第15話 人の行く末

32・強いられた変化


 W.P.I.U日本地区の首都居住区は、かつて東京と呼ばれた大都市圏である。連合内で最大の規模を誇った旧日本はW.P.I.Uでも根幹を成す立場となり、東京は日本国の首都からW.P.I.Uの首都へと変わった。しかしW.P.I.Uの方針として「各地域の独自性には一切干渉しない」というものがあり、W.P.I.U統一基本法遵守と公用語たる英語教育の義務化以外は特に厳しい文化統一なども行われていない。


「そしてこの時代に於いても、密会は料亭で行われるというわけですか。私はもう若者のように腹が空いてばかりということもありませんが、それでもこの手の店が値段と満腹度のコストパフォーマンスに優れているとは思えず、忌諱しがちですね」


 隣に座る葉山誠士郎に、本日の会談が行われる料亭「悠久」の説明を聞いた弥兵衛が最初に漏らした感想がそれである。プライベートな用件のため軍の電気自動車は使えないが、個人的に手配した車は自動運転車であり、悪口雑言が飛び交ったとしても眉を顰めるドライバーはいない。


「世界中の海で、自国領海以外での漁業を禁じられて早100年だ。海の魚を喰えるだけでも泣いて喜ぶ人間は世界に多いというのに、お前と来たらその言い種か。まぁうちの連合は海洋資源の保護に積極的だったおかげで、領海内の海洋資源は豊富な方だし有難みを感じにくいってのは確かにあるが、もう少し喜んだらどうなんだ?」


 ng歴に入り食糧難が深刻化すると、多くの国は海洋資源に活路を求める。世界各地の外海で我先にと遠洋漁業を行った結果、海洋生物の生態系に深刻なダメージを与えてしまう。事態を重く見た先進国連合同盟は共同声明を発表し、領海外での操業を行うあらゆる船舶に対し通告後一方的に攻撃を行うと宣言したのだ。


「海洋資源保護の条約に調印しておきながら、守ろうともしない連中が多かったから仕方がないのでしょうが……あれのおかげで後進国は結構な人口減少を招きました。賄い切れないのに人ばかり増えたツケと言えばそれまでですが、生まれた場所が悪かっただけで餓死した当人に責任はないと思います。だからと言って代わりに死んでやろうとか、世界の恒久平和のために何かしようとも思いませんけど」


 すべては、人が増えすぎてしまったために起こった悲劇である。その咎を「他の生物を喰いつくす」ことで償ってしまってよいのか。人はそれでよいとしても、人以外の生物はどうか。人も地球上に生きる一種族であって神ではない、という原点に立ち返った時、先進国連合同盟は人類の間引きを決意した。後の歴史には「人類史上稀にみる大罪」と記されようとも、ここでやらねばその歴史がないとの決意の下に。


「人類の歴史は、安定期と戦乱期の繰り返しで紡がれているんだ。俺たちはちょうど戦乱期の只中に生まれてしまったから、運命に従い戦うだけさ。西暦で言えば千年ほど前の日本も戦国時代で、日本人同士が血で血を洗う生き方をしていたという。同国人でやり合ってた時代に比べりゃ、まだ未来に向いているのだろうよ」


 人の歴史、それも戦乱期には後の世に語り継がれる者が生まれる。戦乱に終止符を打つ者や、逆に戦乱を広げたとして悪名を残す者もいる。この時代で名を残すのは先進国連合同盟の指導者たちだろうか。それとも別の組織に属する誰かなのか。そのようなことに思いを馳せているうちに車は料亭に到着し、中将の待つ部屋に通される。


「葉山も遠路はるばるよく来てくれたな。今宵は軍人としてでなく、一個人として席を設けさせてもらったゆえ堅苦しい挨拶は無用ぞ。さあ座れ座れ」


 酒宴が始まり一頻り歓談を終えると木村中将が「そろそろ本題に移るか」と言い、弥兵衛に教導員育成科について尋ねる。中将も初日から候補生がふるいにかけられ半数になったことは知っており、その点については大いに笑い話となったものの、続く言葉に弥兵衛は笑ってもいられなくなった。


「この半月ほど彼らを指導してみて思ったのではないかな。彼らが本当にW.P.I.Uの各地から選ばれた逸材なのだろうか……と。彼らは確かにW.P.I.U各地から選ばれたに違いないが、実は学業成績で選ばれたわけではない。では選考基準はいったいなんだったか、貴官に思い至る点はあるかね?」


 それは弥兵衛も抱いた疑問である。柊雪穂をリーダーとする優等生グループは、間違いなくW.P.I.Uの将来を担い得る才の持ち主だろう。本来なら教導員ではない、例えば軍の中枢に配属される統合作戦科などの高級士官候補生が歩む道に進むべきと思われる。逆にレックス=オオミヤは生粋のコマンド・ウォーカー乗りとして前線勤務送りにし、現地で鍛えるほうがいいようにも思うのだ。


「私の学生時代に比べれば……という自虐ネタを抜きにしますと、確かに選ばれたエリートであるという話には若干の違和感を覚えます。ただ、各員とも機体の操縦には適性があると申しますか、半月程度でよくもここまでやる……という感想は持っております。私も慣れるまでには一か月くらいを要しましたし」


 木村中将は頷きながら、リストバンドCPUから一つのリストを投影する。冒頭には「ng299年度・適性検査 全地区版」と書かれており、3年前に作成されたものということだけは想像できるものの、なんの検査かは想像つかない。


「二人とも学業を終えてずいぶん経つから知らんだろうが、3年前から高等科課程前すべての子供にいくつかの検査が行われるようになっておる。新学期の身体測定の一環と偽ってな。これはその検査で好記録を出した者たちのリストじゃよ」


 目的を明らかにせず行うものなら、ロクでもない代物に違いない。そして自分たちが呼ばれてその話が出てきたなら、検査を行っているのは軍関係と考えるのが妥当なところだろう。さらに3年前は高等科に編入される年齢との条件まで加われば、おおよその答えは見えてくる。


「お前の生徒たちは、間違いなくW.P.I.U各地より選ばれたエリートだったようだ。問題は何に対してのエリートか、これだけじゃさっぱり分からんってとこだが」


 葉山の読みも弥兵衛と同じだったようで、このリストに名のある者が教導員育成科に回されたと考える。木村中将は洞察力に優れた教え子たちを褒めるように頷き、答えを明らかにした。


「そう、このリストから本格的に軍の道に進む選択をした者たちが育成科に配属されたのじゃ。試験内容は、反射神経や視力聴覚などの五感チェックから神経衰弱の初手を当てさせるような知覚力と運まで測るかのようなものだったと聞く」


 それを聞き、弥兵衛と葉山は思わず顔を見合わせた。W.P.I.U軍はC.C.Cなどと間接的とはいえ交戦状態にあるが、そのような不確かなものに縋る必要があるとも思えない。目的が「敵対勢力の自滅」にあるため大規模な侵攻軍は組織されていないが、戦って防ぐだけなら現状でも大きな問題はないはずなのだ。それなのに、なぜこのようなことをするのだろうか。


「花形はハロンやインド洋連合の援軍としてC.C.Cと戦ったな。儂も過去に何度も彼らと交戦したが、ここ数年で明らかに変わったことがある。お前さんは思い出したくもないだろうが、子供が兵士として戦うようになったのだ。ハロンでもそうだったように。そういえばサイパンでもG.B.Pのレディに会ったのであろう?いまや世界は、二匹目のドジョウを狙わんとばかりに彼女のような才の持ち主を探しとるわけじゃ」


 だからW.P.I.Uでも独自に「ドジョウ」を探す方法を模索しており、今回は被検体第一号として彼らが選ばれたということか。そういうことなら、普通に教練課程を終わらせればいいだけだ。その先に彼らが真に才を発揮するのか、それともしないのかは自分の与り知らぬところで、与り知りたいと思っても知りようのない話なのだ。


「C.C.Cは人の命が安い国柄もあって、ドジョウを探す方法も乱暴じゃ。一定の訓練を終えた学徒を動員し、前線勤務で一年を生き延びれば適正ありの可能性と判断られるらしいからの。それに対しわが連合ではじっくりゆっくり時間をかけて探す予定じゃったのだが、とある事件がきっかけでそうもいかなくなった」


 とある事件とは、内部漏洩などで計画が漏れたという話だろうか。そうでなくとも身体測定でトランプめくりなど正気を疑う行為であり、話を聞きつけたマスコミに突っつかれても不思議ではない。


「残念。答えは貴官だ、英雄の花形殿。貴官がハロンで見せた戦いぶりは、軍部内でも大きな話題となった。軍学校時代は冴えない成績だった男がこれほど戦えたこと、そして居るかどうかも分からぬドジョウのために予算を割くのは無意味で、同じ金を使うなら原石を探すためではなく、手にした石を磨く方に使うべきとなったのだ」


 長らくシステム更新と外部装備の追加で済ませてきた主力機強化を、ついに次世代機の開発という段階に踏み出したのはそのような理由もあるのか。そういうことなら悪くない話という気もするが、中将の顔は暗いままだ。


「問題は、ドジョウを探していた連中が養殖を企て始めたことじゃ。奴らは逆転の一手として、教導員育成科にすべてを賭けた。特段の事情がない限り2年後に関連部署は解散と決まっておるしの。いずれにせよ、自分たちの運命を揺るがせた男に自分たちの運命を託すとはひどい皮肉もあったもんじゃが、そういう裏事情があるわけだ」


 しかし仮にドジョウが育ったとして、何か問題があるだろうか。そのドジョウたちは後にW.P.I.U軍のコマンド・ウォーカー隊に欠かせぬ存在となるだろうし、ほかの部署の予算が滞るのでもなければ好きにやらせておけばいいのではとも思う。


「ここからはまだ疑惑の段階じゃ。事実とは異なる可能性もあると心した上で聞いてもらいたいのだが、まずはこの資料を見てもらおうかの」


 中将がCPUから投影したのは何かの図面と、大企業の社屋らしき大きな建築物の写真であった。図面のほうはコマンド・ウォーカーのコックピットブロックであろうことは察しがついたものの、世俗に疎い弥兵衛には何の企業かは分からなかった。


「楠木アビオニクス……なるほど。もう一花咲かせたい連中同士、意気投合したと」


 そう漏らす葉山の顔は苦々しい。彼にはこの写真に写る企業について何か思うところがあるようだったが、直接的な答えは返ってこなかった。もっとも、嫌っているということだけはよく分かったが。


「諜報部にいた頃こいつらを調べたことがあってな。そりゃもうどうしようもねえほどの偽善者どもさ。世間的には優良企業で通ってるのも気に食わねえ……です」


 最後にフォローが入ったのは木村中将がいるのを思い出したからだが、葉山がそれを忘れてしまうほどの嫌悪感を抱く企業とはなんであろう。弥兵衛の興味も沸いてきたものの、聞いてみれば気分の良くなる話ではなかったと後に後悔するのである。



33・人を食い物にするモノ


「楠木アビオニクスはW.P.I.Uでも古参の企業だ。ここは主に航空産業を手掛けているが、それ以外にも手広くやっている。そのうちの一つが「楠木学園」だ。全寮制の小中高一貫教育校で、最大の特徴は身寄りのない戦災孤児なども積極的に受け入れてるってことだな。一方で、軍務カリキュラムを採用していないため卒業生は軍関係の仕事に就くことはできない。あくまで一般校であり続けたいらしい」


 それを聞いた弥兵衛の意見は「いい企業じゃないですか」というものだった。世間的なイメージも大体がそのようなものと思われるが、それは表の顔に過ぎない。


「いまや戦闘用の航空機は無人機が主流じゃ。しかしAI機が臨機応変さに欠くということは貴官もよく知っておろう。航空機はコマンド・ウォーカーほど自由に挙動は決められぬから任せてしまえる範囲ではあるが、人ほどに柔軟な対応ができれば更なる発展も望める。そこで彼らは考えた。どうすれば人に近いAIが作れるかを」


 AIの学習リミッターを制限しなければ、AIは驚異的な速度で学習を行う。しかしその場合ほぼ確実に余計なことまで覚えいずれ暴走してしまうため、どこかで制限を掛けなければ実用化には遠くなるのだが、この制限の線引きが難しかった。


「ところで弥兵衛、お前はAIというと何を思い浮かべる?そう、普通はCPU上のプログラムを思い浮かべるだろう。しかし楠木アビオニクスの連中は違った。あいつらは人そのものをAIとして扱おうとしやがったんだ。人の脳をCPUに再現するところから始まり、脳だけになった「かつての人」をパイロットにした宇宙船の研究を行ったこともある。食料がなくても長期の外宇宙探査に耐えうる、とか抜かしてな。しかし宇宙開発の道が閉ざされると、次は材料からAIを育て売る道を選んだんだ」


 楠木学園はそのための、言うなれば獲物を捕らえるための餌をつるした檻のようなもの。軍とは距離を置き監査の目を遠ざけつつ、身寄りのない戦災孤児という人体実験向きの素体を確保し、才能的に有望な者だったら自社グループの将来のための人材育成も行う。実に合理的と言えるやり方である。倫理的な問題を除けば。


「W.P.I.U基本法違反に該当してるものがあるんじゃないですか、それ。諜報部もそう考えたから内偵を行ったんでしょう?」


 葉山は短く「そうだ」と答えたが、結果が振るわなかったことは顔を見れば分かることだった。楠木アビオニクスの所業は確かに倫理的にはまずいが、法令には「完全に抵触していない」程度に細工がされており、何より「戦災孤児の保護育成」「多額の企業献金と納税による経済的支援」など政治家にとって魅力ある企業でもあり、軍の諜報部の報告などは簡単に握り潰されてしまったのである。


「俺が諜報部で最後に行った仕事がアレさ。あの癒着を断ち切るには、しがらみのない人物がトップに立つしかないのだろう。ジョージおじさんなら大企業からの賄賂に惑わされる人ではないから、下馬評通りいずれ首相となってくれたら奴らを潰すチャンスはあるかもな。ハロンの時のように取り巻きが勝手に動くかもしれんが」


 弥兵衛も父とソリは合わないが、誰よりも己に厳しくあるという姿勢を貫く姿勢には及びもつかぬと認めている。父がW.P.I.U首相となれば多くの人は今より幸せになるはずだが、一方で現状にあぐらをかいている者たちは戦々恐々としていることだろう。自分も含めた公務員の恣意的犯罪には厳罰を課す通称「公務員厳罰化法案」を通したことは、要するに自身への賄賂や買収工作は許さぬと示したも同然なのだ。


「それは、いずれ時が決めることでしょう。してこの図面ですが、コマンド・ウォーカーのコックピットブロックですよね。これに一体どのような問題が?」


 全体の形状やコンソール、シートなどがあるためコックピットブロックであると判断できるが、弥兵衛も機械工学は専門外である。図面を見ても異常個所が判別できるはずもなく、中将に解答の明示を求めるようにそう質問した。


「儂もよく分からん。だが、次世代機のコックピットブロックを担当するのが楠木アビオニクスに決定され、その選考プロセスも不明慮なものでな。何かよからぬ細工でもあるのではないかと図面を手に入れさせたのじゃ。教導員育成科に先行配属される試作型10機の完成は約4か月後、303年1月を予定としておる。残された時間的にこの図面のものが採用されることは間違いなかろう。図面を渡しておくゆえ、よくよく精査しコックピットにおかしな機能がないかの確認と、実機配備後は比較検証を頼みたい。これが今日、わざわざお主らを呼んだ本題というわけじゃよ」


 G.B.PやE.A.Uでは疑似人格を持つAIの育成が盛んであり、それをパイロットにできれば生命安全装置など有人機ならではの必須装備を撤廃でき、なおかつ人間の搭乗時と同じような臨機応変さも得られると考えられつつある。だがその開発は道半ばで実用化の目処も立たない中、折衷案ともいえる「人を素材にした機械」に目を向ける者たちがいる。その旗手とも言うべき楠木アビオニクスが、この機会を逃すはずはないというのが木村中将の読みだったのである。


「ご依頼につきましては、謹んでお受けいたします。人を人とも思わぬ者たちのことですから、何が仕組まれていてもおかしくはありません。機械工学は小官の専門外ですが、でき得る限りの調査を行うことお誓いします」


 弥兵衛がそう答えると、葉山も「手伝えることがあれば手伝う」と一歩下がった形で応じたが、すぐに当事者の一人にされてしまう。彼には彼で、新たな辞令が下る予定だった。


「いや、近いうちに研究開発部にも辞令が下るはずじゃ。すでに次世代機本体の研究開発は終了し、次はそれらの機体の装備品を研究開発せねばならぬからな。して、試作機が最初に配属される場所に貴官ら研究開発部も異動となるが、どこだと思う?」


 どこも何も、教導員育成科に配属されるというのはつい先ほども話題になった。葉山は葉山で家のことや「リトルホープ制圧事件」などで軍中枢には近づきたくない思いもあり、サイパン行きを喜んでいた節もあったが、夢の終わりは早いものとなる。


「政治家と大企業とマスコミの思惑や陰謀が渦巻く絶好の環境にようこそ、葉山准将殿。いつまでもサイパンで一人バカンス気分でいられるなどという甘ったるい夢の代わりに、甘ったるいコーヒーでお出迎えして差し上げますよ!」


「……他人の不幸をそこまで喜べるとは、性格が悪くなけりゃ英雄様にはなれないってわけか。純真無垢な俺には一生かかっても無理だな。せめて気に食わない野郎のコーヒーと俺のをすり替え、嫌がらせしてやるのを楽しみに過ごすとするさ!」


 弥兵衛の心籠った歓迎の言葉に、純真無垢とは程遠い台詞で返す葉山。木村中将は二人を見ながら、自分の子供たちを思い出さずにはいられない。長男はすでに戦死して世を去り、次男は軍関係に進まなかったため軍の要職にある中将は退役まで年数回の面会しかできなかった。自分が去るまでに問題は片付けてしまいたいと願うも、そのために息子と同世代の男たちを巻き込まねばならない。二人は協力することを約束してくれ、そうと分かっていたからこそ話を持ち掛けた。自身の無能を呪いつつも。


「儂の世代で問題を片付けられたら、若い衆に苦労をかけずに済んだのだがの。問題がなくなると儲け口を失う輩の何と多い事よ。この案件は貴官らの世代にも尾を引くとは思うが、どうか連合のためによろしく頼む」


 二人は中将に敬礼し、こうして想いは引き継がれた。後にW.P.I.Uを揺るがす一大事件に発展する「スケアクロウ計画」の、これが発端となる事象だった。



「しかしコックピットブロックに細工したとして……どうするんだろうな。勝手に動くならパイロットが搭乗する必要はないし、パイロットが主体でAIが補助なら現状と大して変わらん気もする。コックピットブロックごと洗脳装置にでもしちまうって可能性もあるが、パイロットがおかしくなりゃさすがにすぐ感づかれるだろう?」


 密会を終え、軍宿舎に戻る車内で二人は「楠木アビオニクスの野望」についての推測を披露しあった。この葉山の意見はごく一般常識的な範囲から逸脱していないが、それだけに「この部分をどう超えてくるのか」が指標ともなる。


「あの会社が人体への悪影響を度外視するのなら、コックピット内のパイロットを気にかけない機体を出してくるかもしれないですね。next開発に関連する企業の中に楠木アビオニクスと繋がりのあるものがないか、洗い直すほうがいいかもしれません」


 コックピット内だけなら、そう派手なことはできないはずというのはパイロット目線でも同様である。しかし「コックピットを経由できさえすれば可能」なことなら多岐に渡るのも確かであった。その最たるものは、パイロットの生命安全を無視した挙動を行うことだと弥兵衛は考える。現状のAI機が有人機より明確に勝るのは、定点観測からの射撃精度およびパイロットの安全を考慮しなくてもよい点であり、人を乗せたまま欠点を補えば理論上は「誰もがエースパイロット」になり得る。その結果パイロットが戦闘後にどうなってしまうかは、人非人にとってはどうでもいい話だ。


「ガルーダもかなり無茶な企画だったが、あれはどうにか人が御せるものに落ち着いた。俺たち作る側が、自ら乗り込んで操る機体として考えていたからだ。しかしnextはそうじゃないかも知れんってわけか。nextに自分で乗るやつは皆無ゆえにな」


 まず完成するのはnextの量産試作機。そこで何か問題があっても、それは「試作段階で生じた改善点」で済まされる。改善のしようもない致命的な問題は論外だが、例えば「何かしらの理由でパイロットが不調を訴えた」程度なら「機動性能が人体に与える影響の調査とそれの調整」という部分に目を向けられることになり、コックピットに細工があるなどとは考えられる可能性は低い。


「連中の好きにはさせませんよ。もう、誰かが自己の欲求のために兵を犠牲にするなんて見たくないですし、見る気もないです。彼らも一応は私の生徒達ですしね」


 それを聞いた葉山は「柄にもなく教師らしい」とからかったが、弥兵衛は二度と政治的要因のために兵士を死に追いやることは許さぬと誓っている。それを果たせなければ、自分一人がハロンの地獄で生き残った意味がないのだから。



「……で、この騒ぎはいったいどういうことか。誰か具体的かつ客観的に説明できる者はいないのかな。それとも、全員が当事者という認識でいいのかね?」


 宿舎に戻った二人を待ち受けていたのは、憲兵隊に拘束され食堂の掃除をさせられている教導員育成科の候補生たちである。よく見ると掃除をしているのは先日の模擬戦に於いてチームAとBに所属していたメンバーで、顔が腫れたり鼻血の跡がある者もいる。どうやら二組が取っ組み合いの喧嘩騒ぎを起こしたようであった。


「生徒の教育もしっかりしてもらわんと困りますね、中佐殿。そりゃ若いうちはこういうこともあるでしょうが、憲兵隊が出るほどに騒ぐのは度を越しておりますぞ?」


 うまい料理と酒を愉しんで帰ってみれば、宿舎管理人のお小言という望まぬデザートまで付いてきてしまった。明らかに笑いを堪えている葉山は無視して争いに加わらなかったチームCのメンバーに話を聞くと、チームA・B双方のリーダーの言い争いが問題の発生原因であるとの答えが返ってくる。弥兵衛はつい「またレックスか?」と考えてしまったが、正解は別のもので恥じ入ることとなる。



――君もあの資料映像を見たのなら、中佐が部下だけを犠牲にして生き残ろうとした方ではないことぐらい分かっていたでしょう?それなのにあの言い種はなに!?


――うるせぇぞ優等生!お出迎えに選ばれたからってアイツの女気取りかよ。アイツはやめとけ。優等生にお相手できるような男じゃねぇ。ありゃ黒い、ペテン師さ!


 柊雪穂とレックス=オオミヤのそんなやり取りから、柊雪穂の強烈な平手打ちが炸裂し、レックスの反撃が避けられ腕を取られたまま投げられると、それを合図に両者の友人たちが集団戦を始めた……ということであった。弥兵衛は心の中でレックスに詫びつつ、発端となった両者を呼び出した。


「私もこの歳になって、初等科レベルの喧嘩を見せつけられるとは思わなかった。そういう意味では実に飽きない人生を送らせてもらえて感謝するよ。それでまあ、君らにも何か傾聴に値する言い分があるかもしれない。取り敢えず聞くだけ聞こうか」


「私から申し開きはなにもありません。先に手を出したのが当方の点も認めます」

「聞いたろ、このヒス女がいきなり殴ってきたんだよ!俺は被害者で正当防衛だ」


 この話だけを聞けば、確かに手を出した側と出された側という図式は成立する。ただし争乱は両者に留まらず、拡大させた原因が両者にある以上、片方だけを処罰するわけにもいかなかった。


「しかし反撃を試みた時点で一方的な被害者ではないな。殴り返した挙句それを投げ返され、それが乱戦のきっかけとなったのだから。その時ひたすら堪え、後になぜか平手打ちを喰らったと問題提起していれば食堂を荒らすこともなく、管理人さんにも憲兵隊にも迷惑を掛けずに済んだと思わないか。ついでに私にも」


 反撃したが腕を取られて投げられたことは、レックスにとっても痛恨事である。彼が「成績がいいだけの優等生」と甘く見ていた相手は、護身術の成績も優等生だったのだ。男だからという時代ではないにしても、成すすべなく投げられたことは軍人候補生として恥ずかしい事でもあり、レックスとしても黙るしかなかった。


「二人にはこの件の罰として来週いっぱい、訓練機10機のコックピットブロック清掃を命じる。一人5機ならまぁそこまで時間もかからないだろう」


 もっと厳しい罰が下されるのではないかと気が気でなかった彼らの仲間も、その温情措置を聞き一様に胸をなでおろす。ただし、一瞬だけ。


「……とはいえ、小綺麗なままでは罰にならんからね。チームA・Bのメンバーは実機訓練前の食事はしっかり食べてくるように。どうしても食べられなければ仕方ないが、私の経験では胃液だけ戻すのは非常につらいからな。我慢できれば大切なリーダーの掃除が楽になるんだ、まさにチームの絆が試されるってものだろう?」


 食堂の片隅で声を殺して笑う葉山と、来週からの過酷な実機訓練を想像し言葉を失う候補生たちの温度差に呆れつつ、弥兵衛は食堂を立ち去る。まったく手のかかる者たちだ……と思うと同時に、この愚かで些細な所業は実に人間らしいとも思う。そんな彼らを人間ではない何かにしてしまう計画があるのなら、断じて許すわけにはいかない。人の行く末は人であり続けるべきで、人以外の何かになるのを進化と呼ぶにはまだ期間が短すぎる。変わるとしても自然に変わるべきで、人の手により強制的に変えられるべきではないのだ。そう決意も新たにする9月末の夜であった。

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