第8話 我が子と共に千尋の谷に落ちる覚悟

 ところで、


「そう言えば、ご主人様って一人称『俺』ですよね」

「それがどうかしたのか?」

「いや、喋り方もそうなんですけど、ご主人様って同じ人間なのにJ三八番と全然違いますよね」

「同じなわけないだろう。性別からして違う」


 男女の違いなんて、個体番号の奇数偶数とCOLORの色の違いでしかないのだけれど、


「えー、でも、同じように作られたんですから、ここまで違うのはちょっと疑問が……」

「……知らないのか?」


 閉じた世界の中で生きられるようにデザインされた人間と、


「なにをですか?」


 旧時代の人間に似せてデザインされたロボットでは、


「俺がA二〇〇〇一番である理由だ」


 一体どれほどの違いがあるのだろうか。


「知ってますよ。十六年と四日前にブランクから生まれたんですよね」

「……そうだ」

「それがどうかしたんですか?」


 ほんの僅かな、瞬く間もないほどの、短い時間だったと思う。


 しかし、確かにご主人様の表情は不快げに歪んでいた。

 私の気のせいだったのかもしれないが、しかしそれはあり得ないと直感する。


 だって私は、


「俺はJ三八番やお前のように、役割を持って産まれたわけではない」

「そうなんですか?」


 やたら金を持っているから、なにかしていたのかと思っていた。


「……いや、正確には役割は与えられているか」


 どっちだよ。


「……いつか教える」

「今でも良いんですよ?」

「今は……疲れた」


 そう呟いて、ご主人様は自室の壁越しに玄関を見やる。


 うん、まあ…………うん。

 仕方ないし、しょうがない。

 この三日間、風呂に入るときと寝るとき以外はずっとJ三八番の話を聞いていた気がする。なんの得にも損にもならない、旧時代の話。

 興味のない時代の話なんてされても退屈に決まっている。なので、私は適当に言い訳して掃除に逃げようとしたのだがご主人様は良しとせず、結局二人してJ三八番の話を延々と聞かされるはめになったのだ。

 この時ばかりは、ご主人様は私の自由にさせてくれなかった。ずるい。


 まあ、ご主人様がわがままを言えるようになったことを喜んでおくことにしよう。

 あと、ご主人様にご友人がいたことも。


「うふふ」

「どうした?」

「ああ、いえ」


 うっかり笑い声が溢れてしまった。


 ご主人様とそのご友人と私とで、いつか一緒に外出したりして、

 世間知らずのご主人様とお喋りなJ三八番の相手を私が同時にさせられたりして、

 文句を言いつつも、でもやっぱり笑顔で二人の手を引いて……。

 そんな楽しげな未来を想像すると、


「えへへ、ありがとうございます、ご主人様」

「……礼を言うべきは、俺の方だ。ありがとう」

「もう、そうじゃないですよ?」


 ご主人様は訳がわからないと言いたげに小さく首を傾げる。

 つい最近まで、ご主人様がする様子なんて想像も出来なかったその仕草。

 顔は相変わらず無表情だけど、仕草はだんだん表情豊かになってきている。


 まるで我が子が成長する様子を見ているようで、


「……うふっ」

「…………っ」


 ご主人様には悪いけど、こういうの、とても良い。


 多分、母性本能。

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