テンタクルス
私は想像の世界で旅をする。と考えると心が弾む。誰だって一度は考えたことはないだろうか。と考えながら私は本を手に取る。『テンタクルス』直訳すれば触手だ。しかし、クラーケンのような巨大な海の怪物が想像させられる名前だ。
「最初の旅はそちらの世界になさるのですか?」
スチュワードが不思議そうに私に話しかける。私の反応はそんなに不思議なことだろうか。
「ああ、なんだか気になってね」
「私はこちらで事務仕事をさせて頂きます。お帰りの際はこちらをご利用ください」
「この本をどう使えと?」
「本を開くだけでございます」
想像の世界への転移は何とも簡単なシステムであった。
「ありがとうございます。それじゃあ、行って来ます」
「ええ、行ってらっしゃいませ」
本を開くと紙が舞い上がり、眩い光に包まれる。私はまるで本の中に身体が吸い込まれるような感覚になった。
爽やかな潮風が肌を撫でる。きっと海が近いのだろう。私は目を覚ますと小舟の上にいることに気がついた。ここは、海の上。何の備蓄も無い小舟と青い空、広い海。さて、どうしたものか。
陸地の見えないだだっ広い海の先で大きな船が見える。私は船に向かって小舟を漕ぎ出す。
小舟を漕いで大分経った頃、船がはっきりと見えるようになるとその船の旗にドクロのマークが確認できた。そう、海賊船だ。私は引き返そうとしたが、海賊船がこちらに向かっているように見える。気付くのが遅かったのだ。海賊船との距離はあっという間に詰められ、私は海賊に捕まったが、身柄を拘束されただけで、身ぐるみを剥がされるようなことはなく、持ち物も見える位置に置かれている。
「貴方も捕まったのですか?」
声は背後から聞こえる。おそらく私と同様、柱に縄で括り付けられているのだろう。
「ああ、何とかして抜け出さないといけないな」
「まあ、落ち着いてくださいよ。顔は見えませんが、リアンさんですよね」
「君は?」
「ああ、私ですか? 私はアンドレアです。ライブラリでメイドをしています」
ライブラリのメイドが何故こんなところで捕まっているんだろうか? と不思議に思うが、私もこうして移動して来ているのだ。別に居ても不思議はないだろう。
「何でこんな所で捕まっているのか不思議に思ってます?」
「ああ、そもそも此処にいる理由は何だい?」
「見ての通り捕まっただけですけど?」
「そうかい。ところで、アンドレアさんはどうして私だと思ったんだ?」
「明らかに場違いな格好の人が来れば流石に気付きますよリアンさん。それに、私のことはさん付けしないでアンドレアと呼んでくださいね」
「さて、さっさとこんな場所出ましょ?」
「そうだね、まずは拘束を解かないとね」
何かが焼き切れる音がすると、目の前にブロンドの髪をしたショートヘアの女性が現れ、私を不思議そうに見つめる。
「あの、私の拘束も解いてくれないだろうか?」
アンドレアが指を鳴らすと、縄が焼き切れていることに気付いた。
「一体何が起きたんだ?」
「想像力ですよ。私の力は触れたものを爆発させる程度ですけどね。きっと貴方にもあるはずですよ」
「想像力ね……私には想像もつかないな……」
遠くから近づいて来る足音が聞こえる。
「誰か来るぞ、まだ捕まっているふりをしよう」
「耳が利きますね。近づいてきたら鍵を爆発させてやりますよ」
「よせ、たとえ海賊とはいえ、話が通じるかもしれない」
「何が起きても知りませんからね」
いくら捕まったふりとはいえ、少し焦げ臭い気がする。考えなしに行動するべきではなかったか……
暫くすると扉が開かれ、トリコーンを被った無雑作に伸びた髭の男がやって来る。
「ほう、何やら焼けた匂いがするな。縄を焼き切ったか。やはり貴様らは只者ではないようだな? この私の目に狂いは無かったということだな。そこの女、この本が何だか分かるな?」
「ええ、分かりますとも。私に返して貰えます?」
「ああ、勿論返してやるとも。だが、条件がある。我々が無事に夜を越えることが出来たら返してやろう」
「夜? 何か理由でもあるのか?」
「そこの男よ、その通りだ。我々は今、魔物テンタクルスの巣食う海域にいるのだ。そして、奴らは日が落ちた頃に活動を始めるのだ。お前達なら奴をなんとか出来ると見ているのだが……出来るな?」
「実物を見ないには回答し辛いですね」
「お前はどうだ?」
「私ですか? 善処します」
「まあ、いいだろう。私はこのクイーンズ・グランパスの船長、キャプテン・バーンズだ。よろしく頼むぞ。ついてこい」
バーンズは檻の鍵を開けると、私達を外へ連れて行く。
「魔物、おそらくナイトメアですね」
移動途中、アンドレアが聞こえないような声で私に話す。
「アンドレア、ナイトメアとは一体……?」
「簡単に言えば悪夢ですよ。夢の世界において夜は悪夢の時間なんです。何が起きてもおかしくないんですよ。ナイトメアはその原因のようなものですね。私達も備えましょう」
「私は武器ひとつ持っていないのだが?」
「大丈夫です。私が守ってみせますから」
「悪いね、私も力を使えるように善処するよ」
外に出ると、日が落ちようとしていた。夕日が水平線に映り、私は幻想的に見えた。
「さて、夜がくるぞ! 皆の者、衝撃に備えろ! 日が昇るまでの辛抱だ!」
「キャプテン、見えました! 触手です! テンタクルスです! 囲まれました!」
「本体は下だ! 奴の触手に大砲をかましてやれ!」
「キャプテン、海面から赤い光が! 危険なのでは!?」
「何!? 貴様、何か打開策はないのか!」
初めて見た相手の打開策を誰がわかると言うのだ。私は頭を振り絞り、一つの賭けに出ることにした。
「キャプテン・バーンズ、短剣をいくつか頂けますか?」
「構わん、切れ味最悪な物ならあの箱に入っている。いくらでも持っていけ」
バーンズから許可を貰うと、私はバーンズの指差す箱から短剣をいくつか取り出し、アンドレアを呼ぶ。
「アンドレア、右側だけでいい、触手を剥がそう」
「どうやって……いや、私の得意分野です」
アンドレアは私から短剣を受け取ると、右側の触手全てに刺し、短剣を爆発させた。右側の触手が船から離れ、少しだけ船の自由が利くようになる。
「今だ! 面舵いっぱい! 振り切るぞ!」
「面舵いっぱい!」
船は大きく右に曲がると、海面の光が一層強くなり、轟音と共に海面からビームのような熱線が上がる。近くにいるだけで熱く、直撃してはたまったものではなかっただろう。それを見たアンドレアは熱線が収まると共に小舟を投げ捨てると、テンタクルスは小舟を飲み込み、烏賊によく似た胴体が姿を現した。
「本体のお出ましか、今だ! でかいやつをかましてやれ!」
海賊達がテンタクルス目掛け、一斉に大砲を撃つと、テンタクルスは大きな口から赤い光を放っている。おそらく先程同様、体内のガスを放出するのだろう。
「まだガスが溜まっているのですね? 仕上げといきましょう!」
アンドレアが指を鳴らすと共にテンタクルスの体内から爆発音が聞こえ、船を掴んでいた触手と共に海の中へ沈んでいく。
「何をしたんだい?」
「あの小舟ですよ。ただの囮じゃなくて、体内で小舟を爆発させたんです」
「なるほどな、普通の考えでは理解できないな」
「無理もないでしょうね。私もあんなゴリ押しをしたのは久し振りです」
「我々は奴から助かったのだ! さあ、盛大なパーティーといこうではないか!」
バーンズの一声で海賊達の緊張が解れ、船の上は緊迫した空気から明るい空気に一変する。
「終わりましたね、私達は帰りましょうかね」
「アンドレア、少しはこの海賊達のパーティーを楽しんでいこうじゃないか」
「そうですか? じゃあ、そうしましょうか」
私達は、海賊と一夜を明かす事にした。海賊達は皆ワインなど酒を飲み、見事に魔物テンタクルスから海賊船クイーンズ・グランパスを守った私達は海賊達に歓迎され、フラフラになるまで酒を飲み続けた。
夜風に当たって酔いを覚まさないと、このままじゃあ酔いつぶれて帰れなくなるな。
「私は少し甲板に出るけど、君はどうする?」
「まだ飲み足りないので、私はここで待ってます」
どう見てもアンドレアは酒で酔っていた。本当は夜風でアンドレアの酔いを覚まそうとしていたが、もう少しだけ待ってもいいだろう。私は扉を開き、甲板に出ると、中折れ帽にチェスターコートと海賊とは明らかに服装が異なる男がワイングラスを片手に立っていた。
「おや、貴方は……」
男から声をかけられたが、私は男に見覚えはなかった。
「何処かでお会いしましたかな?」
「いえ? ただ、貴方はこの世界の人間では無いですね?」
彼は何者なのだろうか? 私の勘があの男は危険だと伝える。下手に出ることはできないだろう。
「貴方と一緒にいた女性、アンドレアと言いましたかな? 今は彼女と一緒ではないようですね」
「ええ、ところで、貴方は?」
「私はレイヴン、以後お見知り置きを。貴方の名前はリアン、と言いましたかな? 一緒にいた彼女は変わった超能力のようなものを使えるようですが、貴方も使えたりするのですか? 使えるのでしたら是非見てみたいな」
レイヴンはどこまで知っているんだ? それに、この男はこの船のどこにいたんだ? もしも船にいたらすぐに気づくような服装だが……
「あれ、無視ですか? 悲しいなぁ。それとも、貴方は超能力が使えなかったりします?」
駄目だ。幾ら黙っていてもじわりじわりと追い詰められていくだろう。しかし、話してもこの状況が好転することはないことは明確だ。
「ああ、すみません。えっと、レイヴンさんでしたかな? 私は少し酔って記憶があやふやになっていて……中で連れを待たせているので、私はこれで」
「ええ、それではまたどこかで会いましょう」
レイヴンはニコニコと笑顔で手を振り続けている。私にはレイヴンが何を考えているのかますますわからなくなっていたが、この場は凌げたと思うと安堵の息が出る。
部屋に戻ると、海賊達は酔いつぶれ、奥でバーンズとアンドレアが話をしていた。
「キャプテン・バーンズ、約束通り、本を返していただけますか?」
バーンズは不吉な笑みを浮かべながら立ち上がる。
「何を言うか。我々の夜はまだ始まったばかりではないか」
「話が違うじゃないですか、キャプテン・バーンズ」
「何も間違ってなどいないわ。我々の夜はこれからだ! さあ皆の者、奴らを海の餌にしてやれ!」
酔いつぶれていた海賊達は立ち上がり、襲いかかってくる。私は戻ってきたアンドレアを抱えると、甲板に出て、扉を抑える。甲板には先程の男、レイヴンの姿は見当たらない。あの男は一体何処に行ったのだろう? と不思議に思ったが、考えている余裕などないだろう。
「あの船長、本性を現しましたね。あの船長はナイトメアです!」
「だろうね。この状況をどうするかな……」
「私の力もここでは派手には使えないですね」
「ここじゃあアンドレアの力を使っても足止め程度にしかならないか……」
「そうですね、この船ごと破壊してもいいのですが……」
「それはだめだ。私達も巻き添えになる」
「なら、やることは一つですね?」
「本を奪還して帰る。か?」
「その通りです。他にないでしょう? それじゃあ、行きますよ」
「おいおい、無茶言うなよ。本は船長が持ってるじゃないか」
「ええ、いいから見ててくださいよ」
扉を爆発させると、アンドレアはテーブルの上を走り、食器や酒ビンを爆発させて追っ手を足止めしていき、私は襲いかかって来る海賊達を次々と海へ投げていく。
「チェックメイトです。船長さん、返してください」
「ほう、それはどうだろうな?」
バーンズが手を挙げると魔物の重々しい咆哮が響き、ガラスが割れ、再びテンタクルスが姿を現した。
「リアンさん、衝撃に備えてくださいね! フィナーレです!」
「まさか爆発させるつもりか?」
アンドレアがサムズアップのサインをすると、爆発音と共に船が大きく揺れる。アンドレアが船を爆発させたのだ。私も逃げ遅れる訳にはいかない。胸元に持っていた手帳サイズの本を取り出す。
「アンドレア、君は無事か?」
「私のことを信じてくださいよ。本ならもう手に入れました! すぐに追いかけますので、先に帰ってください!」
「絶対に帰ってくるんだぞ! 私は待っているからな!」
崩れゆく中、私は本を開くと、舞い上がる紙と眩い光に包まれる。
目を開けると私はライブラリで目覚め、私の隣にはアンドレアが倒れていた。
「いやあ、散々でしたね」
「本当に散々な目に遭ったが、こんな経験は普通だと出来るものじゃないよ」
「どうやらアンドレアと会えたようで何よりです。ところでアンドレア、帰ってきたばかりで悪いのですが……この間の報告書、期限は今日までだった筈ですが、提出いただけますか? それに、今回も何かやらかしてくれたようですね? 今回も報告書、お願いしますね」
「えっと、はい……すぐに終わらせます。はい……」
「期限に間に合わなかった場合は、当分の外出は認めません」
「そんなぁ……」
「さて、初めての旅はいかがでしたか? リアン様」
崩れ落ちるアンドレアを笑顔で見下すスチュワードは笑顔を崩さず、私の方に振り向くと、感想を求めた。
「ああ、とてもスリルがあり、とても素晴らしかったよ」
「左様ですか。リアン様にナイトメアの存在を説明していなかったことをお許しくださいませ」
「いえ、旅にハプニングはつきものです。ナイトメアもそれなりに楽しめましたのでお気になさらないでください」
「しかし、リアン様を危険に晒したとなれば話は別でございます」
「本当に大丈夫なので……そうだ、アンドレアから聞いたのですが、想像力というものは私にもあるのでしょうか?」
「想像力ですか。ええ、ありますとも。それも人一倍あるでしょう。それが発現しないとなりますとなんらかの理由があるのでしょう。我々は生まれつき使えましたので、これ以上のことは分かりかねます。何か分かり次第ご連絡致しますので、暫しお待ちください」
「ありがとうございます。私の方でも旅をしながら理由を探ってみます」
育った環境の違いなのか、或いは彼らと私では根本的な違いがあるのだろう。想像の世界を旅することで何か掴めるだろうか……私にはまだ何もわからない。
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