無貌の王
『テンタクルス』の世界を旅して1日が経過した。今夜もスリリングで現実味のない旅をしよう。と意気込んで私は夢に落ちる。
ライブラリは今日も変わらず現実的のない空間だ。なんと美しいのだろう。などと思いながら私は本に手をかける。『
「お待ちしておりました。ええ、わかりますとも。その世界を旅されるのですね?」
「勿論」
「でしたら、護衛を付けましょう。アル、お願いできますか?」
「ええ、私が命に代えても御守りいたしましょう」
揃えられた黒髪に丸眼鏡、スーツの上にベストを羽織った男、なんとも面倒そうな執事だ。きっと私の自由はないだろう。正直なところ、一緒に旅はしたくない。第一印象は最悪だ。
「リアン様、行かないのですか?」
アルが心配そうに私を見る。頼むからそんな顔で私を見ないでくれ。
「ああ、行くよ。アル、よろしく頼む」
私は本を開く。やはり紙が舞う様は美しい。
目を開くと、辺りは暗く、如何にも幽霊でも出そうな人の気配が全くない廃墟の前にいた。まるでイギリスのカントリーハウスのような豪邸だ。
「なんだか幽霊でも出そうですね、引き返して帰りましょうか。リアン様を危険に晒すようなことはできませんので」
「いや、行かないわけにもいかないだろう?」
「そうですか。では、行きましょう」
まるでロボットのようなお固い男だ。
「もう少し楽な感じで話さない? 疲れないの?」
「いえ、私はリアン様の執事故、そんなわけにはいきません」
「別に私は金持ちでもなければ管理人なんて肩書きだけの男だよ。そんな男に忠義を尽くす必要があるかい?」
「では、遠慮はいらないということでよろしいですか?」
「ああ、頼むよ」
アルは眼鏡を外し、鋭い目つきになる。
「この扉、鍵が開いているようです。少しだけ注意して下さい」
三度ノックすると、アルが扉を開ける。やはり廃墟の中に人の気配はなく、いたるところが朽ち果てている。
「ごめんください、どなたかおりませんか?」
「貴方は阿呆ですか? いても人な訳がないでしょう?」
アルが悪態をついていると、目の前にフードで顔の見えない者が音も立てずに現れる。
「おやおや、お客様でしたか。こんなところに来て頂いたのですから、我々でおもてなししよう。お二人様でよろしいかな?」
「ええ、突然の訪問で申し訳ありません」
「いやいや、構わんよ。久しぶりのお客様だ。我々も腕によりを掛けておもてなしさせていただこう」
「おもてなしだそうだ。帰りたくても帰れなくなるかも知れませんね」
アルは私を馬鹿にしたような口調で話す。
「私はリアンです。貴方の名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「リアン様ですか。素敵な名前だ。私には名前がなくてね、人は私のことを無貌の王と呼ぶようだね」
「無貌と言いますと、貴方には顔がないのですか?」
「ええ、私は顔だけではなく、姿自体がないのだよ。このボロ雑巾のようなコートで存在を表しているようなものさ」
素晴らしい。まさに絵に描いたような幽霊だ。私は今、幽霊と対話している。こんなことは現実ではありえない。これだから想像の世界はやめられない。
「リアン、変なことを考えているわけではありませんか?」
アルは気づいているのか? やはりよくわからない男だ。
「はは、幽霊と会話することはそんなに珍しいですかな?」
「いえいえ、そんなことはございません。ところで、なぜ王と呼ばれておられるのですか?」
「やはりそれを聞くか。それは自身で確認したほうがいいだろう。では、私の部下に案内させよう。ご案内してさしあげなさい」
彼が呼ぶと、一羽のカラスが現れた。
「それでは、お部屋へご案内しましょう」
喋るカラスか。他にはどんな非現実的なものが待っているのだろう。
「それにしてもあんたら物好きだな。こんな呪われた館に客が来るのは自殺志願者くらいしか来ないぞ?」
「君も自殺志願者なのかい?」
「おいおい、そんなわけないだろ? 気づいたら俺はなぜかここにいたんだ。アホみたいな話だが、本当なんだ。それに、帰ろうとしてもここに戻って来ちまう。ここはなんだ? まるで世界が歪んでいるみたいなんだ」
「世界が歪んでいる?」
「ああ、俺にはもう関係のない話だけどな。おっと、この先は気をつけな。お喋りが大好きな幽霊が多いからな」
「見ろよ、久しぶりのお客さんだ」
人形がひとりでに動き出し、仮面が宙に浮く。花が突然喋り出す。素晴らしい。
「なあ、あんた楽しんでないか?」
「ああ、楽しいじゃないか」
「ならいいんだが。変なやつだけは連れてくるなよ?」
「あれはどうだ?」
私が窓の外を見ながら指差す先には三つ首の巨大な犬がいる。冥界の番犬と名高いケルベロスだろうか。確かに冥界の番犬に相応しい見た目だ。怒らせたらあの大きな口でペロリと食べられてしまうだろう。
「ケルベロスなんて論外だ! 死にたいのか!?」
黙々と付いて来ていたアルが驚きのあまり声を荒げた。思ったより面白い男だ。
「冗談だよ。私だって死にたくはない」
ケルベロス、少しだけ撫でてみたかったな……モフモフしてそうだったし。
「ああ、ついたぞ。この部屋を使いな。また呼びにくるからな」
カラスは空を飛んで行く。それにしても不気味な場所だ。扉も立て付けが悪くなっているし、生活できるような空間ではない。アルは黙々と部屋を片付け始めた。私も少しは手伝おう。
「アル、私も手伝うよ」
「いえ、何も触れないで下さい。掃除は私がするので、リアンは散歩にでも行ってきて下さい」
まさかの全否定。掃除を任せていいのであれば、私は散策に行こう。
廊下には丸いランタンが掛けられている。ランタンに灯る火でランタンはオレンジ色に染まっている。まるでジャック・オ・ランタンのようだ。
廊下の窓から中庭が見える。どうやら中庭には噴水があり、憩いの場となっているのだろう。今でもいかにも貴族らしい服装の幽霊達がティーパーティを行っているようだ。ここは相当な豪邸だったのだろう。彼らにとっては今でも住みやすい豪邸なのだろう。
廊下には先ほどのお喋り好きな幽霊、もとい花が話しかけてくる。人形と仮面はいないようだ。
「おや、さっきのお客さんだ。あんた知ってるか? この屋敷の東棟には一箇所だけ誰も入れない部屋があるんだってよ。東棟に行くのは無貌くらいしかいないから、あまり勧めはしないけど、気が向いたら探してみなよ」
「東棟?」
「ああ、お客さんは知らんのか。ここは本棟、東棟、西棟と三つの棟でできているんだよ。因みにここは西棟の廊下さ」
「なるほどな、開かずの部屋か。心踊る展開じゃないか、探してみることにするよ」
私は情報をくれた花に礼を言い、東棟の開かずの部屋を探しに行くことにした、不気味なほどに静かだ。来る途中はあまり感じなかったが、一人になると足音だけが響く。窓から見えるケルベロスは音のなる方をじっと見つめている。そう、私を見ているのだ。まるで獲物を見定めるかのように。
本棟には威圧感すら感じるほどに巨大な扉がある。この先に何があるのか興味があるが、押しても引いても動く気配はなかった。これが開かずの部屋なのではないだろうか? と感じたが、開かずの部屋は東棟とのことだ。この扉はいつか開くのだろう。それにしても、扉の上に飾られている山羊の頭のような石のオブジェには禍々しさすら覚える。あまり長居はしたくない場所だ。私は東棟へと足を運んでいく。
東棟はまるで誰も寄せ付けないような雰囲気を醸し出していた。私も初めは躊躇ったが、好奇心の方が勝り、進んで行った。崩れた馬のオブジェや、あちこちにある大きく抉られたような傷跡、崩れかけの階段など、他の棟では見ないような禍々しさだ。開かずの部屋があってもおかしくはないだろう。
ただでさえ異質な場所だが、その中でも特に異質な扉がある。まるで化物の顔のような扉だ。目の位置には右側だけ赤い球体がはめられており、窓から入る僅かな光が反射し、不気味に光っている。おそらくこの扉の先が開かずの部屋なのだろう。この扉には取手があるが、化物の手のように作られている。どこまでも悪趣味なデザインだ。
「お客様、こんなところに何のようですかな? もしかして、その開かず部屋を探しに?」
無貌の王が背後に突然現れ、私は驚きのあまり、腰を抜かしそうになった。
「ええ、少しだけこの中を散策しようと思いまして」
「その扉、開けてみたいのですか?」
無貌の王はまるで開けられるように話す。
「気にはなりますが、開くのですか?」
「ええ、開かない扉はありませんよ。ただ、この扉は私にも開け方は思い出せないのです。条件さえ揃えば開くはずですが」
「少しだけ、試したいことがあるのですが、よろしいですか?」
「いえ、彼らから聞いていませんか? 東棟に来ること自体が間違いなのです。直ぐに立ち去りなさい」
私の直感が危険信号を発している。ここに長居してはいけない。今は戻ろう。
「わかりました。それでは、私はこの棟を離れますので」
私が東棟を離れると、無貌の王は姿を消した。
本棟に戻ると、巨大な扉が開いている。奥は大きなホールのようだ。幽霊達がダンスパーティーを行なっている。まさに貴族達の宴のようだ。
「おや、お客様も踊っていかれますかな?」
再び無貌の王がどこからともなく現れ、話しかける。
「いえ、私は遠慮します」
「そうですか。それでは、中庭へ行きましょう」
私は有無を言わず、中庭へ連れていかれた。アルは既に中庭へ呼ばれていた。
「お楽しみ頂けておりますかな?」
恐怖しかないこんな状況を楽しんでいるかと聞かれても……楽しんではいるが。
「では、私のおもてなしをさせていただこう」
無貌の王が指揮者のように腕を振ると、中庭の銅像達が楽器を奏で、幽霊達が歌を歌う。まるでオーケストラのようだ。
ウェイターのような幽霊がワインの入ったワイングラスを私達に渡す。
「ええ、特に異常無しです。どうぞ遠慮なくお飲みください」
渡された直後にアルは安全か確認していたようだ。なら、私も遠慮なく飲ませてもらおう。
「特に危害を加えるつもりはないようですね」
「どうだろう、東棟に開かずの部屋があると聞いて確認しに行ったんだが、追い返されたんだ。きっと何か隠しているのではないだろうか?」
「なるほど、それを調べたいということですか。一旦、部屋に戻って考えましょう」
演奏が終わり、部屋へ戻ろうとすると、無貌の王がこちらに近寄る。
「おや、お部屋へ戻られますか? 我々の演奏はお気に召しませんでしたかな?」
「いえ、とても素晴らしい演奏だと思いました」
「そうですか。しかし、演奏中は静かにお聞きください。彼らは真剣に演奏をしているのです。中には腹をたてる者もいるかもしれません。今後はお気をつけください」
無貌の王は忠告をすると姿を消した。
「さて、ここに長居はしたくないですが、東棟の開かず部屋が気になるということでしたね」
「ああ、すまないね。私の我儘に付き合わせてしまって」
私達は部屋へと戻って行く。
「どうだった? 開かずの部屋はあったのか?」
「どうだろうね。あったかもしれないし、なかったかもしれない」
「何だよ、曖昧なやつだな」
「扉が開かなきゃ部屋があるのかわからないだろう?」
「んん、それもそうだな。いい知らせを待ってるぜ」
本当にお喋りな花だ。私は嫌いではない。ライブラリに連れて帰りたいくらいだ。
私達は部屋に到着する。部屋の中は見違えるほど綺麗になっている。似たような内装を写真で見る印象よりもずっと美しい。ここの当主は相当な富豪だったことを実感する。
「開かずの部屋のことを話しても良かったのですか? あの花を通じて我々の作戦が無貌の王に筒抜けかもしれないのですよ?」
「構わないさ。開くときは彼にも立ち会って貰いたいからね」
「何を考えているのやら、それとも何も考えていないのか。貴方の考えは私にはさっぱりわからない」
「ああ、なんとでも言うといい」
私は部屋の中を物色していると、棚の中から鍵のついた木の箱を見つけた。
「アル、これはずっとあったのかい?」
「ええ。鍵も見つかったのですが、かなり錆びついて、まったく使い物になりそうにないです」
「壊してもいいのだろうか?」
「鍵自体も役には立たないでしょう。構わないかと」
箱は鍵の部分に少し力を加えると、すぐに割れた。とても古い物だったのだろう。箱を開くと、中には赤い球体が入っていた。あの扉にはまっていた物と同じ物だろう。
「中に、何かありましたか?」
「ああ、大当たりかもしれない。すぐに向かおう」
アルは止めようとするが、私はこの気持ちを抑えきれなかった。あの無貌の王の鼻を明かす時だ。誰にも邪魔はさせない。私はこの球体を袋に詰め、やや急ぎがちな足を運んでいく。
「ここだな。やはり不気味だが、この玉を目にはめれば開くはずだ」
「警告した筈だ。すぐにここから立ち去れ」
どこからともなく現れた無貌の王の警告を無視し、私は赤い玉を右と同じように左の窪みにはめ込んでいく。玉はまるで吸い込まれるように入り、化物のような扉は両目から光を放ったかと思うと、鈍く、重々しい唸り声のような音をたてながら扉は開かれた。
「当たりだ。私の勘は当たっていたんだ!」
私は後ろを向くと、外は黒く塗りつぶされたように光がなく、ランタンの火は全て消え、何も見えなくなった。もう後戻りはできないだろう。何も見えない闇の奥へと進んでいく。
「我の忠告を聞かず、歩みを止めぬか。愚か者め」
無貌の王の声があちこちから聞こえ、暗闇から無数の目が現れる。おそらく彼はこの奥に知られたくないことを隠しているのは明確だろう。
「何を隠している? 奥に何がある? 私の好奇心は誰にも止められやしないのさ」
目の前から光が見える。本人も覚えていないのだ。奥まで力は届かなかったのだろう。奥の部屋は図書館になっていた。
「これは日記でしょうか? どれも掠れていて読めたような物ではないですが……」
なるほど、ここで何かを書いていたのか。名前がわかるような物はないだろうか机の上のノートやら本を調べていくと、手紙を見つけ、読んでいく。日記同様、殆どが掠れていて、読めたものではない。
「無貌の王、——富豪、アダム・アーデンベルク——それが貴方の名前なのではないか?
親愛なるエルゼさんからの手紙、読ませていただきました」
「アダム・アーデンベルク、懐かしい名前だ。それに、エルゼ、私の妻だ。ありがとう。礼を言わせてもらおう、リアン・ウェイカー。お陰で私の名前を思い出すことができたよ」
無貌の王ことアダム・アーデンベルクはボロ雑巾のようなコートから凛々しい男性の顔が現れる。生前は美青年だったに違いない。
「それでは、我々はこれにて帰りますので」
「そうですか。出口までお送りしましょう」
廊下に戻ると、禍々しさはなくなり、生前のような美しさを放っており、外も雲ひとつない晴天だ。幽霊達は生前の姿に、ケルベロスは三頭の子犬に戻っていた。まるでこの屋敷の邪悪を払ったかのようだ。
「さて、これで充分ですよね? 帰りましょう。彼らの邪魔をしてはいけません」
「ああ、帰ろう。森の奥に住む富豪王、アダム・アーデンベルクの優雅な物語に私達は踏み入る必要はないだろうからね」
森の奥へと羽ばたいていくカラスを見ながら私は本を開く。さあ、私も帰るべき場所に帰ろう。
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