第3話 おさんぽ

いぬ社長は一日に一回、散歩に出かける。

すっかり足腰の弱ってしまった今でも、自分の足でしっかり歩く。

いぬ社長の四畳半オフィスは小さなアパートの一階にあるが、外に出るときに一つ大きな段差を下らなければならない。


小型犬のいぬ社長にとっては、これも結構な負担なので、ここだけは上野さんに手伝って貰う事にしている。


「社長、もっと頼ってくれて良いんですよ!」

いぬ社長を優しく下ろした上野さんは、にっこりといぬ社長に微笑みかけたが、いぬ社長は聞こえない振りをして、さっさと歩いて行ってしまった。

上野さんはハイハイ、と言いながら少し遅れていぬ社長の後ろをついて歩く。


いぬ社長は自転車や子供達に注意深く気を配りながら、今日も散歩道にビジネスのチャンスが転がっていないか、探した。


商店街の新しい店、

新しいアルバイトの人、

ビラを配るお兄さん。


全てがいぬ社長にとっては、興味深い物に感じられた。

それらに少し近寄って、鼻をすんすん近付けては、心地好いか悪いかを吟味する。


そんないぬ社長が肉屋の新しく張り替えた看板の匂いを嗅いでいる所に、おじちゃんがやって来て、「よう社長さん、コロッケ食うか」と聞いてきたが、流石にこの年でそんな油っこい物は食べられないよ、とばかりに、いぬ社長はそっぽを向いた。

コロッケは上野さんのほっそりしたお腹の中に納まる事になりそうだ。


一昨年いぬ社長が買ったビルの状況チェックも欠かさず行う。

去年から2世に任せている物件なので心配はしていなかったが、経験の浅い2世は空調のチェックが甘いので、そこだけはいぬ社長が念入りに行った。

「大丈夫そうですか?」

建物から出てきた所で、じっと小一時間待っていてくれた上野さんに、お礼の意味も込めてワンと鳴いた。


最後にいぬ社長の幼馴染みである、ねこ店長の楽器屋にも寄ることにした。

店の入り口の扉が上野さんによって開かれると、ねこ店長は興味無さげにニャアと鳴いた。

いぬ社長もフーンと鼻から抜けるような挨拶をした。

上野さんだけは、「ねこ店長、こんにちは!」と元気な声をあげた。


いぬ社長は店内をうろうろした後、無言でねこ店長の隣に腰を下ろした。

ねこ店長はなおもノーリアクションの姿勢を崩さず、まじまじと店の入り口を見つめながら、目を細めていった。

「いぬ社長、ねこ店長はお昼寝の時間みたいですよ」

構わん。とばかりに、いぬ社長は店内のBGMに合わせて喉を鳴らした。


「店長、邪魔するでえ」

ねこ店長と、いぬ社長が入り口の方をふいと見やると、丸顔の青年が立っていた。

ピチピチのTシャツを着て、年代物のギターを背負っている。


「おや、今日はいぬと、えらいべっぴんさんがおるなあ。こんにちは、初めまして」

いぬ社長は軽くワンと挨拶をして、上野さんはぺこりと頭を下げた。


「ねこさん、知り合いか。紹介してやあと言いたいとこやけど、そりゃしんどいか。僕は大塚と言います。ここの常連」

ねこ店長は、常連と言う程でもないよと言いたげに、ニャアと口をはさんだ。


「そうなんですね!私は、上野と申します!で、こちらはうちの会社の代表取締役、いぬです」

いぬ社長は、少し得意気に胸を張る仕草を見せた。


「ほんまですか。ようやりますねえ」

大塚さんは、言外に「小さいなりして」という言葉を含ませつつも、いぬ社長に一礼してみせた。


いぬ社長は自分がこの世界で小物扱いされているのは慣れていたので、どうってこと無かったが、ねこ店長は一瞬だけ、大塚さんを冷やかな目で見つめた。


「あ!そんなら社長さん。これ周りに配ってくれますか。僕この隣のライブハウスで週末ひきますんで」

大塚さんは物怖じすることなく、昔からの友人に接する様にして、いぬ社長に小さなビラ

を10枚ほど差し出してきた。


いぬ社長は注意深くビラの匂いを嗅ぐと、上野さんに向かって首で受け取るよう促した。了承の意の様だ。

「あら!いぬ社長、珍しいですねえ。かしこまりました、私もお手伝いしますよ!」

上野さんは大塚さんからチラシを受け取ると、右手で小さく敬礼のサインをした。


「おおきに!今度飯行きますか?」

大塚さんがちらっと上野さんを見ると、上野さんは笑顔を崩さずに、小さく、「駄目です」といった。


大塚さんも調子を崩す事なく「また今度ですね」と言い、次の瞬間にはねこ店長の方に向き直って、弦の調整について相談を始めた。


いぬ社長は思う。

上野さんにしても、大塚さんにしても、この街に来る人は、自ら動いて小さな世界を回そうとしている、と。

それがいぬ社長には、とても面白く、興味深いのだ。

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