第4話 そして解かれる魔女の名は
こんな調子だから、あまりちゃんとした店には行かせられない。さっきの大きなケーキ店なんて、俺も一緒に怒られる未来がありありと見える。だから俺は、おふざけにも付き合ってくれそうな小さな店へとこっそり誘導していた。
こんなの普段の俺のキャラじゃない。誰かこの苦労をわかってくれ。
「おい……次はどうするんだよ」
一縷の望みをかけて、しかし「どうせ続けるんだよな」なんて心の中の予防線はばっちり張って、俺は女の子に問いかける。
しかし返答はないまま、小さな魔女は突然立ち止まる。思わず俺は、長い三角帽子に顎をぶつけそうになった。
「どうしたんだ?」
「……ここ」
いつの間にかポプラの並木通りも、その先の商店街も越え、たくさんの車が行き交う大通りに出ていた。チビ魔女は通りを越えた先の大きな建物を、黙って指さしているのだった。
え? と、ためらいの声が俺の口から漏れる。
「いや……ここは、お菓子は絶対もらえないと思うぞ?」
「いいの、もらうんじゃないの」
そう答える彼女は、今までとは打って変わってどこか歯切れの悪い口調をしている。けれどその瞳だけは、にらむような強さで前を見つめていた。
――都立大学附属病院。
大通りの向かい側、カボチャの魔女が指さしているのは、そういう場所だった。
白壁の角張った無機質な建物が、堂々とした生け垣に囲まれて横長に続いている。町で一番大きなこの病院は、俺の親父の勤め先でもあった。
病院なんだから、もちろんお菓子なんてくれるわけがない。むしろ、こんなフザけた格好で入ったら怒られるんじゃないだろうか?
「おい、理由は知らねえけど、ここはやめとこうぜ」
「いや、いくの」
「けど……」
「いくったらいくの!」
小さな魔女様は、頑なな様子で首を大きく振る。そして俺が次の言葉を言おうとした時には、既にスタスタと歩き始めていた。
大通りを行き交う人々の奇怪な視線をものともせずに、気付けば横断歩道の白線に片足をかけている。
俺は一時逡巡したのちに、その後ろ姿を追うのだった。
***
病院の自動ドアをくぐった瞬間、空気がガラリと変わったのがわかった。
大学病院の一階には各科の外来受付が壁沿いに並んでいるが、大通りの喧噪はなりを潜め、別種の静寂が広がっていた。
人々の話し声。呼び出しの放送音。音自体は外に負けず劣らず聞えてくるけれど、病院という特殊な空間のせいか、何となく声を潜めなければならないような気分にさせられる。
その中を無言で通り抜けていくチビ魔女と、やや遅れて後ろを行く俺の上に、チラチラと大勢の視線が降りかかる。大通りとは違って隠れる人波もなく、むき出しの好奇の目が痛い。
どこに向かう気なんだ。何度もそう聞こうとしたけど、言葉は喉の奥に詰まって出てこない。女の子の背中はどこか拒絶を張り付かせ、俺の声を止めるのだった。
そして女の子は進み続けた。外来棟をつっきり、隣接する別の棟へ。
知り合いの見舞いに来たことがあるから知っている。こっちの棟は――入院患者の建物だ。
「誰か、入院してるのか……?」
ようやく俺がその事実に思い当たったのは、エレベーターで五階まで来た時だった。
目の前に広がった五階の光景は、俺が以前に見舞いに行った階とは全然違うものだった。
普通の階はエレベーターを降りてすぐのところにナースステーションがあって、その先に各病室が並んでいる。でも今このエレベータの先には、何のドアもない一本の廊下が伸びるだけ。そしてその先に、進むものを拒絶するかのような、大きな両扉が鎮座している。
こんな扉、前行った階にはなかった。
「おい……?」
「……」
魔女は何も言わないままに、その扉へと近づいていく。そして今にも扉に手が届こうかという瞬間、後ろで誰かの足音が聞えたのだ。
「ちょっと、何してるの!?」
突然、背後から声がかかった。振り返ると白いナース服姿の若い女性が、焦った様子でこっちに走ってくるところだった。ひっつめ髪の女性はあっという間に俺たちのところまで追いつき、そして二人を交互に見渡す。
「何やってるの!? って、あなた……岩見さんところの、
樹里――女性がそう言って視線を向けたのは、もちろん俺なんかじゃない。女性は確かに小さな魔女の方を見て、その名を口にしたのだ。
俺は伺うようにチビ魔女の顔を見たが、彼女はただ女性の顔をにらみつけるだけ。何も言わないまま、大きな目で女性を見上げている。
「なんでここにいるの? それに、その格好は……」
「……わたしは、樹里じゃないのよ」
ぽつりと小さな魔女から放たれた言葉に、女性が虚をつかれたようにひるむ。その間にチビ魔女は、勢い込んで口を開く。
「樹里じゃない。わたしはカボチャの魔女よ。きょうはハロウィンだから、マホウの国からやってきたの。いうことをきいてくれないと、マホウでびょういん中にイタズラするのよ! だから……」
呆気にとられている女性の顔を、カボチャの魔女は下からにらみつける。
「あなたはわたしを、この扉の中へいれないといけないのよ。そしてわたしは集めたお菓子を、扉の中におとどけするの」
俺は何一つ口を挟めずに、ただ横で突っ立っていた。なぜ扉の中に入る必要があるのか、いったい誰にお菓子を届けるというのか。疑問は次から次へとわいてきたが、それを口にするのはひどくためらわれた。
「……それはダメよ、樹里ちゃん」
「だからわたしは樹里じゃないっていってるでしょ!? なんでだめなの? きょうはハロウィンなの。ハロウィンの日は、魔女のいうことはゼッタイなの」
「でもね……」
「じゃあイタズラするのよ。わたしのマホウはすごいんだから――」
「樹里ちゃん!」
我慢できなくなったらしい女性が、鋭い声で「樹里」という名を呼ぶ。魔女の格好をした女の子は、ビクリとひるんだように口をつぐむ。
女性はすぐにしまったという表情に変わり、やがてゆっくりと口を開いた。
「樹里ちゃん……あなたのお母さんは病気だから、無菌室から出られないのよ。そしてあなたみたいな小さな子どもは、無菌室の中に入ることが許されていないのよ」
うつむいてしまった女の子の表情を、うかがい知ることはできなかった。わかったのは、その小さな拳がぎゅっと握りこまれたことくらいだった。
そんな中、女性の視線が女の子の持つカボチャに向き、ますます困ったように眉根をよせる。
「そのお菓子とカボチャ……お母さんに? でも、外の食べ物を勝手に持ち込んでは……」
「……じわる」
「え?」
「……いじわる! あなたなんて、だいっきらい!」
そう叫ぶなり、女の子は俺の横も女性の横も通り抜け、元来たエレベーターの方へと走り出す。衝撃で三角帽子が脱げておさげ髪が露わになっても、彼女は振り返りもしなかった。
あっという間に小さな姿は遠ざかり、そしてエレベーター横の階段へと消えていく。後に残された俺たちは一言も発せず、ただ立ち尽くすだけだった。
やがて、女性がふーっと長いため息を吐き出す。
そして俺は、廊下にぽつんと取り残された三角帽子に、無言で手を伸ばすのだった。
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