アイちゃんと血の色を問う曖
あたしとシヅルはあこがれのおもちゃ屋さんに来ていた。大きな建物、大きなフロア。これが全部おもちゃなんて、想像するだけでにやけてくるくらい。あたしたちは、おもちゃなんて買ってもらえなかったし、おもちゃ屋さんに連れていかれることなんてなかったもの。
「なんか、緊張するなあ」
自動ドアの前。扉は開いている。シヅルは黙って、そっと足を踏み出した。その横を、おもちゃ屋さんの袋を持った親子が駆け抜けていく。あたしはシヅルと顔を見合わせて、なんだか、泣きたい気持ちになった。その子、男の子は今テレビでやっているはずのヒーローアニメの服を着て、お母さんはとても綺麗な身だしなみをしている。髪をきれいにパーマをかけて、カジュアルなワンピースを着ている。駐車場を手を繋いで楽しそうに歩いていった。
「アイさん。いいね、ああいうの。でも、僕、自分と比べて悲しくなっちゃった」
頷いた。あたしだって、シヅルだって、お母さんの手を握っておもちゃ屋さんに行きたかったもの。寂しい。今の年齢だってお母さんと手を繋ぐことはおかしくないと思うけれど、あたしはお母さんを嫌悪するし、お母さんはあたしを嫌悪する。
あたしの一歩先にいるシヅルに向かって手をだすと、シヅルはおそるおそるあたしの手を掴み、優しく引っ張る。そしてそのまま、二人で店内に入った。
土曜日だからか、親子がたくさんいる。笑顔の子ばかり。笑顔の親ばかり。あたしたちの存在は異様だった。シヅルの手はあたたかかった。あたしは高校生になって、はじめておもちゃ屋さんに来たんだ。これまで行こうかと思ったけれど、なんだか恥ずかしくて行かなかった。けれど。
「アイさん、ゲーム、あっちみたい。行こうか」
「うん……!」
シヅルと手を繋いで、あたしの歩幅にあわせて歩くシヅル。ゲームコーナーは入ってすぐ右にあって、最新のゲーム機とソフトが並んでいる。試遊できるようにモニタが置いてあったり、パンフレットが置いてあったりした。
「何がいいかな。まず、ゲーム機どれにするかだよね。携帯のじゃなくて、おっきい、テレビにつなぐやつ」
「だね。じゃないと二人で遊べないから。僕は、あの、その、やってみたいソフトがあって、それが、こっちなんだ……」
シヅルが指差したのは、いま出たばかりの最近のものだった。
「じゃ、それ買お。ソフトも。あたしも、それから何か選ぼうかな。やってみたいの、どれ?」
引き換え券をレジに持っていくと、会計の時に商品が渡されるシステムらしく、値段の書いた券が設置されたポケットにたくさん入っていた。ゲーム機の券をとって、シヅルとそのまま手を離さずにソフトの前に。
「これなんだけど……」
「あ、あたし、このキャラ知ってる。うちにあるやつに居てたよ。このキャラもいるのかな」
携帯を出して、待ち受けを見せた。コンスタンティアが得意なゲームのキャラクターだ。青い髪をして、家族や故郷を奪われたけれど、残った仲間と一緒に国へ帰る。コンスタンティアは冷静に、画面を見て、あたしと一緒にキャラクターを動かす。コンスタンティアはコントローラを握れないけれど、口でならゲームできるから、よくやっていたっけ。その続編だって、コンスタンティアのおかげでクリアできた。
「欲しくて、いろいろ調べたんだ。いるはずだよ」
「ほんと? じゃあ、あたしも欲しい! コントローラさっき見たよね、これにはついてないから、二つ買お!」
「うん、そうしよう! アイさんは、欲しいのある?」
「対戦できるのはとりあえず一つあればいいよね。じゃあ、このかわいいやつがいいかな……」
手に取ったのはカラフルで、外国のアニメみたいなキャラクターが描かれているパッケージ。アクションゲームは苦手だけど、あたしでもできそうかも。
「じゃあ、それにしよう。これもやってみたいな」
「コントローラ、ふたついるね」
手の中のたくさんの引き換え券。コントローラはガラスのケースの中にあって、黒と白があるみたいだった。本体は白しかなかったし、白の券をあたしは何も言わず取ったけれど、シヅルは黒をとる。
「黒、好き?」
はじめて会った時も黒いパーカーで、今日も黒っぽいカーディガンを着ていた。財布や鞄は紺色。
「え、うん。そうなんだ。それに、色違う方がどっち使うかわかりやすいかなって」
「なるほどね、わかった! じゃあ、とりあえず買い物はこれだけかな?」
「……えっと、あのさ、買い物するわけじゃないんだけど、アイさんが嫌ならいいんだけれど、ぐるっと、お店の中見てみたいな……」
あたしははっとした。シヅルはなんだか恥ずかしそうに、そう言った。そうだ。あたしだって、そうしたい。着せ替え人形を見てみたい。シヅルの手を強く握った。
「あたしも、そうしたい」
「よかった。じゃあ、ゲームのとこ抜けて、奥から」
「わかった!」
ゲームコーナーの奥は男の子のおもちゃが並んでいる。スーパーヒーローのおもちゃ、ミニカーや電車のおもちゃ、アニメにでてくる道具を真似たもの。プラモデルのような、組み立てるロボットのおもちゃ。シヅルの目は本当にきらきらしていて、生き生きしていて、なんとなく、ツォハルとコンスタンティアのくすくすという声が聞こえた気がした。
それから女の子のおもちゃ。着せ替え人形だって種類がたくさんあるし、缶バッチやアクセサリーをつくるもの、食べ物をつくるもの、変身して戦う女の子の格好ができたり、アニメのプリンセスのドレス。どれもかわいらしくて、今のあたしじゃとうてい着れないけれど。
「もっともっと小さい頃に、来たかったね」
シヅルがつぶやいた。女の子のおもちゃコーナーの、ピンクの可愛らしい雰囲気。子供向けの化粧品の香りは、なんだか甘ったるい。
「うん。小さい頃なら、欲しかったかもしれないね」
不思議だった。憧れていたはずだけど、可愛くて、いいなと思ったけれど、欲しいとは思わなかった。たぶん、おそらく、だけど、あたしたちが遊ぶ年齢じゃないから。レジにもっていくのが恥ずかしいんだ。
あたしたちはそのままぐるりとフロアを回ってから、レジに並んだ。
「シヅル、財布出して」
「? え、うん」
携帯を鞄から引っ張り出して、今回のお買い物の計算をする。そしてそのぶんを、シヅルの財布に入れた。
「あ、アイさん?」
「あとで半分半分、ね。おじいちゃんのお金だから変わりはしないけどさ。シヅルが、お金、払ってね。あたしは隣で嬉しそうにしてるから。いや、してなくても、嬉しいんだけど!」
シヅルは意味がわかったのか、頷いた。あたしに払わせるのは、シヅルが格好つかない。ずっと手を繋いでるから、周りにどう思われるかは想像がつく。あたしはシヅルに対してそんな気持ちはない、同じ境遇にあった友達と仲良くしたいだけだし、シヅルだってきっとそうだと思う。
レジが進んで、あたしたちの番になった。あたしが引き換え券を店員に渡して、シヅルが財布を開く。お会計をして、ゲーム機の受け取りは奥で、とレシートを渡された。奥には倉庫があるようで、少しだけガラスの窓で見える、積まれたゲーム機の箱。
二人でそのまま、また手を繋いで、なぜだか何も言わずに自然にそうした。奥の受け付けにレシートを渡すと、ゲーム機本体にコントローラ二つ、ソフトがふたつ。カウンターに並べられた。
「こちらでおまちがいないですか?」
と、男の店員。あたしたちが頷くと、丈夫そうな袋に入れて、シヅルのほうに手渡す。
「ありがとうございました!」
店員の、カラッとした元気な声。
「ありがとうございます」
「ありがとう」
それに思わずあたしたちは、そう返して、そして二人で笑った。大きな袋だけど、シヅルは特に重そうにはしていない。
「はやく帰って、遊びたいな!」
「うん。アイさん、ありがと」
「そんなの。いいんだよ。あたしが感謝したいくらいでね……」
シヅルのとなりは、なんとなく、居心地がよかった。
店を出ると、店の前が異様な雰囲気に包まれていた。血だ。アスファルトに血が滲みている。人が群れている。パトカーと、救急車。さっきまでの飛び跳ねそうにうれしかった心臓が、冷えていく。
シヅルといっしょに駆け寄ると、人の間からなんとか、それを、見ることができた。ちょうど救急車が来て、運ばれていくところらしい。担架に乗せられていたのは子供で、そう、さっきすれ違った子供だった。ヒーローの服の、胸や腹を赤くして、大泣きしながら母親が一緒に乗っていく。警官たちが、小汚い格好をした男を取り押さえていた。血だまりのそばには、包丁が落ちていた。
ぞわわっと、首の周りを、死の風が、匂いが駆け抜ける。あたしにはわかる。あの子は助からない。
「あ、アイさん。あの子、僕、思ったんだけど……」
「……シヅルも?」
いわゆる、ニュースでいう、搬送先の病院で死亡、というやつだ。思わずか、ツォハルが姿を現した。
「ごめんよ。ぼくの力が至らなかった。君たちはなんとか守ることができたけど……」
「ツォハル。ありがとう。でも、その、あの子は……」
シヅルはうつむいた。
「ああ。まだ息はしていたけれど、そのうち止まるだろう。二人とも、心は乱れていないかい?」
コンスタンティアも出てきて、あたしの肩をを持つようにする。
「ぼくは大丈夫だよ、ツォハル。びっくりはしたけど」
「あたしも平気。慣れてる、みたいなとこ、あるし」
死体や、血を見ることに。あの子には申し訳ない、という気持ちしか湧かないけど、でも、それを伝える術はない。
警官たちが音を車に乗せて去っていき、現場の片付けをはじめると、様子を見ていた人間は去っていく。テレビの関係者らしき人間だけが残った、が、一人だけ、ジッとこちらを睨む人物がいた。
「橘」
低い、ハスキーな声。黒髪の、シヅルよりも背の高い。
「あ、アキラ。なんでここに……」
「呼ばれたんだよ。橘たちがいると聞いたからな。もしかしたら、と思って。灰淵家は橘家を監視してるって、言ったろ。ま、お前らのお狐さまの仕業じゃないようで、結構。その場合オレの出番はないってわけだ」
シヅルが少し、強気に言う。
「監視って、買い物もですか?」
「ああ。アパートから出てくるところから連絡がきて、深泥池から出るようだから、オレも準備をしていた。灰淵は橘のやったことをもみ消すためにいるからな。アイも、シヅルも、もっと感謝してほしいもんだぜ、まったく。いつも敵意を向けられてるが、お前たちがこうやって、そんなもの買って暮らせるのは灰淵のおかげなんだからな」
と、おもちゃ屋の袋を指すアキラ。そうやって煽るようにするから、あたしはアキラを好きになれないんだ。灰淵のことは知っていたとしても。
ふうっと、息を吐くアキラ。
「帰りはオレんとこの車に乗ってけ。ちゃんと帰すから。二人でフラフラ帰られるより安心だ。それに、そうだな。橘の、アイのほう。近いうち、一度真剣に話をしよう。シヅルにもする、が、それは深泥池に慣れてからの方がいい」
アキラの後ろには、黒いリムジンがある。灰淵のものだったのか。あたしたちは黙って、それに乗り込んだ。あたしとシヅルは隣に座る。
アキラは向かい側に座った。リムジンと言えば豪華な装飾のイメージだけど、そんなものは一切ない。
「おい、出してくれ」
アキラが運転手に言うと、リムジンは深泥池へと帰っていく。あたしたちは黙っていた。帰って、遊んでいいのかな。いいよね。だって、あれはただの事件で、ツォハルやコンスタンティアがやったことじゃない。遊んで忘れたい。アスファルトに滲んだ血で嫌でも思い出す。せっかくとった時間だもの。だれに許してもらえればいい?
アキラは黙って、腕を組んで目をつむって休み出す。すぐにすやすやと、寝息が聞こえてきた。シヅルは大切そうに、誰に奪われることはずないのに、ぎゅっとゲーム機の箱たちを抱えていた。あたしは、血塗れのヒーローを思い出していた。ヒーローは血を流しても、血塗れになって倒れてはならないから。
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