第4話 猟兵

 ウォルフ達が山を必死に登っている頃、麓にはある一団がやって来た。彼らは馬から下りる。彼らは兵ではあるが、皮製の軽い甲冑を着込み、手には石弓や火縄銃が握られている。

 すでに時代は前装式銃から後装銃へと移ろうとしている。帝国軍でも銃士隊が活躍する時代となっていた。もう、騎士の時代では無くなっていた。剣や弓から鉄砲へと。時代が変わろうとしていた。

 彼らはエドが呼び寄せた猟兵部隊だった。猟兵とは、元々猟師を営み、強靭な肉体と、獲物を狩るために弓や銃を巧みに使いこなす者達を兵として取り立てた者の事だ。騎士とは違い、平民から集められた兵が軍の中心をなすようになった時代において、普通の兵よりも精強な兵士と言う意味で猟兵と言う言葉が生まれた。

 「馬はここで待機させておく。ティム。お前は馬を連れて、街道を先回りしろ。俺らは獲物を追って、山を越える」

 部隊を率いる男が、まだ少年のような若い兵にそう告げる。若い兵はつまらなさそうな顔をしながら、渋々了承する。猟兵達は武器を手に、山へ入る小道へと進んだ。

 「ムサダ隊長、これから山を登って、追い付きますかね?」

 部下の一人が隊長に問い掛ける。当然だろう。彼らが到着したのは獲物が山に入ったと思われる時から1日以上は経っている。この山並みを越えていくには1週間は掛かるとは言え、追い付くのはかなり難しいと思われた。

 「相手は山の素人と姫様だ。簡単には山を越えられないよ。下手したら、途中で倒れているかもな」

 ムサダは大笑いをしながら8人の部下を引き連れ、山道を突き進む。

 追手が山に入ったとも知れず、ウォルフは疲れたサファイアを心配して、思った以上に少ない移動距離で野営する場所を見付けて、準備をした。荷物を減らすためにテントなどは持ってきていない。雨などから体を守るために天幕になるキャンパス地を張り、毛布に包まりながら二人は眠る。二人が就寝した頃、ムサダ達も野営を行っていた。彼らは夜の山がどれだけ危険が知っている。火を焚き、不寝番を立てる。火を焚けば野生動物は近付かないと思っている人は多いが、それは火の怖さを知っている犬などの人間に近い動物だけだ。大抵の野生動物は火を見たことが無い。むしろ、闇夜を照らす炎なので、森の中では目立つから、危険な動物を寄せてしまう可能性もある。その為、不寝番を立たせておかねばならかった。

 「隊長、やはり、この森には実りが悪かったようですね」

 彼らは行軍する間にも森の状況を観察している。猟師に必要な能力は森をしっかり観察する事だ。特にここは彼らにとっても初めて登る山だ。彼らが育った山とは違う。だから気をつけねば、思わぬトラブルに遭う可能性も高くなる。

 「そうか・・・この時期だと子育ての季節だ。腹を空かせているとすれば・・・危険だな。まだ、先は長い。進むと時は熊避けをしっかりとしろ。ここで、熊狩りなどをしている暇は無い」

 「はい。皆に言い聞かせておきます」

 まだ、彼らはこの山にウォルフ達が逃げ込んだ痕跡を見付けていない。だが、ムサダはこの先に二人が居ると直感している。それは獲物を追う天性が導いているとしか言いようが無いが無いが、彼のそれは信じるに値するものだった。


 ウォルフ達が山に入ってから三日目。

 ウォルフは携帯していた干し肉を齧りながら、周囲を警戒していた。痕跡を残すことを嫌ったウォルフは焚き火をしなかった。月明かりだけが唯一、周囲を照らす。疲れたのか、サファイアは毛布に包まって眠っている。ウォルフはその隣で、少し寝ては起きるという事を繰り返した。ウォルフは目を見開く。彼の目は少し特殊で、普通の人なら、夜目と言っても、ただ、暗闇に慣れるだけで、視認出来る距離は限られる。だが、彼は僅かな光も多く取り入れる事によって、普通の人間に比べて遥か遠くまで見通すことが可能だった。

 虫が飛び交う中、ウォルフは僅かな睡眠後、必死に周囲を見渡し、耳を研ぎ澄ます。すると、彼は剣を鞘から抜いた。そして、立ち上がる。彼は無言で暗闇を睨む。

 ゴフォ・・・ゴフォ

 暗闇の中で何かの音が聞こえる。ウォルフは冷静にその音の方向を睨む。抜いた刃は月明かりに照らされ、暗闇に青白く浮き上がる。ガサガサと茂みを掻き分けて、熊が姿を現す。どうやら、人間の匂いを嗅ぎ付けたようだ。普通なら、恐れて近付かない獣も、相手が餌だと認識すれば、話は別だ。

 「よう・・・熊公。悪いが、お前の餌になる気は無いんだ。今からでも遅くない。帰るなら今の内だぜ?」

 ウォルフは恐れる事無く、笑いながら剣を構える。熊は少し躊躇しながらも、腹が減っているのか、ゆっくりと前に出てきた。確実にこちらをやるつもりだ。ウォルフはそれを察して、切っ先を熊に向ける。熊はその意味が解っていないように、ただ、ウォルフに襲い掛かろうしているようだ。ウォルフと熊。その距離は5メートルも無い。熊は3メートルもありそうな巨体。5メートル程度の距離なら、一瞬で飛び掛ってくるだろう。

 フゥッ!フゥッ!まるで威嚇するように鼻息を荒くする熊。だが、ウォルフはただ、熊の目を睨みつけるだけだ。その眼光の鋭い瞳に睨まれ、熊は鼻息を荒くする。熊は今にも襲い掛かろうとしている。前足を何度も蹴り、熊は低い姿勢を取る。突然、熊が飛び掛ってきた。鋭い口による攻撃がウォルフを襲う。だが、彼は冷静にそれを見極めて、剣の切っ先で開かれた口を刺す。激痛に熊は余程、慌てたのか、尻餅をつくようにして、後退さる。

 「悪いが・・・こっちも、それなりに修羅場は潜り抜けていてね。それぐらいじゃ・・・怖くも無い」

 ウォルフは剣を構えながら熊に近付く。今の動きから、熊は痛みを知った。その辺の獲物では味わったことの無い痛みだろう。刺された鼻を気にする仕草をしながら熊は後ろ足で立ち上がる。3メートルを超える巨体が立ち上がると、迫力があった。その太い右腕が振り下ろされる。ウォルフは剣を振るい、熊の手首に切っ先を斬り付ける。刃は剛毛に遮られるが、鋭い一撃によって、毛も皮膚も切り裂き、骨へと当たる。シュッと剣を引くことによって、刃はさらに切り裂いた。そして、彼の剣は熊の右手首を切り落とした。血が飛び散り、熊は悲鳴を上げた。

 「去れ!今なら逃がしてやる!」

 ウォルフの言葉が解ったように熊は切り落とされた腕を庇いながら、何処へともなく去っていく。ウォルフは疲れたように剣を鞘に納めて、再び、サファイアの寝顔を見てから隣に座った。


 闇夜に木霊する熊の悲鳴。ウトウトしていたムサダの目も覚めた。

 「今のは・・・熊か?」

 不寝番をしていた部下に尋ねる。部下も熊だと答えた。

 「こんな夜に熊が尋常じゃない叫びを上げるとはな・・・獲物か」

 ムサダは笑う。彼の感じていた事は当たっていたと直感する。この先に獲物は居る。その確信を持って、ムサダは朝を楽しそうに待った。


 朝日が昇り、ウォルフはサファイアを連れて、再び山登りを始める。まだ、半分にも達していない。サファイアの疲労はかなり蓄積されている。正直、このまま、本当に山を越える事が出来るのか。そんな不安を抱えながら、ウォルフは進む。

 山の森は徐々に薄れ、山肌は土から岩へと変わろうとしている。これぐらいの高さに来ると、息をするのも苦しい。当然ながら、サファイアの体力は削れる一方だ。休憩が多くなる。このままだと、予定よりも多く日数が掛かるかも知れない。そうなると水や食料が足りなくなる可能性がある。食料はともかく、水は大事だった。標高が高くなれば、湧き水が出ている可能性は低くなる。

 「あまり、水は飲めないな。何とか、山を越えないと」

 ウォルフはそうサファイアに声を掛けながら、必死に山をただ、歩いた。あと少しで山の頂上に辿り着ける。そう思っていた時だった。

 ヒュン

 空気を切り裂く音と共に矢がウォルフに襲い掛かる。それも一本では無い、3本の矢がウォルフを襲った。当たらなかったのは運が良かったとしか良いが無い。ウォルフは後ろを見た。すると100メートル近く下に男たちの姿があった。彼らの姿は毛皮で出来た衣服を身に纏い、明らかに猟師である。だが、こんな山にあれだけ大勢の猟師が登ってくる事はあり得ない。

 「追手だ」

 ウォルフの言葉に疲れ切ったサファイアも足を速めようとする。だが、それでも少女の足だ。足元がおぼつかない為にそれほどは速くならない。矢を外した彼らは慌てて、追い掛けて来た。さすがに山に慣れた連中だけあって、その距離はどんどん狭まる。多分、体力的にこちらが圧倒的な不利な事はウォルフにも判っていた。

 「姫様・・・悪いが、先に行ってくれ。あいつらの相手をしてくる」

 「だ、大丈夫なの?」

 サファイアは心配そうな瞳でウォルフを一瞥した。

 「行け!もう、振り返るな!」

 ウォルフは腰から剣を抜いて、後ろへと駆け出す。その様子を見たムサダはニヤリと笑う。

 「あいつは殺して良い。矢を放て!」

 3人の男達が短弓に矢を番えて放つ。短弓は石弓や長弓に比べて威力は劣るが、携帯性が良く、素早く矢が番えて、放てる事から、鳥などを狩る猟に向いていた。放たれた矢はそれなりの速度で飛んでくる。

 ウォルフはそれを避けようともせず、剣の一振りで叩き落した。さすがにこれにはムサダも驚く。男達は更に矢を放ち、別の二人の男達は石弓に矢を番えて、放とうと構える。その二射目を剣で叩き落したウォルフは左手を腰のベルトに挟んでおいた二本のナイフの柄を掴み、下投げで投げる。狙ったように放ったわけじゃないが、そのナイフは石弓を構えた男達の顔面に突き刺さる。そして、あらぬ方向へと矢が放たれてしまう。三射目を番えようとした男達の前に飛び掛るように突進してくるウォルフ。

 うああああああ!

 男達はそのあまりの迫力に逃げ出そうとする。だが、ウォルフの剣は的確に一人の男の首を狙った。

 ガチン!

 鋭い金属音と共にウォルフの剣が別の剣に遮られる。その剣の主はムサダだ。

 「その根性、気に入ったぜ?」

 ムサダは笑いながらウォルフに言う。

 「なら、引いてくれないか?」

 ウォルフも笑いながら返す。

 「悪いが・・・それは出来ないんでね!今だ!やれ!」

 ムサダがウォルフの動きを止めたことで周囲に居た彼の部下が片手剣を手にして、ウォルフに一斉に襲い掛かる。ウォルフは目の前のムサダから離れようとするが、ムサダはウォルフを逃そうとしない。

 「死んでくれやぁああああ!」

 ムサダは叫ぶ。ウォルフは彼を睨みながら剣を放り投げる。無造作に放り投げられた剣に釣られて、ムサダの剣も少し流れた。その隙にウォルフは彼の懐に飛び込む。鳩尾に右の拳をねじ込みながら左手で彼の剣を持つ手を掴む。鳩尾に一撃を食らったムサダは何とか耐えようと体を緊張させた。それはウォルフの狙い通りだ。

 強張ったムサダの体を盾にするように周囲から突き出された剣を彼の背で受け止めたのだ。グルリと一回転させて、ムサダの体を放り投げる。そして、慌てて剣を引っ込めた男の顔面を殴りながら、彼の剣を奪い取る。そのまま、弓を構え直そうとしている男達に突進する。彼らはまたも矢を番える暇も無く、逃げ出そうとしたが、今度は逃げ切れず、ウォルフが次々と彼らの体に剣を突き刺して行く。

 それを助けようとした剣を持つ3人の男達がウォルフに襲い掛かる。ウォルフは血に塗れた片手剣の切っ先を彼らに見せ付けるように向ける。その迫力に彼らの足が止まった。

 「ふん・・・背中に担いだ銃はどうした?使わないつもりか?」

 男達は背中に銃を担いでいる。その多くは火縄銃だ。ここで使わなかったのも準備に手間取るのと、臭いや音で感付かれるのを恐れてだろう。ウォルフに言われたからと言って、今更用意が出来るはずが無かった。

 残った男は3人。どいつも猟兵である以上に多くの戦闘経験も持っている。ウォルフが並の力量じゃないことは理解が出来ている。だから、慎重に襲い掛かるチャンスを狙っている。

 「どうした?お前らの方が数は多いぞ?さぁ、襲い掛かって来いよ」

 ウォルフは挑発を繰り返す。わざと隙を作るように剣を右手から左手に持ち替えたりする。だが、そんな挑発に簡単に乗る程、男達は甘くない。冷静にウォルフの目を見ながら、彼らは互いの位置を確認しつつ、急斜面の山肌をよじ登るように広がろうとする。だが、それにはかなり無理な姿勢をしないといけない。一瞬だった。ウォルフは手にした片手剣を投げ、斜面を登っていた男の胸を貫いた。彼はそのまま山から転がり落ちる。

 「さぁ・・・俺は素手だぞ?」

 両手を開くウォルフ。残りの二人は顔を顰める。相手は常識の通じる相手じゃない。これが二人の認識だった。素手よりも剣を持った方が圧倒的に有利なはずだった。だが、相手はその剣を躊躇無く、投げた。素手で剣を持つ二人を相手にするつもりだ。愚かなのか。いや、すでに隊長を含めて、7人を殺している。それもあまりに手際良く。

 「化け物め」

 一人の男が喉の奥から搾り出す。それを聞いたウォルフは声を上げて笑った。

 「はははっ、化け物か・・・。あぁ、そうだ。俺は化け物だ。悪いが・・・お前らよりも多く、地獄を通り抜けて来ているからな・・・。簡単には死ねないんだよ」

 ウォルフは目の前に立つ男に飛び掛る。男は剣を振るう。だが、その剣筋を見極めたウォルフは易々とそれをかわしながら彼を蹴り飛ばす。その蹴りは特別、強くなかったが、体勢を崩した男は急斜面を転げ落ちて行く。もう一人がウォルフに飛び掛るも、ウォルフは彼を捕まえて、投げた。彼は斜面を派手に転がり落ちて、見えなくなった。

 ウォルフは倒れている男達を見る。まだ、息のある者も居るが、助ける気など無い。剣と銃を手に入れる。それと短弓だ。そして、水と食料もいただいた。これで、不安は一掃された。こいつらをここで殲滅すれば、もう追手は居ないだろう。ウォルフがこの場から離れようとした時、倒れているムサダが声を掛ける。

 「なぁ、・・・お前・・・何で、そんなに強いんだ?」

 彼は全身に刃の傷を負い、その命は風前の灯だった。それでも彼は息を切らせながら、ウォルフに尋ねる。

 「俺が強い?」

 「あぁ、今まで、色んな奴を見てきた。剣が強い奴とも、優秀な指揮官とも違う。お前は確かに強い。この圧倒的に不利な状況なのに、何の躊躇も無く、我らに突っ込んで来るなんて・・・な」

 ウォルフは彼を見て、微かに笑った。

 「ふふふ。圧倒的な不利か・・・俺の戦いは常に圧倒的不利で、死地に飛び込まされてばかりだった。この程度の事で戦意を失う程、物分りの良い方じゃないんだ」

 そう言い残して、彼はその場から去って行く。

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