第二話 欲するもの
――微睡みの世界から目覚めたそこは何も無い空間。
いや。
何かがある。これは、青だ。
何かを感じる。これは、風だ。
ここは……空だ。青くどこまでも広がる空だ。
『おいおい。空を飛ぶなんて、やけにクールな夢じゃないか』
どちらが上かも下かも分からないその空間を彼は飛んでいた。いや、漂っていたという方が正しいのかもしれない。
辺りを見回すと、青、青、青、白。白い何かがある。
『あれは……雲か。ここは雲の上か。なるほどな』
ニヤリと笑う彼は何を思ったのか、青い方へと体を向ける。何も無い空間を移動する所作など知る由もない。しかし、あちらに行きたいと願えば行けるものだ。
何せここは夢の中なのだから。
それなりの速度で移動しているのだろう。
彼を取り巻く青は次第に濃くなり、終いには黒々としたものになった。
遠くに目を凝らせば、ちらちらと輝く何か。
『これが宇宙ね。意外といいものだ……ここには何も無いのに、遥か彼方には何かがある、とだけ分かる』
遠くでチラつく輝きが目から離れない。もしかしたら、あの輝きは星かもしれないし、豆電球かもしれない。
暗闇の中で自らを主張するその輝きに惹かれる。
『あれが何かを確かめたい。あれを手に入れたい。瓶に詰めて持ち帰りたい』
人とは欲に塗れた醜いものだ。手が届きそうもないものは端から欲しいと思わないくせに、少し手が届きそうになると途端に欲しくなる。
『俺が力を出し切れば、あれを手に入れられるだろうか……いや、無理だな。俺はとうにそんなことを諦めていた』
【宇宙】というただの空間にいるだけで彼は学ぶ。自らの過ちを。
『生まれた頃から本気で生きてきたら、俺はあの輝きを手に入れられただろうか……手に入れられたかもしれないし、入れられなかったかもしれない……ただ一つ分かることは、俺が本気で生きてこなかったという事実だけ』
学園長の言葉が頭をよぎる。
「「自分の価値は閉じ込めない方がいい。そうしてしまえば、君はただのちっぽけな人間だ……例えどんな可能性を秘めていてもね」」
【宇宙】という無限の空間。そこには、美しく輝く可能性がある。ただ、その可能性はここに来なければ一生みることのなかったもの。【宇宙】に閉じ込められたもの。
『俺がこんなことを考えるなんてな……この夢は空を飛ぶなんていう自由に溢れた夢じゃない。俺というちっぽけなものを知る夢だったわけかい』
その皮肉めいた夢に呆れる。何せ、この夢を見せたのは自分自身だからだ。
『俺の中の輝きが、もっと人目のあるところへ行きたいってか……』
彼は、自らの思いを学んだ。
◆❖◇◇❖◆
どこか遠く、遥か彼方から微かに聞こえる警告音。
その音が、徐々に近づいてくるにつれ、身体が引っ張られるような感覚に陥る。
"ピピピピッピピピピッピピピピッ!"
目覚まし時計の
(ああ、朝か……全く、目覚めの
そんなことを考えながら、手探りで鳴り止まない目覚まし時計を黙らせる。
ベッドの中で大きく伸びをすると、そこから這い出した。
数時間ぶりに足の裏に体重をのせる。カーテンを開き、数時間ぶりの陽を浴びる。
「……朝だな」
数時間ぶりに声を出す。
「風雅! 早く朝ご飯食べなさーい!」
下の階から声が聞こえた。
「はいよー」
ゆったりとした足取りで階段を降りる。洗面所に向かって、顔を洗い口をゆすいだ。
居間へと辿り着くと、用意された朝飯の前で手を合わせる。
「いただきます」
朝はパン派なもので。かりかりとトーストの表面を掻きながらバターを塗りつけると、しっとりと馴染んでいった。この徐々に染みていく感じが堪らない。
「いつも思うけど、あんたってバター塗る時変な顔してるわよね」
そう声をかけるのは、
この家には基本的に千恵と風雅の二人で暮らしている。父はいるのだが、仕事の関係上
三年前からイギリスにいる。単身赴任というやつだ。
「変な顔ってなんだよ! 別にいいだろ、バター塗る時ぐらい」
トーストにかぶりつく。
(うん、うまい!)
「まあいいけどっ。早く学校行きなさいねー。もう私出るから」
うちは共働きだ。母も朝から晩まで働いている。
「ほいよー」
「ちゃんと戸締りとか確認してね! それじゃ」
できる女の雰囲気を醸し出す千恵。実は学園長が社長を務める会社で働いている。
インターナショナルエンジニアマネージメントコーポレーション――通称IEMC。学園長が社長を務める会社の名だ。
IEMCは、技術者を雇い主に紹介する仲介人のような仕事を中心に行なっている。その規模は全世界に及び、今では日本を代表する一大企業だ。
色々と学園長にはお世話になっているわけだ。
「さてと……俺もそろそろ行くか」
準備をして、愛する母校へと向かう。
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