第10話 鬼の居ぬ間に、みたいな

 さて、J三八番の爆弾発言はいったん脇に置いておいて、


「後一時間もすれば日が暮れます。話の続きは私達の止まってるホテルでしませんか?」

「良いだろう。私は珍しく一日でけりが付いてしまったからな、ちょうど宿を探していたんだ」


 それはこの地域で問題を起こす前振りだろうか。お願いだから大人しくしていて欲しい。


「ほら、A二〇〇〇一番、起きろ」

「んぁ……」

「寝惚けているのか? 気を抜くのは良くないな、この辺りの地理に関しては召し使い一号よりも阿仙の方がより詳しいと言える。油断するなよ」

「旧時代の人間に遅れをとるとは思えないけどな」

「うゎっ」


 起きてたのか。まだ寝ているものだと思っていた。

 ご主人様はひとつ欠伸を溢しながらちらりと血溜まりに視線を落とし、


「あれはもう拾ったのか?」

「む? あれとはなんだ? なにか落ちていたのか?」

「ああいえ、ブランクを時空間跳躍させると、〇〇一番様からこれが送られてくるんです」


 エプロンのポケットから黒い直方体をひとつ出してJ三八番に手渡す。


「ふむ……」


 J三八番はそれを指で摘まんでまじまじと見た後、


「これだけか?」

「後ひとつありますよ。それと、多分そこの血溜まりに――」

「これは〇〇一番が送ったものではない」

「……え?」

「どういうことだ?」


 J三八番は私達の言葉になにも返すことなく、渡された直方体の溝をそっと指でなぞった。

 音もなく、直方体がふたつに割れる。


「うおっ、割れた」

「箱だったんですか、それ」


 なにかあるとは思っていたが、なにか入っているとは。て言うか、うっかり開いてた可能性があったのか。

 ご主人様が直方体の中身を確認しようとJ三八番の掌を覗こうとすると、J三八番はそれを隠すように蓋を閉じた。


「……これの話は落ち着いた場所でしよう。ここは少し臭いからな」

「確かにそうですね」


 血の臭いが服に染み付いてしまう。家に帰れば脱臭出来るのだが、この時代ではそう簡単にはいかない。

 アパートから出る前に、改めて床に広がった血溜まりになにか落ちていないか確認してみるが、しかし肉片が垂れ落ちたような不自然な盛り上がり以外になにも見つからなかった。






 ホテルに戻ると、私は真っ先にご主人様をお風呂に入らせた。


「血の臭いが落ちるまで出てこないでくださいね」

「わかった」


 ご主人様から臭いが落ちても私達の服には染み付いているので、しばらく血の臭いが鼻から離れないだろうけど、

 重要なのは、私とJ三八番が話す場にご主人様が居ないということだ。

 『私』のことをご主人様に知られないということだ。

 これは私のわがままなのだ。くだらなさすぎて、ついつい溜め息が漏れ出てしまう。


「…………それで、」


 私の中で既に答えが出ている問いを、


「阿仙という男性はどんな方ですか?」


 『私』が既に答えを出している問いを、


「出来るだけ簡潔にお願いします」


 口に出さずにはいられなかった。


「奴を語る言葉はいくらでも思い付くが、しかし簡潔に纏めるとなると……ふむ、少し難しいな」

「えー、私が思ってるよりヤバい人間ってことですか?」

「アレは常軌を逸したからな」


 まるで見てきたような……、いや、見てきたのか。多分だけど、今のJ三八番は彼自身の独断で動いているに違いない。ご主人様がこの端巻はま市に逃げたブランクを処理する担当となったことを知り、阿仙と出逢ってしまう危険性を考えての行動なのだろう。


 ……思えば、J三八番は年に一度ご主人様の様子を見に来るのだけれど、しかしA区とJ区は車で二日は掛かる程度には離れている。そんな場所から人を送るのではなく、同じA区の人間がその仕事を引き受ければ無駄がないはずなのだが……、

 やはり、J三八もまた阿仙と同じように、ご主人様となにか関わりがあるのだろうか?


 ここが過去でなければ、全ての情報が補完される電子世界にこの疑問の答えが転がっているに違いないのだが、しかしここは、今は、電子世界など存在しない。ヒントのひとつもなしに考えてみても、なんの成果も得られなかった。


「そうだな、うむ、そうだ」


 納得のいく表現が見つかったのか、J三八は突然うむうむと頷きだした。


「アレは云わば、『理想郷に幻想を抱いてしまった、破滅願望を持つ憐れな男』だ」

「長い長い長い」


 でも思ったより短い気はする。


「ならば、縮めて『憐れな男』だな」

「いや破滅願望取ったら駄目でしょう。明らかにそれだけ異彩を放ってますって」

「むぅ? むう、ああ、そうか。初めはそれしか持っていなかったのだがな、ふむ、ブランクと出遭ったことで、ブランクを知ったことで、アレは狂ってしまったのだ」

「いや巻き込んだのあなたでしょう」

「はっはっは」


 いや悪びれないな。


「過ぎたことに頭を悩ませても仕方ないだろう。私は、私達は世界政府にデザインされた優秀な人間だがな、しかし時には失敗することもある。私は他よりその頻度が高いだけだ。なに、すぐに慣れるさ」

「いやほんと悪びれないな!」

「一番大事なのは次に活かすことだ」


 活かせてないから失敗を繰り返すんだと思うんだ。


 ふと、ご主人様が風呂から上がる音が私の耳に届く。

 ああもう、


「あのですね、ひとつだけ確認して良いですか?」

「そうだな。確かに、阿仙はAだ」


 ……………………、


「あなたの持つ情報全部吐いてから帰ってくれません?」

「ふふっ、面白い冗談だ」


 J三八番は口に手を当ててくつくつと笑う。

 この人がブランクと通じてるって言われたら、嘘でも信じてしまう気がする……。

 無邪気に笑うJ三八番を睨んでいると、


「風呂空いたぞ」

「ああはい――って、素っ裸ァ! 床も壁も濡れるから身体拭いてください!」

「バスタオルがないんだ」


 くっそ、最近甘やかしてるからなあ! 昨日も一緒にお風呂に入ったとき、なにからなにまで私が世話してたもん、バスタオルがどこにあるかご主人様が意識する必要なかったよね!


 と言うか、この人もこの人で『失敗』する頻度が高いと思うんだけど、私の気のせいかな? ん?

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