アイちゃんと幼年期の終わり

 シヅルは一口ハンバーグを食べて、ピタリと動きを止める。味が合わなかったかなと心配していると、ツォハルがからから笑った。

「ごめんよ、アイくん。シヅル、多分おいしくて感動してる」

「え、そうなの?」

 そう返すと、シヅルは黙って頷いた。単純な美味しさなら、昨日のお寿司のほうが美味しいと思うけれど、生魚が苦手だったりするのかな?

「あ、あの、ハンバーグ。昔、お母さんが作ってくれて。すごく美味しかったんだ。そのハンバーグを、自分で作ろうとしても何かが違ってたけど、アイさんの作ったものは、すごく……」

 どきり、とした。シヅルのお母さんは、あたしのお母さんのお姉さんだ。あたしは小さい頃に、お母さんの手伝いで何回もハンバーグを作って、そのまま今も作っている。お母さんたちは、多分きっと、おばあちゃんかおじいちゃんからハンバーグの作り方を教わったんだと。

「今度一緒に作る? いや、あたしがまた作ったほうがいいかな?」

「できたら、一緒に……」

「うん。じゃ、またハンバーグが食べたくなったらうちで作ろうか」

「ありがと、アイさん」

 ツォハルも料理を食べ始めて、コンスタンティアはにこにこと、うれしそうに肘をついて、口の中でいちごミルクの飴を転がしながら食卓を眺めている。

「アイくんは、とても美味しいものをつくるね!」

 と、ツォハル。ツォハル、という存在にもそう言われると、あたしったら世界一の料理人になれるかもなんて思ったりして。

「ツォハルも、また食べに来て」

「もちろん。何か必要なものがあれば、ぼくらで用意しよう。それがいい関係になると思う」

「それはありがたいな」

 それからしばらくは目の前の料理に集中して、もくもく食べ始めるあたしたち。一番食べ終わるのが遅かったのが意外にもツォハルで、ツォハルは一口一口をすごく噛み締めてものを食べる。シヅルは年頃の男の子だからか、昨日のお寿司の遠慮もないからか、一番最初に食べ終わった。

「ごちそうさま、アイさん。お皿は僕が洗うよ」

「いいよ。あたしがあとでやる。時間、もったいないもん」

「どういうこと?」

「遊びたいでしょ? 何して遊ぶっ?」

 そう言うと、シヅルは目をキラキラ輝かせた。

「う、うん。どうしよう、いざってなると、何がしたいかな」

 テレビに近づいてゲーム機を置いてある棚に向かった。後ろからシヅルがついてくる。

「ゲームやったことある?」

「えと、少しだけなら」

 ずらっと並ぶ、スーパーファミコンやプレイステーションのソフト。今じゃ古くって、あたしたちが生まれる前のものばかりだ。シヅルは棚を覗く。

「わあ、すごいね、たくさんある」

「好きなの選んでいいよ。それともさ……」

「それとも?」

「古いのばっかでしょ。新しいの買いに行くとか、どう?」

 シヅルはびくりと飛び上がった。それは恐怖からではなく、嬉しさだった。

「い、いいのかな」

「おじいちゃんにお小遣いほしいなって、シヅルがお願いすればくれるよ。それに、あたしだってね。後で、半分半分にしよ。お財布もってきてる?」

 シヅルはあわてて、自分の鞄を探った。紺色の、小さな肩掛け鞄。そこからまた、紺色の長財布が出てくる。黒や、紺色が好きなのかな。

「うん、あるよ。おじいちゃんが少しもたせてくれてた」

「じゃあ、市内まで出て、ゲーム屋さん行ってみようか。あたしもね、一人で遊ぶやつばっかだから、シヅルと遊ぶ時、二人で遊べるのが欲しかったの。それにゲーム機って重いでしょ。持ってくれる人がいたらなって」

 顔を輝かせるシヅル。あたしは想像する。きっと、周りの男の子は最新のゲーム機を買ってもらって、遊んでいたはずだ。男の子はゲームが好きだから。でも、シヅルは買ってもらえなかったろうし、勉強をさせられていたと聞いたもの。友達もでき辛かったろうし、遊べなかっただろう。ゲーム機や、カードゲームは、なんたってお金がかかるものだから。

 あたしだってそうだった。テレビのコマーシャルでやっていたおもちゃや、着せ替え人形。流行っていた漫画雑誌。買ってもらえなかった。いや、買ってというのを、一度だけ言って、断られたから諦めたんだ。なにもかもを。

「そうだよね、アイさんじゃ、あの大きな箱持って市内から帰るのはつらいよね。僕なら大丈夫だよ。だから、その、えっと……」

「行きたい?」

「すごく……」

 お互いに笑い合った。新鮮な気持ちだった。友達、よりも、もうもっと上の存在みたいだ。

「じゃあ、いますぐ行こう!」

 あたしは部屋から自分の鞄を引っ張り出して、財布と携帯と、ハンカチにティッシュにポーチとお出かけのセットを詰め込んで、シヅルのところに帰ってくる。シヅルは鞄をもう肩にかけていた。


 居間のテーブルには、コンスタンティアとツォハルが、にやつきをおさえられない、といった顔であたしたちを見ている。

「ち、ちょっと、ツォハル。なにその顔?」

 シヅルがそう言うと、ツォハルは喉でくくっと笑った。

「いや、なんとも微笑ましくってね。シヅルがこんなにも、生き生きしてるのを見るのははじめてだなって。ぼくとしては、こんなに嬉しいことはないよ。ぼくからも感謝しよう、アイくん。しかし、何かあったらいけないから、姿は隠しているからぼくもついていいかな?」

「心配しなくとも、市内なら電車で二十分ほどだけれど……」

 ツォハルは首を横に振るし、コンスタンティアは不安そうな顔をする。

「いいかい? この田舎では、とくに二人でいてもかまわないよ。でも、君たち二人の『死の匂い』は、本当に強烈なのさ。一番怖いことは悪魔どもに襲われること、二番目は匂いに煽られて周りで事故や事件が起き、それに巻き込まれること。ぼくがいるなら、多少なりそれを弱められる」

 その言葉に、コンスタンティアも同意した。

「そうね。二人の邪魔はしたくないけれど、でも、あなたたち二人を失う悲しみはとても強いものだから。私も、ツォハルの力になれるかはわからないけれど、アイちゃんといることがわかったほうがいいと思うわ。こっそりしているけれど、ついて行かせてちょうだい」

 まるでお父さんとお母さんみたいだ。あたしの知らない、フィクションの中の両親みたいだ。お母さんは緑で血の角が生えてるし、お父さんは男か女かわかりゃしないけれど。

「邪魔、なんて、そんなことないよ。僕と、ツォハル、アイさん、コンスタンティアさんで友達だから。友達みんなで遊びにいくんだ」

「そうだね。四人で友達。それがいい」

 シヅルとあたしがそう答えると、二人の人ならざるものは顔を赤くしてかおを見合わせる。

 あたしはシヅルに手を差し出す。

「手、繋ごう。あたしは片手、コンスタンティアとつなぐから。シヅルはツォハルと」

 あたしは友達が、よくわからない。小さい頃はいた気がする。手を繋いで、帰る友達や大人がいなかったのは覚えている。

 シヅルの白くて、あたしよりはとても大きな手を握った。あたしは女にしてはずいぶん小柄だし、シヅルは平均より少し高いくらいだもの。

 片手を、コンスタンティアは赤い爪を食い込ませないよう優しく触れる。ツォハルはシヅルとぎゅっと手を握った。それはふたりの化物の優しさだった。そして。

「ツォハル、ツォハルの片手があいてるよ」

 シヅルの言葉にまたツォハルははっと顔を赤くして、おそるおそる、コンスタンティアの手に触れた。ぐるりと、人間と悪魔と御使いが円になる。

「あたしたちは、小さな頃に子供をさせてもらえなかった、と、思う。シヅルはどう?」

 あたしの顔を見つめる、まっすぐ見つめるシヅル。顔つきが、おじいちゃんの家やコンビニの時とはずいぶん違っている。

「僕もそうだよ。両親や、いろんな大人にこれでもかってくらいいたぶられて、欲しいものをひとつだって買ってもらえないし、それでみんなから孤立してた。寂しかったし、痛くて、辛くて、何度も死にたいって思った。でも、ツォハルに助けられて、いま生きてる」

「あたしも、シヅルと同じ。コンスタンティアに助けられて、やっと自由に外を歩けるようになったの。だから感謝してるし、……コンスタンティアのことがすごく好き」

 コンスタンティアが悲鳴のような声を上げる。でもそれは嬉しい悲鳴だった。

「あ、あ、あ、アイちゃん。やだ、シヅルくんとツォハルがいるのに、そんな、だめよ」

「だから言ったんだよ。ばあか」

 くくっと笑うと、コンスタンティアの顔はトマトくらいには赤くって、足元をじっと見つめていた。馬の蹄のようになった、異形の足。

「いじわるね……!」

 それに対抗したのか、シヅルもツォハルに向かって、少し考えながら話し出す。

「えっと、えっとね、ツォハル。僕を助けてくれて、今まで支えてくれてありがとう。本当に、ありがとう。僕がこうやって、悲しい思い出ばかり抱えて死んでいかなかったのは、ツォハルのおかげだよ。だから、僕は、ツォハルのことが大好きだよ」

 ツォハルもまた、コンスタンティアのように、まっすぐなあたしとシヅルの感情に戸惑いと嬉しさを隠せないようだった。

「あ、ああ。シヅル。ありがとう。でも、恥ずかしいな。いや、二人きりの時の方がもっと恥ずかしかったかも。でも、うん、そう言ってくれて嬉しいし、ぼくだって同じ気持ちでいる。シヅルが幸せに、主のもとに行けるように。ずっと見つめていたい」

「ツォハルがそんなに慌てるの、はじめて見るよ」

「だって、本当に慌てているんだ! シヅルから、感謝の気持ちというのは伝わっていたけれど、だって、その、ぼくもシヅルのことが好きだから、そんな相手に好きだって言われたら、慌てるに決まっているだろう!」

 なんだか、人ならざるものたちのほうが人間みたいに思える。あたしたちはこれから子供をやりなおして、大人になっていかなきゃいけない。勉強ができても、たとえばお箸の持ち方なんて、自己流なんだもの。おじいちゃん、コンスタンティア、ツォハル、そしてシヅル。みんなで、家族で、ちょっと急ぎ足になるけれど、本当の年齢に追いつきたいから。

「コンスタンティア、顔、上げてよ」

「や、やだ、恥ずかしいわ」

「あたしがお願いしても駄目?」

 そう言うと、コンスタンティアは涙目で顔を上げる。そこまで嬉しかったんだ。悪いことをしたかもしれない。もっと早く理解して言えることができたら。あたしはまだ子供だから、愛してるまでは言えないけど。

「あたしたちは、友達で家族。困った時は、みんなで助け合おう。あたしたちは分かり合えるから」

「うん。僕らは友達で家族だ。仲良くしよう。たくさん、楽しいことがしたいな」

「ええ。私たちは友達で家族よ。みんなが幸せになれるように、私はつとめるわ」

「ああ。ぼくらは友達で家族。たとえ悪魔と御使い、人間でも、そんなのは関係ないさ。ぼくがみんなを守るよ。絶対に誰にもこの絆を傷つけさせやしないさ」

 四人で、お互いの顔を見て、それから同時に手を離す。

「じゃ、出かけよ!」

 あたしはお気に入りの赤いスニーカーに足を入れて、真っ先にアパートを飛び出す。晴れていた。晴れは嫌いだったけれど、いまはすごく好きな気持ちだ。少し寒いけれど、気持ちのいい秋風。

 思い切り空気を肺に詰め込んでみると、哀愁のこもる秋の空気が肺の中を支配した。茶色い葉が、アパートの玄関前に落ちていた。

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