アイちゃんと吊られた男

 おじいちゃんに呼ばれて、おじいちゃんの家、いわゆる橘家の本家にやってきていた。アパートからは歩いて十分くらいだし、あたしも困った時におじいちゃんを訪ねるので、おじいちゃんの家に行くのは特別なことではない。

 ただ、あたしのお母さんのお姉さん、の子供、いわゆるいとこが、おじいちゃんの家に来ているとのことだった。あたしは幼い頃に会ったことがあるくらいで、名前さえおぼろげだ。たしか、名前はシヅルと言った。おとなしそうな男の子で、座布団に礼儀正しくちょこんと正座していた姿しか覚えていない。確か今は東京で暮らしていたはずだけれど。

 大きな屋敷は、以前アキラが言っていた、橘の家がこの地を守っていたという話を思い出させる。そこまで考えたことがなかった、ただ単に、おじいちゃんがお金持ちなんだと思っていた。

 家の中、真ん中にある居間として使っている部屋。畳がしいてあって、広い。その真ん中に、広い畳とは大きさの合わないこじんまりとしたちゃぶ台が置いてあって、あたしのぶんの座布団がある。おじいちゃんが座って、そして、あたしのいとこであろう、黒髪を何故か女の子のように伸ばした子が居た。目を伏せて、あたしのことを警戒しているようだった。

 テレビがついていて、ちょうど七時なのでニュースが終わってバラエティになっていくころだ。ちゃぶ台の真ん中には、明かりでてらてら光る、大きなネタの乗ったお寿司がぎゅうぎゅうに詰まった桶がある。

「アイ。よお、きた。シヅルに会うのは何年ぶりか、確か、五才の時だったかな。あの時は珍しくここで集まりをしたから、一族が集まったんだ、覚えてないだろうが……」

 おじいちゃんの言うとおり、あたしはおぼろげにしか覚えてない。そして、この女の子みたいな子は、やっぱりシヅルだった。あたしは座るように言われて、そのまま座布団に座る。シヅルは、少しあたしのほうを見た。

「シヅル。久しぶり。あたしのこと覚えてる?」

 シヅルは、ゆっくりと、首をまっすぐにして、あたしの顔を見た。そして、あたしもシヅルの顔を見た。白い、青白い顔。優しそうで、か弱い印象を持つ。目は男の子にしてはくりくりとして、髪もセミロングくらいまで伸びているからか、可愛らしい、と思った。シヅルはゆっくりと話し始める。

「う、ん。覚えてるよ。アイさんだね。同じ年だから、隣に座らせられていたよね。すごく、変わったんだね。こんな風に変わるとは思わなかったよ」

 五才から、もう十年は経つんだもの。あたしは金髪に染めているし、シヅルはなぜだか女の子みたいだ。男だけれど、女の子の格好をする人がいることは知っている。でも、シヅルの格好は黒いパーカーにジーンズで、男の物だし、なぜか髪だけを伸ばしている。単に伸ばしてみたかった、だけなのか。

「今日からシヅルは、おじいちゃんの家で暮らすことになった。アイ、シヅルは不安だろうし、気にかけてやってくれれば嬉しいんだが」

 シヅルの雰囲気から、いろいろと、察した。東京から、こんな田舎まできて。これって前のあたしと同じ状況じゃないか。不安そうにあたしを見る、シヅル。たくさんのものを大人に奪われてきた。今ここで、あたしと同じように自分の人生をやっと始めようとしている。

「うん。いいよ。あたしのアパート、近いし、遊びに来てもいいよ。古いけどゲームもあるし、漫画とか、本とか、いろいろあるから。それだけやりに来てもいいよ。あたしも、シヅルと同じような感じだからさ……」

 そう言うと、シヅルはびくりと肩を跳ねさせた。

「同じ……?」

「詳しくはさ、シヅルも嫌だろうし、話さないけど。きっとあたし、シヅルの気持ちわかると思うよ。だから、話したいことがあったらいつでもうちに来てよ」

 ぼろぼろの心、そしてぼろぼろの体が、服の下からも感じられる。シヅルが薄く笑ったのが見えた。よかった。

「ありがとう……。アイさんは、とても、優しいね」

 隣に居たコンスタンティアも、嬉しそうに笑っている。

「良かったわ、アイちゃん。友達ができそうね。仲良くなって、たくさん遊べればいいわね。シヅルくんも、可愛い子ね」

 おじいちゃんも、あたしたちのやりとりに安心したようで、お寿司を食べなさいと言う。シヅルと、あたしのためのごちそう。おじいちゃんが缶ジュースを持ってくる。あたしはいつも飲むから、いくつかがおじいちゃんの家の冷蔵庫にいつも入れてある。

「シヅル、コーラは飲めるか」

「大丈夫です」

 そうすると、おじいちゃんはコーラと、缶ビールを持って戻ってきた。それぞれに渡して、あたしとおじいちゃんは缶を開ける。遅れて、シヅルがよたよたとした手つきで缶を開けた。乾杯をするために缶を持ち上げるのも、シヅルは慌てて合わせる。あたしは、わかってしまった。シヅルはわからないんだ。乾杯することがわからないんだ。コツンと、缶どうしをぶつけるとおじいちゃんが嬉しそうにするので、シヅルもそれに合わせて無理やりだろう、笑顔を作った。

「じゃあ、手をあわせて、いただきますだ」

 三人で手をあわせ、いただきますのアンサンブル。

 おじいちゃんがお箸を伸ばし、あたしがそれに続く。シヅルは、それを見ている。

「食べないの?」

 声をかけると、シヅルはお箸を泳がせた。

「えっと、どれを、僕が食べていいのかと思って」

 その言葉を聞いて、おじいちゃんはシヅルの背中をさすった。

「どれでも、好きなものを食べていい。明日からはシヅルの好きなものを用意してやるから。おじいちゃん、これでも料理はよくしたからな。何にも、もう、怖がることないんだ」

 シヅルの頬に涙が流れる。きっと辛かった。あたしと同じくらい、それ以上かも、よく生きてここまで逃げてこられたな。シヅルは、強い人間なんだ。アザミと同じように、人の力を借りることはあっても、自分の力で今の周りを取り巻く環境から逃げ出す力がある。

 コンスタンティアも心配したのか、シヅルの横に座って、きっとシヅルは感じられないだろうけど、おじいちゃんとおなじように背中をさする。あたしもそうしたいくらい、シヅルの様子を見ていて、昔の自分を思い出して胸に刺さるんだ。

 そうすると、ぴく、と、シヅルはコンスタンティアのほうを見た。

「え、いま、何か……」

 コンスタンティアもシヅルから飛び退き、あたしの後ろに隠れるようにした。

「アイちゃん。怖いわ。あの子、怖いわ。触ったら、体がぞわぞわしたの」

 え、それって、アキラとおなじようなこと? シヅルも悪魔を……、目視することはできなくとも、感じることができる。……いや、シヅルはあたしのいとこなのだから、橘の血筋なんだ。悪狐に好かれる体質。でも、コンスタンティアがこんなに怯えている。

 おじいちゃんが、何もない空間を見ているシヅルに、声をかけた。

「白狐さまも、シヅルを慰めてくれてるのかもしれないな」

「白狐さま?」

 あたしが尋ねると、おじいちゃんは少し考えて。

「アイにも、いるだろう。幸せを運んでくる狐さまでね、この地に昔からおられる。白狐さまに憑かれると、病気の治りが早くなったり、心が安らいだりする。アイが良くなったのも、白狐さまのおかげだよ」

 ……あたしの白狐さま。コンスタンティアは、悪い狐。あたしの見えないところで見ている、また別の何かがいるの?

 でも、あたしの話を聞いて、あたしを元気にさせてくれたのはコンスタンティアだ。ぞわぞわする。コンスタンティアが白狐さまなら、アキラはコンスタンティアを追い払うとか、あたしごと殺すとか、そんなことはしなくていいはずなのに。

「アイちゃん、怖いわ、怖いの。何かがいるわ。わからないの。でも、私の命を狙う何かがここから見ているのよ。アイちゃん、助けて、怖いわ」

 あたしは少しお花を摘むわと座布団を立って、廊下に出た。

「怖いって、何が?」

「わからないのよ、私の存在自体を否定するようなものだったわ。シヅルくん、シヅルくんに触れた瞬間だった。シヅルくんはなにもしてなかったわ」

 シヅルにも、何かが憑いている。それはコンスタンティアの敵のようなもの? 悪魔を否定するもの。だとするならば……。

「コンスタンティア、家に帰って、ゆっくり休め。あたしはシヅルの様子を見たいから」

「わかったわ。ごめんなさい、そばにいたいのに、ごめんなさい……」

 そうして、コンスタンティアは光の粒になって消えていく。わざとトイレに入って水を流した後、笑って居間に戻ってきた。シヅルの背後には、なにもいない。あたしには見えない。あたしの白狐さまと、シヅルの白狐さま。あたしたちの知るべきではない場所の、敵意を向けられていた。

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