第18話 神の器
飛行船はゆっくりと高度を上げていく。
船体は雲の中へと入り、その姿を消していく。
「帝王様・・・このまま、帝国領へと向かいます」
船長である男爵が帝王にそう伝える。
「あぁ・・・そうしろ」
帝王は大仰に答える。その傍らにはステラの姿があった。手首には手錠がなされ、鎖で繋がれていた。
「この小娘を手に入れるだけに相当の苦労があったが・・・ようやく・・・私の野望が達成される日が来たわけだな」
帝王は悲しそうに俯くステラに向かってそう吐き捨てる。
「わ、私をどうするつもりですか?」
ステラは涙目で帝王に尋ねる。
「ふふふ。まだ、自分が解らぬか。お前は神の器となる選ばれし巫女なのだよ」
「巫女?」
帝王の言葉をステラは理解が出来ず、困惑する。
「解らんだろうな。これを知る者は極僅か。古代の知恵を読み解いた者だけが知り得る事だからな」
「古代の・・・」
かつて、圧倒的な文明を築いたとされる時代があったとされる。それは神々と人間が共に築いた文明であったが、やがて、知恵を得た人間は神からの支配を否定し、神々に戦いを挑んだとされる。そして、長き戦いの後、文明は滅び、神々は人間から知恵を奪ったとされる。
「ふん・・・まぁ・・・ここまで危険を冒して、来た甲斐はあった」
帝王は満足したように笑みを浮かべる。
ウォルフ達は何とか大聖堂から逃げ出した。突然の帝国軍の飛行船による襲撃を受けた為に混乱していた事が幸いした。
「さて・・・この混乱に乗じて、まずは帝国領まで移動するか」
「帝国領・・・戻るのですか?」
ウォルフの言葉に緊張した声で尋ねるラナ。
「まぁ・・・正直、姫様を奪われちまった以上、俺の仕事もここまでな気もするが・・・やられっ放しの人生だったんでね。ここはちょっと、やる気を出そうかと思っている。お前は逃げて良いぞ。多分、この調子なら教皇も全軍を挙げて、帝王を追うだろう。そうすれば、隣国へ逃げるのも余裕がある」
ウォルフはそう言い終えると歩き始めた。
「ちょ、ちょっと・・・」
ラナはウォルフの横に並び歩く。
「どうした?お前はもう追う必要は無いだろう?国も失って、貴族様じゃないんだぜ?」
「そんな事は知ってるわよ。どうせ、お父様を裏切った時から、全てを失っているんだから。むしろ、私は姫様を守ると決めたんだから、あんたより理由はあるのよ!」
「姫様を守るか。ふふふ。面白いな。まぁ、好きにしろ。だけど、お前を庇ってやれるほど暇は無いからな」
「あんたに庇って貰う必要なんかないんだから!」
そんな風に二人は速足で街道を突き進んだ。
帝国と教国との戦いは泥沼化した。国民全員が狂信的なまでに教皇の指示に従い、自らの命を捨てるように挑んで来る。それを相手にする帝国軍は休む間も無く連戦を続けた結果、疲弊し、皆、精神的にも弱っていた。
絶え間なく押し寄せる教国軍に対して、圧倒的な戦力で応じているはずなのに、多くの将兵が倒され、また、散り散りとなっていった。
「またしても前線が崩壊しました」
最前線を指揮する帝国軍指揮官、リュゼ伯爵は憤っていた。彼自身も数カ月に及ぶ戦争に身を投じ、多くの部下を失ってきた。だが、それもこの戦いで終わりだと信じ、多くの部下や傭兵を最前線へと投じたのだ。
「くそぉ・・・奴らはまともな騎士など居ない平民兵だぞ?なぜ、勝てぬ?」
伯爵は歯茎から血が滲み出る程に歯ぎしりをする。
「伯爵。奴らは自らの命を顧みません。爆弾を抱えて、陣地に飛び込み、爆破させるのです。そんな戦い方を目にすれば、民兵や傭兵などは怯えて、戦えなくなります」
「ふん・・・だが、帝王様からは教皇の討伐を厳命されている。他の戦区の絡みからしても、ここで撤退などありえない。後方へ伝令を飛ばし、増援を向かわせろ。数で押し切るのだ」
前線は混乱の一途を辿っていた。昼夜を問わず、戦が行われ、死体を片付ける間さえも与えられない。それはこれまでの戦争とは明らかに違っていた。あまりに泥臭いまでのゲリラ戦法であった。
教国軍は殆んどが平民の兵であり、彼らにまともな戦争の基本などありはしない。手にしたのも隙や鍬。農具ばかり。敵から奪った銃器なども混ざりながら、彼らは帝国の隙を突いては突撃を繰り返した。
まだ、年端もいかない少年少女ですら、火炎瓶を手に、帝国陣地へと飛び込む。体の小さい彼らを狙撃するのは困難且つ、撃つ方にも躊躇いがあった。その為、陣地に飛び込んだ小さい身体の手にある火炎瓶が地面で割れ、その少年少女もろとも燃え上がる時の恐怖は想像を絶した。
肉が焦げる臭いと火薬の燃えた臭いが戦場に充満し、そこはまさに地獄の有様だった。隊列を組んで前進する兵士の姿などもう無い。隊列を組んでの前進は火炎瓶の投擲の恰好の的だからだ。
すでに古典的な戦いは過去の物だった。
兵士達は陣地に潜み、攻め来る敵を討つのが手一杯である。
攻め来る敵も隊列などは組まない。敵の隙を突くように闇夜に乗じたいり、火炎瓶を手に物陰から突如として、現れる。
地獄のような状況の中、帝国軍は教国への進めずにただ、被害だけを垂れ流しにした。
「すげぇ・・・まるで地獄ってのはこういう事だな」
ウォルフは帝国と教国の戦いを間近で見ていた。この最前線を越えなければ、飛行船を追う事が出来ないからだ。
「まぁ、そのお陰で、私たちも見つからずにここまで到達が出来ましたし・・・これなら混乱に乗じて、敵の間を縫って、後方に出るのも簡単では?」
ラナもニヤリと笑いながら言う。
「だろうな。ただ、ついでに言わせてもらえば・・・武器を手に入れたい。さすがに銃と火薬と弾丸無しでは・・・姫様の救出ってわけにはいかない」
「剣の名手でも、銃は必要ですか?」
「当然だ。所詮、剣は剣。槍の方が先に届くし、矢の方が先に届く。銃に勝てるもんでも無いさ」
「冷静ですね。だけど、銃は火薬と弾丸が無ければ、ただの鉄棒ですよ」
「その通りだ。だから、奴らから奪わないといけない。そこら辺で買える代物じゃないからな」
「確かに・・・じゃあ、我々は泥棒に転職ですかね?」
「ふん・・・泥棒か・・・どの道、戦場での略奪は・・・基本だろ?」
ウォルフはかつて、自分が忌み嫌った行為に対して、皮肉に言っていたみた。
二人は闇夜に潜みながら進む。月の明かりだけが唯一の灯り。
「あそこが帝国の物資の貯蔵部隊だな」
ウォルフ達は帝国軍の後方へと忍び寄った。前線は疲弊しきり、僅か二人の侵入者を許してしまう程だった。
「詳しいですね。さすが元帝国軍」
「ふん、茶化すな。物資は一番、安全な場所に貯蔵する。基本だよ」
ウォルフは刀を抜いた。刀身が月灯りに青く輝く。
「銃は使うな。後方部隊とは言え、それなりに数は居るはずだ。囲まれたら・・・終わりだぞ」
「了解」
ラナも短剣を抜いた。
後方の兵士達も連戦に次ぐ連戦に疲弊を感じていた。立哨する兵士も槍を手に、意識を朦朧とさせながら、警備をしている。
ヒュンと風を切る音と共に、彼の首筋が斬られる。
まるで風が薙ぐような一瞬でその場に居た2人の兵士の喉が斬られ、彼らは声も上げられず、苦しみながらその場に崩れ落ちる。兵士の1人は見上げた。松明の灯りの中に一人の大男が立って居た。
「俺は警備を片付ける。必要な物を袋に詰めろ」
彼はそう告げた所で兵士の意識は途切れた。
ウォルフは警備の兵士を片付けると、歩哨などを警戒して、周囲を見渡す。その間にラナが積載された箱などから必要な物を奪う。
「おっ・・・最新の銃じゃないですか」
ラナは木箱に収められた最新鋭の連発ライフル銃を発見する。
「弾も・・・薬莢式・・・こいつはいただきですね」
ラナは銃や弾丸以外にも食料なども奪い、自分の身体程にもある大きな袋を背負って、ウォルフの元へとやって来た。
「どんだけ、入れたんだ」
ウォルフは呆れたが、その袋を代わりに背負って、その場から立ち去った。
その数分後、歩哨が殺された兵士を発見するが、すでにウォルフ達の姿はその場には無かった。
飛行船はサファイア姫の故郷である王都に着陸していた。
焼け落ちた城跡へと連れて来られたサファイアはその惨状にただ、涙するしかなかった。そんな彼女の傍で帝王は笑っていた。
「泣いている暇など無いぞ・・・儀式の準備があるからな。さすがに飛行船も燃料不足でここまでだったのは何かの因縁かもしれないが・・・帝国から必要な物を運ばせている。それが整い次第、ここでお前に神を降ろす」
そう告げられて、サファイアは怯えるしか無かった。
王国は帝国軍に占拠され、民の多くは苦役が強いられていた。男は兵として最前線に送られ、女、子ども、老人は戦争で壊れた橋の修繕に狩り出され、農作物などは全て、接収された。
まるで奴隷のような扱いを受けつつも、敗戦国の民として、皆、諦めたように労働に従事する姿にサファイアは自らを責める気持ちになる。そんな彼女も逃げられないように足枷がされ、焼け落ちた城の一室に放り込められた。
監視も含めて、一人のメイドが彼女に付けられた。
「リズと申します。姫様、身の回りの事は全て、私がやりますので」
丸眼鏡を掛けた理知的な感じの彼女はそう言って、深々とお辞儀をする。どこか冷たい感じのするメイドにサファイアは心を許せるわけが無かった。
教皇はいち早く、帝王とサファイアの元へと向かわねばならぬと前線の突破を命じていた。
「帝国軍の後方へと我らだけで突き進むのは聊か危険では?」
聖騎士団の団長はそう進言する。
「うぬは・・・神の代弁者である我に逆らうと?」
教皇は彼を睨みつける。
「す、すいません。とにかく、民兵を中心に一点集中で突破を試みています。上手くすれば、一両日中には敵の最前線を突破する事が可能かと」
「そうか・・・早くしろ。急がねば・・・ならん」
教皇はどこか遠く。それはサファイアが居ると思われる方角を向いて、睨みつけた。
その日、リュゼ伯爵の部隊は明け方近くに後方に配置した物資集積所が敵襲を受けたという報告が上がり、敵が後方へと侵入したと誤解した事で混乱が起きた。部隊が右往左往する中、前線の敵兵の突撃が激しくなり、いよいよとして、突破された。王国から狩り出した民兵は戦意を完全に失い、散り散りとなり、傭兵も逃げ出した。残された帝国軍の騎士や兵士達はボロボロになりながら、抗戦するも、増援が来るよりも早く、壊滅した。
伯爵はこの戦いで死力を尽くし、戦場の露と消えた。
結果として、教皇を中心とする聖騎士団は最前線を突破し、帝国軍の増援を潰走させながら、王国領土を突き進む形となった。
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