帰宅

 雪乃が現場検証に引っ張りまわされている。


 本当であれば僕は殺されたはずで雪乃はもっと長く現場検証に付き合っているはずだが。


 スレイプニールの記憶操作で僕が刺されたのがない事になった。


 ・・・というか、僕という存在がこの世から消えたようだ。


 「人聞きの悪い事を考えないで下さい!


 あなたはいない事になっていません!


 ただ男だった今村晶の記憶は女の今村晶の記憶に置き換わっていますが。


 あなたが実家に帰れば女のあなたは「おかえり」と言われるでしょう。


 まああなたは住み込みで雪乃様の屋敷で働いている事になっていますから、突然何の連絡もなしに家に帰ったら「何かあったのか!?」って驚かれると思いますけれど。


 多少の記憶の齟齬はあると思います。


 矛盾も気を付けてはいますがあるでしょう。


 ですが、あなたを生かすために雪乃様がした事と、それの違和感を消すために私がした事を陰謀のように考えるのは心外です!」


 「悪かったよ・・・ってスレイプニールは僕の考えてる事がわかるの!?


 僕は考えてただけだし・・・それより今、僕の頭の中に話しかけてるよね!?」


 「私はあなたの考えている事はだいたいわかりますし、あなたの頭の中に話しかける事が出来ます。


 雪乃様はあなたの頭の中に語り掛ける事は出来ませんが、私よりも雪乃様はあなたの思考を深く読む事が出来ます」


 「スレイプニールと雪乃でどう違うんだ?


 心を読む事になんでそんなに差が出るんだ?」


 「雪乃様はあなたが気付いていない、認めたくない事実も読む事が出来ます。


 私が読めるあなたの考えはあなたの認識と同じです。


 それは雲泥の差です」


 「なるほど・・・雪乃は僕以上に僕の考えをわかる・・・という事か」


 「ごめんなさい、お待たせしてしまって。


 それじゃあ帰りましょうか」戻って来た雪乃は言った。


 僕の考えが見えるなら、僕とスレイプニールが話している事などわかっているだろうに雪乃は口を挟んで来ない。


 「先輩の考えはわかっているんですよ」そういってしまうと僕と雪乃の関係性がかわってしまう・・・そう思っているのだろう。


 本当はすでに関係性は変わっている。


 僕が女の子になって・・・僕が雪乃の奴隷になって・・・どうやっても今まで通りの関係性は維持できない。


 そんな事は僕も雪乃もわかっているのに決して口には出さない。


 「じゃあ帰りましょうか?」雪乃は言う。





 雪乃にしてみれば毎日帰っている場所だろうが、僕は初めて上がり込む屋敷だ。


 しかも二年近く屋敷で働いている設定らしい。


 「いつもの通りの屋敷の掃除をしろ」と言われても、掃除なんてした事もない。


 矛盾が出ないようにしばらくメイドの仕事を覚えるまで、雪乃つきのメイドという事にしてもらう事にした。


 これがスレイプニールの言ってた矛盾か。


 出来るだけボロを出さないようにしよう。





 相変わらず大きな屋敷だ。


 中に入った事はないけど、何回も家の前までは雪乃を送って来た。


 しかしこの門から歩いて入るのは初めてだ。


 緊張はするが、あまり挙動不審になってはいけない。


しかしお嬢様だとは思っていたが、雪乃を使用人達全員で迎えに出てくるとは思わなかった。


「お帰りなさいませ、お嬢様!」使用人達は一斉に頭を下げる。


僕も一緒に頭を下げるべきだろうか。


 両サイドで頭を下げる使用人の間を足早に屋敷の中に入る。


 この居心地の悪い空間から早く逃げ出したかったのだ。


 「晶!使用人が主人の前を歩くとはどういう事ですか!」


 怒鳴り声が聞こえた方向を見る。


 メイド長だろうか?


 ここにいるメイド達で一番年上に見える。


 頭の中でスレイプニールに話しかける。


 「おい、この人は一体誰だ?


 ここで働いてる設定の僕が彼女を知らないのはまずいんじゃないか?」


 「それを私に聞きますか?


 そんなの知る訳がないじゃないですか・・・と言いたいところですが、しばらく雪乃様のそばにいたので彼女の事は何度も見ています。


 彼女は石上光希(いしがみつき)22歳のメイド長です。


 雪乃様の周りに若いメイドが多いのは完全に雪乃様の趣味です。


 雪乃様に仕えるメイドは『24歳定年制』という制度の下働いています。


 定年を迎えたメイドは普通に生きていくには充分な個人年金が支払われます。


 『定年後再雇用』というシステムもあり、定年を迎えたメイドが雪乃様の家族に仕えるメイドとして再び働く事も珍しい事ではありません。


 因みにメイド達の痴女のような布地面積の少ない恰好をデザインされたのは雪乃様です。


 だいたいメイドに首輪をさせる、という行為がもう性癖全開なんです。


 私は心配しております。


 晶さんはメイドでありながら、雪乃様の奴隷な訳じゃないですか?


 見た目も含めて雪乃様のストライクゾーンど真ん中なんですよ。


 雪乃様の理性のたがが外れて晶さんを壊してしまうんじゃないか・・・って。


 ようやく契約が成立した奴隷戦士なのに・・・」


 「ちょっと待ってよ。


 雪乃は奴隷契約を渋ってたんじゃないの?


 奴隷を持つ事を夢見てたの?」


 「晶さんは誤解しているようですね。


 確かに雪乃様は性欲旺盛な異常性癖を持った方です。


 ですが同時に常識人です。


 今日、晶さんを刺殺そうとした男は恐らく異常性癖は持っていなかったでしょう。


 雪乃様は『望んでいない者を奴隷にしてはいけない』と思う程度の常識はもっていました。


 雪乃様が晶さんを奴隷にしたのは、晶さんの命を救おうとした結果です。


 雪乃様が痴女の異常性癖者だという事とは一切関係ありません」スレイプニールが僕の脳内に話しかけてくる。


 雪乃はパクパクと金魚のように口を開閉させながら真っ赤になっているが、スレイプニールは僕と雪乃にしか見えていないので、使用人達がいる前ではスレイプニールの言動に反応出来ない。


 「そんな話はどうでも良いや。


 僕はメイド長さんの事を何て呼んでる設定なんだ?


 設定作ったのスレイプニールなんだろ?」


 「どうでも良いって・・・聞かれた事に答えただけなのに・・・それで雪乃様は大火傷したと思うんですけど・・・。


 設定は確かに組み上げましたけど、もう「何て呼ぶか」は決まってたんですよ。


 メイドはメイド長の事を『お姉さま』と呼びます。


 もちろん言うまでもない事ですが、それは雪乃様の趣味であり意向です」


なるほど、目上の者への礼儀を欠いてはいけない。


・・・そう言えば主人に対する礼儀を欠いた僕に対してメイド長は怒っているんだな。


「申し訳ありません。


既に連絡は入ってるでしょうが、今日雪乃様は凶悪犯罪者により人質に取られました。


早く雪乃様に屋敷で休んでもらおうという思いが先走って早足になって結果的に雪乃様を追い抜いてしまいました」僕は言ったが別にデタラメを言った訳ではない。


雪乃が人質にされたのは本当だし「雪乃は今日気疲れしただろうから、早く家に帰って休むべきだ」と思っている。


一つだけ嘘があるとしたら、僕が早足になった理由に雪乃が人質になった事は関係がないという事だ。


「もちろん雪乃様が人質になったという情報は得ています。


見上げた忠義だとは思いますが、その忠義の先走りが、不忠に繋がってしまっては本末転倒です。


・・・まあ、今回は大目に見ましょう。


晶を説教している間、雪乃様が休むのを待たせているのでは、どちらが不忠だかわかりませんから」とメイド長。


「申し訳ございません。


これから気をつけます、お姉さま」僕はスレイプニールに『そう呼べ』と言われた指示に従っただけだ。


なのにメイド長は僕を豊満な胸に強く抱き締めた。


何事が起きたかわからず、僕は「むーむー!」ともがく。


「ちょっと何やってるのよ!」雪乃が窒息しそうな僕をメイド長と引き離してくれた。


「はっ!雪乃様申し訳ございません!


私を『お姉さま』と呼ぶ晶のあまりの可愛さに我を忘れて抱き寄せてしまいました!


雪乃様がお疲れだと言うなら早急に風呂に入っていただいて、お休み頂く必要があるな。


晶、雪乃様とお風呂をご一緒させて頂き、お背中をお流しさせて頂け」メイド長は僕に指示した。


「え?」僕は思わず聞き返してしまった。


「私は晶さんが雪乃様の背中を流す事に賛成です。


ハッキリ言っていきなり『奴隷とご主人様の関係を築け』と言っても無理があると思います。


なので、最初はメイドと雇い主の関係から始めるべきだと思うんです。


そりゃ無理ですよ、未だに『先輩』『雪乃』って呼び合ってる二人がいきなり立場を逆転させて『奴隷』と『ご主人様』になれる訳ないじゃないですか。


まずは『メイド』と『雇い主』の関係に慣れましょう。


雪乃様は今までも沢山の年上のメイドの指示に慣れてるんだろうし、これから社会に出れば今まで後輩扱いしていた相手が直属の上司になることも珍しくないでしょう。


晶さんが世界の救世主になるには雪乃様と『奴隷とご主人様』の関係を深めなきゃいけないし、関係が深まらなければこれから苛烈になる戦いを生き延びてはいけないでしょう。


覚悟を決めましょう。


あなたはしばらくは雪乃様付きのメイドをつとめます。


それはフォローを雪乃様が行う上でどうしても必要な事です。


ですが雪乃様付きのメイドは雪乃様と一緒に入浴し、雪乃様のお着替えを手伝わなくてはなりません。


・・・というか、メイドの身分で主人との入浴を許否出来る訳がありません。


『晶さんが雪乃様の背中を流す』これは決定事項で拒否権はありません。


メイド長もその前提で指示を出していると思います」今までスレイプニールは危機を助けてくれた。


敵と戦う方法を教えてくれ、僕の存在をこの世界の人達に認知させてくれた。


なのに『雪乃様と一緒に入浴すべきだ』と突き放されるとは思わなかった。


「突き放すって・・・本当に人聞きが悪いですね。


事情を知ってる人なら『100%一緒に入浴すべきだ』と言うと思いますよ?


当の雪乃様だって・・・あれ?雪乃様?」


話を振られた雪乃は鼻血を吹いていた。


「そ、そうね。


晶先輩と一緒に私は風呂に入るべきだと思うわ」雪乃はスレイプニールの言う事に返事をしたつもりだったのだが、スレイプニールが見えないメイド長は雪乃が自分の言った事に返事をしたのだと思った。


「ホラ、雪乃様は入浴されたがっているようよ?


すぐに準備なさい。


・・・一つ気になったのだけれど晶は雪乃様に『晶先輩』と呼ばせているの?


私は雪乃様より年上だけれど『雪乃様』『光希』と呼び合ってます。


晶も『雪乃様』と呼ぶべきだし雪乃様に『晶』と呼ばれるべきだと思います」メイド長は言った。


「私もメイド長の言う通りだと思います。


晶さんは雪乃様と『奴隷』と『ご主人様』の関係を築かなくてはいけません。


ご主人様の事を『雪乃』なんて呼んでて関係が築ける訳なんてないんですよ。


まずは形から入るじゃないですけど、まずはお互いの呼び方から変えてみるべきじゃないでしょうか?」スレイプニールが言う。


「普段から『雪乃様』と呼ぶべき・・・か。


普段から『様』つけておかないと咄嗟に『雪乃』って言っちゃいそうだしな。


雪乃様、これからは僕の事を『晶』って呼んで下さい」僕は頭の中で雪乃様に呼び掛けた。


 雪乃様に聞こえたかどうかはわからない。


 だが雪乃様は僕に言った。


 「晶、お風呂に入りたいわ。


 準備してちょうだい」


 「かしこまりました。雪乃様」








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