第6話

今日はどうやらこの町からでもオーロラが見られるらしい。


太陽の活動が爆発的に活発になり、太陽風とやら、荷電粒子の流れ……、云々、テレビのレポートではそんなことを延々と説明し続けていたので断片の単語だけでも耳に残っている。詳細を突き詰めると難しい話だけれど、それでも異常事態というよりかは、十分ありえる現象のようだ。

磁気嵐とか、GPSが云々、…と、電化社会は、情報化社会は何やら騒ぎ立てていたようだが、私はそれをよそにぼんやりとしていた。そんなことがあるものなのかぁと、なんでだろうか、のんびりと構えていた。

そんな自分の態度を客観的に顧みるに、…――彼の余裕の雰囲気がうつったのかもしれない、等と変な考察を加えては私はむしろ穏やかな、くすぐったい様な気持ちになるのだった。


その夜、私は夕飯を抜け出して公園へと出た。勿論彼と出会う舞台であるあの公園。彼は居ないかもしれなかった。いつも会うのは太陽が天上を照らしている時間だけだったから。でもそれは構わなかった。ただ、私はオーロラを見たかったのだ。


公園に着くと、空に誘われる様に見に来ていた数人の町の人たちがぽつぽつといた。磁気嵐だかを憚って、今日は外に出たくないという人が多数居た一方、やっぱりオーロラはここで実際に見る機会なんて殆ど、この先も恐らく滅多にない機会だろうから見たくなるのは当たり前でもあった。それにしても、もともと人の少ないこの町は、そして人家がそこまで無いこの地域は、人を多く呼び寄せる事が無かった。つまり、人がごった返しても居なかったので、私は彼の姿をすぐにこの視界に認める事が出来た。ぽつんと、しかし揺らがずに、いつもの彼らしい佇まいで立っている彼は、ぽわんと空を見詰めていた。


開けた空には、いつも平たいそのキャンパスに奥行きを感じさせる光のカーテン、発光と謂う、暗闇を静かに浮かび上がらせるように照らす、人の力の及ばないまっすぐな自然の美しさを写し取った様な現象。

私は、まったく人工の灯の及ばない場所で初めてみた幾許もの星を載せた天球、…あの天の川を見たときと似たような、この世でまったく初めてのものに接する際の、信じられないような感覚を心に浮かべた。


それは確かにあの空にあった。私たちがよく目にして語っていた、昨日だって彼と其処をぼんやり目に映しながら他愛も無い話を重ねていた、その空に粒子発光のカーテンがある。ゆらゆらと、私たちにかまわずにゆるやかに揺れて居るようだった。新聞やテレビのニュースなどお気に構わず、超然と揺れる様には天命を悟るような、超越した天上の寛容さがあった。


私はしばらくの間言葉を失った。そして、そのカーテンの背景の前に、この地上の現実に、彼が佇んでいるその後ろ姿を含めた全景を意識すると、何故だか私は泣きそうになってしまった。訳が分からなかったが、恐らく、感動ということに襲われたのだろうと、私は自分を宥めた。


彼はこちらを振り返った。

「……あぁ、きみか」

その様が、オーロラを背景にした彼がゆっくり振り返ってこちらを見据え、そっと会釈する動作が私には幾分貴いものに思えた。彼は、星に返ってしまうんじゃないかと、変な、しかし不吉な考えにも揉まれてしまいそうだった。


私は挨拶をして、彼の側に歩みを進めた。ちょっと離れた隣に来ると、歩みを止めて、もう一度オーロラを見た。


「僕は、初めて見たよ」


彼が言った。私は、その言葉が当たり前のようにも、そうでないようにも聞こえて、耳を傾けた。彼なら何となく、星を追ってオーロラに包まれてしまっても不思議じゃないように思えた。あまり神秘的な現象が、私の彼に関するもともとぼんやりとした印象に影を挿して余計に私を混乱させているようだ。


「生きてるうちに、見られるとは思っていなかった」


そして彼は一息つくと、


「知ってるかい。江戸時代の初めごろに、ここでもこの現象が見られたようなんだ。もう四百年も前の話。それから日本ではオーロラは見られなかった。でも、太陽は僕みたいにきまぐれだから、いつフレアがとても活発になるか分からない。いつ起こっても、別におかしくもないんだけど、まさか、君と出会って、君と観られるとは、思ってなかった」


彼はそう言いながら目線を空上に戻した。知らなかった。初めてのことかと思った。私はずっと、ここでこの現象が見られないことが当たり前の事だと、経験的にそう、いつの間にか規定してしまっていたから観念に制限を掛けていた。

彼といたらこんなこと起こり得るのだという、自然とはあまり関係のない、妙な納得と確証が私に語りかけてくる。もしかしたらニュースをもっと聞いていれば、その時のことを解説していたのかもしれない。でも、彼から聞くことにきっと意味があった。

彼はちょっと冗談を交えて話してくれた。彼は、私からすると、とても安定していてしっかりした人だから、気まぐれという印象はあまり無かった。ただ、のんびりとしているイメージはあったけれど。のんびりというよりかは、慌てず、悠然としっかと構えているいつもの印象。

彼はそっと口を開いた。


「…書物で以前読んだんだ」


当時の人が書いた文書にその内容が残っているらしい。恐らく、当時の人はとても恐れた事だろうなぁと、ぼんやり思った。科学技術を日に日に発展させている現代でさえ、ひどく不安に襲われることがあるのに。

その、四百年前のオーロラは、爆ぜるような赤色だったらしい。紅が空に揺らめいている。…現在、私たちが見ているのは澄んだ明るい緑だけれど、赤だったら、もしかしたら何か受ける印象が違っていたかもしれない。それと、隣の彼に似合うのも、実際いまぴったり似合っているのも、緑であった。


私は盗み見た。ちょっと目にした横顔が、その奥の背景に映っているオーロラと相まってひどく芸術品のように見えてしまった。私は、そんな彼を遠くにも感じられた。それはしかし心地の良いものであった。そんな遠くの存在の彼が、今本当には私の隣に居る。それは夢見心地を起こさせるような、もったいないくらいの僥倖だった。


――なぜ、ぼくにこんなきれいなものを見せてくれたんだろう。


天上かかみさまか、自分の運命に対してか、彼が心中で、けして口には出さないでそう思っていた事は、隣にいる私には決して零れなかった。

それから堰を切ったように、

僕はなぜ彼女と出会ったのだろう。ぼくはなぜここに来たんだろう。ぼくはなぜもういちど、―――

……そう自分に問いかけて、収まりきれなくなりそうだったから密かにそれを胸に仕舞ったこと等、知ることも無かった。

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