第16話 In the next stage

34・兵器開発部が担う仕事


 9月末から10月初頭にかけて行われた猛特訓、通称「リバース週間」を経て10月中旬には兵器開発部の移転が完了し、クリストファー=レジェスら兵器開発部のテストパイロットも教導員育成科の教官として働くようになり早2か月。ng歴302年も12月の半ばを過ぎ、世間はクリスマス一色の様相を呈していた。


「しかし不思議なものですねぇ。この地区じゃ昔っから神棚の下に仏壇がある部屋でクリスマス・パーティーなんかをしても疑問に思わない人が大半なんですから。各宗教の原理主義者が見たら泡を吹いて卒倒するか、少なくとも怒り狂いそうですし」


 教導員育成科の教官室で書類に目を通しつつ、コーヒーを持ってきた葉山に弥兵衛はそう呟いた。今年のカリキュラムは終了し、帰省を希望した者たちはすでに宿舎を離れており、普段は何かと騒がしい教導員育成科にも静かな時間が流れている。そのような状況でこの二人は何をしているかと言えば、納入予定が早まったnextの量産試作機の到着を待っている……というのを言い訳にして、単に実家へ帰りたがらないだけのことであった。


「八百万の神々って言うくらいだからな。何でもかんでも目出度くて楽しけりゃそれでいいって精神なのだろうさ。うちの一族もそれくらいの寛容さがありゃ俺も帰ってみるかという気にもなるが、ありゃダメだ。まさに原理主義者だよ。たった一度の寄り道も遠回りも許さぬ「経歴至上主義」のな。戻れば精神的窒息死は避けられねえ」


 W.P.I.U軍初代連合長官の葉山誠一に始まり、その息子たる葉山誠治退役大将も連合長官の任に就いた。当然その息子も将来を期待されたが、結果的にはいい方向に転がったとはいえシージャック紛いのことをしたのは事実であり、一族の異端者として見られるようになってしまったのだ。実際は30という年齢で准将というのは非常に優秀なのだが、ただ一つの汚点も許さないという空気が彼の帰省を押し留めている。


「私のほうは、帰れば温まるとは思います。ただし心ではなく頭がね。父と顔を合わせれば交戦は避けられないので、そうならないように立ち回るのが人の叡智ってもんです。もっとも先方は気にしていないか、政策会合で帰ってこないでしょうけど」


 この親子の会話は確かに厳しいやり取りだが、不当な誹謗中傷の言葉が出てくることはない。そのため葉山には二人がそこまで仲が悪いようには見えないのだが、お互いがお互いの信条の下に、お互いにとっての正論を述べている。それだけに、どちらかが考えを改めない限り和解することはないのだろう。例えば悪口雑言を並べ立てた末の険悪さで、それを謝罪すれば問題は解決……といかないところが難しい。


「まあ、家のことは生涯このままってこともないだろ。変わるきっかけでもあったら逃さんようにするだけさ。で、それは新装備の仕様書か。俺も見たが、ひでえよな」


 W.P.I.Uコマンド・ウォーカーの装備は腕部射撃装備品に一式長銃・二式短銃・三式突撃銃・四式鏡面破砕銃・五式機関銃・六式擲弾砲・七式噴進砲・八式滑空砲・九式誘導弾が用意されており、それぞれに甲乙丙などのバリエーションも出るが存在している。甲は大口径化や長銃身化で攻撃能力が高められており、乙は軽量化により取り回しが容易になったタイプで、丙は弾倉の大型化や弾頭の小型化で携行弾数を重視した継戦能力重視のタイプと分けられているが、複雑化したこれらをnext開発を機に見直そうというのである。弥兵衛もそのこと自体には賛成だが、問題は出された代替案の微妙過ぎる出来であった。


「従来の一式長銃を統合し長銃身化および大口径化を達成。連射速度は従来モデルと変化なく、より攻撃効率のアップに成功。ここまではいいとして、補足が「従来モデルよりも大型化したことで重量は1.7倍、基本携行弾数も0.6倍に減少。銃身にかかる負荷の増大により連続発射時間も減少」って、こんなことなら前のままでも……」


 得られるものと失うものの差に唖然とした弥兵衛だが、設計者によると「新型が弾切れするまで撃った場合を考慮するなら性能は明らかに上」ということである。確かに試験場で撃つだけならそうだろう。だが実際には戦場まで運び、こちらより数に勝る敵と戦い続けなければならないこともある。威力や短時間の攻撃効率だけで推し量られても困るというものだ。


「W.P.I.Uの基本戦略として、拠点地域を固めての専守防衛ってのがあるからな。そういう状況でのみ使うことを考えれば理には適っているんだ。弾の補充は滞らず、銃身の負荷が増したら交換すりゃいい。ただ、ハロンやインド洋連合派遣みたいな外で使うには不向きなのも確かではある。とはいえ遠征用の装備を作らせたら色々あって迷うのは以前と変わらんし、やはり従来品の改変ではなく新機軸のものを設計させるか。それの目処がつくまで当分は従来の装備でやっていくしかないな……」


 next開発はW.P.I.Uの総力を結集する形だったが、装備品にはそこまでの力は注がれていない。一つは、先行配属の機体生産だけでも本年度の軍事費をそれなりに消化してしまったことが理由で、もう一つはnextが正式配備されても機種転換訓練が終わるまで疾風32型(改)が主力なことに変わりはなく、nextのみが使える武器ばかりを作るわけにもいかないのが理由である。


「ハロンでの経験から申しますと、疾風は近接武器が用意されていてよかったなぁと。nextは出力も上がってるでしょうから、近接戦用レーザーとか付けられませんかね。実体の刃だと数回の使用で使えなくなりますが、レーザーなら発振器が健在で電力さえあればいくらでもいけるはず。まあ、実体がないので敵の武器を受け止めたりは不可能となりますが、少なくともC.C.Cの泰山型には近接武器がなかったですし」


 非実体型の近接武器(と呼べるもの)はバーナー型の溶断装備や火炎放射器がすでに配備されているが、前者は密着しなければ使えず後者は広範囲に及びすぎ効果が出るまでに逃げられることも多いため、戦闘に使われることは少ない。結局コマンド・ウォーカーの近接武器というと斧やナタ、中世の剣に近い重量に任せて断ち割るものか、鈍器やドリルなどの土木作業用具が主流となってしまっている。だがこれらは命中時に自機の腕部に掛かる衝撃も大きく、刃物であれば刃も潰れて劣化するため、武器としての信頼性には欠くところもあった。今後、各地でnext準拠の機体が登場すれば機動力増加に伴い近接戦闘の機会も増えることが予想され、これまではあまり目を向けられなかった近接武器にも改善が必要と考えられるのだ。


「光の剣で打ち合うってのは映画なんかでお馴染みだが、レーザーじゃ打ち合いは無理だな。まあ近接武器というより袖に隠した拳銃みたいなものと説明すりゃ妙な幻想を抱かれずには済むか。整備担当者組合からは「腕部の整備が面倒だから質量兵器での近接戦は禁じろ」という要望も出てるらしいし、ちょうどいいかもしれん」


「機体に乗っているほうも、好きで斬り合い殴り合いをするわけじゃないですけどね。撃って済むならそのほうが楽ですし。ただ、ハロンでもし敵にも近接武器があったら私も生きてはいなかったと思うと、やはり備えあれば患いなしなんだなと」


 このような経緯を経て後に開発される近接戦用レーザーユニット・Hide needleは腕部や胴部、脚部などパイロット任意の場所に仕込まれ、近距離の乱戦で活用されることとなる。W.P.I.U上層部には「含み針などロマンの欠片もなく、さらに言うならセコい」と酷評されることになるが、命を張る側には概ね高評価を得たのだった。



35・新たな地平に輝く星


 ng歴302年12月23日夜半、ついにnextの量産試作機が納入されることとなった。完成した機体はガルーダ等と同じくブロック構造を採用しており、目指した基本性能はガルーダとクベーラのほぼ中間に位置する中型機となっている。この機体はガルーダほどの機動性もなければクベーラほどの圧倒的高性能も持ち合わせていないものの、データ上の性能ではグラスホッパー型に近い出力と跳躍力を持ちながらより軽量高機動で、この機体の完成により「人型陸戦兵器の量産は一つの答えに到達した」のだ。


「人目に付きにくいよう運ばれたのがこんな時間になってしまったが、ついにnextの量産試作機が到着した。思えばガルーダとクベーラの開発開始から約3年、二機の試験から半年ほどと息をつく間もないほどの強行スケジュールであったが、皆よくやってくれた。nextの完成を祝し、杯を上げるとしよう。乾杯!ご苦労だった!」


 午前3時過ぎというのに異様なハイテンションの研究開発部員たちが、葉山の挨拶を皮切りに思い思いの掛け声を上げながらグラスを空にしていく。数十年に渡って続いた疾風型の酷使……という状況をどうにかしたいという思いは確かに強かったが、実際に手掛けてみると長く愛されるであろう機体を作るというのは非常に困難だった。自分たちが作ってみたいと思ったガルーダやクベーラの場合は喜びしかなかったが、量産機の場合は好き勝手が許されるはずもなくストレスの溜まる日々を過ごしてきた。しかし、それもようやく終わったのだ。それも満足のいく結果を伴って。


「さて、あとは命名の問題がありますね。伝統により開発担当が命名権を有するはずでしょうけど、事前のアンケートなどはしておきましたか?」


 機体開発最後の関門が、この命名である。コマンド・ウォーカー第一号のメタル・コングすら「ジェネシス」だ「ウッホ」だともめにもめ、数か月は名前が決まらなかったという過去があり、命名が難航するのは開発部の伝統でもあった。


「いや、特には。面倒だし最もウケた一発芸を披露した奴にでも決めさせるか?……ジョークだって!そんなに怖い顔するなよ。ほんと、悪かったって!」


 弥兵衛の問いにジョークで返した葉山だったが、その出来が良くなかったせいで弥兵衛にも周囲の部員にも冷たい目で見られてしまう。酒に責任を押し付け「頭を冷やしてくる」と外に逃げた葉山が、なにか超常的な存在から意を得たと言わんばかりに戻ってきたのは数分後のことである。


「決めたぞ!外で頭を冷やしながら空を眺めていたら星が見えてな。こいつは宵の明星、Venusでどうだ。和名だと暁星ってことになるか。コマンド・ウォーカーの新たなstageに燦然と輝く星と成らん……って意味でも「悪くない」だろう?」


 新型機は疾風よりやや大型化し線も太くはなったが、それでも同じ二脚型のG.B.P製ナイト・オブ・ナイトメアに比べればまだ細身である。骨太さが際立つN.A.U製の各種機体は言うに及ばず、それらと比較すれば女性的な名前もおかしくはない。


「どうせロクでもないことを言いだすと思っていたので、意外と真面目に考えてきたのが驚きではありますが……女性的な名前に抵抗がある人は暁星なりモーニング・スターなりの名で呼べばいいですしね。確かに「悪くない」んじゃないですか?」


 こうしてWCW-V302 Venus(暁星)は正式名称および形式番号として申請され、受理されるに至る。その特徴は疾風型(改)の教導員科訓練でも集められたデータを基に、脚部自体の設計にジャンプ機構やチェイス機構を取り入れていることである。これにより歩くケースは激減し、本格的にコマンド・「ウォーカー」でいいのかという議論を呼ぶことになるものの、機動性のスタンダードは大きく変化することになる。


「そして両肩の付け根部分。ガルーダにはラウンド・ブースターが装備されていた場所がブースターではなくマウンターになった……と。まぁ被弾しやすい胴部にあれだけ大きなブースターというのも、さすがに実戦的ではないという判断かな」


 回転式マウンターには七式以降のトゥーハンデッド(安定射撃には両手使用が推奨される火器全般を指す)を装着し腕部を使わずに発射したり、マウンターの回転により砲身を空に向けての対空射撃や崖上から砲身だけを崖下に向けて撃てるなどの汎用性を持たせつつ、空いた手には近接戦向きの装備を持てることで後衛配備時の欠点を解消しようという試みも為されている。W.P.I.Uのコマンド・ウォーカー運用経験と技術が生んだ、まさに期待の新星といったところであった。


「一応あそこにブースターも付けられるらしいが、やっぱり「動くだけ」を目的に作られたガルーダには動きの面じゃさすがの美姫も及びがつかんらしい。候補生たちはしばらくノーマルで慣れてもらうところから始めるだろうが、お前はどうする?」


 弥兵衛の答えは「ガルーダのままで」というものだった。機動性試験機のガルーダはラウンド・ブースターの可動域の影響で背部装備はブースターの間に収まる小型の自動給弾機構付きウェポンラックを一つ装備する程度に限られ、さらにトゥーハンデッドウェポンを両手で扱う射撃姿勢も取れない。戦闘用のコマンド・ウォーカーとして見るには明らかに暁星へと軍配は上がるが、弥兵衛としては「もうガルーダに慣れ過ぎてしまった」というのが乗り換える気になれない大きな理由である。


「重火器は使えなくても通常の銃は使えますからね。それにせっかく試験機を実戦向けに改装してもらったので、私はガルーダが失われるまで付き合うつもりです」


 その宣言通り、ガルーダは機体信号が失われるまで弥兵衛の愛機として幾多の戦場を駆けることになるが、現段階では戦場と縁のないW.P.I.U首都で、単なる訓練用機としての日々を送る運命にあった。



「こいつはスゲー機体だぜ!操作に慣れりゃあもうアンタにもデカい顔はさせずに済むだろうよ。今から負けた時の言い訳でも考えておくんだなっ!」


「そういうことは、まともに動かせるようになってから言うべきだろう。暁星に触ったことのない私のほうがシミュレーターの点数が高いことに違和感はないのか?」


 年も明けてng歴303年1月7日、教導員育成科にも帰省していた候補生たちが戻ってくる。そこでnextこと暁星と対面し、約1週間のシミュレーター漬けの日々を送ることになったのだが、レックス=オオミヤだけでなく候補生たちは軒並み暁星の扱いに困り果てていた。その大きな要因が操作性の違いである。


「平面移動は疾風と同じレバー。これは問題ないだろう。もう片方の手でコマンドパネルを操作することも変わらない。足元は従来の左右回頭用ペダルのほかにジャンプ制御用のペダルが増えているが、形状の違いこそあれこれは疾風(改)にもあった。となると、諸君らを悩ませるのは空中制御用に追加されたコレか……?」


 平面移動用のレバー(利き腕により左右変更可能)は従来モデルだと文字通り前後左右斜め360度の移動を制御するものだったが、暁星ではレバーの親指部分に小さなスティック状の入力デバイスと、人差し指および中指に2つのボタンが追加された。これらは急速移動用のもので、スティックを倒せば倒した方に最善の手段(追加ブースターがあれば点火し、なければ小ジャンプする等)で急速移動を行うのである。もちろん乱発すれば推力切れや脚部への過剰負荷が発生し行動に支障をきたすため、いつ使うかの判断が難しく、つい温存しがちになり候補生によってはこの機構の存在自体を忘れる(ように努める)など、動かす上で思わぬ障害となっていたのだ。


(このあたりはガルーダが参考になっているのか。私はガルーダで同じような操作をしていたから気にならないが、慣れない彼らには感覚的に抵抗があるのかもしれん)


「指のボタンは高低差の調整用だ。人差し指は上昇、中指は下降。地上で押してもジャンプで上昇してしまうから、昔のクセでレバーを全力で握りしめるなよ?敵前で飛び跳ねて撃たれるなんざ、マヌケな死に方をしたくなかったらなぁ!」


 シミュレータールームに訓練教官の一人、クリストファー=レジェス少佐の叱咤が飛ぶ。彼がサイパンで操ったクベーラは複雑な操作がない機体で、実を言えば彼も最初は暁星の操作に少し戸惑った。しかしテストパイロットに選ばれるだけあって、候補生の誰よりも早く適応し面目を保つことに成功している。


(かつての戦闘機パイロットたちも、ドッグファイトになると天地の判別がつかなくなり自ら墜落や失速の窮地に陥ったというが、もし鳥の感性を持っていたならそういうことは起こらないはずと言われていた。人が普通に動く挙動からかけ離れるほど、自分の動きに気持ち悪さを覚えてしまうのは感受性の高さによるものなのか……?)


 とはいえここに、慣れ切ってしまった男の実例が存在している。絶対に制御不可能という代物でもない以上は、違和感を感じようが気持ち悪くて戻そうが慣れて乗りこなしてもらう他ない。


(ただ、この違和感なりの正体が楠木アビオニクスの仕込みでないかだけはよくよく見ておかねばならないな。今のところ、おかしな点は見受けられないが……さてどうしたものかな。我々だけでは知識に限界もあるし、専門に意見を仰ぎたいが)



「まさか、中佐にお誘いされるとは思いませんでした。メカに向かうしか能がない私なんかを誘うだなんて、やっぱり変わった方なんですね?」


 ある土曜の晩、弥兵衛の私室を尋ねてきたのはキャサリン=シュレード。ガルーダなどの制作にも関わったAI関連が専門の技師である。軍関係に勤める以上ここは出会いの多い職場のはずだが、お眼鏡に適う人物と出会えるかは別である。特に、いわゆる理系の技師たちにとっては。


「呼び立ててしまって悪かったね。ただ、私もこれでなかなか一方的な知り合いが多くて、外で会うと君に迷惑を掛けることにもなりそうで。まあ座ってくれ。アルコールは大丈夫なんだろう?」


 そして二人はワインと軽い肴を嗜みながらガルーダやクベーラ、そして暁星についての話をする。あそこがいい、ここが悪い、このように改善したいなどの色恋とは無縁の話が続くと思われた中、酒が入り饒舌になったキャサリンから暁星のコックピットブロックの話が出る。だが弥兵衛は話を遮り、続きは後ほどにと伝えると彼女を浴室に誘うのだった。あまりの急展開に目を白黒させたキャサリンだったが、よく思える節がなければ最初から男の部屋に一人で来たりはしない。迷った素振を見せた後、彼女は申し出を受諾する。


「ふう、ここなら盗聴の心配はないよ。ああ、実は私の部屋にも葉山准将の部屋にも盗聴器が仕掛けられているんだが、排除すると気づいたのもバレてしまうから相手が見えてくるまでそのままなんだ。さすがに浴室には仕掛けられておらず、ここの声は聞こえづらいから外の機械では何を言ってるか聞き取れないだろう。もちろん服はそのままでいいけど、時々でいいから艶っぽい声を出してくれるとありがたいかな」


 新たな急展開にまたしても目を白黒させるキャサリンにざっと事情を説明すると、彼女はやや不機嫌になりながらも暁星のコックピットブロックについての所見を述べ始めた。中でも気になったのは、機体がコンディション・ブロークン以降になり機密保持機構が発動した際、パイロットに可否を問う選択肢が用意されていることだという。機密保持機構はパイロットが死亡、またはそれに類する状態の時に自動発動するものであり、選択肢が出ても選びようがないケースも多いはず……というのだ。


「なかなか悪くないっ!……目の付け所だね。確かにもう死んだか、死ぬであろう状態のパイロットに何を選ばせるんだって話だ。どういうことか実際に見てみたい気もするが、シミュレーターではもちろん訓練でも見ることはできないか。困ったな」


「私もっ!……解析しようと試みたんですが、プロテクトがすごくて。中佐にお話を聞くまでは「いわゆる自爆って最後の最後だし別にいいか」くらいに考えていたんです。でもこうなると、ますます怪しくなって……きましたっ!」


 など音の籠る浴室という地形効果がなければただの三文芝居に終わる二人のやり取りを耳にしている者たちは、かつて弥兵衛と葉山に煮え湯を飲まされ退役に追い込まれたオブライエン少将の部下たちである。彼らは諜報部の経験を活かし弥兵衛と葉山を監視し、復讐の機会を伺っていたところに「ドジョウの養殖業者」から話を持ち掛けられたのだ。


「ハロンの英雄殿は「ベッドじゃ後始末が面倒だから浴室で愉しもう」と籠っておられます。それに対し我々は盗み聞きとは。まったく、恨み晴らさでおくべきかってやつですね。浴室の声はお愉しみの部分しか聞き取れませんが」


「馬鹿もん!我々はパパラッチでもなければバラエティ番組の三流記者でもない。軍に対し重大な造反の恐れがある男を追っているのだ。もう少し気合を入れんか!」


 と叱る上官も、さすがに出羽亀の真似事で士気が上がるはずもないことは理解している。どうせよく聞き取れもしない浴室でのやり取りは無理に監視せず、浴室に入る前後に集中せよとの指示を出した。非常に次元の低い話だが重要なことについても、弥兵衛は読み勝ちしたのである。腹いせに「部屋で女性と密会している」とのうわさを流されはしたが。



「最近うわさの風呂人間じゃないか。なんだかN.E.Uの地名にありそうな名をつけられたもんだ。にしても後片付けぐらい、男の甲斐性としてやってもいいだろが?」


 弥兵衛を見つけて嬉しそうに声を掛けてくる男は、階級的にも葉山誠士郎しかあり得ない。候補生もいるところで何を言っているのかと思うが、この男のふざけたようで抜け目ないところは「盗聴された結果のうわさである」ことを知って話題にしてくることだ。笑い話にしてしまうことで、真剣な詮索などをさせないようにという計算の上なのだ。もちろん、からかってやろうという気も多分に含まれてはいる。


「まったく、どこからそんなうわさが流れたんでしょうねぇ~?そりゃ女性の来客がある日は皆無だったと言い張る気はありませんが、色欲沙汰でないことはウソ発見器にかけられても大丈夫だと誓えるんですが~?」


 仮にウソ発見器にかけられても大丈夫というのは、確かにそうだろう。キャサリンとは3回ほど会う機会もあったが、浴室での行為はすべてコックピットブロックの謎を解明するための打ち合わせである。色欲絡みか、と問われればNOでしかない。


「そういうことにしておいてやるか。それにしてもお前、部屋に盗聴器でも仕掛けられていないかチェックでもしたほうがいいんじゃないか?特に浴室は念入りに調べたほうがいいぞ。なんせ風呂人間とかうわさが立つくらいだからな。元・諜報部の敏腕士官だったこの俺が調べてやっても構わんぜ。もちろん謝礼はいただくが」


 二人の会話は内容的に、人に聞かせるようなものではない。にもかかわらず声に控えめなところがないのは、これを盗聴しているであろう輩への牽制である。浴室での会話が多くイライラが募った諜報員たちは「風呂人間」という流言で浴室行きを制限しつつ、改善が見られなければ浴室にも盗聴器を仕掛けようと考えていたが、それを封じるために「浴室は念入りに調べられる空間」という条件を設定したのだ。あくまで盗聴に気付いていないフリを続けつつ、それでいて秘密空間は守るために。


「今の話を聞いたのか、急に動いた人たちがいますなあ。これで私の部屋の盗聴器はより巧妙に隠されそうですが、まあ最初っから探す気もないので構いません。しかし彼ら諜報部ですよね。養殖業者に転職したのか、それとも……」


「俺に探されたら困るようじゃまだまだ二流だな。だから転職したのか、もしくはオブライエンの野郎の手下だったのかは分からんが、諜報部ってのは非合法なことをしても目的だけは正しく在らねばならない。非合法な目的のために非合法な手段を用いるなら、そんなのはただの犯罪集団だ。必要悪であって絶対悪じゃないんだからな」


 自分たちを監視していた諜報部員が立ち去ったのを確認した途端、二人は本格的に人には聞かせられない会話を始める。もっとも、先ほどまでと違い声量は大きく低下しており、さらに遮音装置を起動し近い距離でなければ音が打ち消される状況のため、読唇術でも使えなければ会話を推察することも難しい。


「いずれにせよ、彼らから来てくれたおかげで何か企んでいることは分かったわけです。軍部にも深く根を下ろした陰謀が画策されているのだろうと、疑惑から確信に変わったと言うべきでしょうか。まったく、どうしてこんな人ばかりなんですかね?」


「さあな。だが古来より現在まで、人の作った国が消えずに残った例はない。文化や言語、思想に理念などは受け継がれても、国は必ず失われる。人が集まって形成される国ってのは、それ自身に命や肉体がなくとも「人」なのかもな。人がいつか寿命を迎えるように、人と同じような存在の国もまた、寿命に至り消滅を迎える。そして主な死因となるのが、まるで癌のように国を蝕むああいった売国奴というわけさ」


「なるほど。W.P.I.Uも95歳、少なくともそれなりの歳になったおかげで身体に変調を来たしてもおかしくないと。病原体や患部は取り除かないといけませんね」


 ng歴208年に誕生したW.P.I.Uも、すでに設立95周年を迎える。連合の新たな風に夢や希望を託す開拓者の時代は終わり、現実の風に流されて生きる定住者の時代に変わりつつある。そして次に起こるのは、権力争いというのが人の歴史だ。


「そうだ。nextが誕生したことにも掛けて、設立100年に向けてのnext stageがここから開幕ってわけさ。5年内に、少なくとも軍部の癌細胞どもを残らずぶっ潰してやるぜ。当然、お前にも働いてもらうからな?」


 もちろんです……と短く答えた弥兵衛だが、自分にできることはそれほど多くはない。まずは候補生を鍛えつつ、暁星に仕組まれた秘密を暴かなくてはならないが、どちらもかなりの困難が予想される。ゆえに深く考えすぎるのは止め、結果を出せる事象……候補生たちの鍛錬から取り掛かろうと決意するのであった。

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