目を惹いていた。

 都市構造体上層をバスで飛ぶ十分弱。最寄りの宇宙スペースポートで定期便を待つ八分。第二軌道オービタルリングへ向かう船内の三十分。リングに上がってから居住区、商業区、工業区を抜け、軍港まで歩いた十五分。そのどこでも、人々は彼女がいったい何者であるのか判じかねた。

 白い肌。華奢な体躯。光沢のある赤髪。

 多少なりとも社会的常識を持つ市民にとって、「連邦統合治安維持機構CJPOの士官用警兵服を着た十代前半の少女」などという存在は、それ自体が一個の異常事態を意味する。

 その姿を、拡張現実に構築された虚像ではないのかと疑う目撃者もいた。しかし彼らが補助脳の識覚投影機能パーセプション・プロジェクターを切ってみても、軍服姿の少女は厳然とそこに実在していた。彼女もその制服も、立体画素ソリッド・ピクセルが形作る仮想環境の幻などではなかった。

 制服を着ているからといって、彼女がCJPOの警兵パトルディアとは限らない? 然り。だが、公的機関の制服あるいはその類似品を、当該組織の構成員でない者が着用することは犯罪にあたる。少なくとも連邦法上、公の場では。

 ならばこの少女が本物の警兵ならよいではないか? 然り。だがCJPOの入隊年齢は十八が下限、対して少女の外見年齢は十三、四といったところ。もし彼女がCJPOの警兵なら、稀有な童顔と低身長を兼ね備えているか、さもなくば矮星族ドワーフということになる。

 実際に矮星族なのではないか? すなわち――出生前の遺伝子改変によって細胞の再生サイクルをコントロールし、子供の姿で成長を止めて、常人の数倍に及ぶ長命を生きる人々。彼女がそうした幼形成熟処置を受けたのであれば、肉体が十四歳でも実年齢はその十倍であり得る。然り。

 だが常識ある市民はこうも考える。彼女がほんとうに矮星族なら、わざわざ警兵となって命を危険に晒すことなどあり得るだろうか?

 医療保険適用外の技術である幼形成熟処置には、高額の費用がかかる。必然的に、矮星族の多くは富裕な家の子として生まれることになる。そして金があれば兵役の義務を回避することは容易く、上流階級の人間はその権利をすべからく行使するものである。の人々からして、そういうものだと信じている。

 結論として、少女の正体が何であれ――コスプレ趣味を犯罪の領域にまで高めた若きミリタリー・マニア、著しく発育の遅れた女性警兵、何らかの事情で兵役に就くことを選んだ矮星族、そのどれであっても――きわめて珍しいことに変わりはなかった。


 軍港には連邦の防衛機密がいくらでも転がっている。

 艦船、補給物資、人型全領域戦闘機シングラル、紙や電子のデータ、そして人間。

 その漏洩を防ぐため、物理と電脳とを問わず、人・物・情報の出入りは厳しく管理される。機械と人間による二重検査。誰にとっても面倒な手順には違いなかったが、それは必要なセキュリティであった。

 かく行われる検査に、件の少女が今かけられている。

 検問所の警兵が訝しげに注視する中、少女の入港管理システムとの間で通信を行い、ID照合を一瞬で終わらせた。エラーメッセージも警報もなく、機構本部のデータベースから情報が送られてくる。

 

 認識番号:A‐8505‐E001357

 所属:戦略技術開発局 第一三五七試験技術運用部隊

 階級:三等哨尉ルクトール・ティアート

 性別:原女性

 年齢:十八歳(銀河標準年計算)

 氏名:アンジェラ・フィオリーナ・カノーヴァ

 

 その後にも経歴や技能、詳細な精神分析といった項目が続いたが、警兵の男はそれらを最後まで見なかった。仮想視野に表示された兵員情報を腕のひと振りで脇に退けた彼は、視覚への拡張現実投影を切り、もう一度、今度は肉眼のみで少女を見る。視線には、データを受け取るまでの訝しさに代わって、抑えがたい好奇心と――畏敬のようなものがあった。

「もしや、カノーヴァ上級邏将の……?」

 おそるおそる、といった口調で警兵が訊く。少女は快活な笑みで頷き、勢いよく一礼した。

「はい! 本日より任に就きます。よろしくお願いします!」

 遠い天井からの照明を反射し、少女の赤髪が炎のきらめきを放つ。男は合点した。なるほど、これこそはカノーヴァ家の象徴たる人工形質〈焔髪ファイアブロンド〉に違いない。武門の名家に生まれたならば、矮星族の女性とて、命がけの戦いに身を投じもするのだろう……。

「ご武運を」

 彼は敬礼した。少女は返礼し、検問所を後に歩き出す。小さな背中に家柄ゆえの宿命を負っているとしても、男の目にその足取りは軽やかと見えた。


 実際のところ、アンジェラ・フィオリーナ・カノーヴァが兵役に志願した理由は、警兵家系の宿命などではなかった。

 彼女は両親の反対を押し切り、ひとえに自らの意志で、犯罪者や反体制勢力と戦う人生を選んだのである。

 CJPOの上級邏将シフ・フィザーダムである父からは、強い正義感を受け継いだ。早くから上流階級の子女が学ぶ教育課程に組み入れられ、幼年期から思春期まで、社会のあらゆる俗悪から遠ざけられて育った。

 連邦最高峰の名門大学、エルフェンバインに入学。自らの意志で進んだ軍事学科では優秀な成績を示し、卒業を待たずしてCJPOから士官待遇のオファーが掛かった。

 家柄と才能。だがそれ以上に、彼女自身の努力と人徳があった。親も教師も友人も、誰もがみなアンジェラを愛した。

 誰ひとり、この利発な少女に人間の暗黒面を教えなかった。

 ときに、銀河標準暦一〇一四年、四月六日。

 エルフェンバイン大学軍事学科を首席で卒業し、CJPOの三等哨尉として着任するアンジェラは、いまだ悪を知らない。


 ふくらみかけの、もはや成長することのない薄い胸をいっぱいに張って、アンジェラ・カノーヴァが歩く。

 誇らしげに紅潮した笑顔が、見知らぬ人々にすれ違いざま、無差別の挨拶を投げてゆく。

「おはようございます! はじめまして! あっ、どうも、はい、新兵です。アンジェラ・フィオリーナ・カノーヴァといいます! 今日から配属と……」

 軍港内部で働く者たちも、やはり警兵服の少女を珍しがったが、その可憐な笑顔にてられて、思わず笑み返してしまう。軍事施設の緊張した空気というものを、彼女の発する幼い明るさが弛緩させるようだった。

 アンジェラは光の洪水の中を歩いてゆく。

 無数の仮想オブジェクトが視界に投影されている。過去の行動記録ログと今後の予定を表示するスケジュールウィンドウ。港区の立体地図。建物や運搬車両には大小様々の仮想タグ。企業体群の投影プロ広告アドがあちこちに浮かび、近づく人間の動きをトレースして付きまとう。

 寄ってきたCMのひとつにアンジェラが目を向ければ、ドレクスラー社の新型医療分子メディキュラーが何万種の惑星固有病原に対抗し得るか、女の甘い声とともにリストアップされている。

《これさえインストールすれば、星間旅行に付き物だった風土病の心配だって、もう要らない!》

 様々なる仮象。だがこれは、軍事施設だけあってまだ大人しい方と言えた。主星の都市構造体なら広告だけでもこの倍以上は表示される。さらに能動アクティヴ投影プロジェクションで肉体を離れて飛ぶ人々の電子的霊体も加わり、仮想視界に投影優先度のフィルタを掛けなければ、基底現実の人や物が見えなくなってしまうほど。

 すべてはパーセプション・プロジェクターが投ずる仮想/拡張現実。アンジェラの脳内に配線された補助脳が見せる、人工の幻覚である。

 足元からは一歩ごとにライトグリーンの三角形が飛び出し、ある場所を目指して流れてゆく。目的地への移動ルートを示すガイドポインターである。ポインター自体はありふれた識覚パースアプリケーションだが、入力インプットされた経路パスは着任に際してCJPOから送られてきたものだ。アンジェラだけに視える光の道標が、星系内のどこからでも、彼女を〝任地〟へと導く。

 アルケミスト級試運艦〝テオフラスト〟。

 それが、アンジェラ・カノーヴァの初配属先となった艦の名だ。


 試運艦――試験技術運用艦という艦種は、新兵器のテストなどを請け負うデータ収集部隊の母艦である。彼らはより多くのデータを取るため、もっとも苛烈な戦火の中を選んで渡り飛ぶ。

 アンジェラにとって、危険はむしろ歓迎すべきものだった。安全な後方で幕僚として勤務する提案を蹴って、前線へ回してくれと言い募ったのは彼女の方だ。

 現実を知らなければ、現実を変えるための戦いはできない。アンジェラはまず〝敵〟を知りたかった。反連邦ネットワーク〈解放星団LC〉、革命義勇軍〝ザナドゥ〟、過激派テクノ・アナーキスト――彼らはいかなる過ちから愚かな反社会的行為に加担するのか? どうすれば彼らを人として正しい道へ立ち戻らせることができるのか?

 アンジェラが戦いに身を投じたのは義憤ゆえだが、犯罪者を鏖殺したいなどと思ったことはなかった。同じ人間である限り、〝敵〟であっても解り合えるはずだと信じていた。CJPOの責務は、悪為す者を社会から排除することではない。彼らを救い、正常な社会生活の中へ復帰できるよう善導することなのだ。

 そして〝敵〟を知るためには、〝敵〟と直接接触できる環境に身を置く必要がある。安全な場所から戦地にメッセージだけを飛ばして、「みんな仲良くしましょう」と叫んだところで誰が説得されるというのか。生身の肉体で、触れあえる距離に近づいて、全身全霊でぶつかってこそ相互理解は成る。それは理想を追うアンジェラ・カノーヴァが、当然負うべきと己に課したリスクだった。

「がんばれ私、正義の味方になるんだ」

 少女は自分を励ましながら歩いた。エルフェンバイン大学での長いモラトリアムが終わり、いま初めて社会へ出て働く。平和への理想は高く、警兵として市民を守るために戦えることは誇らしく思っていたが、不安を一切感じないと言えば嘘になる。

 自分は果たして他人の期待に応えられるのか。俸給に値する仕事ができるのか。フルタイムで――それも、命を危険に晒して――働く生活にほんとうに適応していけるのか。

 勤める先が軍事・刑事を司る巨大な武力機構であっても、アンジェラが抱く不安は畢竟、二千年以上前から変わらぬ新社会人の青い悩みであった。


 少女の行く先、その船は軌道軍港の最外縁、人工重力が働かないドックエリアに繋留されている。

 楔形の鋭い艦体は全長八百メートル超。表面を覆う耐レーザー装甲がダイヤモンドのきらめきを放ち、その下に紅の二次装甲が透けて見える。各所から突き出した小さな棘は、対空防御を担うフォトンドライバーの砲身。後部に突き出した四基の翼は、補助推進器かセンサーの類であろう――人工の岸壁から艦を見上げたアンジェラは、外観から各部の機能を推測してみる。座学に明るい彼女であるから、そのような見立ても利く。

 ガイドポインターはいまもアンジェラの足元から発して、仮想空間に残光を曳き、艦前方のキャットウォークから続く開口部へと吸い込まれていく。ここが終着点だ。船の名は〝テオフラスト〟。テクノロジーと戦うためのテクノロジーを育む、錬金術師たちの巨大なフラスコ。

 アルケミスト級の基本性能は、おおよそCJPOの標準的な巡洋艦クラスとされている。

 純粋な戦闘部隊以外が持つにはこれでも破格の戦力だが、上位戦闘艦と比較すれば、実のところ大したものではない。火力では戦艦に及ばず、人型全領域戦闘機シングラルの搭載機数では空母に遠く届かない。装甲と機動力が強化されてはいるものの、これは戦うためというより貴重なデータを持って逃げるための仕様だ。

 にもかかわらず、試運艦はしばしば戦場でもっとも華々しい活躍を期待され、また実際に演じてきた艦種である。理由はもちろん、ロールアウト前の最新兵器を満載しているからにほかならない。

 軍需産業からの金が湯水のごとく流れ込み、民間軍事会社PMCや研究機関からすぐれた人材が集められ、新兵器の性能を最大限に発揮する環境が整えられる。いわば試運艦の本質とは、CJPOが企業体群のために膳立てた移動コンペティション会場。安全保障上の戦略のみならず、政治・経済の機構とも噛み合って回る、寡少にして特別ななのだ。

 否応なく恒星間社会の注目を集めるこの船に、アンジェラ・カノーヴァが乗り込んだのはなにも彼女の希望によるばかりではない。そこにはCJPO上層部の打算があった。

 矮星族の女性が戦地へ赴くことなど普通にはまずないが、アンジェラは自らの強固な意志で警兵となる道を選び、前線配属を志願した。この事実が及ぼすプロパガンダ効果を最大限に活かす人事が、試運艦への配属というわけだった。

 そのことをアンジェラは知っている。〝テオフラスト〟への着任が決まった日、父がCJPO本部から投影体を飛ばしてきて、苦々しげに語った。上の連中はおまえを広告塔として祭り上げる気に違いない、と。

 彼女は自分に期待される政治的役割ロールを苦とは思わなかった。そのような策を巡らす組織に失望することもなかった。筋が通っていたからだ。自分の立場は確かに特殊なものである。然り。だが、治安を守るために利用できるものなら、むしろ進んで提供するのが市民の務めではないか。そう考えた。

「……よぉーし」

 自分はこの艦の、否、CJPO全体の看板になるのだと気負う。

「がんばるぞぉ」

 乗艦すれば、新兵はまず艦長との面接がある。挨拶程度のものではあるが、第一印象こそ肝心だ。硬くなりすぎて自分をアピールできないのでは意味がない。

 アンジェラは愛用のピルケースを開き、感情調整薬剤EAMを一錠振り出した。主星系の市民が幼少よりメディアに刷り込まれて育つ、ストレスに対する現代的な防衛機制。

 青白い小粒のタブレットをひと噛みして砕き、飲み下す。すうっ、と喉が冷える一瞬、製薬最大手エピキュリアン・メディコープのCMが脳裏を擦過した。

 ――きみよ怒るな。悲しむな。悩む暇があるならば、〝神丸アンブロシア〟を一粒のめばいい……

 人体に合わせて注意深くデザインされた合成化学分子群は、心臓が五回と打たぬうちに神経への作用を始める。

 錠剤の色に似た青白いスパークが瞬き、七色の光彩へと分かれてアンジェラの世界に広がった。仮想現実の万象を形作る、立体画素ソリッド・ピクセルの粒状光とは違う。もっと有機的で、液体のようで、ソフトな光だ。精神的変容が肉眼の視界に与えた、存在せざる虹の輝きだった。

 負のベクトルを持ったあらゆる認識・感情が反転する。何も恐れるべきことはない。万事はうまくいっており、これからも順調であり続けるだろう。根拠を必要としない、天啓にも似た確信。

 だいじょうぶ。少女は頷く。自分は学校での成績も優秀だったし、補助脳やインテリジェントウェアは最高のものを揃えている。戦術情報オペレーターの仕事くらい、人並み以上にこなしてみせる。

 だいじょうぶ。うまくやっていける。これまでの人生で、他人から嫌われるようなことは一度もなかった。善意と愛情をもって向き合えば、人は同じように応えてくれるものなのだ。いずれは敵さえ、敵ではなくなるだろう――

 無限の楽観を薬物によって引き出し、アンジェラ・カノーヴァは至福の笑みを浮かべたまま、紅い艦体のそばを漂い流れていった。

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