第一話 学園長

 彼はいま、ちょっとした境地に立たされている。


 目の前には大きく重厚な木製の扉。

 繊細な装飾が施されたこの扉の前に着いてから五分は経っただろうか。


(学園長から直々のお呼び出しとか……流石に授業サボりすぎたか?……まあ、逃げるわけには行かないんだ…入るか)


 ごくりと唾を飲み込むと、覚悟を決めドアをノックする。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと押し開けた。


「失礼します。2年F組の片桐風雅です」


「おお、来たか。さあ入りたまえ」


 その落ち着いた声に招かれると、恐る恐る部屋に入る。


 学園長室は、教室二つ分の広さだ。

 約5mもあろうかという天井には、大きな天窓がはめてあり、そっと光が差し込む。


 部屋を見渡すと棚からデスク、椅子まで豪華絢爛とは言わないが、平民のこの俺でも一目で最高級品だと分かるものばかりだ。


 落ち着いた雰囲気の部屋の奥に、その男は立っていた。

 白髪まじりの髪をオールバックにした、いかにも優しそうな顔立ちの男が。


「やあ、久しぶりだね。片桐くん」


「ご無沙汰してます」


 ここ一年ほど会っていなかったが、小さい頃は何度かあったことがある。この学園に入学した時にも挨拶をした。


「この一年でだいぶ体も大きくなったんじゃないか?」

 にこやかな笑みを浮かべている。


「いえ、あまり身長は伸びてないですが……」

 苦笑しながらこたえた。

(この雰囲気、もしかしてお叱りじゃないのか……?)


「早速で申し訳ないんですが、お話というのは?」

 叱られるのか、叱られないのか、早く知りたかった。


「……わざわざ呼び出してすまなかったね…立ち話もなんだ、座ってくれ――――話といっても私的な事なんだが……」

 学園長は叱るどころか、少し申し訳なさそうな表情で言う。


「……と言いますと?」

 どこか渋る学園長に、半ば諭すように聞いた。


「……単刀直入に言おう。うちの娘を貰ってくれないか」


「…………はい?」

 その唐突かつ飛躍した話題に思わず聞き返した。


 ―――エレナとは五歳の頃に出会った。

 一人娘の人見知りを心配した両親に連れられ、近所の公園に来ていた彼女。

 綺麗な金髪が、五歳の俺にとって不思議だったのだろう。珍しく俺から話しかけたのを今でも覚えている。


(話してみれば明るい彼女に惹かれたんだっけか……そんなエレナを貰ってくれ?)


「変なことを言っているのは分かっている。……それでも片桐くん。うちの娘、世瀬良木エレナと結婚してくれないかね」


 思わず時が停止した。思考を極限まではやめたのだ。


(何を言っているんだこのおじさんは! 都内でも有数の進学校が誇る金髪美少女生徒会長――世瀬良木エレナと結婚してくれないか?! とんでもない……いや、ありえない)


「……あの、学園長。それはどういった訳ですかね?」

 こんな話に裏がないはずがない。


「訳、か。強いて言えば、君以外にエレナに相応しい男はいないという事かな」

 これには流石の風雅も顔を引き攣らせる。


「お言葉ですが、学園長。俺は授業もサボるろくでなしですが……そんな俺がエレナに相応しいと?」


「確かに、君の素行には少しよろしくないところがあるな……だが、そんなことは関係ない。君ほど優秀ならな」

 なぜか笑顔でそう言った学園長。


「優秀って……俺の成績は中の中だと思いますけどね」

(もう、付き合ってられん……)


「ああ、君の成績は中の中だ……中の中の中の中だったな」

 そう言うと学園長は、懐からホチキス止めされた資料を取り出した。


「それは……!」


「これは、君がこの学園に入学してから今日までに受けてきた試験結果だよ……」

 ぺらぺらと資料を捲り、目を細めじっくりと見る。


「現代文、古典、数学ⅠAⅡB、英語、生物、地学、物理、化学、世界史、地理、日本史、倫理、政治経済……これらの数ある科目で、平均点と寸分違わぬ点数を記録している。この1年2ヶ月間全ての試験でだ……」

 呆れたような表情で資料を机の上に置いた。


「そんなのただの偶然ですよ」

 風雅は両手を広げると肩をすくめる。


「……まあ、君ならそう言うだろうな。片桐くん、君がどんな思いなのかは分からない……だが、自分の価値は閉じ込めない方がいい。そうしてしまえば、君はただのちっぽけな人間だ……例えどんな可能性を秘めていてもね」

 熱く鋭い眼差しで目の前の少年を見つめる。ただじっと見つめる。


「……そうですね。考えておきますよ……けれどこの話をするために呼んだ訳では無いですよね?」

 風雅には好かない話だったのだろう。


「ああ、そうだ……エレナとの結婚、君にとっても悪い話ではないはず。じっくり考えてくれたまえ」


「学園長、俺がなんと言った所でエレナが了承するとお思いですか?」


 彼の言葉に、何がおかしいのか学園長はクスリと笑った。

「まあ、確かにな……片桐くん、エレナを頼んだよ」


「いや、人の話聞いてました?」

(やっぱり、この人ぼけてるのかよ)


「残念ながら、君たちの体は君たちだけのものではないということだ……さあ、話は終わりだよ。行きたまえ」


「……はあ。それでは失礼します」

 そう言うと、学園長室を後にした。


(君たちの体って、エレナのことも言ってるのか? にしても訳の分からないことしか言われなかったけど何だったんだか……)


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