5-23 さらば、浅葱町
ここは浅葱町。一応、異世界。
こういった出だしを書くのは今日で最後だ。午前中に荷物の処分など後始末を済ませた。
アパートの人達にも引っ越しのあいさつを済ませた。ただ、タカヒト君達の部屋は不在だった。別れが辛いのかもしれないね、と二人で納得して品物だけ置いていった。ケイさんのCD集やワタシの世界の本などの記念品だ。
ワタシ達がいなくなってもこれを見たり聞いたりして思い出してほしいな。
「この町ともいよいよお別れだな。いい気分転換だったし、名残惜しいな。」
「さて、配るもの配ったし、浅葱邸に行きますかね。タマ、友達とのお別れ済んだかい?カゴに入ろうね。」
「ニャー」
タマは悲しげに鳴いている。やはりネコの世界にも付き合いがあるし、別れが辛いのだろう。
「ごめんね、ワタシの都合で振り回して。なんだったら残る?浅葱さんにまた頼もうか?」
「ニャニャ!」
まるで否定するように鳴くと、タマはカゴに素早く入って行った。別れは辛いはずなのに、それでもワタシに付いてきてくれるタマには本当に感謝している。
「さ、行こう。今日、取り壊しの作業が始まるというから業者が来る前に通らないと。」
「うん…皆と挨拶したかったな。」
そうして旧浅葱邸にたどりつくと、雰囲気がいつもと違っていた。
業者達のトラックや重機もあるが、入り口に浅葱さんと信次郎さん、タカヒト君達、アサツキ3人娘まで勢ぞろいで待っていた。
「み、皆、どうしてここへ?」
ワタシが驚いて声を上げると、総一郎さんが説明を始めた。
「皆、最後の見送りに来たんですよ。」
さらに信次郎さんが言葉を継いだ。
「実はもう業者が到着してしまってな。すぐにでも作業に入るというから、最後に見学させてほしいと頼んだんじゃ。二人入って出てこなければ騒ぎになるが、これだけ大人数ならば、二人いなくなっても誤魔化せるじゃろうて。」
「本来ならもう中には入れないのですが、そこは浅葱の名で押し通しました。」
この二人には本当に最後まで頼りっぱなしになってしまった。ワタシとケイさんは深々とお辞儀をした。
「本当に最後までありがとうございます。」
そうして、表でいろいろ話すのは怪しまれるのでワタシ達は旧館の中に入り、裏口の扉、つまりワタシの世界への出口の前でそれぞれのお別れの挨拶をした。
「キョウさん、正直未練あるけど、向こうに奥さんいるんだもんね。これ、あたしが書いたイラスト。ファンからのプレゼントとして飾ってね。たっちゃんには浅葱の風景入りの似顔絵。お部屋に飾ってね。」
「みっちゃん、ありがとう。」
「たっちゃん、キョウ、元気でな。これ、それぞれにプレゼント。こっちのマドレーヌは日持ちするから向こうでゆっくり食べてくれよ。アサツキ入りのマカロンはアッキーにやってくれ。」
「タカヒト君…。」
しみじみとしていると、プレゼントを開封したケイさんが不思議そうに尋ねてきた。
「タカヒト、プレゼントはいいんだが、なんで俺にはケーキの型なんだ?」
ケーキの型?じゃあ、ワタシのはなんだ?と急いで開けてみる。
「ワタシのは泡だて器だ?」
「どっちも俺が愛用してる大事な道具なんだ。これ使うたびに俺のこと思い出してくれよ。」
「ま、まあ、確かに食べてなくなるものより、形に残るものなんだろうけど。」
「カミさん、ケーキを作る人だっけな。」
最後の最後まで、タカヒト君は微妙なセンスを出してくるな。
アサツキ3人娘もタマへプレゼントを持ってきてくれた。
「アッキーちゃん、いつかはごめんなさいね。」
「これ、浅葱猫の目の色に合わせた首輪、それからきれいな音がする鈴もセットで。」
「これつけて鳴る度に浅葱の街を思い出してね、アッキーちゃん。」
「ニャ~ン」
なんで、アサツキ三人娘までアッキーと呼ぶのだろう?ツッコミたいところだが、もう時間が無い。
「本当にお別れなんだな、正直まだ信じられないよ。」
サトシさんはまた泣いている、ワタシも本当にそう思う。ここにいる皆とはもう永遠に会えないなんて、嘘であってほしいとまだ思っている。そんな感慨を振り切るようにケイさんが扉を抜けるように急かした。
「さあ、行こう。あまり長居していると表の業者が怪しむ。」
「うん、本当にみんなありがとう。元気でね。」
「さようなら。あなたたちのことは忘れません。これ、あさきゆめみしの苗です。育て方は敬一郎大伯父様に尋ねてくださいね。あちらで原種を育てているなら大丈夫でしょう。」
「兄のこと、頼みましたよ。」
そうして、扉を開ける。向こうにはワタシの世界の風景が広がる。足を踏み入れれば、もう浅葱には戻れない。
「さようなら、本当にさようなら。」
「皆、元気でな。」
「ニャー」
皆が見守る中、扉をくぐり抜け、そして閉めた。
扉の向こうからはかすかに「元気でね。」「さようなら。」と聞こえてくる。
「まだ、微かにつながっているんだな。声や音が聞こえてくる。」
「本当にもう戻れないのかな。」
「ああ、開けちゃダメだ。辛くなるだけだ。それに間もなく取り壊しになるからな。拠点がなくなる以上はもう行けない。」
「ニャー…」
なんとなく、まっすぐ帰りたくなくて、そのまま扉の前で声を拾おうとしていたが、やがて聞こえなくなり、代わりに工事の轟音が響いてきた。
いよいよ取り壊しなんだな。しかし、やがてその音も段々遠くなっていった。音が聞こえなくなったということは、本当に浅葱との繋がりが無くなったんだ。ワタシは涙が堪え切れなくなって泣き出してしまった。そんな飼い主を見たタマも、理解したらしく泣き始めた。
「ニャーニャー」
「泣くなよ、たっちゃん、アッキー。あの町は消えたわけではない。あちらでも皆、元気にやっていくさ。そして、俺達が過ごした日々は本物だ。」
「本物か…。」
「そう、本物だ。」
晩秋の午後、少しひんやりした、けれど優しい風が吹いていた。そしてケイさんはそんなワタシ達を見守っていた。
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