第2話
僕は少し事を喋り過ぎそうになった。
彼女が遠い過去を持ち出したから。過去の人間である僕は、少しその叔父さんだかに少々近い世代への親しみを持ってしまったのだ。
親しみと言えど、良い意味でもない。ただ近い気がするだけ。その「近い」世代は、出来れば僕のように存在してほしくなかった。―どうか君は幸せだけを享受していて。いつも隣に座って花のように話す彼女を思い浮かべて僕は途方もない、笑えてしまう願いを託した。
顔を上げれば青空が僕を迎える。風が吹き数枚葉が乗って視界の隅に踊りながらどこかへ飛んで行った。
隣りの彼女は今日はまだ来ていない。一人でベンチに腰掛けて僕は今朝からのんびりとしていた。
僕はいつの間にかこの場所が好きになっていた。
こうしてゆっくりする時間が本来自分に望ましいものだった。あんな職務など決して自分は望んではいなかった。…もう考えるのは止そう。あのころを考える事は止めたのだ。もう時代は変わったからね。切り上げたのだ。僕の役目はしっかり終わった。託されてしまった重要な役はすっかり。お役御免だ。ただ、仕事を認めてくれたあの方にはとても感謝している。…わたしは、あの方のためにも身を削ってきたというのだ。
ただもう安心して、きみに託すことが出来る。だって憎たらしいあの日を終焉に導いたのだから。少々遅かったと、叱責されても過去の事だ。ただ、只々終わったから。始まったのだ、僕を捨て、きみが迎える時代がね。
もう一度風が吹いた。濁って浮いた話は目にしたくもない。…風で海は騒めき、噂で人はざわめく、とかロシアでもそんな言い回しがあった気がするよ。ぼうっと空に目を飛ばしていると、様々な事が細い糸で手繰り寄せられ、思考の正面へ何の気なしに姿を現す。
“こんにちは”、彼女の声が遠く聴こえた。いつの間にか上方に向いていた目線を戻すと、彼女がやってきていた。こちらに歩みを寄せながら笑みを浮かべ会釈してくる。
僕も挨拶を返した。今日は彼女は何の話をするんだろうか。また軽く頭を下げてから僕の隣に彼女が腰掛ける。
空を仰ぎながら、彼女は
「いい天気ですね」と目を僅かに細めた。
風が吹いてさっきの僕と同じように彼女の髪が揺れた。のどかで涙が誘われるようだった。
可笑しい。別に僕はすぐ涙に訴えるような性格ではない。何か弱っているのかな、…疲弊した身体が何か嘆いているのだろうか。年を経てなにか僕は不本意に変わってしまったのかもしれない。失ったものが数えきれないから、泣いても仕方も無いし得るものがないから泣こうとも思わなかったものを。しかし、失ったものが多すぎて逆にどっと疲れが出たときに虚無感に襲われるのも尤もだと思った。
ただ振り返っても意味がない、仕方がない。何も帰ってこないのだから。ただ僕は隣にいる彼女と、その彼女の大切な人たちが、十分しあわせであることを願うことだけだ。本来あるべき生涯へと。出世へと。もう君を遮る理不尽は取り除かれたのだから。恐らく、僕の知る限りの臆測交じりの観測では。
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