SINGULAR BLADES

呼吸する器具

プロローグ

 母親の腕の中で、幼子が空を見上げた。

 年老いた紅い太陽が沈み、地平線にわずかな緋色を残して、濃紺の夜が天を支配する時間。この惑星の大気を通して見る、星辰の光は蒼い。

 無量の蒼光の狭間に、ちかちかと瞬く別の光があった。

「ままー、あれなにー?」

 子を抱く母は答えない。ただ険しい表情で、ときおり爆ぜる星ならぬ閃光を見つめている。

 あれは戦いの光。

 彼女は黙して祈った。天上に燃えるあの炎が、どうかこの地表にまで届くことのないようにと。自分たちは戦争になど関わらず、ただ平和に生きて、人として死んでいければそれでいいのだから。

「あれはね、巨人たちが戦っているのよ」

「きょじん?」

「そう。とても大きな、機械の巨人」

 覗き込むわが子の無垢な瞳に、瞬き流れて消える光の筋が、幾条も映じた。流星雨――ではない。凍てつく真空の中で砕け散った兵器たちが、惑星の重力に引かれて降りそそぎ、空で燃える光だ。

「きれいだねー」

 幼子が手を伸ばす。墜ちゆく光たちの、残酷な意味などつゆ知らず。

「おうちに入りましょう。パパがお仕事から帰ってくるころよ」

 乾いた土の上に子を立たせ、母親は家の戸を開けた。見回せば、周囲に並ぶ家々にも明かりが点っている。天を仰ぐ間に、古い陽の残照さえ消えつつあった。

 子供はそれでも、光の雨を見つめ続けた。

「巨人さんたちからも、こっちが見えてるのかな?」


 ルイス・ルービンシュタインは軌道上に静止し、幼子の伸ばした手を見ていた。

 顔の筋肉を動かせるものなら、彼は眉間を顰めていただろう。しかしこの瞬間、彼の肉体とはすなわちであり、頭部はセンサー類の集合体である。顔にあたるフェイスアーマーは武骨な装甲の塊。表情をつくる機能などは、持たない。

 人型全領域戦闘機シングラル

 それがいまのルイスのからだ、機械仕掛けの巨人。

 二十メートルクラスのという、かつてはフィクションの中にしかあり得なかった存在。

 だが、軍事技術の奇形的発展が、戦争の現実性リアリティそのものを塗り替えた。重力工学の結晶たるシングラルは、空間戦闘の帰趨を決する主戦力として、いまや銀河系に遍く君臨する。

 かかる兵器に身を擬し、眉ひとつ動かせぬルイスは、戦域TAネットの仮想回線を通じて、遥か後方の母艦に問う。

「――確認する。攻撃目標を間違えているわけではないな?」

 回線の向こうから哄笑が返ってくる。太い、男の声であった。

《珍しい。きさまでも躊躇うということがあるのか》

「確認だと言っている。座標は確かか。あれは軍事施設ではないが」

 環境改造テラフォーミング途中の惑星に切り拓かれた、小さな居住区コロニー

 ルイスの見下ろすそれが、送信されてきた暗号文の示す〝攻撃目標〟である。味方が誰も撃っていないことから、この攻撃命令が彼にしか下されていないことが知れる。

 実行に際して障害となるものは何もない。軌道上での戦闘はおおよそ片付いている。電脳戦ロジカルコンバットを制したことで十全の情報支援を受けられる友軍に対し、敵は僚機や母艦との通信もままならず、各個撃破の的となるのみ。ルイスを妨害しに来られる者はいない――そもそも、シングラルによる民間人居住区への対地攻撃など、が想定しているかどうか。

 少なくとも常識的には、およそまともな指揮官の出す命令ではない。

《上官に対する口の利き方を弁えろよ、ルービンシュタイン。きさまを〝巨獄グローセス・ゲフェングニス〟に送り返すことも、おれにはできる》

「失礼。ではウォジェコフスキー邏将閣下、御命令に訂正はないな。フォトンドライバーで、軌道上から、しろということだな?」

《ひとつ間違いがあるぞ。奴らはではない》

 太い声の男、邏将フィザーダムアレクセイ・ウォジェコフスキーは、わざわざルイスの強調した部分を訂正して返した。

《あの星の地上を這い回っておるのは……無届で惑星環境を改造する開拓者気取りのクソ虫ども。それに便乗した不法居住者。そしてこいつらをするなどと抜かすテロリスト。みな犯罪者よ。その親類縁者、一族郎党もろともに、生きる権利も価値も無し。われら統一銀河連邦の敵である以上、一匹たりとも逃さず駆除する。それがきさまの責務》

 映像は出していないが、声を聞けば解る。ウォジェコフスキーの顔は愉悦に歪んでいる。犯罪者を狩り殺すことこそ国家大道への貢献であり、人間社会の改善に直結すると信じて疑わぬ男である。非戦闘員の虐殺も、見せしめの一語で正当化できると思っているだろう。

 しかし命令権を持つのはウォジェコフスキーだった。ルイスに抗うという選択肢はない。その意思もない。

 ルイスがやらなければ、別の誰かがやるだけだ。

《おれは部下思いなのだ。ここから艦砲で抉ってもいいところ、あえてきさまに戦功スコアをくれてやろうと言っている。悪名高きグラディアトールの一員ならば、喜び勇んで撃つがいい。いまさら汚れるのを躊躇うほど、綺麗な手をしているわけでもなかろう?》

「――――了解した」

 ルイスはフォトンドライバーを構える。

 砲口が向く先は、赤茶けた大地に張り付く苔の如きコロニー。夜が訪れつつあるそこに、灯る光点のひとつひとつが人の営みを証明する。少なく見積もっても数万の人口はあろう。いまから、この手で、ゼロにする。

 さらに照準を絞り込む。視覚野と直結したメインカメラがピントを自動調整。数万キロメートルの距離と分厚い大気に隔てられてなお、ミリ単位の解像度で地上の光陰を映し出す。

 小さなドーム型の家。庭先に立ち、戦闘宙域の光芒を見上げる子供。その後ろには母親らしき女。少し離れたところから二人の方へ歩いてゆくのは父親だろうか。

 定める。着弾点はあの家族。

 苦しむ暇も与えず、蒸発させる。

《おれはきさまが気に入っている。これはプレゼントと思え。ほかの腑抜けどもには惜しい手柄……》

「目標を攻撃する」

 上官の声を遮るように、淡々と告げた。

 ルイスの意思を受けて機体の指が動き、物理トリガーにかかる。電子攻撃による誤射・暴発を防ぐための、アナログな発射シークエンス。

 生身と違って、腕が震えるようなことはない。射撃管制システムFCSの照準補正に従い、狙撃は無慈悲な正確さで行われる。

 機指を引く。

 フォトンドライバーのレンズが、閃光を放った。

 ポジトロンカートリッジが激発し、溢れ出た光子フォトン編光晶体ルミナリスタのレンズが収束、放たれるのは超高エネルギー・γガンマ線パルスレーザー。重水素反応弾にして数十発分の熱量が、マイクロ秒以下の一瞬・一点に集中し、爆ぜる。

 幼子の憧憬。家族の肖像。生活、夢、ささやかな秘密。愛と祈り――

 すべてが火のなかに消滅した。

 プラズマ化した射線上の大気が火柱となり、その根元から巨大な火球が膨れ上がる。熱線が木々を、人を、灼き付けられた影に変え、衝撃波があらゆる構造物を薙ぎ払う。

 地平線の彼方からも見えるであろう、小太陽のごとき爆発。

 仮にあのコロニーが地下シェルターを備えていたとしても、この出力なら地殻ごと貫いてマグマに変えている。

 鏖殺した。確実に。

《く、くく。くっは、くふははははは――》

 仮想回線に耳障りな哄笑が響く。

《いいぞルービンシュタイン! そうだ、きさまにライセンスをやろう。独断行動の免許だ。犯罪者にしてライセンスホルダーというのも、なかなか面白かろう?》

「目標の破壊を確認。残敵の掃討に参加する」

 機躯を翻し、ルイス・ルービンシュタインは巨人たちの乱舞する戦場に復帰した。

 敵味方の機体が何もない空間を蹴るたび、鋭い足先から同心円状の光が拡がってゆく。斥力干渉器リパルジョン・インターフィアラーの生む重力波が、空間ごと歪めた星の光。白い波紋が縦横に揺らめく立体の水面へ、ルイスは迷いなく飛び込む。

 センサーに感。銃後を焼く卑劣に怒り狂った敵機が、殺戮者の機体めがけて殺到してくる。相対速度は約〇・〇七C――秒速二万キロメートル強。互いがまっすぐ近づけば瞬時に間合いの埋まる速さだが、狙い撃ちされないためには乱数回避を織り交ぜて飛ぶ必要がある。

 ルイスはリパルサーブレードを抜刀し、虚空を蹴って稲妻のように走った。目まぐるしく繰り返される鋭角のターン。蹴散らされた慣性が幾重もの光輪となって咲き乱れる。敵機の射線がそれを追う、だが追い付かない。

 ――あれで何万人を殺して、何日分の刑期を削れたのだろう?

 考えながら、不用意に近づいた敵機を一刀のもとに斬り捨てる。その残骸の陰からさらに一機、別の敵をフォトンドライバーで撃ち抜く。

 斬られ撃たれた二機が爆発、その炎を蹴ってルイスは再加速。制動限界速度を遥か超え、こちらの機動を追い切れず棒立ちになった敵機をすれ違いざまに斬る。浅い。だが振り向かず放った追い撃ちのフォトンドライバーがとどめを刺す。またひとつ、命が火球に変わる。

 機体指先の圧力センサーが伝える、物理トリガーの感触。そのなめらかな引き心地を反芻しながら、笑みを形作れぬ装甲で、男は嗤った。

 名も顔も知らぬ無数の命。

 この引鉄ほどには、軽い。

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