―邂逅―
先程とは打って変わって静まり返る広場。
不安と恐怖の表情を湛えた住民たちが人質となっていた仲間に駆け寄りながら、黒ずくめの男の動向を窺う。
「……はぁ……ん?」
溜息を吐いた黒ずくめの男は駆け寄ってくる小さな人影に気付いた。
「こらっ! だめだっ!」
「戻りなさい!」
制止の声を聞かずに、黒ずくめの男の目の前で立ち止まり、見上げる少女。
「ねぇ! 黒いお兄ちゃんっ! 凄いね! ビュンって! 風みたいだねっ! バリバリィって! 雷でしょ? 強いね! カッコイイね!!」
油の匂いを漂わせた少女は嬉々とした表情を向け、その小さな体を目一杯つかった身振り手振りで黒ずくめの男に囃し立てる。
「……すいません! ちょっと、目を離した隙に……」
黒ずくめの男が燥ぐ少女を無言で見下ろしていると、眼鏡を掛けた男が駆け寄ってきて頭を下げた。
「……ふん。保護者か? 気を付けるんだな」
黒ずくめの男は腕を組みながら眼鏡の男を見据えた。
「はい、すいません……あ、あの……あ、あなたは
眼鏡の男は少女の傍に寄りながら、黒ずくめの男に怖ず怖ずと問いかける。
「神護者? ……いや、違う……」
「 そ、そうですか、失礼しました。いや、見事な剣術でした。それに、あの雷撃は詠唱術ですよね? あれ程の威力の術は今まで見たことがありません。それで、もしかしたらと思い――」
「ちっ。どうでもいい」
意気揚々と捲し立てる眼鏡の男に、黒ずくめの男は眉を顰めて視線を外した。
「あ、すいません……失礼しました」
眼鏡の男が頭を掻きながら頭を下げると。
「先生ばっかりズルいっ! 私も黒いお兄ちゃんとお話したいっ!」
少女が眼鏡の男の袖を掴み、頬を膨らませる。
「いや、そんな事、迷惑になってしまうよ」
「おい。着替えさせてやった方が、いいんじゃないか?」
少女が眼鏡の男の裾を何度も引っ張りながら駄々をこねるのを横目に、黒ずくめの男はそう言った。
「あ、ああ、そうですね。油まみれのままじゃ危険だ。さぁ、着替えに行こう。お話はそれからにしよう」
眼鏡の男は少女の手を取ると、そう言いながら広場の先へと促した。
「えぇ~? 本当にぃ? 本当にお話しさせてくれるの? ねぇ~?」
「……ふん」
手を繋いで離れていく眼鏡の男と少女の後ろ姿を眺めながら、黒ずくめの男が軽く鼻で笑うと――。
「な、なんだ?」
「馬の、足音?」
「ま、また?!」
「そんなっ?!」
複数の馬が駆けてくる音が聞こえ始め、また襲撃があるのかと、住民たちがざわめき始めた。
「……見つけましたっ!」
「団長っ! こちらですっ!」
「ここかっ?! 残党はっ?! 皆、無事かっ?!」
「無事なようですっ!」
住民たちが逡巡している中、複数の馬とそれに跨り甲冑を身に纏った者たちが広場へと駆け込んできた。
「我らは〈神護の園〉より来る使兵だ! この町の長はおられるか?」
団長と呼ばれた白銀の甲冑を身に纏った者が、白い馬に跨りながらそう告げると。
「……私が、この町の代表、ゾイルと申します。〈神護の園〉の皆様、よくぞおいで下さいました」
団長の前に歩み出たゾイルが深々と頭を下げ、豊かに蓄えた顎鬚を気まずそうに撫でつけた。
「貴方が〈神護の園〉に救援要請を?」
団長は馬から降り、ゾイルに歩み寄りながらフルフェイスの兜を脱いだ。
「〈聖輝統団〉が第六師団、団長のザグリブと申します」
凛として勇ましい表情の端正な顔立ちをした女性が、兜を脇に抱えてゾイルに一礼すると、そう名乗った。
「ありがとうございます。ザグリブ様……いや、まさか、本当に助けに来られるとは思わなんだが……」
ゾイルはばつが悪そうに頭を下げ、顎髭を撫でた。
「いえ。到着が遅くなり、誠に申し訳ない……それで、ゾイル殿。到着と同時に賊と遭遇し、直ちに捕らえたのですが……」
そう言って、ザグリブは赤茶色のショートヘアを撫でつけながら辺りを見廻すと、ゾイルに向き直った。
「……ふむ。どうやら、事は治まっているようですね」
「ええ……まぁ……」
ザグリブの言葉にゾイルは曖昧な返答をすると、広場に視線を移した。
「この広場に横たわる賊の亡骸……かなりの数ですね。私たちが捕らえたのが残党だったようですね……うん。優秀な自警団をお持ちのようだ」
「いえ……残念ながら、自警団は、全滅しました」
感心するザグリブにゾイルは俯きながらそう返す。
「全滅、ですか? ならば、この現状は?」
ザグリブは広場を一瞥すると、訝しんだ表情でゾイルを見据えた。
「はい。あそこに、あそこにおられる方が、全て……」
ゾイルは頷いて、広場に佇みこちらの様子を窺っている黒ずくめの男を示した。
「全て? この数を? 一人で?」
「はい。風の如き速さと荒々しさ、まさに疾風迅雷……あっという間でした」
信じられないというような表情のザグリブにゾイルはしみじみとした口調でそう答える。
「そうなのか……しかし、あの出で立ち……全てが、黒。漆黒か……ふむ」
ザグリブは男を眺めながら思案すると、後方に待機する部下の方に顔を向けた。
「お前たちは街を警戒! 安全を確保し、報告しろ! 私は少しばかり、ここに残る!」
「はっ!」
命じられた部下たちは、馬を駆って広場を後にした。
「あの者と話をさせてもらおう。よろしいか?」
「ええ。大丈夫だと思います」
ザグリブがそう言って黒ずくめの男の許へと歩き出すと、ゾイルも後に続いた。
「私の名はザグリブ。〈神護の園〉に仕える者だ。お主はどこの国の者だ? 」
「 ……ふん。さぁな」
黒ずくめの男は腕を組んで空を見上げながら、そう答えた。
「旅人か? それにしても、その装備……漆黒の鎧にマント……傭兵か?」
「まぁ。そんなようなものだ」
「なるほど。では、お主の名は?」
ザグリブが続けてそう質問した時――。
「ねぇねぇねぇっ! 黒い風のお兄ちゃん! 着替えたよっ! お話しよっ! お話しよ~よっ! まずは~! お名前は~?」
ザグリブの言葉を遮るように先程の少女が黒ずくめの男に駆け寄り。
「こらっ! そんな慌てて走ったら危ないよっ!」
その少女を眼鏡の男が困り顔で追いかけて来た。
「ふん。適当に、呼べばいい」
少女とザグリブが発した同じ質問に、黒ずくめの男が無愛想に答えると。
「え~! お名前はぁ~? 教えてよぉ~!」
「名乗れないのか? なぜだ?」
「ああ、ぜひ、教えて下さい。貴方様はこの街の恩人なんです、ぜひとも――」
黒ずくめの男の言葉に、改めて問い質すザグリブと少女、そして、懇願するゾイル。
「ちっ」
そんな状況に眉を顰め、不機嫌そうに顔を背けて空を見上げる黒ずくめの男。
ふと漂い出す殺伐とした雰囲気。
「で、では……黒い、風……漆黒の風。というのは、どうでしょう?」
不吉な状況を察した眼鏡の男が、背中に冷たい汗を感じながら慌ててそう伝えると。
「……ふん。それで、いい」
黒ずくめの男は顔を下ろして、そう答えた。
「なるほど。漆黒の風か……わかった。では、漆黒の風よ。色々と聞きたい事がある。共に、〈神護の園〉まで来てくれないか?」
「〈神護の園〉、か……いいだろう。いくぞ」
ザグリブの言葉を受け、黒ずくめの男はそう答えるや否や歩き始めた。
「あ、ああ。すまない、行くとしよう」
ザグリブは一瞬だけ戸惑うも、少女を一瞥して軽く頭を下げると、黒ずくめの男の後に続いた。
「ええ~?! お話は~? お話~!」
「こらこら、我儘を言ってはいけないよ。あの方は忙しいんだ。大丈夫、心配ないよ。また、会えるよ。その時に、ゆっくりとお話するといい。今は我慢なさい」
ゾイルは地団太を踏む少女の頭を撫でながら、そう諭した。
「わかった……じゃあ、黒い風のお兄ちゃんっ! 本当のお名前はっ?!」
少女の言葉に黒ずくめの男は立ち止まると、仕方ないなと言いたげな表情で振り返り――。
「本当の名、か……オ……ふん。いや……ラスト……ラストだ」
そう答えて、ほんの僅かに口元を緩めた。
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