第10話 再会

 ウォルフは茂みを掻き分け、全力で駆け抜ける。

 犬はすぐには襲い掛からない。相手の様子を伺いながら、好機を探る。

 少しでも隙を見せれば、襲い掛かって来る。

 僅かに動きを止めた瞬間、一匹の犬が飛び掛って来た。

 ウォルフは背後から襲い掛かって来た犬に反応して、その首を右手で捉える。そして、その握力の全てで喉を潰す。犬はキャウンと悲鳴を上げながら足をバタつかせる。だが、それを許さぬようにウォルフはその犬を傍の木に叩きつけた。

 それが全てだった。犬は相手の力を知れば、それ以上、無理をしない。圧倒的な力の差を見せる。自然界では最も重要な事であった。

 「くそっ・・・犬なんて食えないのによ」

 背骨が折れて息絶え絶えの犬を放り捨て、ウォルフは上がった息を整える。

 「しかし、かなり走ったな。街道に戻れるか?」

 何も知らない森の中を彷徨う事は遭難の危険しか無い。安易に森の中を彷徨う事は死に値する危険行為である。

 「こんな暗闇・・・ましてや野犬達だって近くに居る。下手に眠れないのが苦痛だな」

 ウォルフは街道を目指して歩き始めた。

 

 古城では森が騒がしい事に気付いたラナが扉などから獣が入らぬように障害物で塞いでいた。

 「野犬や熊なら、これで入っては来ないでしょう」

 ラナは力仕事を終えて、疲れたように広場に戻る。

 「ラナさん。広場に生えていた食べられそうな草を集めてみました」

 サファイアは色々と草を集めていた。

 「姫様はそのような知識もおありで?」

 ラナは不思議そうにサファイアに尋ねる。

 「あの・・・城では色々と教えられるものですから」

 「ご勉学って奴ね。私も教師から教わったけど、まともに頭に残らなかったわ」

 サファイアは城に残されていた鍋を焚火の上に置いた。

 「調味料が無いのは辛いわね」

 「大丈夫です。この草は香辛料の役割もしますから」

 サファイアの言葉にラナは苦笑いをする。

 「さて・・・いつまでも草ばかり食べてはいられないけど・・・」

 肉を捕るなら猪か鹿を狩るしかないとラナは考えた。

 「それにしても森が騒がしいわね。野犬が暴れているとなると不用意に森にも入れないし・・・嫌ねぇ」

 ラナは鍋が出来るまで、ただ、暇そうにしているしか無かった。

 その時、突如、物音がした。

 「正門から物音が・・・まさか?」

 ラナはすぐに気付く。そして銃を抜いた。

 「姫様は城の奥に・・・見てきます」

 立ち上がったラナは正門へと向かった。

 ラナは緊張した面持ちで手にした拳銃を構えながらゆっくりと歩く。

 月明かりだけが唯一、周囲を照らしてくれる。

 「さっきまで騒がしかった犬が、もう啼き止んでいる」

 この物音は犬だろうか?ラナはそう思いつつ、正門に並べた障害物を見た。それらは女の力でも動かせる程度の木箱などを並べた程度の障害物だ。熊なら、突破してもおかしくなかった。

 「障害物が・・・崩れている?」

 ラナがそう思った時、一瞬、暗闇が動いた。反射的にそちらに銃口を向ける。人差し指は引金に掛かった。

 「撃つな」

 一瞬だった。間近に迫られ、腕を高く、押し上げられている。この状態になるまで、ラナは何一つ、反応が出来なかった。

 「何者?」

 目の前には男の顔があった。それは端正と言えば、端正だが、少し野蛮な感じのする男。危険な匂いがした。

 「お前・・・帝国軍じゃないな?」

 男はラナの両手を片手で捕まえるようにして空高く、持ち上げたまま、そう尋ねる。

 「い、痛い・・・帝国軍じゃないわ。王国の者よ」

 ラナは涙目で答える。

 「そうか・・・ここはどこの領地だ?」

 「ここは・・・捨てられた城よ。誰の持ち物ってわけじゃないけど、強いて言うならダルケ公爵領って事かしら?」

 「ダルケ公爵・・・なるほど。ここはまだ、ダルケ公爵領か・・・隣国へはどれぐらいの距離がある?」

 「隣国・・・教国の事かしら?」

 ラナは痛みに耐えながら尋ね返す。

 「あぁ、そうだ。俺は隣国へと逃れる途中でね」

 「逃れる?脱走兵なの?」

 「脱走兵か・・・そうかもな。俺は帝国を裏切った。ついでにここの領主であるダルケ公爵も裏切ったけどな」

 男は笑いながら答える。

 「ダルケ公爵を裏切った?」

 「あぁ、一時、ここの領主の元で傭兵集団を指揮したってだけだ。まぁ、帝国軍から逃れる為に利用しただけだったんだがな」

 「あなた・・・何者?」

 「ふん・・・俺か?俺の名はウォルフ。元帝国騎士だよ」

 「ウォルフ・・・帝国騎士・・・騎士が何故、裏切りを?」

 「簡単さ・・・嫌気が差しただけだよ」

 ウォルフはラナの手首を離した。途端に彼女は地面に落ちるようにヘタリ込む。

 「痛いわね。なんて馬鹿力なの?手首が真っ赤になったわ」

 「悪いね。これでも骨を折らないように手加減はしたんだ」

 ウォルフは悪気も無い様子で答える。

 「それよりお前は何者だ?」

 ウォルフはラナを見下ろしながら尋ねる。

 「私はラナ・・・ダルケ公爵の娘よ」

 「なっ・・・公爵の娘が何でこんな場所に居る?」

 ウォルフは軽く驚く。

 「父のやり方が気に入らないから飛び出したのよ」

 その一言にウォルフは大笑いをする。

 「なるほどな・・・とんだじゃじゃ馬だな。だが、どうするつもりだ?帝国軍はダルケ公爵領を完全に落とすつもりだぞ?」

 「解っているわよ。すでに城は落ちてると思うし、父も・・・」

 「そうか・・・だとすれば、帝国軍が国境近くまで進むのも時間の問題か・・・まずいな」

 ウォルフは考え込む。

 「あんた、どうしても隣国へと逃げるつもり?」

 「あぁ・・・帝国から逃げるにはそれしか無いだろうからな」

 「なるほど・・・意見は一致したわね。私も帝国からは逃げ切らないといけない理由があるから」

 「ほぉ・・・公爵の娘とは言え、素直に捕まれば・・・殺されないかもしれないぞっと言いたいところだが、今の帝国軍にそんな確証は無いな」

 「解っているなら・・・どうやって隣国へ行くか聞かせてよ」

 「そんなものがあれば、こんな所に迷い込んだりしない」

 ウォルフは自信満々に答える。

 「嫌な自信ね。まったくの無策なんて」

 「当然だろう。国境を超えるとなれば、教国側の検問を突破しないといけない。生憎だが、国境を超える為の許可証など持ち合わせていないからな」

 「そうね。教国に入国するには彼の国から発行される入国許可証が要るからねぇ。それが無くして、国境を超える事は出来ない。そこが悩みなのよねぇ」

 「解っているじゃないか。だが、こうしている間にも帝国軍が国境まで制圧したら、国境にすら近付けなくなる。一か八か、検問まで行って、許しを請うしか無いかと思っているんだが」

 「なるほど・・・なるほどねぇ」

 ラナは少し何かを思い付いたような感じを出す。

 「何か・・・公爵の力でも使えるのか?」

 「公爵じゃないけど・・・それなりに可能性はあるわ」

 ラナはそう言うと立ち上がる。

 「あなたを信用したわけじゃないけど・・・背に腹は代えられないわ。これから紹介したい人が居るから、一緒に来なさい」

 「一緒に来なさいって、何か偉そうだな」

 「偉いのよ。あなたは騎士でしょ?私は公爵の娘なんだから。普通に考えれば、あなたは私の従者になるって事でしょ?」

 「誰もお前と騎士の契約を結ぶとは言ってないぞ」

 「何でも良いから、来なさい」

 ラナがそう言って、歩き出すので、ウォルフは仕方が無しに後を付いて行く。

 荒れ果てた城の奥には広場があった。月明かりの中に炎お灯りがあった。

 「野宿かよ」

 ウォルフは城の中で野宿なのかと呆れた。

 「姫様、一人、協力者を得ました」

 ラナがそう告げた相手は焚火に掛けた鍋を眺める一人の少女。

 「どなたですか?」

 見上げた彼女は焚火の灯りに照らされた男の顔を見た。

 「あっ」「えっ」

 サファイアとウォルフは互いに驚きの声を上げる。

 「ウォルフ様。どうして、こちらに?」

 サファイアは立ち上がり、ウォルフに近付く。その様子にラナが驚く。

 「姫様、この男をお知りで?」

 「はい。彼は私を王都から救い出してくれた恩人であります」

 サファイアの言葉にラナは目を丸くして驚くしか無かった。

 「そういう事だ。公爵の娘さん。俺は姫様の恩人なのだよ」

 ウォルフは勝ち誇ったように告げる。

 「それで、どうして、ここに?確か、公爵家の兵を指揮していたはずでは?」

 「悪いな。あっちはとっとと逃げ出した。そもそもあんな兵力じゃ、帝国軍に勝ち目は無いしな」

 ウォルフは笑いながら答える。

 「そうですか・・・ご無事でなによりです。それで、これからどうするのですか?」

 「隣国へと行くつもりなんだが・・・良い案が無くてね」

 「隣国ですか・・・教国が私達を受け入れてくれるかどうか・・・国境まで行くしかないかもしれませんね」

 サファイアも何か策があると言うわけじゃなかった。

 「姫様ならば、教国に顔が効くんじゃないか?」

 ウォルフはサファイアにそう尋ねる。

 「いえ・・・幾ら、私の立場でも、王国がこのような状況では・・・むしろ、受け入れれば、教国は帝国と敵対する可能性もある政治的に重大な事項になってしまうかもしれません」

 「そうだよな」

 ラナも僅かな望みがそれだったようで、落胆の顔だった。

 「まぁ、俺らにはかなり厳しい状況がある。そもそも・・・帝国の狙いは姫様だ。・・・そうだよな。姫様を追っているんだよな?」

 ウォルフはふと前々から思っていた事を考える。

 「なんで・・・帝国は姫様を追っているんだ?」

 「なんでって・・・王国を平定する為だろ?姫様を無理にでも妃の一人にすれば、この国を平定する為の道理となる

 ラナは当たり前だと言わんばかりに答える。

 「道理・・・これまでの帝国にそんな考えは無い。力で支配して終わりだ。その国の支配者は皆殺しだよ」

 「じゃあ・・・何故、姫様は狙われているんですか?」

 ラナの問い掛けにウォルフは頭を捻る。

 「それが解れば世話はない。ただ、帝国軍はなりふり構わずに姫様の身柄を確保しようとしていた。今回の王国侵略も正直、帝国の国力から言えば、かなり無理をした侵略だった。残念な事だが、現在、帝国の国内はかなり極貧な状態でね。備蓄を奪われて、飢餓に怯える国民が居るぐらいなんだ」

 ウォルフの言葉にサファイア達は驚く。

 「そこまでして、王国に攻め入ったのが・・・姫様を捕まえるため?」

 「そうなるな。それしか答えが無い。王国を制圧したとしても、帝国の民を富ませる程に得られる物があるわけじゃない。ただ、戦乱で荒れた国土が増えるだけだ」

 ウォルフの言う通り、王国も帝国との戦いで国土は荒れた。暫くは食料すら生産量は落ち込むだろう。

 「なぜ・・・私なのですか?」

 サファイアは驚く。

 「さぁな・・・帝王が欲する程・・・美人ってわけじゃないけどな」

 ウォルフはサファイアを見ながら答える。その答えにサファイアはキッと彼を睨んだ。

 「すいませんね。美人では無くて・・・ほんと、失礼しますわ」

 「ひ、姫様、姫様はお美しいですよ。ほんと」

 ラナは慌てて、機嫌を直させようとする。

 「そんな事より・・・俺らは逃げる事が大事だ。ここだって、いつかは敵に見付かる。ならば、早めにここを発って、隣国への国境まで近付こう。あとは姫様の御威光がどこまで通じるかの賭けだ」

 ウォルフの発案に他のふたりも渋々、頷くしか無かった。

 

 

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