第7話 ご主人様も大概だと思うんですけど

 右腕の袖を捲り、

 鼻で軽く息を吸い、


「ふんっ、はっ!」

「こ……ぁ……」


 廃校のブランクは、私に心臓を握り潰されて息絶えた。当然ご主人様は私の後ろで半分眠りながら見ていただけでなにもしていない。なんでホテルから廃校に向かうだけで疲れてるんだろう、この人。


 ブランクの服で腕に付いた血を拭い落とす。心臓を握り潰したので返り血は少ないはずだが、私の服は……良かった、汚れていない。

 ブランクの死体を時空間跳躍させると、山のブランクと同じように黒い直方体が後に残された。


「……今のブランク、すごい雑な殺し方されてなかったか?」

「気のせいです」

「そうか」


 雑さで言えば、山のブランクは思いがけない事故による死だったし。

 そんなことより、


「また送られて来ましたよ」


 直方体を拾い上げご主人様に見せると、ご主人様は眠い目を擦りながらそれを眺める。


「……特になにかあるわけでもなさそうだけどな」

「相変わらず変な溝はありますけどね」

「なんだろうな、これ」


 パターン解析したらなにかわかるだろうか? この溝が暗号かなにかだったとしても、今持っている物が二つだけではサンプルが少なすぎてなにもわからない。


 ……ん、なにか、違和感。

 どこか大切なことを見落としてしまったような、

 あるいはなにか勘違いしたまま考えを固めてしまったような、

 あれ、もしかしてこの黒い直方体って、実は私が持ってたらマズい物だったりするのだろうか。



 一瞬、私の思考に空白が生まれる。



 一瞬、『私』が思考の空白を埋める。



 それでなにが変わるわけではないけれど、

 一瞬だけ私の知らない後ろ姿が脳裏を過った。

 おぼろげな後ろ姿をその一瞬で明確に捉えることは難しかったが、しかし、雨に濡れたように垂れる茶髪だけは捉えることができた。

 ……なんだこれ。


「なにかわかったのか?」

「うおっ、急に話し掛けないでくださいよ」

「悪い」


 謝らないでくださいよ、なんて口には出せない。そんなこと言ったら、どうせこの人は反射的に「悪い」と口にするに決まっている。

 だから私は、


「ご主人様、このままアパートに向かいますか?」

「お前の好きにしろ」

「いやご主人様アパート着いたら絶対眠るでしょ。むしろ移動中も眠るでしょ。もしもの時に自分の身を守れますかって意味も込めたんですけど、どうなんですか?」

「わからん」


 駄目そう。うーん、控えめに言って役立たず。

 まあ、いざとなれば私がどうにかすれば良いだけだろう。ご主人様は人質になれるほど柔ではないし。

 そういうわけで、


「じゃあ早速アパートに向かいましょうか」

「なんだろうな、また雑な殺し方する予感しかしない」

「逆に丁寧な殺し方ってなんですか」


 私が問うと、ご主人様はふむと僅かに考え込み、


「挨拶するとか」

「わかりました」


 挨拶した程度で丁寧になるのかわからないが、丁寧さなんて案外そういうものなのかもしれない。






 ブランクがいると思われるアパートの部屋のドアを目の前にした瞬間、悪寒が私の背中を走った。

 怪しげな動体反応は近くにはないが、


「ご主人様、私から離れないでください。具体的には手を握っていてください」

「わかった」


 左から聞こえるご主人様の声と左手に感じる変わらぬ温もりに、ひとまず息を吐く。

 そうしていると、


「なにかあったのか?」

「簡単に言うと、ヤバいです」

「なるほど。難しく頼む」


 まあ、今ので伝わるとは微塵も思ってなかったけどね、うん。


「この部屋の中に生体反応はありませんが、人間大の動体反応が二つばかりあります」

「…………、召し使いか」

「死体だと思います」

「早いな、もう殺したのか」

「……はい?」


 ……ああ、私がやったのかと勘違いしているのか、この人。寝惚けてるのかな?


「私じゃありませんよ」

「……俺はやってないぞ」


 そんなこと、言われなくてもわかってる。


「ここで言い合ってても仕方ありません。とりあえず中を確認しましょう」

「そうだな」


 アパートのドアノブを軽く回すと、すんなりとドアが開いた。


「お邪魔しまーす……」


 二人分の靴が脱ぎ揃えられた玄関から、人影は確認できない。


 が、


「これは……血の臭いか」

「そうみたいですね」


 とても嫌な感じがした。

 舌の根が苦いと表現するべきか、

 胸の中で風船が膨らんでいると表現するべきか、

 尾てい骨がむず痒いと表現するべきか、

 とにかくありったけの不快感。


 目に見えない場所で、なにが起こるかもわからない事態が進行している。

 そんな予感。


「中に入って確認しますか?」

「罠かも知れないぞ」

「……私が盾になります。それに、ご主人様は死んでも生き返るから問題ないです」

「召し使いのものとは思えない発言が聞こえた」

「気のせいです」

「そうか。……そうか?」


 ご主人様を盾にすると言わなかっただけまだ召し使いらしいと思って欲しい。


 しきりに首を傾げるご主人様の手を引き、土足で家に上がる。

 ふうむ……血の臭いからして、右手側に死体がある。

 えい、と右を確認してみれば、


「うわ、なにあれ」


 二人分のブランクの死体が天井から吊るされていた。

 風に揺られてくるくると回る様は、どうにも滑稽だ。

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