第7話 公爵の裏切り

 この頃、公爵は帝国との交渉を密かに行っていた。帝国はそのために軍に対して、停戦を命じていた。だから何事も無く、ただ対峙する両軍という日々が続く。幽閉されるサファイアにも不満と同時に不安が高まる。だが、その不安を従者などに悟られるわけにはいかない。正直、この城の中に誰も信じられる者など居なかった。

 公爵を含む幹部達はサファイア姫を交渉材料にどこまで帝国から有利な条件を引き出すかが焦点となっていた。これまでの交渉の結果、帝国がサファイアの命自体を欲しがっている事がわかった。その為、サファイアの生死を交渉材料にするのもどうかという提案も出た。この会議を公爵の側で控えて聞く者。赤いドレスを纏った若い女性。公爵の一人娘でラナと言う。彼女は目の前でサファイアの命すらも物のように扱う貴族達を見てもただ、平静にしていた。彼女がこの場に居るのは、今後、サファイアを人質として扱うにしても姫として丁重に扱うためには同じ女性である彼女の役割になるだろうという公爵の考えでだった。

 「とにかく、帝国からの正式な返事が無いと、これ以上の交渉は前に進まないな」

 公爵は帝国側ののらりくらりとした対応に苛立つも、仕方がないと思い、ただ、時間が過ぎるのを待っているだけだった。

 ラナは会議が終わり、サファイアが幽閉される部屋へと向かう。彼女がここに来るのは初めてだ。これまではあまりサファイアとの接触が多いと周りからどのように思われるか解らなかったので、サファイアとは接触をしないように控えていた。サファイアの前に立つ警備兵達がラナに気付き、軽くお辞儀をする。

 「中へ通せ」

 ラナに命じられ、警備兵は扉の前から退く。扉の鍵を開き、ラナは中へと入った。この部屋は中から鍵が開かないようにされている。

 「サファイア姫、お久しぶりです。ラナでございます」

 サファイアはまだ幼い頃に見たラナを思い出す。

 「あぁ、美しい姫になられたのですね」

 「ありがたきお言葉」

 ラナはサファイアの前に傅き、深く頭を垂れる。

 「そんなに畏まらなくて良いわよ。どうぞ、こちらへ」

 サファイアは部屋に置かれたテーブルの椅子へとラナを誘う。

 「はい。そこの侍女。これから思い出話でも語ろうと思うのだ。席を外しなさい」

 ラナは鋭い視線を向けている侍女に向かって、そう命じた。侍女は深く頭を垂れたが、そこから動こうとせず、ラナに対してこう言い放つ。

 「ラナ姫様、申し訳ありません。ご主人様からはサファイア姫様のお側から絶対に離れるなというご命令を受けております」

 その言葉にラナは不快感を露わにする。

 「それは・・・私の命令には従わぬという事か?」

 「申し訳ありません。ご主人様の命令ですので」

 侍女は深くお辞儀をした後、再び、鋭い視線で二人を見た。ラナは諦めたように嘆息して、席に着く。

 「姫様、このような場所に閉じ込める形になりまして、申し訳ございません」

 ラナは再び、頭を下げる。

 「気にしなくて良いわよ。今はかなり危機的な状況なのです。私が勝手に動き回るのも困るのでしょう」

 サファイアはこんな状況でも笑顔だった。ラナはその笑顔を見て、少しホッとする。それから二人は10年前に会った時の思い出話などをした。サファイアは久しぶりに落ち着いた時間を過ごせた。だが、そんな楽しい時間も終わりは来る。ラナはサファイアにさよならを言い残し、部屋から出て行った。また、無言でただ、サファイアを見ている侍女との緊張のある退屈な時間が訪れる。

 サファイアの居室を後にしたラナはそのまま、自分の部屋に戻る。彼女はドレスを脱ぎ、コルセットを外した。白い肌が晒されるも、次に彼女が着込むのは鎖帷子だった。その上から鉄板で作られた胸当て、腰周り、手甲、臑当て、顔を出した兜を着ける。銃士などが使う軽い装備を身に纏う。鉄砲が主流となる中、最近の戦場では全身を隈無く覆う甲冑よりもこのような動きやすい装備の方が好まれるようになってきた。そして、彼女は腰にサーベルを装着して、最後に一丁の拳銃を手にする。それは最新式の回転式弾倉を装備したパーカッション拳銃だった。弾倉に空けられた六つの薬室と呼ばれる穴に火薬を入れ、弾を込め、銃身に添うように装着されている突き棒で、しっかりと薬室の中に押し固める。これで簡単には弾は薬室から落ちる事は無くなる。全ての薬室を弾丸と火薬で埋めた後、最後に弾倉後端に雷管を装着する。雷管と呼ばれる金属キャップの内側には衝撃だけで燃焼する火薬が詰められている。

 最後に鏡を見た。そこには一人の戦士が立っている。これから起こる事がどのような未来へと繋がるか。決して楽では無い険しい道だと解っている。多分、自分は多くのものを失うだろう。それでも戦わねばならない。行くも止まるも地獄しか無いなら、自分は敢えて茨の道を行く。そう彼女は決意した。そして、扉を開いた。

 戦争は小康状態となっている状況で、傭兵団の指揮を執っていたウォルフは戦局に僅かな疑問を感じた。いかに痛手を負ったと言っても、これほど、穏やかな時間をいつまでも敵に与える程、帝国軍は甘くない。すでに再編成は終わっているはずだ。ウォルフは敵が攻勢を仕掛けている間に帝国軍の包囲網を密かに破り、逃げ出す予定だったからだ。

 「講和・・・か・・・いや、帝国軍がそんなに甘くないはずだが・・・」

 このような状況があるとすれば、講和の交渉が進んでいる可能性があった。だが、それはこれまでの帝国軍では有り得なかった。帝国軍は決して妥協しない。ただ、敵国を蹂躙するだけだった。もし、可能性があるとすれば。

 「姫様か・・・なるほど」

 ウォルフは独り言を言いながら銃を手に取り、本陣から出る。空には星空が綺麗に広がっている。夜の風は肌寒い感じだ。

 「ウォルフ様、小便ですか?」

 警備をしている傭兵が下品な問い掛けをする。

 「あぁ、糞だ。糞。俺の尻でも見に来るか?」

 「へへへ。見て欲しいんですか?」

 下品な笑いをしながら彼はウォルフを上から下まで見る。とても嫌な目つきだ。

 「ちっ、糞野郎。俺にその趣味は無いよ。好きな奴らで楽しんで来いよ」

 「冗談ですよ」

 笑いながらウォルフは小銃を肩に担いで歩く。

 そんな夜が更ける頃合い、サファイアの居室の前で警備する二人の兵士は槍を手にして、眠気を押し殺していた。

 カツン カツン カツン

 足音が聞こえる。兵士達は足音の方を見る。そこには軍服姿のラナの姿があった。剣を腰に携えた格好のラナに疑念を抱くが、彼女の笑顔を見て、二人は警戒心を解く。

 ドン ドン

 突然、鳴り響く銃声。ラナの持つ拳銃の銃口からは黒色火薬が燃えた白煙が噴き出す。ドサリと倒れた兵士達の胸には甲冑を貫く穴が開いている。

 「今時・・・甲冑程度じゃ、弾丸は防げないわよ」

 ラナは倒れた二人の兵士を見下ろし、死んでいる事を確認する。それから、彼等が持つ鍵を奪う。その鍵を彼等が守っていた扉の鍵穴に突っ込み、回す。カチャリと音がして、解錠された事を確認すると扉を開く。刹那、刃が突き出される。ラナはその刃を拳銃で受け止める。金属が重なる音が響き渡り、ラナの目の前にはナイフを突き出した侍女が居た。彼女は無表情に突き出したナイフを戻し、再び、突き出す。その速度はかなりの腕前であることが解る。ラナは侍女の突き出す刃を拳銃で受け止めるも、それが精一杯だった。

 「ラナ様、お下がりください。あなたを殺すわけにはいきまん」

 「言うじゃない」

 ラナは笑いながら、手にした拳銃の引き金を引いたまま、撃鉄を左手で起こす。添えた左手を離せば、すぐに撃鉄は落ちて、雷管キャップを叩く。衝撃で雷管が炸裂して、薬室内の黒色火薬を誘爆させた。弾丸が炸裂した火薬の燃焼ガスに押し出されながら銃身内をライフリングに合わせて螺旋状に回りながら加速して、銃口から飛び出す。僅か5メートルも無い距離で発射された弾丸をかわすなど不可能のはずだった。だが、侍女は紙一重で銃弾をかわした。華麗に舞うように身体を捻りながら。そして、鋭い一撃がラナに襲いかかる。侍女の右手には小型のナイフが握られている。10センチ程度の短い刃ながら、その切っ先はラナの首を狙っていた。ラナはその腕に左の手刀を叩き込む。そして、右手の親指で撃鉄を起こして、再び侍女に銃口を向けようとする。だが、侍女はラナの右腕を蹴り上げる。蹴られたと同時に天井に向けてラナは発砲してしまった。蹴り終えた侍女はその場でクルリと回転して、回し蹴りをラナの腹に叩き込む。ラナは軽々と部屋の壁まで吹き飛ばされる。

 「ぐっ!」

 壁に背中を叩き付けられて、肺から息が全て出てしまうような苦しさを感じる。そのチャンスを侍女は逃さない。ナイフを片手にラナに飛び込む。

 ドン!

 突然の銃声。それと同時に飛び込んだはずの侍女の動きが止まった。彼女は目を見開き、その場に崩れ落ちる。

 「はぁはぁはぁ・・・こいつが役に立つなんて・・・」

 ラナは腰に提げた剣の柄を見る。柄の先に開いた穴から白煙が噴き出している。

 彼女が持つ剣は柄の部分が銃身となっている先込め式の銃となっていた。ホイールマッチ式の発火方式となっており、外見からは銃が仕込まれているとは判りづらい作りとなっている。威力はそれほどでは無いが、そこから発射された10ミリの鉛玉は侍女の鳩尾に穴を開けた。彼女はそのまま、崩れ落ちる。ラナはその侍女が動かないのを確認してから、息を整える。それから、サファイアの前に歩み出る。

 「姫様。お迎えに上がりました」

 「あ、あなたは・・・一体・・・?」

 「父・・・いえ、公爵はあなたの身柄を帝国に引き渡すつもりでございます。自らの保身の為に。王国の一員として、許されざる裏切り。娘の私が償おうと思います」

 「良いのですか?」

 サファイアは心配そうな目でラナに尋ねる。

 「覚悟は出来ております」

 ラナはサファイアを連れて、塔から出る。そこには銃声に気付いた警備兵の姿があった。

 「ひ、姫様、今の銃声は?」

 慌ててやって来た兵士達はラナの顔を見て、警戒心も無く、尋ねる。

 「帝国の間者だ。サファイア姫が襲われた。私は偶然、サファイア姫様と謁見しており、お救いをした。サファイア姫を安全な場所にお連れする」

 「はっ、はい」

 ラナはその場をやり過ごす。ここにラナの仲間など一人も存在しない。全ては公爵の手下だ。ラナはそれでも少しも怯えた様子を見せずに毅然とした態度で歩く。そして、止めておいた馬車の荷台にサファイア姫を押し込む。

 「姫様、その樽の中に入ってください」

 サファイア姫が樽に入ったのを確認すると、ラナは馬車を走らせた。それは門へと近付く。門兵も銃声に気付いて、慌てている。彼等は城から出て行こうとする馬車を止める。

 「止めろ!どこに行くつもりだ?」

 「ラナだ。これより、別邸へと行く予定だが?」

 馬車を操っていたのがラナだと解ると、門兵達は敬礼をした。

 「こ、こんな時間にですか?」

 「あぁ・・・ここは帝国の臭いがするからね」

 ラナはニヤリと笑う。

 「解りました。どうぞ、お通りください」

 「ありがとう」

 ラナは馬車を走らせた。

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