最終話―2 隠し事

「残念ながら、それは間違いだ」


 阿仙の質問に答えたその声は、あろうことかご主人様だった。


「なっ!?」


 驚いて阿仙の足下を見れば、五体満足のご主人様が弾みをつけて自分を押さえ付けるブランクもどきを振り払っていた。

 寝そべった姿勢のまま、ご主人様は腰を上げて阿仙に蹴りを入れる。

 阿仙は半歩退いてそれを避け、それを予見していたかのようにご主人様は蹴りの勢いを利用してくるりと立ち上がり、阿仙から視線を外さないまま私の隣に帰ってきた。あとパンツ見えた。


「ご主人様、今のは……」


 私は、確かにご主人様の母親ではない。

 しかし、『私』は間違いなく、ご主人様の母親だ。

 もしかして、

 もしかして、

 ご主人様はそれを


「COLORを奪われるかもしれないからな、裏技だ」

「いえ、そうではなくて、」


 いや、そんな裏技があったなんて私は全く知らされてなかったけど、それよりも重要な、


「それは間違いっていう発言について聞いたんです」

「ああ、それか。言っただろう、俺は電脳世界では戦闘シミュレーションしかしていないと。つまり、あらゆる状況を想定済みと言うことだ」

「いや想定したのご主人様じゃなくてAIでしょ」

「……とにかく、既に死んだ俺の母親を騙る奴が現れたとしてもなにもおかしくないと言うことだ」

「それが私ってこともですか?」

「流石に予想外だ」


 想定できてないじゃん。


「……ははあ、つまり、そこのメイドが君の母親だということも想定外かい?」

「想定外どころではない。それは所謂真っ赤な嘘だ」


 私の顔面が真っ青になるレベルで真実なんですけど。

 ご主人様の返答に阿仙はからからと愉快そうに笑う。


「そうかそうか、つまり、俺はあのブランクに嘘を教えられたということか」

「そうなるな」

「そうか、ははっ、そりゃあいいや」


 阿仙は突然踵を返し、ご主人様のCOLORを放り捨てた。

 私はそれを掴みとろうとしたブランクもどきを蹴り殺し、ご主人様のCOLORを回収する。


「……うん?」


 異様に軽いそれを掴みとり、私はようやく偽物であることに気が付いた。

 …………、


「J三八番ですね?」

「どうした」

「J三八番がご主人様になにかしましたね?」

「そうだな。そんなことより、」


 そんなこと!?


「阿仙が逃げようとしているぞ」

「えっ」


 ご主人様の視線の先を見てみれば、ブランクもどきを押し退けながら従業員用の扉の中に消える阿仙の後ろ姿があった。


「ちょっ、追いかけましょう!」

「露払いは任せた」

「言われなくても!」


 走り出したご主人様を追い越し、道を塞ごうとするブランク達を蹴り払う。


「おい、その輪っか寄越せ」

「え、なんですかそれ?」

「COLORの偽物だ」

「あ、はい」


 真っ赤なCOLORの偽物を投げ渡すと、ご主人様は腰骨にそれを叩き当てた。

 音もなく、ご主人様の手のそれは引き金のない拳銃に形を変えた。いや……これはトンファーかな?


「なんですそれ」

「麻酔銃」


 なんてもの首に巻いてんだよ。


 阿仙が消えた扉を蹴破るが、そこに阿仙の姿はない。すぐさまあほ毛多目的センサーで周囲を確認すると、店の裏にできた細い路地から歩き去る阿仙が確認できた。ついでに、交番に拘束されるJ三八番も確認できた。

 肝心なときに役に立たないな、あの男。


「こっちです、こっち」


 更衣室から武器を持ち出してきたブランクもどきを殴り飛ばし、


「そこの扉の向こうに阿仙がいます。歩いてるので、すぐ追い付くかと」

「まわりに誰かいるか?」

「いませんね。……どうします?」

「殴って眠らせて時空間跳躍だろう」

「麻酔銃は使わないんですか?」

「弾は一発しか入っていないからな。これは念のために持っているだけだ」


 念のためって……。


「まあ、私がしくじらなければ良いんですね」

「そういうことだな。間違っても殺すなよ」

「そう言われると逆に意識しちゃって……」

「じゃあ殺せ」

「それ全力で間違えてますよ」


 まあ、言いたいことはわかるけど。

 裏口の扉を蹴破ると、灰色の壁に背を預けて座る阿仙の姿が遠目に確認できた。


「ご主人様、あれ狙撃出来ますか?」

「この銃は銃口を押し当てないと引き金が引けない仕組みになっている」

「もうただのアクセサリーじゃないですかそれ」


 一瞬ブランクと間違えそうになるから首に巻いてて欲しい。


 気を取り直して、阿仙に歩み寄ってみる。阿仙は私達に気付いていたようだったが、逃げる様子は全くなかった。


「ひとつ、話をしていいか?」


 頭上に見える狭い空を見上げながら、阿仙はそんな言葉を吐き出した。


「黒い箱を渡してくれたら良いですよ」

「はは、持ってきてるわけないだろ。最後の一人に全部任せてあるよ」

「……全部?」


 そう問わんとした瞬間、ご主人様は阿仙の首筋に銃口を押し当てて引き金を引いた。


「なっ!?」

「J三八が言っていた。阿仙が箱を所持していない場合、最後のブランクが箱を持って逃走していると言うことだ、と」

「そんな話聞いてませんよ!?」

「風呂に入ってたからな」

「…………………………………………」


 とりあえず、今は私が除け者にされていたことについてあれこれ言うのはやめておこう。

 J三八には後で嫌がらせをするとして、


「それじゃあ、時空間跳躍させますよ」

「終わったら最後のブランクを探すぞ」

「わかりました。……ところで、阿仙が言ってた『あのブランク』って、何者なんですかね?」

「あのブランク? どのブランクだ?」


 知るか。


「私がご主人様の母親だなんて嘘を阿仙に教えたブランクです」

「知らん。興味ない」

「まあ、そう言うと思ってましたけど……」


 ブランクを処理することに関しては、ご主人様はロボットよりも機械的だ。

 機械的に、世界政府の命令に従って行動している。

 多分、阿仙を眠らせたときだって機械的に、余計なことを考えずに行動していたに違いない。

 それはおそらく、J三八にも言えることだろう。


 ブランクを処理すること以外、

 過去を変えられることを阻止すること以外、

 人類を保存すること以外、

 なに――――も――――



 突然、景色が色褪せ始める。

 いや、明度が落ち始めている。


「え、な――に、」


 どさり、と。

 ご主人様がうつ伏せで倒れ伏す様子が、画面越しに観るような感覚で私の目に、脳に映った。


 どころか、

 パズルのピースが崩れ落ちるように、

 灰が風に拐われて霧散していくように、


 なにか、

 これは、

 時空間跳躍とは違った、

 未知で奇妙な感覚。


「――――」


 これは、

 違う。


 なにか間違っている。

 なにが間違っている?


 わからない。

 わからないが、


 私が、

 『私』が、


 どこか、



 遠くに――――






 ――――J三八番は、私達に一体なにを隠していた?






――――bad end.

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