第1話:魔女と鋼鉄人間

事務所の三人用ソファから身を起こして壁時計を見ると、既に十二時を回っていた。

事務所内は相変わらずコーヒーの良い香りと、静かなジャズのBGMが流れている。

窓のブラインドから微かに差し込む光から夜でないことがわかる。

「おはよう涼介」

もたれかかるソファの背後から女の声。振り向くとそこには矢羽模様の振袖に赤の袴姿の女性が立っていた。

「おはようございますトモエさん」

欧羅・巴(おうら・ともえ)この特殊請負事務所の社長であり、大正時代の始まりから人間を止めている女性。すらりと背が高く、背中まで伸びた綺麗な黒髪。無類のコーヒー好きで、常に彼女の机にはコーヒーが入っているティーカップが置かれている。

「眠たそうだな。ほら、これでも飲んで目を覚ませ」

トモエさんが手に持っていたティーカップを渡してくる。受け取り飲むと濃い苦味が口に広がる。

「苦ぇ……」

「これくらい苦くしないと目が覚めないだろ」

そう言い、トモエさんは自分の分のコーヒーを飲む。

「ちなみに何杯目ですか?」

「十六杯目」

「人間ならカフェイン中毒になってもおかしくないですね」

「そうだな。だが私は『不老健常者』だ。人間を止めてよかった」

トモエさんも俺と同じ超能力者であり、『不老健常』という能力の持ち主。

読んで字の如く、歳を取っても外見や中身は若いまま変わらず、健康を保つ医者要らずの能力。しかし不死ではないのでいつかは死んでしまう。

「そういやあの魔女どうなったか分かります?」

明け方に逮捕した魔女のその後が気になり、俺は聞いてみる。

「撃ち抜いた脚は完全に回復し、今は取調べを受けているらしい。かなり反省してるみたいだと言っていたぞ」

ここ最近稀火兎(まれびと)市で起きていた連続動物変死体遺棄事件。公園や街中、学園の運動場などに犬の死体が相次いで発見された。

いずれの動物も高所から叩きつけられたかのようにぐちゃぐちゃになっており、警察では不可解な事件として捜査を進めていたが有力な手がかりを見つけることが出来ずにいた。

その後も事件は続き、ここ特殊解決事務所に市長から協力要請が来たわけだ。

《このままでは市の評判と警察の威厳が損なわれる。至急犯人を見つけてくれ。どんな手を使ってもかまわない》

「反省ね。ま、銃で撃ちぬかれる経験をすりゃあ誰でも反省すると思いますがね」

俺は事務所の壁に掛けられているスナイパーライフルを見る。

PSG‐1。ドイツのスナイパーライフルで高い命中精度を誇る。

「依頼主である市長は言った。『そんな手を使ってもかまわない』とな。さて、そんな市長から報酬が届いた所みたいだ。海外旅行確定だ!」

今回の依頼は高額らしく、この仕事が終わったらトモエさんは俺を海外に連れて行ってくれるらしい。

「さて、私は報酬を受け取りに銀行まで行くが涼介はどうする?」

「俺は協力してくれた子に事件の結果を話しに言ってきますよ」

「ああ、魔女と同じ学園の子か。了解。じゃあ終わったら戻って来てくれ。 旅行の計画を立てようじゃないか」

「分かりました。それじゃあまた後で」

稀火兎市の北に位置する事務所を南下し、俺は中心街に来ていた。

そこにある行きつけの喫茶店『モラトリアム』の扉を開け中に入ると、静かなジャズのBGMと共にほどよい涼しい風が、俺を出迎えてくれた。

昼食時を過ぎたのか客の姿はほとんどなく、いるのはテーブル席に座っているセーラー服姿の少女だけだ。カウンター席の向こうにマスターの姿はない。

「戸塚さん!」

少女は俺の姿を見つけると待ちかねたような声を出した。

「すまん、待ったか?」

俺は少女の向かい側に腰掛ける。

星川夢美。稀火兎学園に通う女子中学二年生。

今回起きた連続変死体遺棄事件の協力者であり、犯人である魔女のクラスメイト。

肩まで切りそろえた綺麗な黒髪に小柄な体型と可愛らしい少女である。

「いいえ、私も今来た所ですので。気にしないでください」

夢美ちゃんはそう言って天使のような微笑を俺に向ける。今時珍しく素直で純粋無垢な性格であり、一緒にいるだけで心が癒される。

「そう言って貰えると嬉しいよ」

俺はそう言ってレザーのショルダーバックから冷えた缶コーヒーを二個取り出す。

「『喫茶店の味がするアイスコーヒー』と『高級ホテルの味がするアイスコーヒー』どっちがいい?」

「『喫茶店』がいいです」

マスターが不在な時が多いこの店では、飲食を持参するのが当たり前となっている。

「さて、本題に入ろうか。結果を先に言うと、魔女は逮捕されたよ」

「そう……ですか」

夢美ちゃんは顔を伏せる。

「超能力者となった魔女、月野都はもう二度と悪いことは出来ない。とりあえずこれで一件落着だ」

「複雑な気分です」

「だろうな。クラスメイトでもあり一番の仲良しだった子が、いきなり超能力者になって、しかも人には言えない悪さをしてたんだからな」

「始めは黙認するつもりだったんです。でも段々行為がエスカレートして、大騒ぎになって。私一人では止められなくなりました。私も超能力者ですが、戦闘には縁のない能力でしたので戸塚さんに協力を求めたんです」

夢美ちゃん顔を上げる。目に涙を溜めたまま。

「夢美ちゃんが協力要請をしてくれたおかげで事件が解決したんだ。君は正しい事をした。誇ってもいい」

夢美ちゃんの能力、それは『検索』という能力で、人物を見ただけでその人物が超能力者であるかどうか判断できる。

市長から任務が下された時、夢美ちゃんが俺を超能力者と見抜いて話しかけてくれなければ、今回の事件の犯人を特定できなかったであろう。

「はい……。都ちゃんはこれからどうなるんでしょうか?」

「法に従い罰を受けることになると言いたいとこだが、彼女は人は殺してない。しかも未成年だ。監視がしばらくは付くだろうが刑務所の中で過ごすのはないだろう」

実際、今回の事件は一般人には説明できない事件だからな。

「すぐに会えるさ。心配しなくていい」

俺はアイスコーヒーを飲む。なんで缶のアイスコーヒーはこんなにも不味いのだろうか。

「そうですね……」

「そういや夢美ちゃん何で制服着てるんだい?」

今は夏休みの真っ只中。もちろん学生は長い休みを満喫している時期だ。

「返し忘れた本がありまして。それどころじゃないと分かってるのですが、決まりは決まりですしね」

そう言って夢美ちゃんは学生鞄から少し厚めの文庫本を出す。

「『我輩は猫である』か。有名すぎる本だね。どこまで読んだんだい?」

「借りてからまだ半分も読んでません。今回の事件で読む暇なんてなかったですから。だから今日延期してもらったので読むつもりです」

「そうか。ちなみにこれ読むのしんどくない?」

大体のあらすじは分かるが、すごく長くて読む気にはなれない作品だったな。

「はい、すごく疲れます。あんまり面白くないですし。でも宿題ですので仕方ありません」

満面の笑みで答える夢美ちゃん。こうやってはっきりと答えてくれる所がとてもありがたい。

それからしばらくは面白い本は何かという話で盛り上がったのであった。

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