アイちゃんと贖罪の猟犬
リムジンの中はずっと沈黙が流れていて、あたしのアパートの前にきっちり止まってぞっとした。遊びたい、遊びたいけど、あたしにのしかかった命の責任、アザミと、ヒーローの服を着た男の子。聞かなければいけない話があるのなら。
「荷物、おろして戻ってくる。シヅルはおじいちゃんとこに帰して」
ぱち、と目を開けたアキラは、その言葉を待っていたかのようだった。
「そうか。じゃあオレが……」
と、アキラが荷物をシヅルから受け取ろうとしたけれど、シヅルはぎゅっと握って、そのまま車を降りた。
「僕らが買ったものなので。僕らがやります。僕も話を聞くべきでしょうけど……」
「そうか。悪かった。シヅルには後で話そう。まずこの地でもう少しゆっくりしたほうがいい、さぞ、東京で疲れたろうから」
「そ、そうですね……」
シヅルといっしょにリムジンを降りて、アパートの鍵を開ける。そして玄関に荷物を置いた。いまから遊ぶはずだったけど、今日は土曜日だから。
「シヅル。明日、またうちおいでよ。一回寝て、気分すっきりさせたほうがいいって、こんな気分じゃ、やっぱり遊べない」
シヅルも頷く。
「そうだよね。僕もツォハルと一緒に考えてみる。きっとツォハルは賢いから何かいいアドバイスをくれると思うし」
アパートの鍵を閉める。白いおもちゃ屋の袋。
「じゃ、携帯持ってるでしょ? 番号交換しとこ。あたしの番号はこれだから……」
鞄からお出かけセットのひとつ、メモ帳とペンを取り出して、サラサラっとあたしの電話番号を渡す。
「夜くらいに、一回かけてきて」
「わかった、ありがと」
そのメモをポケットに入れ、リムジンに戻った。リムジンはおじいちゃんの家に止まってシヅルを下ろしたあと、また五分ほど走って止まる。うちの家からは遠くない、後ろに山が見える大きな、日本の屋敷。まるで武家屋敷の、ような。ずっと右の方には『灰淵剣道場』とあって、そちらにも大きな建て物が見える。
アキラが降りて、あたしも降りた。リムジンは敷地内へ入っていく。
「今うちの両親は道場で、夜までそっちだ。だから、緊張しなくていい」
「そ、そ、そう……」
おじいちゃんのうちよりは、玄関は小さい。橘がこの地を守り、灰淵は狂った橘を殺し、揉消す。
玄関に入ると、お手伝いさんなのか、妙齢の女性がおじぎをした。
「アキラ坊っちゃま、おかえりなさいませ」
「ああ。ありがとう。オレの部屋に飲みものとなんか、甘いものでも、二人分持ってきてくれるか」
「かしこまりました」
またおじぎをして、その女性は去っていく。……アキラ坊っちゃま。お手伝いさんなら洗濯物だってするだろうし、アキラの性別がなんなのか、わかってると思うけれど。
アキラは靴を脱いで並べ、あたしにこっちへと手招きした。急いであたしも靴を脱いで、人様のお家なので綺麗に並べておじゃましますも言ってアキラについていく。
ずっとずっと廊下が続いていて、中から庭が見えていた。日本庭園。鯉の跳ねる音。水。その奥に襖があって、そこを開くアキラ。アキラの部屋には勉強机はなく、座卓と赤い座布団が並んでいて、押入れからもう一つ座布団を引っ張りだし、向かい側に置いた。
座卓にはペン立てやライト、参考書とノートが積まれていて、それを横にどかす。
「座んな」
アキラはあぐらをかき、あたしは正座した。その時、襖の奥から声がする。さっきの妙齢の女性だ。
「アキラ坊っちゃま、よろしいですか?」
「ああ、持ってきてくれたんだろ。入ってくれ」
襖が開き、お盆の上にお茶と羊羹。おじぎをしてそれを座卓に置き、またおじぎをして帰っていく。
女性の足音が遠くなると、アキラはお茶を一口飲み、ふうっと息を吐いた。
「さて、どこから話したもんかな。どうやら橘は何にも知らないようだし、ま、オレのおさらいも兼ねて、最初から話すとするか」
そう言ったアキラは押入れから古いノート、色あせたノートを取り出して開いた。ノートの題名には、『大和』と書いてある。
「オレのうちではまず、歴史の勉強をさせられるんだ。これはオレの兄貴のノートさ。オレの勉強に大変参考になった」
丁寧な字、読みやすいように行間も空けて、赤いペンで深泥池について、と見出しがある。
「よし。そうだな、深泥池は実に古い池だ。氷河期からあるもんでな。あそこの動植物はみーんな、天然記念物扱い。この地に人が住み始めるんだが、おまえのご先祖に死の匂いを……、そうだな、シヅルやお前と同じくらい強烈なのを持つ人間が産まれ、その人間はその力を使って、戦争なんかからこの地を守った。悪霊がいるとかいう話もあって、実際にいくつも深泥池で水死体が見つかっていたそうだ。しかし、橘が現れてからは、それはなくなったし、疫病もはやることはなかった。平和だった、んだ。だから橘家はまつられ、神としてこの地を守っていくことになったんだ。しかしいつからか、悪魔や天使に精神をやられて狂う橘の血筋の人間がで始めた。夜な夜な出歩いては、刀を持って住人を殺すんだ。そして橘に仕えていた灰淵家は、強大な……狐、とまじわり、橘の精神を喰らう悪魔を見て、殺す力を得た」
そのアキラの話に思わずか、コンスタンティアが現れる。
「その、強大な悪魔、って……」
「や、お狐さん。そうさ、そいつはサタナエルとか言った。悪の象徴で、偉大で、強く、邪悪なもの」
アキラの目が赤く光る。コンスタンティアは怯えた。悪魔の王様、については、コンスタンティアは良い印象を持っていたようだけれど。
「な、なんてこと。サタナエルは悪魔じゃない、堕天使よ。それも本当に邪悪なの。昔、砂漠の地で天使と人間が交わったことがあったと聞いたわ。その時に生まれたものはネフィリムという化け物で、全てを食らい、共食いして、死んでいったのよ。だから、王様はあたしから子宮を持って行ったの。繰り返してはならない、って」
その言葉にふっと笑ったアキラ。
「じゃあ、今のオレは人間でも悪魔でもなく、そのネフィリムってやつか」
「そ、それとはまた違うけれど……。でも、どれと言われるのなら……」
深泥池にいれば平気。深泥池にいれば、あたしとアキラがいても大丈夫。ということは、深泥池をいま守っているのは……。
「あたしのおじいちゃんも、コンスタンティアやツォハルみたいに何かがいる?」
アキラは頷く。
「ああ、そうだ。だが、もう歳だろう。二人いた娘はそのしきたりを嫌って深泥池を出た。そして、狂った。お前の母親も、シヅルの母親も、だ。全ての邪悪から守る神聖な力さ。そこから死の匂いを持って出たら当然そうなる。が、じいさんの力も弱まり始めて、自殺者がちらほら出ている」
「じゃあ、あたしかシヅルが、おじいちゃんを継がなきゃいけない」
「そうなるな。じきに、じいさんから話が来るだろう」
全ての邪悪から守る神聖な力。あたしとコンスタンティアがやるとするなら、それはコンスタンティアに可能なのだろうか。シヅルとツォハルならできそうだけれど、でも、あたしの背中にはいくつもの命がある。シヅルに押し付けたくない、あたしがやらなくてはいけない。でもそのためには、きっとコンスタンティアと別れなければいけない……。
「これは、言わないほうがいいかもしれないが、どうしてもオレが伝えておきたいので、言うことだ」
アキラは話を変えた。少し暗い表情になって、ノートをとじ、名前を指でなぞる。
「オレには兄貴がいたと、さっき言ったろ。ヤマト、って言う兄貴がいた。灰淵は悪魔の血を維持するために、何世代かごとに近親相姦する決まりでな、ま、世間的に悪いんで結婚は普通の人間とする。オレは母親とは血は繋がっていない。オレと兄貴を産んだのは、オレの親父の妹だ。悪魔の血もあってか、もともと灰淵ってのは寿命が短くて今の医療をフルに使っても六十も生きれりゃ大したもんだ。が、近親相姦、それも兄と妹ならだいたい、まあ、今までの記録からして、三十くらいか。寿命は」
兄貴が居た。寿命を極端に縮める悪魔の血。
「兄貴は死んだ。二十四で死んだ。お前と、シヅルの母親の悪魔を殺して死んだ。立派だった。オレは兄貴を誇りに思っている。悪魔の血に身体が支配されて、身体中がまるで呪いみたいに黒く染まって、黒い燃えかすみたいに、燃え尽きるように死ぬんだ。そして、オレもな」
ノートに挟んであった、写真を見せてきた。そこには真っ黒な骨がうつっている。古いものだった。これはアキラの兄の、ヤマトではない。
「悪魔の血を身に流すってことは、こういうことなのさ。人のいのちをじわじわ喰らい尽くして、それが終われば、こうなる」
「橘に悪魔の血を流したら、どうなる?」
純粋な疑問だった。アキラは腕を組んで。
「まあ、大丈夫なんじゃないか。と、いうか、だからこそ死の匂いをまとわせているんだよ。アイとシヅルが交わったらどんな子が産まれるのか……」
「人のことをそんな、犬とか猫の品種改良みたいに言わないでよ!」
思わず放った言葉に、アキラは苦い顔をする。アキラも、兄のヤマトもその、品種改良の末に生まれた人間なのに。しかし嫌味を言うこともなく、アキラの顔は、いつも挑発的な表情をしているのに、暗くなる。大和、の文字をまた見つめる。
「どうして、橘にこんな話をしたくなるのかわからないし、なぜかと言われたら死の匂いの関係なんだろうが。オレは小さい頃から自分の性別に疑問を持っていたんだ。遊ぶのは兄貴とばかりだったし、兄貴が好きだったし、兄貴に近づきたいという気持ちもあったしな。だから、兄貴が灰淵を継いで、オレは学校を卒業したら、男になる手術を受けるつもりだった。それをずっと目標にして、生きてきたのさ。どうせ短い寿命だ、好きな性別で生きることに両親は賛成してくれた」
しかし、アキラの兄はもういない。
「だが、兄貴に子供がなかなかできなくてな。そのまま死んだ。だから灰淵を継ぐのはオレで、しかも、後継ぎを産まなきゃならねえ。女として。そうしたら、オレは男になって、好きな女性と暮らしていいらしい。検査をしたら、オレは、ちゃんと子が産める身体だった」
あたしは震えた。なんて、なんて、恐ろしいことなのだろう。アキラは男だ。本人がそう主張している。ただ、子が産める男だ。それがとても辛くて悲しくて酷いことだということが、じわじわとあたしを痛めつける。あたしの母親たちが深泥池を離れなければ、ヤマトは死ななかったかもしれない。アキラに対して、嫌な気持ちしか抱いたことがなかったけれど。思わず、ノートの文字を触れるアキラに、あたしは手を触れた。
「ごめんなさい、アキラ。あたしの家のせいで、本当に辛い思いを……」
「はは。アイとシヅルのほうが、辛いだろ。一回子を産めば、オレは男になれるんだ。少し予定が延びただけさ」
この話はやめようとばかりに、アキラはノートをどけた。そしてあたしは前々から抱いていた疑問をぶつけてみる。
「……シヅルに何があったか知ってるの?」
「もちろんさ。橘家をずっと監視しているし、警察と連携をとって全て知っている。シヅルはひどい、本当にひどかった。アイもひどかった。あいつは、髪を伸ばしていたろ。それに、まあまあの顔立ちだ」
「そうだけど……」
「シヅルはな、両性なんだ。しかも、完璧な。どちらでもあり、どちらでもない。そんな子供は、物好きによおく、売れるのさ。シヅルは両親に売られていた」
思考が一瞬固まるのを感じた。男の子にみえる、けれど、でも、それでも、……、服の下は……。
「御使いや、たとえば神様には、両性であったり、男神であるのに子を産むものがいる。まるで、シヅルは、神でないかと、そう思うことがある。そして最初にこの地を守った橘の人間も、男とも女とも子を持てる人間であったらしい」
両性のシヅル。どちらなのかわからないツォハル。でもどちらも、仕草や言葉遣いは男だ。あたしは自分のことではなく、アキラの運命と、そしてシヅルの過去に、思わず頬を濡らす。コンスタンティアも肩を震わせていた。なんて、なんて酷い血。そしてこの深泥池は、酷い地なのだろう。
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