アイちゃんとバニラアイスクリーム
また、少し後ろを歩くシヅル。コンスタンティアは、あたしの隣で手を組んだ。背中をシヅルに、ツォハルに見せて、まるで挑発しているみたいだった。それでもツォハルは、そもそもそこにいないのか、何の反応も示さないし、気配ですら感じられない。
古い街路灯はちかちかと、あたしたちの足元を照らしている。
そのうち、そう、五分ほど歩いたところにコンビニがあった。この辺りではそこそこの大きな通りで、深泥池周辺に住む人間はこのコンビニを頼りに生きていると言ってもいいくらいなので、田舎にあるわりには繁盛している。
小さな駐車場には、いくつか車が止まっていた。軽トラック。それを流して見ていく、なにもかも珍しいみたいに、シヅルは辺りを見回しながら。
「東京育ちには、ちょっと寂しすぎるところかもね」
と、声をかけた。東京、あたしは行ったことがない。クラスメイトたちはこぞって行きたがるまち。シヅルは、苦笑いする。
「うるさい、ところですよ。少なくとも僕は、こちらのほうが落ち着きます」
「ふうん。そっか。で、さ。あたしのこと、同い年なんだし、そんなかしこまった話し方しなくていいよ」
この、話し方もシヅルの辛い人生で負った傷であることに違いなかったから。これから、この地で、あたしはコンスタンティアといっしょに子供になっていく。シヅルにはツォハルがいるし、ツォハルといっしょに子供になっていけばいい。シヅルは、はっとして、あたしの顔をじっと、見つめた。
「そ、そっか。そうです、よ。ね。慣れないかもしれないけど、でも、僕もそうなりたいから、頑張ってみるよ……」
「うん。いい調子。ね、アイス食べたことある?」
店の自動ドアを開けてすぐ左側に、アイスクリームの冷蔵庫に手を貼り付ける。
「昔、何度か食べたことがあったかも。おじいちゃんがくれたんだったかな?」
「そっか、そうだよね」
色とりどりのパッケージ。アイスクリームを、ほとんど食べられなかったあたしたち。いろんな味、いろんな種類がある。あたしたちの人生は、同じだった。もう、アイスクリームを選ぶことができる。
コンスタンティアもあたしの隣で、笑顔を浮かべている。
「ねえ、アイちゃん。私も何か欲しいな」
と、言ったって、コンスタンティアはものは食べられない。食べたものは腹に開いた大きな穴に落ちてきてしまう。何がいいだろう。
「シヅル、ゆっくり選んでていいよ。ツォハルは何か言ってた?」
あたしの言葉に、冷蔵庫にはりついていたシヅルは飛び上がった。
「ああ! ごめん。びっくりするよね」
「ううん、大丈夫。ツォハルは、なにもいらないと思うよ。あんまり、こう、人間のものに興味がないみたい」
「そうなんだ。じゃ、あたし、ちょっと他見てるから」
頷くシヅル。ツォハルは、コンスタンティアより、やっぱり違う。コンスタンティアは絵や小説や食べ物や音楽に興味津々だし、大好きだけれど、ツォハルはそうでもないんだ。ツォハル、って、自分のことを概念だと言ったけれど、そもそも概念ってなんなんだろう……。
考えながら、店内をコンスタンティアと一緒にうろつく。
「どんなのがいいんだ?」
怪しまれないように、小声で、しゃがんでお菓子が並ぶ棚を見ていたそっとコンスタンティアの耳にささやく。
「あ、やめて、アイちゃん。こんな所で」
「こんな所で、って……」
「ああっ、ごめんなさいね。ふふ……」
なんとなく、コンスタンティアの頬が赤くなっているように感じられた。
「そうね。甘いものがいいんだけれど……」
思い出のクッキー、甘いチョコレート。パッケージを見て悲しそうにする。
「こういうものは、だめよ。食べてみたいけれど、お腹をシャワーするとき悲しくなるから」
「じゃ、飴とか?」
「甘いものはあるかしら?」
「たくさんあるよ、フルーツのやつとか、これはいちごミルクで、ソーダとかコーラのやつもある」
コンスタンティアはチョコレートから飴のほうに目を向けた。飴なら、腹に落ちてきたとしてもチョコレートやクッキーよりは汚らしくないだろう。
「口の中で溶けるから、コンスタンティア、おまえでも食べられると思う」
「本当! 嬉しいわ、ありがとう、アイちゃん。じゃあね、私、このピンクのが可愛らしくて気に入ったわ」
そうして指差したのは、さっきあたしが言ったいちごミルク。これならきっとコンスタンティアも気にいるだろう。それを手に取り、シヅルのほうに戻っていく。
「どう、シヅル。決まった?」
今度はそっと、横から話しかけた。シヅルはさっきとは違って、あたしを見て微笑む。
「うん、その、バニラのやつにしようかと思って。おじいちゃんが買ってくれたやつが、まだ売ってるんだね」
十年前。バニラのカップアイス。長年人に愛されているから、まだ売られているもの。なんだか、皮肉な気がする。あたしたちは、十年だって愛されなかったのに。あたしが一人で食べるのには少し大きいけれど、コンスタンティアは食べられるだろうか。
「じゃあ、あたしも、それにする。とってくれない?」
そうすると、たどたどしい手つきで冷蔵庫を開けて、アイスを二つ手に取ったシヅル。レジまで持って行って、店員さんにアイスと、いちごミルクを差し出す。
田舎なものだし、あたしもよくこのコンビニに来るので、店員さんともちょっとした知り合いだった。あたしは友達が、この世にはいないし、来たとしてもおじいちゃんと一緒だから。
「アイちゃん、友達? もしかして、彼氏? 見ない顔だね」
若い、ちょっと芋っぽい女の店員。名札がついているけど、あたしは名前を覚えていない。覚えなくていいと思っているから。
「いとこ。引っ越してきたから。案内してる」
「ふうん、そう……」
口を動かしながら、レジを通してシヅルがお金を払い、アイスと飴の入った袋を受け取った。なんだかさっきの店員のせいで気分が悪くなったので、そそくさと店を出る。冷たい、気持ちのいい風。
「アイさん……」
あたしを追いかけてきたシヅル。申し訳ない、というような顔。
「違うよ。シヅル。シヅルは何も悪くないよ」
「その、でも、……」
「あの人が悪いの。店員と客の関係で友達とか彼氏とか、聞いてくるのってうっとうしい。気持ち悪いね。こちらこそ、ごめんね。いきなりさっさと出たりして」
「ううん。それは、大丈夫。びっくりは、したけど。あの、その、僕ら、友達になれるよね……?」
ああ、そうだ、そうだった。シヅルが気にしていたのはそこだったんだ。あたしったら、ほんとダメだ。俯くシヅルに、笑顔をつくる。
「当たり前だよ。さっきのは、あの人が嫌いだから嘘ついたの。なれるじゃなくて、今日から友達。困ったことがあったら、言ってよ。あたしにできることがあったら、助けるし。それに、シヅルにはツォハルもついてる。不安だろうけど、うまくやれるよ」
あたしらしくない言葉が、自然にどんどんでてくるのは、シヅルとあたしが同じだからだろう。同じ種類の人間だから、わかりあえるから。
「アイさん、ありがとう……」
「呼び捨てでいいよ。友達でしょ」
「え、でも、なんだか、恥ずかしいよ……」
コンビニの袋をぶらつかせながら。コンスタンティアはあたしたちの会話を嬉しそうに隣で聞いていた。あたしがちいさな子供から人間をやり直すのに、必要だったこと。友達をつくること。コンスタンティアは母親みたいに、あたしの横にそっとついて、あたしとシヅルの声に耳を傾ける。
「そう? あたしは呼び捨てだったけど。まあ、無理に呼び捨てしろとは言わないから」
「う、ん。わかったよ。その、僕らまだ出会ったばかりみたいなものだから。僕が慣れたら、そうやって呼べると思う」
「そっか。じゃあ、その日を楽しみにしてる。明日は暇?」
「ええっと、荷物の整理をしなくちゃいけないんだ。でも、あまり僕の荷物ってないし、ほとんどおじいちゃんがこっちに来る前にやってくれたんだよ。だから、お昼からなら暇だと思うよ」
ちょうど、明日は土曜日だった。いつもはコンスタンティアと二人で過ごす休みの日。
「じゃあ、あたしのうちでお昼食べない? あたし、一人長いから料理得意だよ」
「え、いいの?」
ああ、まるで友達、古い友達みたい。気持ちが落ち着く。シヅルもそう感じているのか、最初におじいちゃんの家で話した時よりだいぶ声も大きく、はっきりしゃべるようになってきた。硬く閉じた蛹を、ゆっくりゆっくり開いていくような。
「よくなかったら、言わないから。リクエストきくよ。何食べたい?」
「うん、そっか。そうだよね。えっと、じゃあ、僕、ハンバーグが食べたいな」
照れているのか、シヅルの視線はまた足元だけど、それは嫌な雰囲気を感じさせない。柔らかそうな黒髪が、歩くたびにゆらゆら揺れる。
「得意だよ。ハンバーグ。作るね。楽しみにしてて。お昼になって、ご飯できたらおじいちゃんの家に、電話かけるから」
「わかったよ。ありがとう、アイさん……」
踏みしめるアスファルト、二人分の足音が響く。必死に街路灯に食らいついている蛾のことを笑ったことがあるけど、いまのあたしたちって、それと同じみたいだ。
それでもいい、なんでもいい。今度こそ友人を救いたいから。胸の中にはまだ、アザミがいる。あたしの過去にいる少女。アザミにしてあげられなかったこと、してあげたかったことをシヅルに。
あたしの罪であるあの美しい少女は、いつまでだって、あたしの中から消えないだろう。胸に刺さって、抜けないんだ。
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