ご主人様と私と元世話係

第9話 どうかしましたか

 一と〇だけで組み上げられた虚構と幻想の世界に一石を投じるように、ご主人様の赤色のCOLORが唸るように振動する。ご主人様は食事する手を止め、助けを求めるように私に視線を向けてきた。


「……いや、出れば良いじゃないですか。電話の出方教えましたよね?」

「俺が電話に出られるようになったと知ってから、J三八番が頻繁に電話をかけてくるようになった」

「出れば良いじゃないですか。友達でしょう?」

「J三八番は話がつまらない」


 友達なんだから指摘してやれよ。なんて言う間もなく、ご主人様のCOLORが唸り声を止めた。ご主人様はほっとしたように息を吐き、食事を再開する。

 それから間もなく、ご主人様の再び手が止まり、表情が曇った。


「どうしました、今度はメールですか?」

「……食事が終わったら読む」


 なんて言っているが、ご主人様の手の動きは明らかにメールを削除するためのソレである。


「まあ、なんでも良いですけど」


 以前の私、それこそ、A二〇〇〇一番をご主人様と呼び始めたばかりの私であれば、食事中にメールを削除なんてしていたら説教でも始めていただろう。


 しかし、私は悟ったのだ。

 説教だけが教育ではないと。


「ご主人様、明日外に出てみませんか?」

「どうした、急に」


 ご主人様は不思議そうに首を傾げ、


「いや……もうすぐ三年経つのか」

「だからってわけじゃないですけど、ご主人様も電子世界に大分慣れてきましたし」


 そろそろ家の外に出てみても良いんじゃないかな。

 そんな意味を込めてご主人様に目で問いかけてみると、鼻で笑われた。


 おい。


「何度も言わせるな。お前の好きにすると良い」


 ……だから、そういうのズルい。


 路傍の小石に向けるような無関心からではなく、長年連れ添ったパートナーに対する無上の信頼からくる言葉と知ってしまったから。

 最初から感じることを拒む無表情ではなく、同じものを共有しようと努力する表情だから。

 時々、私自身がどんな表情をしているかわからなくなる。


「じゃあ、明日庭に出てみましょうか。意外と広いんですよ?」

「そうなのか」

「だって、A区〇番街の丸々半分が庭なんですから」

「……よくわからん」


 それもそうだろう。なにせ、私の知る限りではご主人様は三年近くもこの家から出たことがないのだ。知っていた方が逆に怖いまであるが、しかしこの人はこの家で産まれ育てられたわけではない。どこか別の場所で産まれ、育てられ、そして十五歳になる直前にこの家を与えられた、とJ三八番は話していた。

 なんでそんなこと知ってるのか聞いても、あの人は肩をすくめるて誤魔化そうとすらだけだったけど。


 まあともかく、だからこその、「よくわからない」なのだろう。この人は誤魔化したりうやむやにしようとすることはあっても、嘘を吐いたことは一度もない、


「明日のお昼はお弁当ですけど、なにか食べたい物ありますか?」

 そう問おうと開きかけた口は、再び上げられたCOLORの振動音に塞がれた。


「……うん?」

「どうしました?」

「いや……」


 不思議そうに宙をなぞるご主人様の口から出たのは、


「〇〇一番とは誰だ?」


 世界政府の人間の名前だった。

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