第11話 繁栄と退廃

24・人の領分


8/30 12:05

 ng歴302年8月30日、弥兵衛を乗せた旅客機が日本地区の東日本国際空港に到着する。行きは試作機や整備員なども一緒だったため開発部の専用輸送機albatrossでサイパン入りをしたが、今回は一人だけの移動であり軍用機を出してもらえなかった。


(まったく、経費削減を迫られているとはいえ民間機で帰還とはなあ。軍服の着用も免除するというあたり、ロクでもない理由の呼び出しかもしれない……)


 弥兵衛は薄手のジャケットに麻のパンツという、いかにも「バカンス帰りです」と言わんばかりの恰好で降り立つ。それも当然で、何しろ急な異動があるとは考えておらず軍の支給品しか持ち合わせていなかったので、急遽グアム島で買い集めたのだ。


「さて、確か出迎えが来るって話だったが……そういえば相手の名前も身体的特徴も聞いてなかったな。まあ向こうはこちらを知っているだろうし平気か」


 ところが、あまりに平凡な格好に平凡な背格好、特段に目を引くわけでも嫌悪される訳でもない顔立ちの弥兵衛は完全に空港の旅行客と同化し、まさにghostのごとく存在感を消してしまう。約束の時間を優に一時間は過ぎ、待ちくたびれて喫茶店に入りアイスコーヒーを嗜んでいた弥兵衛のリストバンドCPUに葉山准将から連絡が来たのは14時も過ぎた頃だった。


【おい、まさか待ち合わせをすっぽかしちゃいないだろうな?いくらキナ臭い話だからって、さすがに無視はまずいだろ。一応お前も軍籍なんだぞ?】


「えぇ……。私はもう2時間ほど到着ロビーで待っているんですが、出迎えの方とやらが一向に現れません。アイスコーヒーだってすでに4杯目ですし、本当にこの日時で合ってるか疑わしいですね。さすがにジョークとしてはきついですよ?」


【分かった。じゃあアイスコーヒーを右手に、左手にはスコープグラスを持ってロビーのどこかに立ってろ。先方には、そいつが花形だと伝えておく。いいな!】


 そんなのは嫌ですよ!……という抗議をする間もなく通信は切られてしまった。仕方なくテイクアウト用のアイスコーヒーを注文すると、サングラス代わりにしていた眼鏡型薄型ディスプレイ・通称スコープグラスを左手で取りながら、右手でアイスコーヒーを受け取り喫茶店を後にする。目元も露わになれば、精悍な軍人の顔つきと呼べる弥兵衛はそれなりに目を引き、程なくして出迎えの相手が現れた。


「右にコーヒー、左にスコープグラス……あの、失礼ですがあなたが花形中佐でしょうか?……ああそのお顔、やっと探し出せました!遅れて申し訳ありません!」


 何か符合となるモノがないと個人の特定が難しいほど、自分は目立たない存在なのだろうか。個人情報開示機能をONにしておけば、すれ違う人すべての端末に名前を送ることは可能だが、それをすれば確実に面倒なことになる。当然その機能をOFFにしておいた結果がこれなので、いずれにしても面倒からは逃れられないのだろう。


「まあ、私もスコープグラスを付けていましたからね。これでも一時は報道を騒がせたものですが、人の多い空港にいても特に騒がれなくなる程度に沈静化したと考えれば喜ばしいですよ。それで、あなたは……?」


 深々と頭を下げていた軍服の士官が頭を上げると、思いのほか若いことに驚く。声からして20代前半くらいの女性だろうというのは察していたが、もしかしたらまだ10代かも知れないと思えるくらいに若々しいのが印象的だった。学生の頃によく見た、女性ながら短い髪だったことがそう思わせたのかもしれない。


「はいっ!この度、新設されることとなりました次世代型機教導隊育成部に配属となります、柊雪穂、階級は曹長です。よろしくお願いします!」


 よろしくと言われても、新設部隊のことなどこれっぽちも聞いてはいない。次世代型機……ということはクベーラやガルーダのことだろうか。教導隊とは、つまり操縦を教える側の人間ということだろう。それの育成部とは、要するに誰も動かしたことがない次世代機の動かし方を教える人間を育成するということか。冗談じゃない、誰がそんな面倒くさいことなど引き受けるものかよ!……と弥兵衛の中で答えが導き出されたころには、柊曹長にトランクを引かれ首都行きのリニアラインに乗せられてしまっていた。


「……曹長は友人知人によく「落ち着きがない」とか「人の話を聞かない」とか、もう少し厳しい言い方をすると「強引すぎる」とか「考えるより先に体が動く」とか言われないかな。いや、なんとなくそんな気がしてね。特に理由はないんだが」


「よく言われます!中佐とは初対面ですのに分かってしまうなんて、やっぱりすごい方なんですね。さすが「W.P.I.Uの誇り」とまで呼ばれるだけあります!」


 そりゃ言われるだろうね。まだ出会って20分ほどだが、まるでこちらの話を聞かずに東京エリア行きの車両に押し込まれたのだから。それにしてもW.P.I.Uの誇りか。furlong事件の後、帰還した自分を迎えたのは「圧倒的劣勢の中でも職務のために命懸けで戦い、庇護責任のない多くの市民をも避難させ戦い抜いた英雄」としての賞賛だった。戦死した11名も英雄として扱われ、50機のC.C.Cコマンド・ウォーカー部隊を20機で全滅させた弥兵衛は葉山誠士郎の予想通り軍神扱いされる。そのような空気の中で軍の腐敗を訴えたところで、圧倒的戦果の前には霞んでしまう。


「とりあえずその呼び名は止めてほしい。君もfurlong事件を知っているなら、あの一件で私が11名も部下を死なせ自分一人が生きて戻ったことも知っているだろう。人はどう思うか知らないが、少なくとも私にとってあの件に誇りもなければ英雄たりえる働きという思いもない。あるのは、もっとうまくやれたという悔悟だけなんだ」


 彼女はハロン市で何があったかを知らない。まだ子どもと呼べるような敵と戦って殺し殺され、ついには意地のため眼前の敵を皆殺しにしてやろうと考えた男の、どこが英雄だというのか。それを言ってしまえば還らなかった11名の名誉まで傷つけられてしまうため、この思いは墓まで持って行かねばならない。だがそれだけに、いくら時間が経過しても弥兵衛の心がfurlong事件から解き放たれることはなかった。


「中佐がそう申されるのなら、これからは注意いたします。お気に障るようなことをしてしまい、申し訳ありませんでした……」


 それまでは緩やかな雰囲気を醸し出していた弥兵衛から、強烈なまでの不快感が発せられたのを彼女は察した。彼は謙遜で「W.P.I.Uの誇り」と呼ばれるのを嫌がっているのではなく、本気でそう呼ばれるのを嫌がっているのだ。話を聞く限り、部下だけを死なせた自分に対してのマイナス感情なのだろうが、報道で知る「英雄としての姿」とは大きく違っていることに彼女は興味を抱く。


「実を申しますと、私の兄は柏葉重工に勤めております。そして4年前は海外勤務でベトナム地区ハロン市にいました。最終的に浄化プラントが破壊され作業員は帰国となりましたが、その前に避難させてもらえたからこそ命拾いできたと、兄はそう振り返っておりました。中佐がおっしゃるように他人は中佐と異なる考えを持つと思いますし、私も両親も家族を守っていただいたことをW.P.I.U護衛部の方々に感謝しております。例え中佐がご自身のことをどのようにお考えであろうと」


(彼女もfurlong事件と無関係ではないのか。逃げるつもりはないが、つくづく実感させられる。あの一件は、呪縛として死ぬまで自分に纏わりつくのだろう……)


 戦死は11名だが、戦線離脱し生き残った護衛部隊員は多い。彼らは「英雄の采配で後方に送られた」という扱いで不問に付されたが、中には仲間を見捨てて逃げたことに自責の念を覚え、心を病んだ者や軍を抜けた者もいる。柊曹長のように人生がいいほうに変わった者もいれば、そうでない者もいる。それにどう向き合うかが、あの場の責任者として果たさなければならない役目だと、弥兵衛は思う。


「あれは任務だった。敵が攻め寄せてきて、守るべきもののために戦わないといけない。戦いになれば子どもだろうと敵は討つし、味方が討たれることもある。それでも戦って、生き延びて、国に帰れば英雄扱いだ。そう、俺はそれだけのことをしたんだよ。直接この手で14機を撃破し、撃破幇助は15。敵の6割は俺の関与で失われ、戦史に残る大戦果を挙げた。それだけで十分だろう。他の誰に、これ以上のことができたというんだ。俺に落ち度はないし何も悪くない。結果こそがすべてなのだから!」


 突然の独白に、柊曹長も言葉を失う。その内容も、吐き捨てるような口調もそれまでの弥兵衛とは別人のようだったからだ。ゆえに返答のしようもなく黙ってしまったが、その言葉には続きがあった。


「……と、割り切ってしまえば苦しみからは逃れられるのかもしれない。でもそれをすれば、代わりに人として欠けてはいけないものが失われるだろうね。私は自分でも気づかないうちに「悪くない」と肯定の意味で言ってしまうが、ここで逃げたら否定の意味で「悪くない」と言い続ける人生を送るのだと思う。あの件で生き延びた唯一の実務者が、生きているのも恥ずかしい人間だったなどあってはならないのさ」


 ――だから、W.P.I.Uの誇りだハロンの英雄だと祭り上げられても絶対に迎合はしない。誰が何と言おうと、自分だけはそれを認めるわけにはいかないのだ。味方を死なせ、敵とはいえ子どもすら殺しただ一人生き延びた男のことを――それは実際に口にしたわけではないが、弥兵衛の心の言葉を聞いたように思った時、柊雪穂は何も知らずに軽々しく「W.P.I.Uの誇り」と口に出したことの、真の意味を知る。


「本当に、なんの考えもなく、そういう風に言われて悪い気はしないのだろうと……ただそうとしか思っていませんでした。私には中佐の傷を抉るつもりなんて、これっぽっちもなかったんです。本当に、私は……」


 弥兵衛は半ば涙声になっている彼女に驚いたが、幸いリニアラインの先頭車両にある個室ブースだったため誰かに年下の女子を泣かせた場面を見られずには済んだ。とはいえ、このままフォローもなしで首都エリアまで乗り合わせるというのも、それはそれで非常に気まずい。しかも、抗議が実らなければ彼女は同じ部署に配属ということになる。他人への干渉は避けたいと思う弥兵衛だが、無視はできなかった。


「そう言われること自体には慣れているからまぁいいんだ。今後は気を付けてくれればね。ところで、もう北関東農業区を越え南関東居住区に入る。そろそろ下車の用意をしておこう。あまり停車時間も長くなかった記憶もあるから」


 西暦2100年過ぎから深刻な人口減少に悩まされた旧日本国は、全国に点在していた人々を強制疎開させ居住区と農業区、自然保護区と軍管区に再編成する。それは人が少ない地域に通すインフラも、そこに配置する公務員や公的機関はあまりにムダが過ぎるということから行われたが、最初は当然のごとく猛反発を受けた。しかし実際に人が減少し、改めて国が置かれた状況を痛感した人々は渋々だが協力し始める。そして、住めば都という言葉が示すように人々はその形態を受け入れていった。


(さんざん狭い狭いと言われた国土も、今となっては世界で数少ない自然水の豊かな大地か。かつては大都市部として発展したこの北関東平野も、今は一部を除きその広さを生かした農地となっている。果たしてこれは、退廃を意味するのかな。大都市部が繁栄というなら確かにそうだろう。だが世界には不要となった大都市部はいくらでもあるが、不要となった大規模農場はない。貴重かつ重要な存在という意味では、今のほうがよほど繁栄していることになる。分からないものだな、人の世は)


 もう9月に入ろうとした今、季節は夏野菜が真っ盛りである。窓の外にも、それらしきものが多く見受けられていた。気候変動により日本の平均気温は上昇し、山岳地以外と北海道以外に雪が降ることも稀になって久しく、そのために本来は雪になるはずのものが雨に変わり、一部地域では冬=第二の梅雨というような扱いにもなっている。ゆえにこの8~9月は「梅雨の合間の晴れ間のように有り難がられる季節」という地位を築き上げており、サイパン帰りの弥兵衛にも心地のいい気候である。


「首都軍管区・地下20ホームに15時到着、停車時間は5分だそうです。総司令部へのご挨拶は明日となっておりますが、この後の予定はどうされますか?」


 人が住まない地域を抜け、人が集まる地域に入る。ここが人の生活圏、いわば人の領分であれば行うのも人の生活に関わることであろう。本来なら、穏やかな開発部暮らしを取り戻すため一刻も早く総司令部に抗議するべきである。しかし弥兵衛には、首都に来たらまずやらねばならないことがある。彼が人の心を保つために、可能な限り欠かさぬようにと決めたことだ。


「私は戦死者慰霊墓地に寄っていくよ。首都に戻れたら、皆に顔を出すのが自分の中で決めたルールでね。これはプライベートだから、曹長はここまででいいよ。総司令部には無事首都に到着したと伝えてほしい。墓地では通信も繋がらないし」


 墓地に入る前に連絡すれば済む話だが、連絡をすれば文句の一つも言いたくなる。そうやって悪い気分のまま慰霊に訪れたくはないので、曹長に任せてしまうことにしたのだ。どのみち彼女のほうも出迎えに寄こした何者かに報告義務があるはずで、そのついでにやってもらえばいいはずと考えたのだった。


「分かりました。では明日10時に官舎前へお迎えに上がります。その、明日ご面会される方は時間に厳しいと有名らしく……どうか、予定時間には遅れないようお願い申し上げます。先輩にかなり厳しく言われておりますので」


 10時ですね、承知しましたよ――そう言って柊曹長と別れた弥兵衛は、一人慰霊墓地に向かう。ここには遺族がいなかったり、遺体の回収が難しかったり引き取りを拒否された者たちが弔われているが、furlong事件では銃撃で死亡したエミリオ軍曹など「遺体を回収でき、尚且つ遺族もいる」兵も眠っている。彼らも遺族の待つ故郷に帰りたかったはずだが、W.P.I.Uの勇士として死後も働かされていたのだ。



25・対峙


 特別な行事がない限り、慰霊墓地に人が訪れることは少ない。もともと無縁仏同然の者や、遺体の引き受けを拒否するような遺族の兵が弔われているのだから墓参に来るはずもなく、遺体が回収できなかった者はそれぞれの故郷で弔われているのだ。


「ここは首都でも唯一、閑静と言える場所ですね。私もいずれここに来ることとなるでしょうが、それはもう少し先になるかな。下手に前線に送って戦果を挙げられても困るようで、ずっと後方勤務ですよ。どうやら次もそうらしく、困ったものです」


 furlongの勇士たち、ここに眠る――そう刻まれた慰霊碑の前に立ち、一頻り手を合わせた後に弥兵衛はそう語りかけた。死にたいわけではなく、生きている限り復讐を遂げなくてはならないとも思う。だがあの事件に関わった有力者の多くは断罪されており、復讐にも終わりが見え始めた。その先に、何があるのだろう。


「これはこれは、furlongでただ一人だけ生き残った誇り高き英雄殿か。首都に帰っていたとは知らなかったが、偶然とは恐ろしいものだな」


 この声は……よく知っている。誰よりも謹厳で、それゆえに誰よりも冷徹。不正や悪事を憎み、その矛先は身内だけでなく自身にすら向けられる男。そして何より、弥兵衛に対してこの厭味ったらしい物言いをする輩はこの世に一人しかいない。花形=ジョージ=半兵衛、弥兵衛の実父であった。


「このようなところに花形外務防衛大臣がお越しとは。お目に掛かれて望外の幸運と申すべきなのでしょうね。何しろ、形式的には我ら軍人の上司なのですから。して本日は、お見捨てになったfurlong事件の犠牲者にご挨拶でもしにいらしたので?」


 厭味ったらしい物言いという点では、弥兵衛も負けてはいない。furlong事件の後で葉山中佐から「君の父上にも相談したがダメだった」という話を聞いた時、いかにも父らしい対応だと思ったと同時に、抱いていた違和感は嫌悪感へと変化した。それ以来まともに口もきいていないが、いざ話してみると会話は成立するものである。ただし、お世辞にも「久々に会う親子同士の心温まる会話」には程遠かったが。


「サイパンで踊っていたという報告は聞いたが、そうか。今度はその踊りを広めるために帰って来るのだったな。墓の前で鎮魂の踊りでも披露するつもりだったか?」


 ジョージはサイパン基地の起動試験でガルーダ起動試験時にダンス紛いのことをした点を皮肉っているのだが、今回の転属についても知っているようだった。彼の言う「踊りを広めに来た」というのは、教導隊員候補生への教官となる弥兵衛を指しての言葉である。極めて悪意に満ちてはいたが、例としては適切と認めるしかない。


「政治の安定、政界の名誉のために英雄に祭り上げられた男は、首都に来るたび犠牲となった仲間へ挨拶に来るんですよ。ここ数年間は、親の顔よりも多く慰霊碑を見たんじゃないんでしょうか。テレビで見かけると即チャンネルを切り替えるので、それはノーカウントですがね。あまりに出過ぎててウザイったらありゃしないんで」


 ジョージの後ろに立っている秘書が真っ青になって卒倒しそうなくらい、それは静かだが熾烈なやり取りだった。そんな状況でも、ジョージはまるで怯むことなく弥兵衛の隣、慰霊碑の正面にたち手を合わせる。


「私が権力を濫用し、軍にハロンから撤退しろと要求すれば……確かに別の未来もあっただろう。それにより彼らは死なずに済んだかもしれないが、C.C.Cの侵攻が本格的なものとなって今よりも悲惨なことになっていたのは間違いない。それこそが、この事件を起こした者たちの狙いだったのだからな」


 父が皮肉交じりではない話をしたことに驚く弥兵衛だが、内容にも驚く。この一件に父が関わっていないことはすでに立証されているが、思うところはあったのだということに。


「どの道を選んでも犠牲が避けられないとしたら、どのような道を選べばいいのだろうな。敵対勢力に最大限の打撃を与えられる道か、逆に味方の被害が最小限に留まる道か。それともすべてを譲り事なきを得るように見えて、実は問題を先送りにしたほうがよかったか。どれも正しいように思えるし、間違っているようにも思える」


 いつになく饒舌の父に対し、弥兵衛も返答を考える。だが、どれが正しいかなど分かるはずもない。物事には良い面と悪い面が混在し、見ようによってはどちらにでもなるのだから。


「私は、犠牲が最小限に収まる道を選んだ。あの段階でW.P.I.Uが輸送隊を送るとしたら、それなりの規模の護衛部隊も必要だ。そうなればC.C.Cも海上戦力を出してきたかもしれないし、移動式要塞砲による犠牲も増えたかもしれない。私は、私の決断を振り返らない。より良い未来に向かって進み、結果に責任を持つのみだ……」


 それが、父の信念。そこまでの話をされたのは今回が初めてであり、弥兵衛にも考えさせられる話であった。だからと言って、深刻なレベルに到達した政治不信を解消するには至らなかったが、先ほどまでと見方が変わったのも事実である。


「お前は戦場での働きで己の運命を切り拓いた。しかしその働きで変えられるのは、ごく限られた範囲だけだ。仮にあの時W.P.I.Uで政治家になっていたのがお前なら、その後の未来がどうなったかは別としてfurlong事件だけは止められたに違いない。それが政治の持つ力なのだ。同じような悲劇を繰り返させない、何としても止める気があるというならそれができる場に立て。願うだけで叶わぬ望みを口にするのではなく、願いを叶えるため行動しろ。いつまでも軍人などやっているんじゃあない!」


 そう言い残すと、ジョージは慰霊墓地を後にする。一人残された弥兵衛は思わぬ出会いと思わぬ言葉に動揺し、慰霊碑の前で考え込むことになる。確かに自分は政治に近づこうともしなかったが、少なからず政治の影響下にある場で生きている。それに対して無関心であろうとするのは、無責任ではないだろうか。気に食わない、嫌いだから関わらないのも一つの手だ。しかし「関わらなかったから酷い目に逢った」と言った時、人はどう反応するか。運がなかったと慰めてくれるのか、それとも関わらなかったから自業自得と貶すのか。


「どうせ何も変わりはしない……と言って何もしなければ、そもそも変わるはずもないか。何も変わらぬと言う資格があるのは、何かをした者だけなのだから。俺は、どうなんだろう。皆はどう思う?復讐を終えた後に、俺がすべきことは……」


 気づけば墓地の閉園時間である17時が迫り、墓守に声を掛けられた弥兵衛はそそくさと退出する。90分ほども慰霊碑の前に座り込んでいた男を、さぞ怪しい目で見ていたことだろうと考えると気恥ずかしいが、声を掛けずにいてくれたおかげで考察は非常に捗り、今はそれなりに晴れた気分である。あの一件以来、暗い気分にしかならなかった父との対峙がこういう結果になるとは、弥兵衛にとっても驚きであった。

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