―奸計―
「ふん……最後のチャンスだ。利口な判断をしろ」
黒ずくめの男は白く輝く剣を突き出し、恐れ戦き尻込みする兵士たちを見廻した。
「ど、どうする?」
「退いた方が……」
「しかし……」
異様な雰囲気を纏う黒ずくめの男を前にして、兵士たちはお互いの顔色を窺い、ただ戸惑うことしか出来なかった。
「ちっ……愚かだな」
黒ずくめの男が嫌気の差した顔で剣を構えようとした時。
「愚かなのは貴様だっ!」
後方から、そう言い返す声がした。
「化物がっ! お前の負けだっ!」
「……ほう。面白い」
黒ずくめの男が剣を下ろして振り向くと、先程この場を離れていった副官の男が、小さな木樽を抱えた数人の兵士を後ろに引き連れて建物の中から出て来る所だった。
そして、更にその後ろには――。
「よし! やれっ!」
副官の男がそう命じると、一斉に後方の兵士たちが抱えていた木樽を前方に放り投げた。
「ちっ……何だ?」
地に落ちた木樽は砕け、大量の液体を撒き散らし、鼻を突く異臭を漂わせながら地面を濡らしていった。
「この香り……油か? ふん。火責めか」
「そうだっ! これで終わりだっ!」
副官の男は不敵な笑みを浮かべながら、懐から短い棒のようなモノを取り出し、目の前に掲げると。
「
発した言葉に呼応して、手にした棒の先端が火に包まれた。
――庫術……特定の物などに詠唱術を封じ込めておく術。解放することで、封じ込めておいた術を無詠唱で発動することができる。術を発動すると封じ込めていた詠唱術は無くなる。特定の物とはいわゆる媒体のことであり、その媒介次第で封じ込めることが出来る詠唱術の質や規模が変わる――
「松明か、愚かだな……地に油を撒いただけ、何の意味がある?」
自身が立つ所まで到底とどくことのない油溜まりを一瞥し、黒ずくめの男は眉を顰める。
「愚かなのは貴様だと言っただろ!」
副官の男は勝利を確信していた。
この町を占拠するために必要不可欠であった策。
元々は〈聖輝統団〉に対して行うはずであったが……。
目の前の男にはこの策しか通用しないと、あの時――空からこの男が雷撃を落としている所を見た時に、そう思い至った。
一個人に対して行う事になるとは思いもしなかったが、相手はもはや怪物と言ってもいい程の存在であることが分かったのだ。
何にせよ、この任務に携わり、この町に攻め込んだ時点で逃げ道はなくなっていたのだ。予定していた策を実行し、目の前の怪物を葬って切り抜けるしかない。
それに、急ごしらえだが準備は上手く整った。
この広場に倒れている仲間の犠牲もあったおかげで、僅かながらの時間を稼げたからだ。
町内会館に侵入するための時間が――。
「連れてこいっ!」
副官の男は、出てきた建物に向かって声を張り上げる。
「ほう。なるほど……」
黒ずくめの男が捉えた視線の先、建物から十数人の女子供たちが、複数の兵士に剣を突き付けられて怯えながらも広場へと連れてこられた。
「うわぁぁぁん!」
「な、何をするの?」
「ママぁぁ!」
「助けて、助けて」
「怖いよぉぉぉ!」
これから起こるであろう事。それが確実に良くない事であることを察しているが、ただ泣き叫ぶこと、ただ懇願すること。それしか出来ない女と子供たち。
「や、やめてくれ!」
「子供達を返してくださいっ!」
「つ、妻を!」
「どうか! どうか!」
そして、どうすることも出来ない残りの住民たちが、兵士たちから距離を取りながら建物から出てきて、訴えをかけていた。
「黙れっ! 人質がどうなってもいいのか? それとも、貴様らが死ぬか?」
副官の男がダンッと足を鳴らして怒鳴り睨むと、その訴えが渋々と止んでいった。
「さぁっ! 人質どもをそこに置けっ!」
不安げな住民たちから視線を外して副官の男がそう命じると、兵士たちは連れてこられた女子供たちを油に染まった地面に座らせた。
「ふん。人質、か……」
「動くな! 剣を捨てろっ!」
黒ずくめの男が白く輝く剣を構えようとすると、副官の男は手にした松明を地面に近付け、制止の言葉を発するが……。
「なぜだ?」
「な、なに?!」
構えを解かずに質問で返す黒ずくめの男に、副官の男は動揺を見せる。
「コ、コイツらが焼け死んでもいいのか?!」
「好きにしろ」
「な、なん、だと?! 見殺しにするのか?」
黒ずくめの男の言葉に副官はただ困惑するしかなかった。
その状況を窺っていた住民たちは黒ずくめの男に対して少なからずも救いの希望を見出していた。
しかし、その希望も潰えたと、広場にどよめきが起こる。
「……ふん。だからどうした?」
「く、くぅ。な、何なんだ? 貴様は……コイツらを助けに来たんじゃないのか? 何のために……」
副官の男は地に座り身を寄せ合う女子供を一瞥して、顔を顰める。
「何のためだと? ……ちっ。それはこっちの台詞だ」
「ど、どういうことだ?! 」
黒ずくめの男は舌打ちすると、白い火花を散らす剣先を副官の男に向けた。
「お前は……いや、お前らは……何のために、戦っている?」
「み、見て分かるだろ! 俺達は軍人だ! 国のためだ! 戦争だから戦っているんだ!」
剣先を向けられた副官の男は黒ずくめの男を睨んで声を荒げる。
「軍人だから? 国のため? ……ふん。曖昧だな。やはり、聞くだけ無駄、か」
副官の男の言葉を受け、黒ずくめの男は剣を下ろしながら吐き捨てるようにそう言った。
「な、なんだと?」
「……いや、もう一つ。お前は……何のために、人質を取ったんだ?」
黒ずくめの男は剣先を地に向けたまま副官の男を見据える。
「き、決まってるだろ! 貴様を葬るためだ!」
「ふん。なるほど……いいだろう」
黒ずくめの男は軽く頷き、白く弾ける火花を纏った剣を前方に差し出した。
「な、何を? 何をするつもりだっ?!」
副官の男は松明をさらに地面に近づけながら一歩後退った。
「剣を捨てればいいんだろ? 言う通りにしてやる。どうせ――」
黒ずくめの男は手にした剣を水平に傾けた。
「使い物にならんしな。
黒ずくめの男がそう呟くと、刀身が輝きを失くし、それと同時に腐り落ちるようにぼろぼろと崩れた。
「なっ?! ……むぅ……よ、よし! 取り囲めっ!」
副官の男はその光景に一瞬たじろぐが、すぐに気を取り直して兵士たちにそう命じた。
「ふん。やはり、能がない」
自分を取り囲んだ兵士たちを一瞥すると、黒ずくめの男は人質たちの傍にいる副官の男を凝視して呟いた。
「かかれっ!」
副官の男がそう発すると、鬨をあげて兵士たちが黒ずくめの男に斬りかかった。
「甘い」
そう呟くと、黒ずくめの男は強く踏み出す。
「汝、
助けよ、
凍てつく
我、
授かん、
全知、
汝、
服せよ」
輪唱の様に詞を紡ぎながら黒ずくめの男は斬りかかる兵士たちを擦り抜け、副官の男めがけて突風のように駆けた。
「ひっ?!」
息つく暇もなく眼前に現れた黒ずくめの男に副官の男は驚愕して、反射的に松明を盾にするように身構えた。
「終わりだ」
そう言って、黒ずくめの男は副官の男に右掌を向けた。
「
黒ずくめの男がそう発すると、副官の男に向けた掌から白く煌く風が吹き出した。
「な、が……ぎ」
その白い風を受けた副官の男は手にした松明ともども氷結のオブジェに変わり果てていった。
「……無能者が」
黒ずくめの男がそう吐き捨て、体を回転させて後ろ回し蹴りを繰り出すと、オブジェは乾いた音を発して粉砕し、陽光に煌めく破片を撒き散らせた。
「ふん。まだ、やるか?」
地面に転がる冷たい破片と化した副官の男を一瞥すると、黒ずくめの男はどよめきだつ兵士の群れにそう告げた。
「う、うわぁぁぁ」
「化け物ぉぉ」
「こ、こ、殺されるぅぅ」
兵士たちは戦々恐々、広場から散り散りに逃げ出した。
「……ちっ! くだらん」
黒ずくめの男は兵士たちの姿が見えなくなると、舌打ちしてそう吐き捨てた。
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