小さな魔女とカボチャの魔法

井槻世菜

第1話 ハロウィンの憂鬱

 十月三十一日。

 ジャック・オー・ランタンを飾り、ドラキュラや魔女の仮装をして家々をまわるハロウィンのお祭の日。

 その小さな魔女は、突如として俺の前にあらわれた。


「わたしは、マホウの国からきたカボチャの魔女よ。お菓子をくれないと、とびっきりのマホウでイタズラするのよ!」


 黒いワンピースに黒いエナメル靴。のっぽの三角帽子をかぶっても俺の腰の高さまでしかなく、帽子からはみ出す二つのおさげもやっぱり黒い。そして小さな魔女は真っ白い頬を上気させ、不自然に大きな右手のホウキを、ぐいっと俺に向けた。


「だまっていたらわからないのよ! お菓子をけんじょうするの? それともマホウで、やけのはらにされたいの?」


 舌っ足らずの声で難しい言葉を使おうとするのがおかしくて、俺はまじまじと彼女を見つめてしまう。そんな俺の反応に、白い頬はますます真っ赤に染まっていく。

 ああまずい、何か言わなきゃ。でもこのわけのわからない状況で、いったい何を言うのが正解なんだか。

 考えあぐねて宙を泳いだ俺の視線は、ちびっ子魔女が左手に抱えた大きなオレンジ色のカボチャの上で止まる。中身はくりぬかれ、目鼻と口が丁寧に彫り込まれたそれを、魔女は左手いっぱいに大切に抱えている。

 まさにハロウィン名物、ジャック・オー・ランタン。カボチャの魔女、なんて名乗る彼女にとっても似合いだと、俺はふと笑みをこぼす。

 そうなると、言うべき言葉は一つしかなかった。


「なあ、そのカボチャ、とっても素敵だな」



***



 ハロウィンなんて大っ嫌いだ。

 ずっと、そう思っていたんだ。


「はあーだりぃなあ……」

 風も肌寒くなってきた秋の昼下がり。俺は、いつものバイト先のドーナツ屋で店番をしていた。移動式販売車のドーナツ屋はきまぐれに場所を変えるが、最近はもっぱらここ。小さな雑貨店や服屋が立ち並ぶ、ポプラ並木の通りの曲がり角が定位置だ。

 俺はカウンターが備え付けられた小窓からぼうっと外を眺め、本日何度目かのため息をつく。女の子向けの店が多く、平日の放課後や週末は買い物客で賑わう通りだが、今みたいな平日の昼下がりは閑散としている。つまり、暇なのだ。


「こら、辛気くせえため息をつくな。客が逃げんだろ」


 背後で気配がしたかと思うと、突如として頭の上にゲンコツが振ってくる。全然加減のされていない拳は、割と本気で痛い。

「だって暇すぎっすよ、さすがに」

 俺は頭をさすりながら振り返る。そこには、短髪に無精ヒゲの小柄な中年男性が立っていた。


 倉田さん。それが彼の名前だった。ドーナツ屋の店主である倉田さんは、柄の悪そうな見た目を裏切らず、やることもちょっと粗暴。それなのに彼の作るドーナツは繊細かつサクサクで、それなりの人気店なんだから世の中よくわからない。

 なんでその見た目でドーナツ屋なんて始めたんすか。マジメにそう聞きたいのだが、それを言うと怒られそうで聞けない。


「そんな態度でどうする! どんなときでもマジメにやんのが、真の商売人ってヤツよ」

「俺、別に商売人になる気ないっすから……」

 話の流れるままにそう口走ってから、しまった、と思った。

「じゃあ何になるんだよ、しょう

「……」


 問いには答えられない。なにバカなことをやっているんだろう、と自分に呆れる。これじゃあ、自分で罠に飛び込むネズミじゃないか。のこのこ飛び込んでいく自分にも、スルーせず律儀に拾っていく倉田さんにも苛立って、俺は仏頂面でそっぽを向く。


 しばらくして車内の調理台から、あきらめたようにボールで材料を混ぜる音が聞こえてくる。そうやって放っておかれたらおかれたで寂しい。会話相手がいなくなると、この苛立ちの行き場がない。

 結局何をどうしたいんだ、なんでこんなに子どもなんだ。そんなもどかしさとやるせなさに、俺は思わずさっきよりも長いため息を漏らしていた。



***



 今の俺の身分を表す正式な言葉は、多分ない。

 あえて何かに当てはめてみるなら、フリーターということになるのかもしれない。けれど、それだってかなり曖昧な定義。何にも括れない、はみ出したモノたちに名前を与えるためだけの単語。だから多分、〝何でもない〟っていうのが俺を形容する言葉としては一番正しい。


 十九歳。本当なら大学に進学するか、そうでなければ就職している年齢だ。にも関わらず何にも所属していない、何一つ自分を保証してくれない立ち位置はひどく不安定で、足下がグラつくような錯覚を覚える。

 どこにも自分の居場所はない、役目もない、同じ組織に所属する仲間もいないから誰とも繋がっていない。社会の隙間にコッソリと生きる立場は、とても孤独でもあった。


「翔くんは、何でも一生懸命で、優秀ね。ご両親も鼻が高いでしょう」


 それが、高校生までの周囲の俺への評価だった。自慢じゃないけど、高校を卒業するまでは優等生街道をひた走ってきたのだ。

 医者の父親の元に生まれ、勧められるままに地元の中高一貫校を受験。勉強はそれなりに頑張って、その後の成績だって上位から外れたことはなかった。そして、きっと将来は父親と同じ職業に就くんだろうと、ぼんやり考えていた。


 口数の少ない父は、俺の成績や進路について特に口を挟んだことはない。ただ、その考えていることは手に取るようにわかった。

 小学校の時、家に帰ったら机の上に、中学受験の塾と学校のパンフレットが置いてあったことがある。


「いい学校だ」

 父が言ったのはそれだけだった。けれど、何をしてほしいのかは沈黙から自ずと伝わってきた。

「じゃあ受けるよ」

 俺が答えたのも、その一言だけだった。二人の間の会話なんて、その程度だった。


 中学高校の間、上位から大きく外れたことこそなかったが、多少の成績の上下はもちろんあった。成績表を父に見せると、良い時はただうなずくだけ。だけど、悪い時は無言でじっと成績表を見つめている。沈黙に絶えかねた俺が、「次はがんばるよ」と言ってようやく、その首を上下させるのだった。


 父にうなずかれたい一心で、俺は必死に勉強した。

 そんな自分の人生に疑問をもったことは一度もなかった。父の思う通りにやってこれた自分を、誇らしくさえ思っていた。

 だから、言葉にこそしないが「息子にも医者になってほしい」と思っている父に逆らうなんて、選択肢にも上らなかった。当然のように、俺は高校の進路希望表に「医学部」と書いた。

 けれどある日、俺は同級生に聞かれたのだ。


「なんで医者になりたいんだ?」


 おそらく聞いたヤツは何の気なしの無邪気な質問だったのだろう。しかし、俺はそれに答えられなかった。

 その時初めて俺は、「なぜ」なりたいかという、理由を考えることすらしてこなかった自分に気付いてしまった。


 一度疑念を持ったが最後、すべては足下から崩れていく。

 息子は自分の思う通りの人生を歩んで当然だと、そう信じて疑わない父の傲慢さ。そんな彼が敷いたレールに乗せられ医者になったところで、それが何になるのだろう。それは果たして自分の夢なのか? 親の希望をなぞっているだけの人生に、自分の意思は存在するのか? それは自分の人生と呼べるのか?


 しかし、かといってやりたいことがあるわけでもなく、どうやって見つけたらいいのかもわからない。

 そんな状態でまともに勉強なんて進まず、受けた医大は当然落ちた。

 春になり浪人生活が始まったが、勉強する気にはならず、塾はサボり気味。隠し通せるわけもなくすぐに父の知るところとなったが、彼は悪い成績表を見た時のように、無言のまま何一つ言葉を発さなかった。


 そこでようやく気付いた。父が興味があったのは「自分の思う通りにする優等生の息子」であって、意のままにならない俺にも、ましてや俺自身にも、一ミリも興味なんてなかったのだということに。

 そして俺は父のレールがなければ、自分が何がしたいのかもわからない、ただのガキだってことに。

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