舘の主

 とある館の地下室には、薔薇と蝋燭に囲まれた棺があるという噂だ。

 館の主がどんな人間なのかは誰も知らない。なのに、地下室の噂だけが独り歩きしているという奇妙な状態だ。

 あるとき、少女が館で美しい女性を見たと、村人に話した。銀の月が昇る頃、館に明かりが灯るらしく、獣のような声がするという話だ。

 なぜ、少女がそんな事を知っているのかと、村人が問い詰めた所。彼女はその館の近くに実る、桑の実を摘みに行っていたそうだ。

 他には何も無かったのかと村人は尋ねる。

 少女は悩む素振りを見せるが、意を決したように村人の目をじっと見つめて、小さな口を開く。


「犬のような獣臭が、あたりに充満してたよ」


 村人は、背筋に悪寒が走るのを感じ、少し後ずさった。

 舘がある場所は、この村からさほど遠くない。そして、犬のような獣はオオカミの事だと村人は考えた。

 村長にあの館の事を詳しく話なした方がいいと、村人は少女を村長の家へと連れていった。


——昨日


 夢中になって桑の実を摘んでいた私は、日が沈んでいる事に気が付かなかった。もともと、この森が暗いというのもあり、あまり気にしなかったのだと思う。日が沈んだと分かったのは、きゅうに肌寒くなったからだ。

 私は籠いっぱいに入った桑の実を落とさないよう、ランプに火を灯して慎重に森を歩く。

 パタパタと忙しなく頭上を飛び回るコウモリ。昼間はしなかった獣の匂いに、私は見が震えあがるような恐怖を感じた。

 早くこの森を抜けなくては。と焦る気持ちでいっぱいになってしまい、普段歩きなれた森なのに、恐怖による混乱と、夜という視界の悪さで、全く知らない場所のように感じた。

 しばらくさまよっていると、いつも何か頭上のコウモリは姿を消し、代わりに、向こう側から灯りがゆらりとこちらに近づいてくるのが分かった。

「誰かいるの?」

 そう声をかけると

「誰?迷子かしら?」

 と帰ってきた。

「この灯りの所に来て!」

「えぇ、いいわよ」

 声は真上から聞こえた。

 気が付くと、向こうで揺れていたはずのランプの灯りが、いつの間にか目の前にあり、赤いドレスが照らされていた。

顔を上げると、不気味なほど青白い顔と、リンゴ飴のような赤黒い、つぶらな瞳が私を見下ろしていた。

 思わず私は悲鳴を上げた。腹の底から力いっぱい。自分でも驚くような声量だった。

「そんな怖がらないで、お姉さんが送ってあげるから」

 彼女は、にっこりと牙を見せて笑った。

 そこからの記憶はとても曖昧で、私は夜の森を走り回って逃げていたと思う。籠の中の桑の実が少なくなっているのだから間違いない。

 気がついた時、私は森を抜けた所に建っている館のドアを滅茶苦茶に、力任せに叩いていた。

「助けてください!!お願いです!助けて!」

 願いが通じたのか、ドアが開けられ、何者かに腕を掴まれて引き込まれた仕舞った。

 私はそのまま乱暴に床に転ばされ、籠から桑の実が零れて、辺りに散らばる。

「あぁ、ごめんなさい。力加減を誤ったみたい」

 女の人の声だ。

 とっさに起き上がり、声の主を見上げる。

 綺麗に切り揃えられた銀色のロングヘアー。珍しい琥珀色の瞳に色白い肌。服装はメイド服な所を見ると、彼女はこの館で働く女中だと分かった。

 見ず知らずの小娘を館内に入れたとなると、きっと彼女は館の主人に怒られてしまうだろう。

「と、突然ごめんなさい」

 そう考えたら謝らずにはいられなかった。

「いいのよ、気にしないで」

 柔らかく笑うと、彼女は散らばった桑の実へと視線を落とした。

「ごめんなさい、私の力加減出来なかったばかりに……」

「あ、いえ……大丈夫です!また摘めばいい話ですから」

 申し訳なさそうに謝る彼女に、私は恐縮してしまい、そう答えた。

「そう……この桑の実は何にするつもりだったの?」

「叔母が好きなジャムを作ろうと思ってたんです」

「じゃあ、お詫びとしてそのジャムをここで作っていくといいわ。今朝詰んだ桑の実があるの」

 彼女はにっこり笑うと、私の返答を聞かずに屋敷の奥へと連れ込んだ。

 薄暗い廊下を歩き、突き当たり右の部屋に通される。中は蝋燭に明かりが灯されていたので明るい。

 部屋は厨房となっており、大きな作業机が真ん中に置かれ、その上に火が灯った燭台と、桑の実が入った籠と、ジャムを作るために必要な砂糖も置かれていた。

「はい、エプロン」

 彼女と同じ、フリルのエプロンを渡されたので、私はそれを身に着ける。

 彼女に釜戸に火を起こしてもらい、片手鍋を火にかけて水と桑の実と砂糖を投入する。

 途中味見をしながら、叔母さんの好みの味に調整し、煮詰める。

「あの……この屋敷の地下に棺が置いてあるって本当ですか?」

「……誰から聞いたのか分からないけれど…本当よ。中は死体よりも恐ろしい人が眠ってるけれどね」

「死体よりも恐ろしい人……?」

 彼女の含みのある言い方に、私はその正体に興味を持ってしまった。

「えぇ、この館の主人。ジョシュア様です」

 いままでの柔和な表情が失せ、凛々しく、冷徹な表情で、彼女は館の主人の名前を口にした。その時、森の中で嗅いだ獣臭がした気がした。

「その、ジョシュア様はなぜ棺の中にいるの?」

「……それは……」

 彼女は口を開きかけ、苦しそうな、痛そうな表情を浮かべてキュッと唇を引き結んだ。

 甘い匂いが私の鼻腔を掠め、ジャムが出来たことに気が付き、急いで鍋を火から離して端に避ける。

「ごめんなさい、困らせるつもりで聞いたわけじゃないの」

 辛そうな表情を浮かべる彼女に、私はいたたまれない気持ちになった。きっと、何か理由があって、彼は棺の中にいるのだからだ。

「ごめんなさい、気を使わしてしまって……」

 辛そうに笑う彼女。

「森で赤いドレスの女性に会ったかしら?」

 彼女の問に、私はここに来る前に出会った恐ろしい女の顔を思い出し、サッと血の気か引くのを感じた。

「会いました……」

「彼女は吸血鬼なの。そして、ジョシュア様も彼女と同じ吸血鬼」

 吸血鬼。おとぎ話や昔話でしか聞いた事のない単語に、私は現実味を感じれなかった。まだ幽霊だと言われた方が信じたかもしれない。

「吸血鬼の天敵は知ってる?」

 獣臭が強くなっていく。

「おとぎ話では、十字架、ニンニク、銀だと書いてあったわ」

「そうね、それ等も天敵。でも一番彼らが恐るのはウェアウルフという狼人間」

 彼女の美しい顔がみるみる変形し、狼の顔になる。

 突然の出来事に、私は言葉を失い、じっと彼女の琥珀色の瞳を見つめることしか出来なかった。

「100年以上前、私は貴女のようにこの館に迷い込んだの。その時はまだ人間だったのよ私」

 すっと、美しい顔に戻ると、彼女は空き瓶を私に渡してきた。

 私はそれを受け取り、熱が失せたジャムを移していく。

「私はジョシュア様に気に入られ、女中になったの。とても幸せな時間だったわ。ある時、ウェアウルフがこの屋敷に襲撃してきて、ジョシュア様を殺そうとした。私は彼を守るため立ち向かった」

 その先の展開は用意に予想できた。立ち向かった彼女は、ウェアウルフに噛まれたか、引っ掻かれたかして彼女自身もウェアウルフになってしまったのだと。

「ウェアウルフから彼を守る代わりに、私自身が彼の天敵になってしまうなんて、笑っちゃうわよね」

 心から敬い、愛してる人にとって、自分が害であると彼女は言った。それを知った彼女は死にたいと願ったらしい。

「ごめんなさい、出会ったばかりなのにこんな話をしてしまって」

 申し訳なさそうに彼女は言った。

 私は何も言えなかった。言葉が見つからなかったのだ。

 それから私は、作ったジャムを自分の籠に入れ、彼女に村の近くまで送ってもらった。驚いた事に、館と村はそう離れてはいなかったのだ。


——現在


 少女は村長に全てを話した。秘密にするようにとも言われていなかったし、なんだか彼女がほかの人に話してほしいように見えたからだ。でなければ、こんな見ず知らずの少女に自分の事を話す理由がないからだ。

 起こったことを全て聞いた村長は、直ぐに村の男衆を集め、彼女とその主人を倒す作戦を立てた。

 少女は道案内として任命され、その日の夜に、作戦は決行となった。

 再び訪れた館の扉は、彼らを歓迎するように開け放たれており、1人のメイドが出迎えていた。

「ようこそ、この館の主人があなた方をお待ちしております。こちらへ」

 彼女は恭しく一礼すると、少女達を地下室へと案内した。

 地下室に入るなり、男衆の1人が彼女の胸を銀の杭で刺した。

 心臓を貫かれた彼女は、鈍い音を立ててその場に倒れた。

『ありがとう』

 幻聴か。少女は耳に彼女の声で、確かにそう囁かれた気がした。

 遠くの方で、木製の蓋が地面に落ちて音が鳴る。音のした方へ視線を向けると、血のように紅い瞳と目が合った。

「気分が悪いのが治まったと思ったら……そうか、彼女は死んでしまったのか」

 館の主人"ジョシュア"は寂しそうな顔をした。その瞬間、赤い血飛沫がその顔美しいを濡らす。

 しかし、それは彼の血ではなく、男衆の物だった。

「おっと、すまない。自己防衛でつい」

 はにかんでそう言うと、彼は飛び上がり、ひらりと少女の前に降り立つ。

「私を殺す権利があるのは男どもではなく、この少女だ」

 いつの間にか男衆から奪っていた、銀の杭を差し出す。その手は銀にある魔除けの力で、爛れるほどに火傷を負っている。

 少女は杭を受け取ると、ジョシュアの胸に宛がった。

「彼女が君を選んだのなら、私は恨まない」

 ——違う……——

 少女はこの状況に違和感を感じた。

 彼女は本当に2人の死を願ったのか?

 敬い、愛した彼の死を願うのか?

「違う……」

 そう呟いた少女の手から、銀の杭が滑り落ち、小気味の良い音を立てて床に落ちる。

 彼女が彼と心中するはずが無い。何故か少女はそう確信した。

 吸血鬼。

 大人数の人間。

 ずっと眠っていた。

 少女はある1つの考えに辿り着いた。それはとても簡単で、安直な考えだった。

 彼女は少女に主人を託したのだ。そして、男衆を招き入れのは主人の空腹を満たすため。

「皆、逃げてっ」

 少女が叫んだ時は既に遅く。男衆が次々と主人によって殺されていた。

「今日からお前は私の女中だ」

 主人は、少女の口を無理やりこじ開け、自身の血を注ぎ込んだ。


 その日のうちに、少女を含め。村に残っていた女性達は全員彼の眷属となり。村は地図から消える事となった。


 夜に起きる幻の村となったのだ。

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