アイちゃんと邪魔な日々の不安
四人用の食卓テーブルは、おじいちゃんが買ってくれたものだった。一人用の、それも、普通の机で構わないと言ったのに、いつか友達が来て遊びにくるかもしれないから、それに机は広い方がいいと言って買ってくれたもの。すごく、いま、感謝している。
あたしに、コンスタンティアで二人だったテーブルは、今日、シヅルとツォハルで埋まるんだ。ツォハルのことはわからないけれど、一応、ツォハルのぶんもハンバーグを作った。一度に三人分のご飯を作るなんて久しぶりで、どきどきして、手先が震えてしまった。けど、コンスタンティアが優しく手伝ってくれたので、なんとかお昼過ぎには三人分の料理ができあがった。
三人分の料理。あたし、お母さん、お父さん。たまに、作らされたことがあったっけ。それで、思い出して包丁を持つ手が震えて、涙はたまねぎのせいだと嘘をついたけど、きっとコンスタンティアにはバレバレで、優しくそっと頭を撫でてくれる。
「アイちゃん。大丈夫よ。私がそばにいるわ」
何度も、何度も、何度も。聞いた、おまじないみたいな言葉。これが例えば、いい呪いの言葉なら、アザミには、なんて言ったのだろう。なんて、少し考えながら。
料理を並べるのをコンスタンティアが手伝っている間におじいちゃんの家に電話をして、おじいちゃんに、シヅルを家まで送ってあげてとお願いして、携帯を置く。携帯の待ち受け画面は、コンスタンティアと一緒に遊んで面白かったゲームのキャラクターにしていた。青い髪で、家族を奪われて、まわりの助けを借りながら大切なものを取り返すために戦う姿が、なんとなくあたしとかぶったから、気に入っていた。
外から車の音がして、窓からのぞくとおじいちゃんと、シヅルが降りてくるのが見えた。そしてもう一分もしないうちにインターホンが鳴る。
「アイ、連れてきたぞ」
おじいちゃんの声。あたしの心臓は鼓動を早めている。あたしは、家に友達を上げるなんてはじめてなんだもの。
「開けていいよ!」
そう返して廊下まで出ると、シヅルがいた。
「帰りは大丈夫か?」
「道は覚えました」
「ま、最悪、アイに教えてもらいな」
「ありがとうございます……」
そうしておじいちゃんのぶんの足音が消える。
「おじゃまします、アイさん」
そうしてお辞儀して、靴紐を解く間、あたしはシヅルが変わっていることに気づいた。髪が、短い。昨日までセミロングくらいにはあったのに、今は普通の男の子みたいだった。特に髪の毛にワックスをつけたりはしていなくて、普通の、大人しくて、少しかわいらしい顔の優等生のように見える。
「髪、切っちゃったの?」
「あ、はい。学校もはじまりますし、それに、髪の毛は両親に言われて伸ばしてたものですから」
「ふうん。そうなんだ……、あ、シヅル、丁寧な言葉じゃなくていいよって」
「あ! ごめん、癖で」
「ううん。あたしそういうの、わかるからさ」
両親に言われて、伸ばしていた? 男の子なのに。一体シヅルの家では何があったんだろう。それはあたしには、想像がつかなかった。セミロングくらいに伸ばしていたシヅルの髪は本当に綺麗だったけれど、今のシヅルは、髪を切ることで新しい人生を始めようとしているんだと思って、それになかなか似合っていたし、じっと見て。
「新しい髪型、似合ってるね」
「え、あ、そうかな。ありがとう。ずっと伸ばしてたから。僕はちょっと不自然な感じなんだけどおじいちゃんが切った方がいいっていうし僕も切りたかったから……」
真っ先に両親から離れて、やりたかったことが、髪の毛を切ること、なんて。髪の毛を切るみたいに、苦しい思いばかりさせてくる両親のことを忘れるなんてできないだろうけど、髪は伸びる。でも、好きな形に何度も切ればいいから。その度に、シヅルの嫌な記憶も切り落とせていければ、きっといいな。
居間に通すと、わあっと声を上げるシヅル。ハンバーグのほかには、サラダとお味噌汁で、いつもよく作るものだった。
「アイさん、ありがとう。すごくおいしそう……」
「おいしいよ。手、洗って、食べようか」
「うん、そうしよう」
洗面台まで二人で行って、鏡にうつるお互いの鏡を、一瞬比べた。特に顔が似ているわけではない。けど、同じ目をしていた。大人の目、この世の地獄を見てきた目をしていた。嫌でもわかる。アザミを見たときとは、また違うフィーリング。
そして、そばに寄って、意識するとあたしでもわかる『死の匂い』がした。確かに、アキラやツォハルの言うように、たとえばなんの匂いだって言われればとにかくいい匂いだとしか言えないんだけれど、フェロモン、のようなものなのかな。手を洗っている間、シヅルは特に何も言わなかったけれど、きっとシヅルもあたしの死の匂いを感じ取っているのだろう。なんたって、あたしたちは死の匂いをばらまいているらしいんだもの。
テーブルにつくと、コンスタンティアが、料理のない場所に座っていた。
「シヅルくん、こんにちは」
そう、優しく笑いかけるのだけれど、もちろんそれはあたしに対する表情ではない。友達の子供に挨拶するような、そんな顔。
「コンスタンティアさん。こんにちは」
頭を下げるシヅル。
「いいのよ、いいのよ。そんなことしなくって。アイちゃんの隣に、私はいるわね。お話するのも、向かい合ったほうがいいでしょう?」
そう言われたシヅルは、はっと何かに気づいたような顔をした。あたしは、コンスタンティアの隣に座る。
「え、えっと、コンスタンティアさんはお昼は……」
「体を見てもらえればわかると思うけど、私、食べられないの。でも、大丈夫よ。アイちゃんが飴や、アイスクリームをくれるの。ね?」
こちらに笑いかけるコンスタンティア。そう、昨日から、家にあったお皿にいちごミルクの飴をテーブルの上に少し置いてあった。
「じゃあ、あの、三人目って、ツォハルですか?」
「うん。わかんないけど、食べるかもしれないから。一応。でも、いらなくても、冷蔵庫に入れて明日また食べるから大丈夫」
あたしがシヅルにそう返すと、シヅルの隣の席でキラキラと光の粒が集まる。この光は、コンスタンティアがででくるものとは違う。コンスタンティアのものは、ツォハルを見るまでは光だと思っていたけれど、なんだか白や、少し青みがあって氷のような『輝き』で。でも、ツォハルのものはただただ、神々しい『光』だった。
「や。アイくんに、えー、コンスタンティア。お食事に呼んでもらって嬉しいよ」
光の粒が集まり、ゆるいウエーブのかかった金髪の美しい何か、としかやはり形容できない容姿。ツォハルが現れた。コンスタンティアはぴくりと少し怯えるけれど、ツォハルはコンスタンティアに両手を上げて、敵意がないことを示す。
「大丈夫、ぼくはきみを殺さない。シヅルに言われたからね。それにぼくの下にもきみのことを殺すのなら、ぼくが殺してしまうよと言っておいたよ。ぼくの下だけだから、他には直接言ってはないけれど、まあきっと、きみに手を出すとぼくが地獄まで探し出して殺すとまで言っておいたから、ね。なかなか、ぼくの性格では言わないことだから。噂になって広まってるみたいだから、ま……、大丈夫だと思う」
コンスタンティアはとても、とても、驚いているようだった。
「ど、どうして私をそんなに、御使いのあなたが守ろうとするの?」
ツォハルはシヅルの手に触れる。お互いの手は白くて、そして、とても異様に思えるほどにきれいだった。
「別にきみのためなんかじゃないさ。ぼくはきみのことはどうでもいいよ。それは、きみも同じだろう? シヅルのためだよ。アイくんからコンスタンティアを引き放せばとても悲しむから、アイくんはシヅルの友達で、友達を悲しませたくないからって、シヅルに言われたから。それにぼくはシヅルの友達だからなんて関係なしに、アイくんも守ってあげたいからね。きみが守りきれない部分もあると思うから。ぼくなら守れるよ。なんたってぼくは強いからね」
コンスタンティアは気まずそうに、でも、きちんとツォハルのアイスブルーの透き通った目をみる。あたしと、ツォハルは料理を前にしていたけれど、二人の会話がどうしても気になって聞いていた。
「そ、その、ありがとう。ツォハル。こんなことがあるなんて、思わなかったわ」
「それはぼくも同じさ。まさか悪魔を殺すななんて、この口で言う時が来るなんて思いもしなかったよ。勘違いしないでほしいけど、ぼくが一番愛しているのはシヅルだよ。きみも、一番好きなのはアイさんだろう」
「ええ、そうね。シヅルくんも、素敵な子だって思うけれど、愛しているのはアイちゃんよ」
そう言われると、なんだか照れてしまって、シヅルも同じらしくって、顔を赤くして顔を見合わせた。シヅルもそうだった。堂々と愛してるって、他の人がいるところで言われると、やっぱり恥ずかしいんだけれど、満たされた幸せを感じる。
「で、ぼくは人間にあまり詳しくないんだ。シヅルを通して、ぼくも学んでいる途中でね。でもきみは詳しそうだし、シヅルにいろいろ教えてやってほしい。ぼくも学びたい。だから、ぼくはきみたちを守るけれど、きみはぼくらにものを教えて欲しいんだ。それが助け合い、うまい関係を築けるかとぼくは思うんだ。やってくれるかい?」
「そうね、その、一緒に遊んだり、映画を見たり、そういうこと?」
「ああ、シヅルにそういうことをさせてあげて欲しいんだ」
「わかったわ。シヅルくんは、大丈夫?」
急に話を振られたシヅルは、声をあげて飛び上がる。
「ごめんなさい! シヅルくん、いきなり、びっくりさせてしまったわね」
この症状は、あたしもそうだった。声をかけられると怒鳴られるとか、殴られるとか、そう身構えてしまうから。それをコンスタンティアはあたしを通して知っているから、気遣うように謝ることができる。
「いえ、大丈夫です。その、僕も、遊びたくて……。それはすごく、嬉しいです。ツォハルも一緒に遊ぶよね?」
「もちろんさ。ぼくはシヅルと出会って変わったんだ。そして、アイくんやコンスタンティアと出会っても変わった。ぼくは御使いとしては失格かもしれない、けれど、ぼくは愛されているから、堕とされても主から消されることはないと思うよ。ぼくは強いし、有能だからね」
得意げなツォハル。そっか、アイスを買った夜、シヅルはツォハルにいろんな提案をしてくれたんだ。
「シヅル、それにツォハル。ありがとう」
「う、ううん。アイさんに良くしてもらったから、えっと、いろいろ言うと照れちゃうから、その、えっと、どういたしまして……」
そんなシヅルに、悪魔と御使いは柔らかい笑みを思わず浮かべたようだった。
「こんなに可愛らしい女の子に、綺麗な女性の二人さ。守るのは男の責務って、ものだとぼくは思うからね!」
そのツォハルの言葉に、コンスタンティアは緑の肌をかあっと赤くする。そして、いつもの照れ隠しのくせで、赤い爪で机に円を書くようにする。
「わ、私、私って綺麗かしら……」
「ぼくは、そう思うけれど? きみは自分のことを、そう思っていなかったのかい?」
「そ、う、ね。今の私は、醜い化物だって、思って……」
「そんなことないさ。綺麗な顔立ちだし、その角だって、氷でかためた血なんだろう? 呪いなのはわかる、けれど、その呪いをうまくきれいに使うなんて、すごいな。それにスタイルだってとってもセクシーだし、声も透き通って、とってもいい声だと思う」
「み、御使いって、嘘はつくのかしら?」
「あはは。たまにね。でも、今はついてないよ。これも、嘘じゃないさ。……さ、ご馳走が冷めてしまうね。ぼくもいただくよ。なんたって、アイくんの手作りなんだから」
まだ円を書くコンスタンティアを小突き、そして、四人で料理を前に手をあわせる。
「いただきます」
何度目かな、幸せないただきますは。これからずっと、続けていきたい。そしてあたしがお茶の入ったガラスのコップをかかげると、今度はシヅルは戸惑わなかった。こつん、と、ガラスのぶつかる音が部屋に響いた。心地のいい、音だった。
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