第7話 親子丼

夕方から降り出した雨が、本降りになってきやがった。


こんな日の深夜食堂ってえのは、因果な商売だと思う。朝まで客なし、ひとり店番は淋しいもんだ。誰でもいい、来てくれた客には思いっきりサービスしたい気分だ。トン汁定食にビール1本付けたっていい。


あの青年が入って来たのは、ちょうどこのような雨の日だった。


あれから、かれこれ1年が経つのか。銀杏の葉が色づく頃だった。傘をすぼめて、「親子丼できますか」と入って来た。「ああ~、いいよ。それより早くこれで拭きな」と、おれはタオルを出してやった。


タオルを手には取ったが、拭くでもなく「あのー、おカネがないんですけど・・いいですか?帰りと明日出てくる電車賃がいるんで」と訊いて来た。


「ああ~、次でいいよ」


「助かります。腹ペコで。この先のコンビニでアルバイトしているんですが、いつもは期限切れのお弁当貰えるのですが、今日は全部売れちゃって」と、濡れた服を拭きながら喋った。


「美味しかったです」と食べ終えて、お茶を一口飲んで。お礼に「物まねをしていいですか」と訊いた。


「次でいいから、お礼なんかいいよ」と云うと


「次、来ないかも知れませんよ。何かさせて下さい」と云って


ニワトリが鳴きながら、羽をバタバタさせて走る仕草をした。鳴き声は似てなかったが、その仕草がなんとも、ユーモラスで面白かった。思わず拍手をしてしまった。


「ありがとうございます」と、青年は丁寧にお辞儀をして帰って行った。


中学時代弁当を忘れて行った。帰って来て、親父が「昼はどうしたい?」って聞くもんだから、「友達におカネを借りて、パンを買って食べたよ」と答えたら、突然ビンタが飛んで来た。なんで?という顔をすると「一食ぐらい食べなくっても、死にはしないだろう。カネを借りてモノを食べようというその根性がいじましい」と云って、もう―1ッ発見舞われた。


「忘れた、借りた、返した、合理的じゃーないか」と、内心思ったが、下手な口答えしてまた、1ッ発食らう方が難儀なので黙った。


そんな厳しい親爺に育ったが、学生時代、家からの仕送りが来る数日前は、金欠だった。寮に入っていたので朝夕は心配なかったが、昼、学食の定食にしようか、それともタバコを買おうか迷ったものだ。今はワンルームだ、空腹でこんな夜を過ごすほど侘しいものはないだろう。お礼ですとした鳥の物まねを思い出して、俺はほっこりした気分になった。


***

二日後、アルバイトの給料が入ったのでと、店に立ち寄って「この前の親子丼下さい」と注文をした。食べ終わって、「マスター、親子丼の発祥知ってますか」と訊いてきた。「さーて、あんまり考えたことなかったなぁー」


「鳥すきの〆に肉と割下を卵でとじて、ごはんとともに食する客がありました。それを親子煮と称していましたが、その店の女将が『親子煮』をご飯の上に乗せて一品料理として大ヒットしました」という、人形町の鳥料理店の話をしてくれた。


「そうかい、ちょっとした知恵なんだね」


「明治に入って、日本橋の魚河岸、兜町と忙しい人に受けたようです」


「えらい詳しいね」


「いえ、実家があっちの方で、一度、家族で鳥すきを食べに行って聞かされた話です。正確には食べたのは親子煮です」と笑った。


関東の美大を受けたが落ちて、こちらの美術専門学校に行っていると語った。神戸は憧れの町だとも語った。


それから、週に一度ぐらいは来て、必ず親子丼を注文して、物まねを一つして帰るようになった。お客の中には注文を出す人もあって、出来ないものは「次勉強して来ます」と応じた。


似ているものもあるが、似ていないモノも多かった。動物の鳴き声が主だったが、その形態模写の方がユニークだった。動物のスケッチが好きで観察するうちに真似をするようになったと、恥ずかしそうに語った。青年の名前は山岡圭吾と言った。


百貨店の美容部員の晶子さんが、「彼っていい顔立ちしてるわね。ホストクラブなんかに勤めればピカイチよ」と言ったので、


「晶子さん、そんなとこに出入りしているかい」と云うと「一度だけよ、一度しか行ってません!」。


「その一度が病みつきになって、二度や三度だわね」と来ていた、蝶子さんが云ったので、晶子さん「オカマバーよりマシよ」と云い返し、取っ組み合いになりかけないので、「蝶子さん、本人が一度と云っているんだからそれでいいやね」と、とりなした。


「でも、あの青年なんだかさみしそうね」蝶子さん。


「うん、今どきの青年にしてはおとなしいね」と、俺。


「いつも一人ね。彼女いないのかしら、わたしがもう少し若かったらねぇ。ところで、ねー、マスター、どうしていつも親子丼なの」と晶子さん。


「さー、好きなんじゃーないかい。聞いておくよ」と俺は答えた。


***

その理由を山岡君は語ってくれた。彼が住むアパートの近くに古本屋があって、そこが若い人のたまり場になっていて、そこの女店主が親子丼を無料で食べさせてくれる。ただし、何か一芸をすること、歌でも、踊りでも、物まねでも、何でもいいから。それで、山岡君も物まね芸を磨いたというわけだ。


その女亭主は50代ぐらいで、TVの『女タクシードライバーの事件日誌』に出てくる余貴美子によく似ている人で、若い人たちのいい相談相手だったという。親子丼は美味しくって、アルバイトの給料前は助かったが、彼にとっては悩みが相談できる唯一の人だった。


ただその古本屋も、地上げで営業できなくなって、彼は相談できる親しい人を失くした。淋しくなったときは「親子丼」を食べることにしていると・・。


そんな山岡君に恋人?が出来た。江村瑞枝(みずえ)さんという可愛い女性だ。中華料理店に勤めている。店が閉まって、掃除して帰る時間はいつも午前0時を過ぎていると云う。夕食のまかないが出るが、忙しい日は夜食が欲しくなると云う。ラーメンや、丼物を注文する。奄美大島の出身だと云う。おとなしい性格である。


山岡君と同じになった日、山岡君が親子丼を食べ終えて例の物まね。その日はペンギンだった。ペンギンの鳴き声って初めて聞いた。似ているのか、似ていないのかわからない。でも、その歩き方、卵の暖め方に江村さんが噴きだした。ちょうど丼物を、ほうばったところだったから、たまったものでない。山岡君の服にモロかかってしまった。江村さん謝る。「いやー、僕の方が悪いのです」と山岡君。そんなことで、なんとなく二人は親しくなったようである。丁度来ていた晶子さん、少し残念そうであったが、「よかったね」と、帰りしに俺の耳元に囁いた。


***

「今日は須磨の水族館に行ってペンギンを見て来ましたぁー」と、二人一緒で寄ってくれた日があった。


「マスター、ペンギンの鳴き声、山岡さんの全然違ったわ。あれインチキです。仕草はそっくりだったけど…」と江村さん。


「ペンギン、なかなか、複雑な鳴き方するんですよ。一部をとれば似てるんですよ」と、見て来たてを披露してくれたが、俺には聞いた基準がないのだから、どう判断したらいいのか、江村さんは「違う、そんなんじゃーなかったぁー」と、二人は楽しそうだった。


その日は一緒に親子丼を注文し、珍しく山岡君がビールを1本注文し、江村さんに一杯注いで、「マスターも一杯どうですか」と山岡君、3人で「ペンギンに!」で乾杯した。俺は内心「二人の幸せ」であった。


あの日も、やっぱり夕方からの雨で本降りの雨だった。江村さんが傘を差し、濡れないように包んだものを、小脇に抱えて入って来た。静かに「親子丼」を注文して、包みを解き、「マスター、山岡さんの描いた絵を見ます」


「ああ~、いいね」と俺は答えた。


包みから出て来た絵は、江村さんを描いたものだった。俺も多少絵に凝った時期もあった。学生さんにしてはかなりなものだった。素直な絵だった。


「山岡さん、亡くなったんです。ご家族から連絡があって・・アパートに行ってきました。これ形見なんです。なんでも、お母さんに大事な話があるから、明日来てほしいという電話があって、お母さんも何か感じるところがあって、朝一番の新幹線で来たということです」と言ったまま、彼女は絵を前にして嗚咽した。


俺はかける言葉も見当たらず、外の雨をただ見ていた。


若いときはいろいろある。料理の修業時代だった、夜中にガバット目覚めた。寮の隣の部屋に住むFのことが気になった。吊り下がった身体を降ろしたこともあった。


気が合って、いっしょに飲んだ。なぜ、俺にと思ったが・・俺だって逆だったら話したか。本降り雨の深夜食堂は淋しくって仕方がねぇー!誰か来てくれよ、ビールの二本もサービスするぜ。


レシピ:やっぱりコレ!!ふわとろ卵の、甘じょっぱい親子丼


材料 (1人分)


鶏肉(もも肉) 1/2枚


卵 2個


玉ねぎ 1/4個


●しょうゆ 大さじ1


●みりん 大さじ1


●酒 大さじ1/2


●砂糖 大さじ1/2


●水 80cc


●顆粒和風だし 小さじ1/3


鍋に●の調味料と玉ねぎを入れて♪


強めの中火で2分煮る♪


一口大に切った鶏肉も加えて♪


中火で更に2~3分煮て鶏肉に火を通す♪


溶き卵の2/3を加えて♪


蓋をして弱火で2分♪


残りの溶き卵も加えて蓋をして強めの中火で10秒煮る♪


器に盛って出来上がり♪


香りものとして、三つ葉なら炊き揚げ寸前に乗せる。きざみ海苔をふりかける。


紅生姜を添える人もいる。その、元祖親子丼の店は、銚子の醤油と芳香の味醂味とだけで、香の具はのせない江戸前の味こそが親子丼の身上としている。

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