アイちゃんとあたたかいデューベイ
暑苦しくて眠れない夜、そうでない寒い夜でも、常に人恋しい。受けられるはずだったあたりまえの愛情を求めて、一人ではとても耐えられないから。一人用のベッドに無理やり押し込むみたいに、コンスタンティアとあたしは羽布団にもぐりこむ。夏は冷たいし、冬は暖かい。表面的なものも、精神が交わることも。オレンジ色の照明と、ベッドの近くに置いたランプの明かりでお互いに顔を見合って、ドライヤーで乾かしきれなかった、少し濡れた髪に触れられる。
寂しいのはあたしだけじゃない。コンスタンティアだって、あたしと違う、全く想像できない環境で暮らし、そして傷つき、疲弊した。あたしの寂しさは所詮子供のものだけれど、コンスタンティアの寂しさはきっと、大人のものなのだろうと思う。コンスタンティアはそんな素振りをしない、ように、つとめているのだろうけれど、あたしはただの子供ではないから。寂しさは一人では埋められない。
コンスタンティアは、あたしに強くは触れられない。呪いをかけられたという赤い爪は、人を傷つけてその赤をもっと赤く黒くする。あたしは死体をいくつも見た。死体や、死体のようになったもの。コンスタンティアの手によって引き起こされたものもあるし、そうでもないものもたくさんある。人だったり、動物だったり、虫だったりする。あたしの周りで、命は消えていく。あたしは、死に生かされている。
触れようと思えば、コンスタンティアは、あたしに触れることはできるのだ。この身体を串刺しにするように、腹に詰まったものを引きずり出すように、コンスタンティアはそうすることはできる。あたしは弱い。異界の怪物よりも、ずっと。骨だって細くて、きっと小枝みたいに折ってしまえるのだろう。柔らかい皮膚に爪をめりこませることも。コンスタンティアは、あたしのことをいろんな目で見ていることは知っている。時々は母のように、姉のように、恋人のように、そしてあたしの生まれたままの姿を見て、唾を飲むこともある。
それは、なんと、苦しいことなんだろう。今の時間だって、コンスタンティアはあたしをうっとりした、愛しい人へ向けるで見る。激しく愛してやれるのは、人と人とだけ。映画で男女の激しく、獣のような交わりを見る。口で噛み付いて、相手の身体がどうなろうと気にしない、いや、弱い人間の力じゃあ、交わるだけではなかなか傷つけ合えはしない。おとなの、男女の交わりなら。
あたしはコンスタンティアに対して、そんな気持ちを持ったことはない。ただ大切で、かけがえのない、居なくては不安になる。悲しいときに支えになってくれる。コンスタンティアが求めるものがはっきりしているなら、あたしの責任として、答えてやらねばならないだろうか。
コンスタンティアの左胸に、ちょうど、この間、あたしがコンスタンティアにさせたように触れた。人の手は小さく、あなたを十分に包み込むことはできない。手のひらを押し付けると、確かに、何かの臓器がどくどく打っているのがわかった。そして、触れていくにつれて早まっていく。
「あ、アイちゃん、どうしたの、急に。らしくないわ……」
獣のような毛皮で、胸は覆われている。ただ触ると何かを感じるらしく、たまにピクリと大きな身体を震わせた。その間にぐいと顔を押し付けて、首に手を回す。こんなことをしても、コンスタンティアは、死の恐怖など感じないのだろう。柔らかい身体も、その奥にある硬い骨も、あたしの手じゃ欠片だって死を匂わせることはできない。
「アイちゃん、やめて。私なんかにこんなことしてはいけないわ。私はアイちゃんに幸せになってほしいのよ。よくないわ、こんな、汚らしいこと……」
「汚らしい?」
「そうよ。私にそういう触れ方をすべきじゃないわ」
「じゃあ誰にすればいい?」
「私以外の誰か、いつか好きになる人のためにとっておくものよ」
そう言われて、仕方なく、コンスタンティアから手を引いた。ほっとするような、寂しいような、不安な表情を照明がてらす。
「コンスタンティア、おまえは、あたしのことどうしたい?」.
「……言わせるの?」.
「今更隠す事でもあるのか?」
あたしの手を握る。コンスタンティアは大きく息を吸う。
「大好きよ。すごく、好きなの。どうしてなのかわからないわ。最初は可哀想だって思った。あなたはか弱いし、人間で、女の子なの。それにとっても可愛らしいわ。これから、きっと素敵なひとが現れるわよ。でもあたしが触れることで、あなたの体にわたしがひどい傷をつけてしまうのが怖いの。ほんとは、ほんとはもっと酷く触れたいのよ。触れられたとしても、許してもらえるのなら、だけれど」
「だから、あたしが触れようとした。コンスタンティア、おまえの気持ちは知っていたから、少しでも答えてやりたかった」
「ああ、ああ、嬉しいわ。それにさっきだって、止めなきゃって必死だったの。私はこんな、可愛らしい子になんてことをさせたんだろうって罪悪感だって……」
緑の冷たい頬に、そっと唇を当てた。当てるだけだ。コンスタンティアがあの人に持った感情は、きっとこんな感情なのだろう。横顔を見ていたら、愛おしくてたまらなくなる。
「あたしはもう小さな子供じゃない、生理だってきてる」
「子供が産めるなら大人なんて、言わないのよ」
「でも小さくはない。殺してもいいなんて、映画みたいな薄っぺらいこと言わない。どうしても、殺してしまうだろ」
記憶の中を巡ると現れるのはいつも死体だった。コンスタンティアが悪いのではない。人間が、あまりに弱すぎるから。人間はうんざりだって思い知った。自分のことか、他人を貶めることばかりのたんぱく質と悪意を練り固めたもの。今日の夜だってそれが増えていくことにおぞましさを覚える。
「あたしが悪魔になれれば、おまえに答えらるか?」
「だめよ!」
さっきとは違う、強い言葉で。
「そうしたら私、本当にあなたを殺してしまう。だから今のままでいて、今の距離でいましょう。アイちゃん……。私が勝手に好きでいるだけで、アイちゃんはそれに、縛られることはないし、アイちゃんに愛する人ができたとき、私はたくさんの想いを捨てて友人になるわ」
優しいてつきで、暖かい羽布団を開けて中に戻るようにうながす。あたしはおずおずと、それに従った。
「コンスタンティア。あたしが大人になったら、これはおまえが判断してくれていい。あたしが大人になったら、おまえについていきたい。今、おまえがあたしについてきているように。あたしが大人になる前までに、好きになれるような人間が見つかったら、健全な友人になろう」
「ええ、わかったわ。それでいいわ。あなたが大人になって、人を信じられないままなら、きっとこの世界に居着くべきではないと思うから。その時は一緒に行きましょう。築き上げた過去を全て投げ捨てて。それがアイちゃんの幸せになるなら」
目をつむって、コンスタンティアの世界を想像してみる。地が割れた不毛な、血の乾いた場所。吹く風は鋭く突き刺さって、そこらじゅうで悪魔たちはお互いを傷つけ合う、それは、物理的な形で。負けた悪魔は硬い地面に伏せって、勝った悪魔が生きるために体を捧げる。実際はどうだろうか。でも、なんにしろ、コンスタンティアのような悪魔が生まれることができるのだから、あたしにとって悪いところではないはずだ。
「アイちゃん、アイちゃんはそうして、私の気持ちにこたえようとしてくれるのに、アイちゃんは言葉で好きだとか、愛してるとか、言わないのね」
「言われないと不安か?」
「そうじゃないわ。アイちゃんの気持ちはわかっているつもりよ。わからないんでしょう。そういうことが。だから、まだ、小さくて可愛らしい子供なの。普通なら、お母様やお父様から教えてもらえることなのよ」
羽布団をつかんだ。震える。あたしの目の前に振り上げられる大きな手や、腕を掴まれて背中でたばこを消されたこと。誰だかわかりたくない、両親の友達だったかも。あれから愛を教わったとして、正しい愛にはならない。あたしだって愛せない人達から教わることなんてありはしない。あたしは軽蔑する。両親を、先生を、クラスメイトを。一瞬アザミの顔が浮かんで、あたしは起き上がりベッドの横に置いていたキャビネットから封筒を抜き出した。アザミは違った。アザミは狂って、死んでしまったけれど、アザミは人間だった。
ていねいに、勢いに負けないように封筒を開けると、一枚だけ便箋が入っている。ごくり、と唾を飲んで、深呼吸して、たたまれて入っていたそれを封筒から抜き出し、開いてみる。
橘さん。わたしは、あなたと友達になりたかった。でも、わたしたち、出会うのが遅かったね。わたしは全てを決めていたの。あの日に、魔女になるって、それから火あぶりにはならないから、自分に罰をしめすことにしたの。この世は嫌い。逃げるんじゃないのよ。新しい、高みを目指すの。だから悲しいことではないし、本当の自分をさらけ出すことだってできてうれしかった。わたし、ただの優等生じゃないんだから。
あなたは、きっと、幸せになれると思う。わたしがここからそれを願ってる。どんなかたちでも、あなたにとって幸せになるかたちを。
あなたの友人になりたかった、アザミより。
これは少し、わたしの思い違いだったら、ごめんなさいね。でも、これからそうなれると思ったから。
友人が、ひとり増える。いくつかのことを信じられて、話せて、遊ぶ友人。あたしは友人であるアザミの想いを胸に、大人になるまでは、この地を踏みしめて生きていきたい。
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