アイちゃんと相対する愛

 赤いガーディガンを羽織って、財布と電話を手に外に飛び出した、朝の九時。コンスタンティアは朝からご機嫌で、口の中で昨日のいちごミルクを転がしている。相当お気に召した様子で、昨日で半分ほども食べてしまっていた。買い出しにいくのだし、もう少し買ってあげよう。

 こういうことを、もう少し早く気付けたなら、もっとあたしは人間に近づけたかな。コンスタンティアとの関係は、最初は服従だった。いきなり現れて、あたしを家から連れ出したかと思うと、あたしの足にキスをした。それから、コンスタンティアは付いて回るようになったけど、ずっと隣にいるうちに、違った存在になってくる。どちらにせよ、この冷たい悪魔の隣でいるのは暖かくて過ごしやすい。

 いつもやってくるスーパーは少し遠いところにあって、いつも帰りにはバスに乗る。あたしの小さな体ではなかなか買い出しはつらいし、コンスタンティアに持ってもらえば周りの人は浮いているように見えてしまうのだから。

 少しひんやりとした店内でカートを持って、さて、とにかくシヅルのリクエストだったハンバーグの準備。明日の朝にパンも欲しいし、お米も買わなきゃ。お米を買うならタクシーを使おうか。

 がらがらとカートを押しながら、コンスタンティアは隣で嬉しそうだ。

「アイちゃん。また、違う味の飴があるかしら?」

「ここのほうが、多分たくさんあるぞ」

 コンスタンティアがそわそわするものだから、先にお菓子売り場に行こう。たくさんの飴が並ぶ。コンスタンティアお気に入りのいちごミルクもあるし、はちみつの飴、棒つきのキャンディ、フルーツソーダのもの、ハッカの飴。

「甘いのがいいなら、このはちみつか、棒つきのやつか」

「いちごミルクと、あと、新しいの……、はちみつって、あの、ホットケーキにかけるようなやつよね?」

「違うけど、まあ、味は似てるかな」

「ならそれがいいわ。昔、食べたことがあるのよ。ホットケーキ。懐かしいわ……」

 あの人と、食べたのかな。朝ごはんに、あたしもホットケーキを焼いてあげてもいいかもしれない。昔の楽しかったことを思い出して幸せになれる、それで今の苦しいことから逃げられるのなら。それに、ホットケーキミックスを買えばスコーンだって焼けるし、シヅルが来たとき、おやつに紅茶か、コーヒーかと一緒に出してもいいかな。

 飴をふた袋、コンスタンティアが選んだものをカートに入れると、ある人物と目があった。スタジャンに、ジーンズ。黒い髪。見た目だけじゃ到底女だとは思えない女。

「お、橘」

 アキラ。買い物カゴに大量の甘いもの……、チョコレートやクッキーのファミリーパックに、カップ麺と、エナジードリンクが大量に見える。

 用はない。あたしから、アキラには。ただ、アキラも一人の人間だということを、買い物カゴから思い知らされた。剣道部の主将をやっており、大会で優秀な成績を残しているので校内の人間なら知らないものはいない、みんながうらやみ、女子生徒は黄色い声援を送る。男よりも強く男らしく、それでいて女なので近づきやすい。

 もう部活は引退して、勉強に集中するのだろう。悪魔の子と言えども、試験を受け、大学に行く。悪魔の子だとしても、人間だからだ。

 あたしが黙っていると、アキラは近付いてくる。あたしが睨みつけてみても、全く引こうとはしない。

「……何の用?」

「ん、いや、まだお狐さんがいるなと思ってな」

 コンスタンティアのことか。……ツォハルは、あたしに言った。あたしはもっと強い悪魔を従えることだってできるのに、どうしてコンスタンティアのような弱い悪魔を連れているのかと。

 アキラは灰淵の人間だから、シヅルやツォハルのことも知っているのだろう。

「誰がなんと言おうと、あたしは弱いとか強いとか、そんなのでコンスタンティアと別れたりしない」

「違うさ。死んで、ないな、と、思ってな」

 死……? 息を飲む。スーパーに流れる軽快な独特のバックミュージックが鼓動を早める。コンスタンティアはびくつき、アキラから離れるようにした。

「あなたは一体何を知っているの?」

 コンスタンティアはアキラに問う。アキラはくくっと喉で笑った。

「コンスタンティア、おまえは、橘と見合ってないんだ。実力に。橘はもっと強くて安定した悪魔をつけるべきだし、コンスタンティアはもっと弱い人間に憑くべきだ。橘シヅルとツォハルは、バランスが取れている……」

 答えになっていない。コンスタンティアはなぜ死ななければならないのか、問い詰めようかと口を開くと、アキラは腕を突き出してあたしを止める。続けるようだ。

「橘に憑きたい悪魔なんて、いくらでもいるのさ。それこそ、魔王と呼ばれるような悪魔だって、橘ならうまく服従させることができるだろうし。この、深泥池にシヅルとツォハルが来ると聞いて、ツォハルはきっとコンスタンティアを消してしまうと思った、が、あれも何を考えているやら、人間ごときにはわかりゃしないね」

 コンスタンティアの、唾を飲むような音。

「オレたちの考えが及ばない『もの』なのさ、ツォハルは。そして、ツォハルはシヅルを気に入っている。橘、おまえも、ツォハルのような、いや、ツォハルより強力な力を得ることだってできるかもしれないのに」

「ツォハルは何?」

 そう、アキラに食ってかかるようにする。あの、金髪をふわふわとさせた、神々しいとも言える、男なのか女なのかわからない、何か。アキラはにいーっといやらしく笑うし、コンスタンティアは怯える。

「御使いよ。悪魔を消すためにいるの。でも、私なんて弱い悪魔、放っておいてもいいと思われたんだわ、きっと。わざわざ、ツォハルのような御使いがやることじゃないのよ」

「ツォハルは、そんなに、地位が高いのか……」

 御使い。悪魔と対になるもの。光と闇と。そんな恐ろしい相手に、殺されてしまうかもしれない相手に、昨日のように強くものを言えるなんて、やっぱり、コンスタンティアは強い。たとえ悪魔の中で弱かろうが、この世界ではとても強い、女。

「コンスタンティアが悪魔に殺されてないってのも、不思議に思うくらいでね。ふつう、こんな人間、他の悪魔が横取りするはずさ」

「……きっと、王様が、うまく取り計らってくださってるんだわ。特別にしてもらったことがあるから。王様のいうことは絶対なの。王様のおかげで、私たちは存在することができるのだから」

 それに対しては知らなかったのか、興味深そうに話を聞くアキラ。あたしも、シヅルも、死の匂いをまとわせている。おじいちゃんも、白狐さま、と、その人ではないものの存在を話した。言葉は、濁していたけど。

「ま、ツォハルが近くにいるんだ。御使いにも、おまえのことが分かるだろ。戦キチの雑魚が、お狐さんに絡んでくるかも、しれんな」

「……」

 コンスタンティアはうつむく。

「ああ、それにしたって、いい死の匂いだな。橘に会うとクラクラっときそうになる。じゃ、匂いにやられないうちに、オレは行くよ……」

 そう言って、うつむいてるコンスタンティアにばれないように、またあたしに笑顔を見せるアキラ。あれは作り物とか、愛想笑いではなく、本当の……。

 うつむいているコンスタンティアの顔をのぞくと、はっと飛びのいた。

「ごめんなさいね、アイちゃん。私、色々考えちゃって。御使いに会ったらどうしようかと思って。ツォハルに強く言った時は、私きっと死ぬんだわと思って、投げやりだった。契約を破棄しろって、アイちゃんも、私も、生きていける選択肢だったんだわって、今気付いたのよ。別に契約しなくたって、外で一緒に歩けないけれど、アイちゃんのおうちでは、姿を隠す術を使う必要もないし、アイちゃんは強い悪魔や、御使いと契約できるわ」

 どきり。とした。二人とも生きていく選択肢、なんて、考えやしなかった。あたしたち二人ならなんでもできるって、シヅルとツォハル、それからアキラに会うまで思ってた。コンスタンティアは悪魔だから、人間より強い。あたしは悪魔に選ばれた特別な存在だから、なんでもできるって、そう思ってた。

 二人で跳ねまわったアスファルトの足の感触を思い出す。硬くて、夜だったから冷たくて、遠くまで足音が響いていく。月は大きくて丸くて、街路灯の光を浴びてコンスタンティアはきらきら輝いていた。

 コンスタンティアの、そばに立つ。まわりには買い物の家族連れたち。

「すこし、しゃがんで。コンスタンティア」

 あたしの小さな体では、コンスタンティアに届かない。スーパーのつるつるした床に座り込んだコンスタンティアは、不安そうにあたしの顔を見上げた。

「契約を破棄するのね。それが、いいと思うわ。そしたら、私はアイちゃんのおうちに戻っているわね」

 氷の涙が流れるのが見える。コンスタンティアの気持ちだって、わかってるつもり。緑の髪をなでて、なみだを人差し指でぬぐうと、雪を触っているみたいに冷たかった。

「しないよ。絶対。あたしには、おまえが必要だ。そばにいてくれ。あたしのそばに、ずっといてくれ。おまえ以外にいないんだ」

 本心だった。心が移り変わっていく。最初は、邪魔なら破棄しようと思っていたのに。毎日そばで暮らすと、どんどんこの緑の女を、名前で呼んでみたくなったり、触ってみたくなったりする。

「アイちゃん……」

「あたしが、死ぬまでそばにいてくれ」

「わかったわ。私も、私が死ぬまでそばにいてね。アイちゃん、大好きよ。愛してる。私ってとっても幸せな悪魔だわ……」

 なんて表現すればいいのかわからない、胸の中でたくさんの感情が暴れているようなものが、だんだん落ち着いていくようだった。

「あたしは、まだ子供かな?」

 コンスタンティアに問うと、まだ少し涙を流しながら言う。

「ふふ、そうね。子供ね」

「ならやめておく。でも、気持ちはおまえに伝わっただろ?」

「ええ……、もう、これ以上ないくらいよ。ありがとう、大好きよ……」

 スーパーのバックミュージックに掻き消される、小さな、二人だけの会話。カートに乗せたカゴには、コンスタンティアの選んだ飴が入っている。あたしは子供だけど、少し、大人に近づいた。そんな気がした。子供からやり直して、大人になることのやるせなさを、悲しいだけだと思わない。

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