第4話 ぼっかけ
「おっちゃん『ぼっかけ』できるか」、一瞬、俺はなんだっけ、と考えた。「神戸で商売して、ぼっかけも知らんのか、もぐりやなぁー」口は悪いが、気立ては超やさしい、左官業の上野健吾さんだ。
それでわかった。神戸のご当地グルメといったらこれ。スジコンと云ったらわかって貰えるだろう。牛すじと、コンニャクを甘辛く煮込んだ料理。きざみネギを乗せてそのまま食べてもいいし、うどんに「ぶっかけ」れば「ぼかっけうどん」、お好み焼にも、焼き飯にも具材として使える。煮込んであるので、日持ちもするし、作り置きしておけば、便利な一品だ。長田が元祖発祥といわれている。
神戸を離れて長い。忘れていて当然だ。「次、来てくれたら作っておくよ」と云った。煮込むのに結構時間がかかるのだ。
健吾さんは先生の遠縁にあたる。なんでも、高校卒業の時、専門学校に進学するか、就職するか先生に相談にいったのだ。「専門学校ってどんな専門だい」と訊かれた。
「建築専門学校」と健吾さんは答えた。「おまえ、勉強はあかんやろう。やめとけ」の一言であった。就職として地元の大工の棟梁の弟子の口があるというと、「それにしとけ、早いとこ手に職をつけておくのがいちばん」。きつい親方で若い衆が続かないと云うと、「なおさら結構、5年は辛抱やなぁ」と云われた。そこの親方は屋根、左官とオールマイティであった。健吾さんは5年辛抱して独立した。丁度そこに神戸の震災だ。屋根屋さんは引く手あまたになった。「おっちゃん、仕事は忙しい方がええというけど、こんなん続けていたら命がのうなる」と弱音を吐いたら、「こんなチャンスは2度とない。死んでもええから働け」と怒鳴られたという。おかげで、今では若い衆も数名使う親方である。先生には頭が上がらないと云っている。
そんなわけで、ぼっかけを作るようになった。そのぼっかけを卵で巻いてオムレツにして欲しいいと云ったのは、アパレルのデザイナーの小百合さんだ。会社はポートアイランドにある。住まいは北野町でマンションを借りているという。アパレルの仕事はけっこうハードらしい。11時や、12時に終わるのは早い方、展示会前などは徹夜の連続だという。
「それ貰おうかな」と云って、小百合さんの隣に座ったのが、近くでブティックの販売員をしているヨーコさん。同じ服飾ということもあって、空いているときは席を一緒にする。歳も同じ27,8というとこで気が合うのだろう。
ヨーコさんは将来自分の店を持つのだと頑張っている。昼は百貨店の婦人服コーナーで販売員をして、引けてからまたブティックで働いているのだ。ブティックといっても、夜専門でホステスさん相手である。
ホステスさんが店で着るドレスや、小物を置いている。自分で買う場合も、お客に買わせる場合もある。中には高いのを買わせて、翌日返金してもらう。店は1割5分引いて金を返す。1日で1割5分の金利だ、店は堪えられない。「うちは、そんなことしていないわよ。ママはそんなこと嫌いなの。値段だって〈ぼっかけ〉てないよ」らしい。
「小百合ちゃん、いつも可愛いのを着ているわね。会社のブランド」
「ううん、自分で縫ったもの」
「そんなの作ったら絶対売れる!」
「ううん、わたしのデザインはおとなしくって見場がないと云われて、上司に叱られてばっかり」
「へー、わたしいいと思うけどなぁー。店はホステスさんの営業服だから、それは派手よ。でも、世の中、普通の女の子が多いんだから、おとなしくって、すこし可愛い服売れると思うなぁー」、ぼっかけオムレツを食べながら、二人の話は弾む。
***
めずらしく、小百合さんが男連れで来た。会社の上司で帰る方向が一緒で、小腹がすいたなぁーになって、ここを案内したという。
「小百合、君のデザインはおとなしすぎるんだよ。もっとパット目を引く元気な服を作って欲しいんだ。東京やニューヨークで働くカッコいい女性が着るような服をね。君は会社ではベテランの方なんだぜ、頑張ってくれなくっちゃー。店だってこんな地味なとこに来ていたらだめだよ。もっと洒落たお店、僕が紹介するよ」
「はい」という小百合さんの声は小さい。二人はぼっかけうどんを食べて帰っていった。
それを向かいのカウンターで聞いていたヨーコさんが、
「マスター、なんか言ったぁー。こんな地味な店だってぇ」
「実際そうだから仕方ないやね」
「なによ、パット目を引く元気な服、服が元気してどうすんだい。元気するのは中味、人間だよ。東京や、ニューヨークしかいい女はいないというのかい。ここは神戸だよ。神戸にいい女はいないと云うの。あんな奴がいるから神戸アパレルは東京に勝てないのよ。あいつ、映画の見過ぎだ。かっこいいスーツを着たキャリアガール。服で仕事をすんじゃないのよ。可愛い服でいいじゃないの。おとなしい服でいいじゃないの。今日のきみはいつもと雰囲気が違うね。可愛いね。シックだね。なんてことになって、仕事が取れることだってあるわよ。あんな上司じゃー、小百合は一生目がでないわ」黙って、話を聞いている内に、そうとう酒のピッチが上がったみたいだ。
「でも、あいついいスーツ着てたわね。さすがアパレル。ところでマスター、スーツ着たことあるの。だいいち持ってなさそうよね」
「いやー、結婚式とかお葬式とか着ていくよ」
「それは礼服というの。やっぱり持ってないんだ」おはちがこっちに来た。
そういわれれば、長いこと着ていない。銀座で張り込んだ奴があったが、サイズ入るかなぁー、たしかあったはずだ。とスーツのことを心配しながら、ヨーコさんの気炎につきあった。
ヨーコさんと小百合さんが組んでアパレルを始めたのだ。北野で直営ショップを出したという。忙しいのだろう、二人の顔はしばらく見ていない。百貨店の美容部員をしている晶子さんが来て、
「あの子ら思い切ったわね。でも順調みたいよ、こないだも雑誌でお店取り上げられていたし。神戸の女の子の間でも、ちょっとした話題になっているみたいよ」
「俺はアパレル業界のことはよくわかんないんだが、作るには結構ロットがいるんだろう。残れば2足3文でリスクが高いんだろう。大丈夫かい」
「それがね、よーく考えたわね、あの二人。店に飾っているのはサンプルで、それで注文取るの。着るシーズンになったら神戸から届く。この神戸から届くっていうのが地方の子にはいいのよ。考えたわね。本当に着たい服なら待つわよ。注文のつき具合みて、そこに店売り分オンするみたい。ちゃっかりしてる。ショーをやって、それをネットで流すんだって、それでも注文取るんだって。しっかりしてる。神戸イメージで売るのではないの。しまったわ、わたしも化粧品ではなく婦人服にいっとけばよかった」晶子さんは、ヨーコさんが羨ましくってしかたないようだ。
***
今日の俺はスーツ姿だ。今の流行はどうだか知らないが、いいものはいい。銀座の一流店で誂えただけのことはある。サイズもバッチリだ。ネクタイだけは晶子さんに見立ててもらったよ。晶子さん「馬子にも衣装ねぇー」と云って、見惚れてくれたから、それなりなんだろう。
『SAYURI&YO-KO』ブランドのショーが「神戸外国倶楽部*」で開かれ、俺も招待されたってわけだ。もちろん晶子さんも。
神戸外国倶楽部はメンバーの紹介がないと入れないところで、いい会場選びだと晶子さんは褒めた。高田さんと先生も見えていた。高田さんはサングラスだからすぐわかる。先生はスーツ姿で決まっていた。蝶子さんはスパンコールつきのドレスだ。たぶん、彼女の、いや彼の持っているもので最高のを着て来たのだろう。「素敵だよ」と褒めておいた。他にも店で見た顔がちらほら見える。
プレスも来ている。会場はレトロな雰囲気でいい。着飾った若い女性たちで華やかだ。みな店のお客だという。モデルはプロでなく、お客さんの中から選ばれた女性たちが勤めるらしい。手作りのショーだ。
小百合さんも、ヨーコさんも、自分たちのブランドの服で着飾っていた。軽く挨拶して席についた。素人モデルもなかなかだ、ちょっと失敗してもそれが愛嬌でうける。その中でひときわ目を引く女性がいた。
横から晶子さんが「釜めしの美穂さんよ」と囁いた。
「でも、いまやトップモデルだろう」
「彼女、お店のお客さんでもあるのよ。それと東京やめて神戸に帰って来るらしいの。このブランドの専属モデルになるらしいの。彼女が着れば絶対売れるわよ」と、晶子さん、今日はモデルのメイクは彼女のボランティアであった。
ショーは成功だったようだ。俺には、服はわからいが、しかし、みなの顔でわかる。
帰りしに、ヨーコさん、小百合さん、美穂さん3人揃っていた。「成功のようだね。おめでとう」と声をかけた。ヨーコさんが「マスター、スーツ姿素敵」と云ってくれた。小百合さんが「ネクタイよくあってますね。誰のお見立てですか」、晶子さん高い鼻がさらに高くなった。俺は美穂さんに「お釜置いてるよ」と云った。美穂さん「お釜は卒業します」そして3人声を揃えて、「マスター、わたしたち3人、〈ぼっかけシスターズ〉って呼んで下さいねー。落ち着いたら揃ってまた行きまぁ~す」
ぼっかけも、彼女らのブランドも神戸発だ!神戸を大事にしなくっちゃー、と「神戸深夜食堂」のマスターは、思ったわけであります。
レシピ
(1)鍋に牛すじとかぶるくらいの水を入れて、強火で沸騰させる。沸騰後、弱火にして約20分茹でる。途中、あくをすくう。
(2)別の鍋にお湯を湧かし、こんにゃくを下茹でする。約3分程度。
(3)1の牛すじを軽く水で洗い、水気を切り、細かく刻んでおく。
(4)こんにゃくは、牛すじと同じくらいの大きさにちぎっておく。
(5)鍋に調味料(醤油、砂糖、みりん)を入れ、牛すじとこんにゃくを入れて、ふたをして中火で約10分煮込む。
(6)10分経ったらふたを取り、弱火で約15分煮込む。
(7)15分経ったら、味をみて薄いようであれば、醤油と砂糖をそれぞれ大さじ1ずつ加え、さらに10分煮込む。
(8)味付けがそのままでOKなら、何も加えず同様に約10分煮込んでできあがり。
注釈:神戸外国倶楽部
明治2年に居留地に設立された社交クラブ、ユニオンクラブを前身とする。居留地内東遊園地の施設を購入し、神戸倶楽部という名称で活動するようになった。
太平洋戦争が開戦するとクラブ施設は日本海軍に接収され、空襲により焼失した。昭和25年)に施設が再建されたが、東遊園地にアメリカ領事館が建てられることになり、トアロードのトアホテル跡地に移転した。
*続深夜食堂が公開されます。楽しみです。ちょっと中断しますが、また単発で書いていきたいと思います。メニューのリクエストがあれば、また「神戸深夜食堂」にご来店を、お待ちしています。
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