第3話 逃避行

 その頃、ウォルフの前から逃げ出したエミールは自らが所属する軍勢の指揮官であるライハット子爵の下に辿り着く。子爵はエミールよりも貴族の位は低いが、軍隊の中では階級が貴族の位を上回る事と決められているので、エミールは彼に敬礼をするしか無かった。

 「エミール大尉・・・あのウォルフ少尉が・・・反逆を?」

 ライハット中佐は訝しげな瞳をエミールに向けた。

 「はい。あいつは自分の部下を殺して、サファイア姫を捕まえ、更に私の部下を殺して、連れ去ったのです」

 エミールの目を見て、嘘は無いとライハットは感じた。だが、彼にはウォルフが裏切るなどとは思っていなかった。それほどにウォルフという男は帝国の仲でも勇猛で冷静な男だった。

 「サファイア姫を連れてか・・・。彼女は陛下が何と連れて来いと厳命されている。分かった。捜索の為に騎士団を前線から離して、向かわせよう。エミール大尉。あなたは彼らと行動を一緒にして、彼らにウォルフの事を伝えて欲しい」

 「わ、分かりました」

 ウォルフは勇猛果敢な男として、軍の中では有名だった。だが、まだ写真などもそれほど普及している時代じゃない。ウォルフの顔などを知っている者は少ない。その為に彼を知るエミールが一緒に捜索するしか無かった。


 一晩が過ぎ、エミールの前にはプレートアーマー姿の騎士が50人。姿を現した。先頭を走っていた騎士が馬から下りて、ライハットとエミールの前に立つ。

 「ブライド騎士団の団長、エド=マグリット大尉であります」

 騎士団

 帝国には常設の軍以外にこう呼ばれる部隊が古くからある。

 元々は軍などと言う存在は無く、それぞれの貴族が自分の軍勢を率いて、戦に参戦するのが普通だった。騎士団はその中で騎士の称号を与えられた者だけで編成する部隊であり、それは様々な形で作られた。ブライド騎士団は帝国でも古くからある騎士団であり、元々は帝国が貴族に対して徴税をする為に設けられた部隊だった。

 彼らはライハットに敬礼をする。ブライド騎士団は王国攻めの一部隊として配備されていた。故に現在はライハットの指揮下に入っている。

 「エミール大尉を伴って、反逆者であるウォルフを追撃せよ。彼はサファイア姫を伴っているはずだから、彼女を無傷で手に入れることを最優先にせよ」

 騎士団の騎士達は気勢を上げた。エミールも馬に跨り、彼らと共に陣地を後にした。


 その頃、サファイアを連れて、ひたすら王国の軍勢を求めて山道を駆けるウォルフ。だが、ドレス姿のサファイアを伴っては、それほどの速度は出ない。

 「この近くに町か村は無いか?馬でも調達しないと俺を追跡する奴らに追い付かれる」

 ウォルフに尋ねられて、サファイアは周囲を見渡した。

 「多分、ここは王城の東に行った所だから、この先にファーレーという街があるはずよ」

 「ファーレーか。そこに行って、旅の支度もしよう」

 再び、ウォルフ達は1時間程度、山道を駆け抜けると街を見付けた。ただし、街からは幾筋も煙が昇っている。ウォルフは周囲を見渡す。そこは畑だったが、馬や人によって踏み荒らされた跡が残っている。

 「ここも戦場になったか。街に帝国軍が居るかも知れないな」

 ウォルフ達は慎重に街に近付いた。街中では死体が山積みにされて、燃やされた跡がある。多くの家は荒らされた形跡があり、ここで、帝国軍が略奪や虐殺を行った事が分かる。

 「姫様・・・ここではあんたの顔じゃ、目立つ。これで巻いていてくれ」

 ウォルフは落ちていたスカーフをサファイアに渡す。彼女は顔を隠すようにスカートを巻いた。そして二人は静かな街中を歩く。この街に人は残っているのか?それすら分からない。ただ、帝国兵の姿も見掛けないので、多分、彼らは広がる戦線に向けて、ここから出て行ったのだろう。

 いつまでも一つの街に留まっていられる程、のんびりとはして居られない。その為、帝国軍が取った戦略の一つで、街は占領せずに徹底的に破壊して、二度と王国軍が戻って来られないようにするのだ。この街もきっと、そうされたに違いなかった。ここに住んでいた人々は殺されたか。一箇所に集めるために連れて行かれのだろう。無人になった家に二人は入る。そこで若い娘の服を手に入れた。サファイアは動き易い街娘の服に着替えた。ウォルフもナイフなど、武器になりそうな物を幾つか集めた後、食料などを手に入れた。

 「何とか見付けた食料は三日分か。それで、また、新しい街や村に辿り着くまで歩くしか無かったな」

 ウォルフは馬を手に入れられなかったのを残念に思っていた。だが、追手の事を考えれば、いつまでもここに留まるのは危険だった。街から出るために二人は歩き始める。

 サファイアは焼かれた死体の山を見て、呆然としていた。王国では宗教的な理由から土葬が普通だった。焼かれてしまえば、天に召されないと信じられているからだ。それは帝国も同じだが、ウォルフには判っていた。これだけ大量の死体を埋めるなど、労力や時間を考えると不可能であり、放置しておけば、伝染病が発生する可能性が出てくる。その為に焼くしか無かったのだ。

 街から出ると、街道が延びている。この街道を素直に進めば、簡単に別の街まで到達するだろうが、同じくこの街道を進んでいるだろう帝国軍に遭遇する可能性も大きかった。

 「なぁ、王国ではどいつが最後まで頑張りそうなんだ?」

 当ても無く進むのは危険だった。ウォルフは目的地を決めるためにサファイアに尋ねる。

 「そうですね・・・王国の北側にあるダルケ公爵でしょうか。あの方は王国軍を指揮した経験もあり、とても強い方ですし、隣国のエルベ教国とも関係が深いですから」

 「エルベ教国か・・・それは面白いかも知れないな」

 エルベ教国は、帝国も王国も含めて、この世界の半分近くは信奉しているとされるエルベ教の宗主国である。国としては小国ではあるが、世界に圧倒的な力を持っている。ここに逃げ込む事が出来れば、帝国の追撃から逃げ切ることは出来るかも知れない。

 「かなり厳しい道だが・・・ダルケ公爵の領地へと向かうとしよう」

 ウォルフ達は王国の北へと向かう為に道を確認した。帝国軍がどのように侵攻しているかはウォルフにも判らない。その為に、彼が選んだ道は山の中を進むことだった。サファイアを伴ってではかなり危険な道だったが、帝国軍と遭遇するよりは遥かに生きて、ダルケ公爵領へと辿り着ける可能性が高いと思ったからだ。


 ウォルフ達が山に入ったことを知らないブライド騎士団の一行はウォルフ達が立ち寄りそうな街として、ファーレーに立ち寄っていた。彼らも荒れた街の様子を見るが、特になんとも思わずにただ、ウォルフ達の行方を探索するだけだった。

 「すでに住民は連れ去った後のようですからねぇ。情報すら手に入らない感じですね」

 騎士団と行動を共にするエミールは疲れたように団長のエドに言う。

 「そうでありますね。だが、彼らが逃げるにしても食料などを手に入れるためにはこの街ぐらいしか無いのですが・・・痕跡を探すのは難しいですね」

 エドは地図を見ながらそう呟く。

 「では・・・諦めるのですか?」

 エミールがそう尋ねると、エドは笑う。

 「諦める?冗談でしょ。現在、我が軍の配置状況では彼らが抜けて通れる場所は極めて限られる。可能性としては、山越えだ」

 「山越え?」

 エミールは驚く。

 「そうです。山越えなら、人目につく事はまず無い」

 「それでは・・・我々にはどうしようも出来ないのでは?」

 「ふふふ、まぁ、我々が山に入ることは出来ませんからねぇ。しかし、山は元々、越えるにしてもかなりの困難。それに山賊が潜んでいる可能性もある。道に迷って死ぬか。山賊に捕まるか。あぁ、熊などの危険な獣も居ますね。兎に角、確実に山が越えられるとは思いませんけどねぇ。それに街道を通るに比べて、倍以上の時間が掛かります。我々はその間に街道を通って、彼らが突破しそうな場所に先回りをします。現地で兵を集めて、数で囲い込めば、山越えをしてボロボロの奴らを捕まえる事も出来るでしょう。まぁ、山で死んでしまう可能性も高いですからねぇ。ちゃんとその手配もしておきましょう」

 エドは書簡を書いて、部下に持たせた。この時代、通信手段は伝令か、伝書鳩となる。伝書鳩は運ぶ手間や確実性などを考えると、あまり効率が良くなく、用いられるのはかなり大きな部隊の本陣部隊ぐらいであった。その為、普通は書簡を書いて、通信筒と呼ばれる金属製の筒に入れて伝令兵に持たせる。古から変わらぬ方法だ。

 「後方の部隊に猟兵部隊が居ます。彼らに山狩りをさせます。山に慣れた者達なら、山に不慣れなウォルフ達に追い付く可能性も高いですからね。こうやって前後を塞ぐだけで、我々の圧倒的に有利なわけですよ。さぁ、行きましょう」

 エド達は先回りをするために街道を進み始めた。


 山はその大きさに関わらず、人が入るのを拒む。まったく人の入らない山を進むのは困難だった。ウォルフ達はまずは炭焼きや木の伐採の為に用いられる山道を進んだ。それは3時間程度、進んだ所で、炭焼き小屋へと繋がっていた。そこで少し休憩を取ってから、その先の道が無い森へと入り込んだ。まったく手入れのされていない森は下草も伸び放題で、茂みを掻き分けながら進むしかない。

 「姫様。蛇には要注意です。毒蛇に噛まれたら、終わりですよ」

 「へ、蛇が出るの?」

 サファイアはかなり怯える。まだ、まともな解毒剤だって無い時代だ。毒に冒されれば死ぬのが当たり前だった。

 「音を出して歩けば、蛇は逃げます。熊や猪だって、安易に人間には近付いては来ません。だから、安心してください」

 ウォルフはサファイアを落ち着かせながら、先を進む。森はどんどん深くなっていく。高さがそれほどある山には思えなかったが、それでも登り続けていると足元が悪いこともあり、かなりの疲労となる。鍛え抜かれた体を持つウォルフは大丈夫だが、その後ろを歩くサファイアは限界を超えていた。

 「も、もう」

 そう言い残して、彼女は倒れる。ウォルフは慌てて、彼女を支えた。

 「仕方が無い。ここで休憩は難しい。俺の背中に乗れ」

 ウォルフはサファイアを背負う。幾ら少女とは言え、彼女と他の荷物まで持つと100キロ近い重量を持つ事になる。

 「だ、大丈夫?」

 サファイアは心配そうに尋ねる。ウォルフは少し笑って、答える。

 「問題は無い。このまま、進むぞ。休める所を見付けて、そこで野営する」

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