第2話 騎士として

 「よう、ウォルフ・・・そいつがサファイア姫か?」

 そう尋ねられたウォルフは直立不動の姿勢で相対する。

 彼がウォルフの雇い主であるギュンター=エミール。

 ウォルフがもっとも嫌悪する相手だ。

 彼は自ら手を汚すことは無い。危険も冒さないし、戦場から何でも略奪する。女も犯すし、笑いながら抵抗する事も出来ない老人も子どもも嬲り殺す。奴が幾度、村を燃やし、村人を虐殺したか。そして、それの先鋒を務めさせられたのがウォルフの部隊だった。

 エミールのギラついた瞳が嫌だった。

 「違う」ウォルフは咄嗟に嘘をついた。

 だが、それを聞いたエミールが大笑いをする。

 「ウォルフ・・・お前はトンマだな。そんな小娘に騙されおってからに・・・俺は5年前に王国の開いたパーティーに呼ばれている。その時に姫の姿も見ているからな。顔をはっきりと覚えているぞ。あの頃はまだまだ、ガキだったが・・・。なかなか、良い感じに育っているじゃないか。こいつは味見をしないとな・・・。そのためにわざわざ、こんな所まで来てやったんだ。ウォルフ、そいつを渡せ。それと、まだ、王国軍の残党が多く残っているみたいだから、兵を集めて、次の戦場に向かう準備をしろ」

 エミールは兜で目以外は見えないが、多分、気持ちの悪いぐらいに下衆な顔で笑っているだろう。ウォルフはそれを想像しただけで反吐が出そうだ。ウォルフは彼女を少し後ろに下げて、彼らに向かって言う。

 「悪いが、彼女は帝王陛下に無事に引き渡せねばならぬ」

 「無事に?俺らだってそのつもりだ。何、死ぬ事は無いよ。むしろ気持ちが良くなったりしてな。ははは」

 下卑た笑いをしながらエミールは手にしたランスの切っ先をクルクルと回す。プレートアーマーの騎士にとって、剣よりもランスの方が遥かに有効な武器である。ランスは強固な甲冑を着込む騎士を倒すために作られた槍である。

 突く事に特化した槍ではあるが、その切っ先は僅かな刃しか無く、それによって相手を貫くのは槍の真意では無い。これは重く作られた槍を馬による突進の勢いと同時に突き出すことで、甲冑を貫かぬとも、中の人間に大きなダメージを与える。それがランスである。

 「さぁ、早く渡せ、ウォルフ。褒美ぐらいは考えてやるぞ?」

 ウォルフはエミールを見た。いや、睨んだ。

 「なんだ・・・その目は?雇い主を睨むとは・・・躾が足りないか?」

 エミールはウォルフに怒気混じりの言葉を投げ掛ける。

 「伯爵・・・悪いが、この子はお前に渡せない」

 ウォルフは姫を背に隠す。

 「おい・・・ウォルフ。それは・・・帝国に対する背信だぞ?」

 エミールが馬を一歩前に出す。ウォルフはスルリと剣を抜く。

 「帝国?・・・まるで帝国を背負ったような言い方だな・・・もう、我慢の限界だ」

 腰に吊るした麻袋を彼らに向けて投げた。

 「手柄はくれてやる・・・だが、お前らみたいな腰抜け共は許さん」

ウォルフは一歩、前に出る。騎士達はそれに呼応するようにランスを構える。

 「ウォルフ・・・戦場ではご活躍のようだが・・・騎士を5人も相手に出来るかな?しかも、お前は馬も無い。馬の無い騎士など、ただの的だ!」

 エミールは笑いながら告げる。

 「騎士なら、騎士らしく、一対一で向かって来たらどうだ?この腰抜け伯爵」

 ウォルフは少し焦っている様子のエミールを挑発するように言う。

 「騎士だと?この雇われの身の癖に・・・。伯爵に歯向かう輩を帝国の騎士など、断じて認めるわけがないだろう・・・こいつを殺して、姫を貰うぞ。やれ」

 騎士の一人がランスを構えて突進してきた。多分、この中でも腕に覚えがあるのだろう。槍と剣。優劣は明らかだった。ランスが風音を立てながら、突き出される。ウォルフはそれを剣で弾きながら、体に触れるのを避ける。

 ランスの一撃は危険だ。まともに一撃を受けたら、死なないまでも、動けなくなるだろう。相手はウォルフに突進を仕掛けて、一撃が外れたら、そのまま通り過ぎ、距離を置いてから転進して、再び、突進してくる。

 「ははは!ウォルフ。どうした?お望みの一対一なのに、防戦一方じゃないか?」

 馬上の相手に翻弄されるウォルフを見て、エミールは大笑いをしている。

 「ふん、口の臭い奴だ」

 ウォルフはランスを防いだ剣をそのままランスの横を滑らせ、一気に懐に入り込む。無論、相手も容易に懐に入り込ませぬようにランスを引きながら、ウォルフをランスで薙ぎ倒そうとする。だが、ウォルフの鍛えられた体躯でそのランスを押し返した。刃はランスの側面を滑り、そのまま敵の被る兜のゴーグルの視界を確保する横三本の溝の一本に刃を刺し込んだ。刃は彼の両目を眉間と共に貫き、その脳を貫いた。男は叫ぶ間も無く、絶命し、力無く、馬から崩れ落ちる。

 ウォルフは崩れ落ちる騎士から剣を抜きつつ、残りの騎士を見る。誰もが怯えているのが判る。彼らの中で一番の腕前だったのだろう。それが殺されたとなれば、誰もが萎縮するに決まっている。甲冑の中で震えているのが解る。

 「さぁ・・・次はどいつだ?」

 ウォルフは不敵な笑みを浮かべる。それにエミールは怯えた。

 「お、お前ら!一斉に掛かれ。相手は一人なんだぞ?」

 その言葉に3人の騎士が互いを見て、再びウォルフを見た。

 「三人か・・・ふん・・・来い」

 三人の騎士がウォルフ目掛けて、一斉に襲い掛かる。二人は同時に左右からウォルフにランスを突き出す。ウォルフは右から来るランスを剣で弾き、左のランスを左手で掴み、力強く、投げる。二人の騎士は体勢を崩して、馬から落ちた。その後から襲い掛かってくる騎士のランスを剣で弾きながら、ウォルフの剣先が騎士の兜の首筋へと刺し込まれる。そこにはチェインメイルで守られているが、ウォルフの剣先は細かい鎖を破り、彼の首を切り裂いた。首を切り裂かれたぐらいで人は簡単に死なない。気道にまで達した刃を抜くと彼はヒューヒューと漏れる息と噴出す血を撒き散らしながら、彼は馬から転げ落ちる。

 「ギュネイ!」

 先に倒れた二人の騎士が苦しむ騎士の名を叫ぶ。

 ウォルフは彼らに飛び掛る。プレートアーマーは全身を甲冑で覆う代わりに関節の可動域を小さくするため、普段よりは動き辛い。それでも鍛え抜かれた騎士は普段通りに動けるものだが。倒れた騎士達の兜のゴーグルに刃を突き刺す。彼らは悲鳴を上げながら、ウォルフに殺される。最後の一人を刺し殺した刃を抜いた時、ウォルフはエミールを見た。彼はその光景に恐怖して、ガクガクと震えている。

 「伯爵・・・次はどうしますか?」

 「き、貴様・・・これは明確な反逆行為だぞ!判っているのか?」

 「反逆行為?私は単純に決闘をしただけだと思いますが?貴族同士の戯れですよ」

 ウォルフは刃を左手で握り、その切っ先をエミールに向けた。

 「この反逆者がっ!」

 エミールはそう吐き捨てると振り返って逃げ出した。ウォルフは追い掛けて殺そうかと思ったが、さすがに馬の脚には勝てるわけが無かった。

 「あの腰抜けめ。しかし、このままじゃ、まずいな。どうすべきか・・・」

 ウォルフは少し困惑した感じで姫の所まで戻ってくる。姫は殺された侍女の顔にスカーフを被せ、祈りを捧げていた。

 「ふん・・・まぁ、交渉するにも材料は要るか」

 ウォルフは姫に声を掛ける。

 「姫様、祈りの最中なんだが、ここはまだ、荒くれ者が多く居る。少し離れた場所まで来て貰えるか?」

 「あなたは・・・私を捕まえて、皇帝に差し出すつもりですか?」

 姫はウォルフを睨む。

 「まぁ・・・それが俺の仕事だからな」

 「でも、たった今、帝国の騎士を殺したじゃありませんか」

 姫は騎士の死体を見て、ウォルフにそう告げる。

 「あぁ、殺したな。だが、ここは戦場だ。そう言う事もある。お前さんを引き渡せば、お咎め無しだろ」

 ウォルフはそう告げると姫の細い右腕を左手で掴む。ウォルフの手に掴まれて、姫は痛みを堪える。

 「さぁ、行くぞ」

 ウォルフはそのまま、城の裏口へと向かう。

 正面入り口には多くの帝国軍が陣取っている。さっきのエミールもそこに向かっているはずだ。だとすれば、そんな所にノコノコと出て行けば、反逆者として殺されかねない。裏口にも帝国軍の軍勢が陣取っているが、正面ほどでは無い。

 城の中にはウォルフの率いた荒くれ者達ばかりだ。

 彼等はまだ、ウォルフが仲間や帝国騎士を殺害した事を知らない。そんな彼らはウォルフが美少女を連れているので冷やかす。それを無視して、彼は裏口へと辿り着いた。

 城が落とされたのを知って、城の裏に陣取っていた軍勢も入ってきたようだ。そこには多くの兵が入り込んでいた。彼らを掻き分け、ウォルフは裏口に掛かる橋を超えて、城の裏手へと駆ける。

 青い月に照らされながら、二人は森を駆け抜ける。

 木々の合間から城が見える。

 真っ赤に燃え上がる城。

 空は赤く染まっていた。

 ウォルフ達は城からかなり離れた場所まで来たと思ったら、休憩をするために木に背中を当てて、座り込んだ。姫もかなり疲れたらしく、隣で座り込んだ。

 「ここまで来れば、帝国の軍勢は居ないだろう」

 ウォルフは兜を脱いで、息を整える。

 姫様も同じだ。ドレス姿で走り回るのはかなり体力の要る事だというのはウォルフにも判る。ましてや、国を奪われ、両親を失い、信頼していた侍女を目の前で殺された姫様。体力的な事よりも精神的な事の方が心配だった。

 「姫様・・・あんた、自分を匿ってくれるような奴は知らないのか?」

 突然、ウォルフに尋ねられて、サファイア姫は少し困惑するも考え込んだ。

 「わからないわ。今、王国がどうなっているかもわからないし・・・」

 「なるほど。まぁ、王国の半分近くはすでに落ちているからな。あと、数週間ぐらいで、全部落ちるだろう。残っている奴らを頼っても、意味は無いな」

 サファイアは絶望的な表情になる。だが、そんな事は王城が落ちた事を考えれば、すぐに解る事だ。残された王国軍に勝ち目など無い。彼等に残された道は少しでも良い条件で降伏する事であろう。それすら出来ないのであれば、領地を捨てるか、戦って散るしか無い。

 「そ、それでは・・・私はどうしたら・・・」

 サファイアは困ったようにウォルフを見る。その目を見て、ウォルフは少し嘆息する。

 「ふん・・・騎士ですら無くなった奴を見ても、答えは出ないぞ?」

 そう言って、ウォルフは黒い甲冑を脱ぎ始めた。こんな重い物を着ていては、馬でも無い限り、いつか力尽きるし、目立つからだ。木綿の鎧下姿になったウォルフは長剣を捨て、腰に短剣だけを吊るした。長剣も目立つ上に歩き辛いからだ。だが、それだけじゃない。騎士である事を捨てる。その覚悟でもあった。

 「とにかく・・・俺はもう、反逆者だからな。逃げるだけだが、どうせついでだ。何処かに行きたい所があれば、俺がそこまでは連れて行ってやるよ」

 ウォルフの申し出にサファイアは涙目になる。

 「しかし・・・何処に向かった良いか・・・本当にわかりません」

 ただの姫様にこの混乱した状況でどうしたら良いかなんて考えろと言う方が難しかった。

 「判った。とにかく、今、帝国と戦っている王国側の勢力の所まで連れて行ってやろう。その先は知らないからな」

 ウォルフは立ち上がる。そして、サファイアを連れて、再び、山道を歩き始めた。


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