第2話 もうすぐ一年かー


 ゴミクズの下で働ける訳がない。


 などと考えていた時期も私にはあった。

 真っ赤なCOLOR以外に色のないアバターを使用するご主人様は、甘いものを食べている私に対してまるで公衆の迷惑を考えずに騒ぐ社会のゴミ箱に対して向けるものの数百倍の不快感が込められたような視線を向けてくることを除けば、特に害のない人だった。


 否、


「あのー、今日の夕ご飯はなにが食べたいですか?」

「…………」

「……聞いてます?」

「お前こそ、俺の話を覚えてないのか?」

「いやだって、なんでも良いっていうのは困りますって。と言うか、もう困ってます」

「毎食それなりのものを用意してるじゃないか。出来上がったものを取り寄せても良いし、なにも用意しなくても良いんだぞ」

「いや、用意しないとあなた死んじゃうじゃないですか……。あ、じゃあ、今まで作ったもので一番美味しかった料理ってあります? ありますよね、ほら、言ってみてください。それ作りますから」

「何度も言わせるな。俺のことは気にせず、お前の好きなようにやれ」

「はあ……。わかりました」


 ご主人様は絶望的に愛想がなかった。


 例えば私が召し使いになって半年経った頃、ほんの冗談で自作のケーキを差し入れたことがあった。ケーキを渡されたご主人様は、ただのひとつも言葉を発することなく、一切表情を変えないまま、COLORを操作して自身の味覚を切り離し、見せ付けるように私の目の前でケーキを完食すると、役目を終えた皿とフォークを私に突き返してきた。


 そしてただ一言、「美味しかったぞ」


「嘘吐け! わざわざ私の目の前で味覚切り離しておいて、なにが『美味しかったぞ』だ! 愛想がないにも程があるわ!」


 などと叫ぶことなんて出来るわけもなく、その時の私は涙を必死に隠しながらご主人様の部屋から逃げ出した。


 それからしばらくご主人様の表情の不機嫌さ加減は度を増したように見えたが、実際表情は一切変わっていないので真実はわからない。そりゃあご主人様が嫌いな甘いものを差し入れた私の自業自得かも知れないが、あの人にだって多少なりとも非はあると思う。もうちょっと、言葉とか態度とか。


 ただ、日当十万なのだ。一年働けば、三千万を簡単に超える給料なのだ。今は使いきれずに貯まっているが、もう二、三年働いて辞めたときには、相当な贅沢が出来るはずである。

 この無愛想なご主人様も、それを考えれば許せる……のだと思いたい。


 と言うか、ご主人様は基本的に一切私に干渉してこないので、こちらが気を使わなければあの人の一日は睡眠と呼吸と排泄だけで終わってしまう。なにが楽しくてそんなことをするのかわからないが、死なれてしまっては私が困るので、こうして毎日世話を焼いているというわけだ。


 さて、今夜はシチューでも作ろうかな? それとも、唐揚げで山を作ってみるのも良いかもしれない。うーん、食べ物で遊ぶなと言われるかも知れないけれど、唯一の娯楽である料理くらい楽しんでみたいというのは、


「ところで」


 今日の夕ご飯の献立を考えていると、それを遮るようにご主人様が声を上げた。なんか、熱が一気に冷めた。今日はパンに水だな。


「もうすぐ一年になるな」

「…………………………………………はい?」


 なにが?


「三日で辞任表を渡してくるものだと考えていた」


 あ、そういう……。



 ……ん!? え!?



「も、もう一回お願い出来ますか!?」

「何度も言わせるな」 


 ご主人様は先程と同じ調子で繰り返す。


「三日で辞任表を――」

「おしい、その前です」

「もうすぐ一年になるな」

「そう、それです!」


 おかしい。絶対におかしい。


 愛想がなくて、自室に引きこもり気味で、他人のことも自分のこともどうでも良いと考えていそうな、むしろなにも考えていなさそうなゴミクズ様違うご主人様が、


「なんであなたがそんなことはしっかりと覚えてるんですか!?」


 私のこと好きなのかな!? などと、あり得ないうえに気色悪い考えが思い浮かぶあたり、私はだいぶ混乱しているらしい。


「そんなことではない。大切なことだろう」

「うぇ!?」


 た、たたた、大切!? 私のことが!?

 いや待て落ち着け召し使い一号、これは勘違いだ。思い違いだ。おそらくあのケーキ事件の時と同じように、なにか地雷を踏んでしまったのだ。あの時は見えている地雷を踏み抜いていた気がするが、今は関係のないこと。


「驚くことはないだろう。たしかにひと月ごとにやってくる給料日など、俺が覚えていなくても勝手に給料は振り込まれるがな」


 ほうらね! ほうらね!

 やっぱり、なんてことのない業務連絡でしたね!


「だが、給料を抜きにしても、こんな俺のためにお前が毎日頑張っていることぐらい、わからないほど馬鹿ではない。一年という大きな節目を利用することになるが、どうかお前に感謝の意を表させてくれ」

「え、いや急になにそれ似合わない……」


 怖い……やっぱりなにか地雷踏んじゃったんだ……。謝ったほうが良いよね……。でも、原因がわからないんじゃ謝りようがないし……。そんな考えが表情に出てしまっていたのだろうが、


「そう警戒するな。望むものがあれば与えてやる。誓って欲しいことがあれば誓ってやる。なんでも好きなことを望むと良い。俺には、金にものを言わせることぐらいしか出来ないだからな」

「……少し、考える時間をください」


 私は返事を待つことなく、ご主人様の自室を後にした。

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