第2話 小さな魔女のご命令

「ったくよお。いつまでそんなツラしてる気だ。初めて会った日から一歩も成長してやしねえ」

「……余計なお世話っす」

 仕込みを続ける倉田さんから、辛辣な一言が飛んでくる。俺はそれに、つれない返事を返す。


 俺が倉田さんと出会ったのは、まだドーナツ屋がこことは別の場所、自宅近くの公園で開かれていた頃のことだ。家にも外にも居場所がなく、あてもなくウロウロしていた俺を見つけた倉田さんの第一声は、「辛気くせえツラして店の周りをウロつくんじゃねえ」だった。そして言われるままに立ち去りかけた俺の背中を、何を思ったか彼はこう呼び止めたのだ。おい、やることねえんならうちでバイトしねえか、と。

 特にやりたいことも見つからない俺は、断る理由も見つからず、なんとなく働き始めて今に至る。 


 でも、その時から何も状況は変わっていない。相変わらずやる気もなければ道も見えない。このままじゃダメだとわかっているのに、机に向かう度に、自分は何がしたいのか? 自分は何者なのか? そう考え始めて息苦しくて仕方なくなる。参考書の文字を読む作業が、どうしてもできない。

 俺はいったいいつから、こんなにポンコツになってしまったのだろう。


「なんにせよもっとシャキっとしろよ。その髪伸びすぎだぞ、さっさと切れ」

「倉田さんだってヒゲ剃ってください」

「これはファッションだファッション」

「……無精ヒゲって言葉知ってます?」


 そう言った途端、丸めたキッチンペーバーが飛んできた。ただの紙だから痛くはない、でも物を投げられたという事実が痛い。

「なんでこんなヒトがあんな繊細なドーナツ作るかな……」

「ああん?」

「なんでもないっす」

 適当に流して振り返ると、倉田さんは大量のドーナツの生地をコネている最中だった。記憶違いじゃなければ、朝仕込んだ生地がまだ残っているはずだけど、まだこんなに作る気なのかこの人は?


「仕込みすぎじゃないっすか? そんなにいります?」

「今日はハロウィンだからな。夕方からどっと人が増えるぞ。お前も客来ねえんなら、こっち来て手伝え」

「あー……」


 思わず、思いっきり不快な声が漏れた。めざとく倉田さんは顔をしかめる。

「なんだその声は。手伝うのがそんなにイヤか」

「いや、そうじゃなくて」

 イヤなのは手伝いじゃなくて。まあ、手伝うのもイヤではあるけど。

「ハロウィン嫌いなんすよ……」

「なんでだ、最近は若者もよく仮装してんだろ?」

「それがイヤなんすよ」


 だって、ハロウィンなんて元々は子どものためのお祭じゃないか。小さな子どもたちが、仮装して家々を回る。Trick or Treat? ってお菓子をねだる。大人はそれを出迎える側のはずなのに、なにいい年して仮装だのなんだの騒いでるんだと思ってしまう。それに、町全体が浮き足立っていて煩わしいことこの上ない。

 まあ、自分には関係ないからいいや。俺はここで、機械的にドーナツを売り続けるだけだ。

「変なヤツだな。俺は好きだぜ、ハロウィン」

「倉田さんは仮装しなくてもお化けに見えそう……」

「ああん?」

「なんでもないっす」

 さっきからこの人は俺が何か言う度に聞き返してくるけど、ほんとは聞こえてるんじゃないだろうか。そう首をかしげつつも、俺は目の前のポプラ並木に視線を戻す。

 視界の中をおかしな影が横切ったのは、まさにその時だった。


 タッタッタッ


「ん?」

 小刻みな足音に、俺は思わず頬杖をついていた顎を浮かせる。動きに合わせて視線をスライドさせた先に、足音の主は丁度ドーナツ屋の真ん前で止まった。


「……魔女?」


 俺のぽつりと漏れたつぶやきは、どうやら本人の耳に拾われてしまったらしい。声の主――全身真っ黒な格好をした小さな女の子が、くるりと確かに俺の方を見た。

 ああ、やっぱり魔女だ、と思う。十歳になるかならないかぐらいだろうか。小柄な背丈の女の子は、黒いワンピースに黒い靴。やや大きすぎるのっぽの三角帽子も真っ黒で、二つのおさげもやっぱり黒い。反対にきめ細かい肌は真っ白で、その中で、勝ち気そうな黒目がくるっと動く。


「そこのあなた、いま魔女といったかしら!」


「え、言ったけど……」

 舌っ足らずの声で、強気なセリフが飛び出してくる。思いっきり背伸びしているような、ちぐはぐな感覚を受ける話し方だった。

 おかしな子だな。そう思いながら、俺の目は彼女の右手に吸い寄せられている。小さな手にぎゅっと握られているのは、大きな大きな太いホウキ。どう見たって大きすぎて、ホウキを持っているというよりホウキに持たされている。


「わたしを魔女だとみやぶるなんて、みる目があるわね。なら、いわなくてもわかるでしょう? さあ!」


 おかしな小さな魔女は、そんなことを言いながら店の方へと近づいてくる。カウンターのすぐ下に、小さな姿がちょこんとのぞく。

 俺は小窓から顔を出したまま、キョトンとその珍妙な様子を見下ろしていた。

 そして二人とも見つめ合ったまま、数秒が経過。


「ちょっと!」

 なぜか女の子はいらだった様子で俺をにらんでくる。しかし理由がさっぱりわからない。

「え?」

「え、じゃないわ。きょうはハロウィンよ。そしてわたしは魔女よ。わかるでしょ!?」

「え、ええ?」

 そんなムチャクチャな。呆気にとられてポカンとしている俺に、その間にも女の子の白い頬はみるみるイチゴ色に染まっていく。なんかまずい、まずい気がするけど、いったい俺が何をしたって?

 そしてついに、「もう!」と女の子が地団駄を踏んだ。


「しかたないわ。一回しかいわないから、よくきくのよ。わたしは、ハロウィンの国からきたカボチャの魔女よ。お菓子をくれないと、とびっきりのマホウでイタズラするのよ!」

 おかしな事実を大真面目に言う小さな魔女に、俺は腹立たしささえ手放して、ただただ瞼を瞬かせる。

「なんなの!? だまっていたらわからないのよ! お菓子をけんじょうするの? それともマホウで、やけのはらにされたいの?」

「え、えーっと」


 舌っ足らずの声で、難しい言葉を使おうとするのがとってもおかしくて、何なら時々かみそうになっているのもおかしすぎて。笑っていいのかマジメに答えた方がいいのか、突っ込むとしてどこから突っ込んだらいいのか、本当にさっぱりわからない。

 そして、言うべき言葉を探して泳いだ視線は、彼女が左手いっぱいに抱える大きなジャック・オー・ランタンにたどり着く。手作りっぽい素朴な様子で、けれど丁寧に顔がくりぬかれたオレンジ色のカボチャ。それは、まさにカボチャの魔女と名乗るにふさわしいと、そう思ってしまった。

 たった今まで散々振り回されていたことも忘れ、俺はふっと自然な笑みを漏らしていたのだった。


「なあ。そのカボチャ、すげえ素敵だな。お前によく似合ってる」


 そう言った瞬間、ちびっ子魔女の目がキョトンと丸くなる。そして、今度はうつむいて何やらモジモジし始める。

「こ、これは、おとものジャックなのよ。おとうさまとおかあさまが、マホウで作ってくれたの。わたしだけの家来なんだから、にあってあたりまえ、なのよ……」


 おいおい、今度は何だってんだ。何を言ってもよくわからない反応が返ってくる。これくらいの歳の女の子って、こんなものなのか?

 困った俺は、カウンターから身を乗り出すようにして魔女っ子を見下ろす。すると、女の子は突然グイッと俺の方を見上げてきた。俺の目と鼻の先で、何かとっても良いことを思いついたみたいに、勝ち気そうな瞳がニヤリと笑う。

「よし、きめたわ。きめたのよ。きっとそれがいいのよ」

 決めたって何を? なんだかすごくイヤな予感。


「カボチャの魔女のめいれいよ。いまからあなたを、魔女の家来ににんめいするのよ!」

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