第2話 『おばけ』p2
その徳さんが注文するのが「おばけ」である。おばけを肴に日本酒をのむ。夏は冷、冬は燗酒。徳さんが「おばけ」って云うと、来ていた美代さんが「えぇー、そんなのあるんですかぁー」と、す頓狂な声を上げた。
「あるんだよ。どんなのが出て来るか、楽しみにしていな」と云って、俺は料理場に立った。1分とかからない。「はい、お待ちー」と出した。それを見て、美代さんは「それ、それはなんですかぁー?」とまた声を上げた。
「さらしクジラだ。クジラの尻尾の部分を湯引きして、脂分を取って冷水で冷したものだ。コラーゲンたっぷりでお肌に最高なんだよ」と説明した。
「わー、わたし食べたぁーい」
徳さんが「一口食べてから注文したら」と、小鉢を美代さんに差し出した。口に入れてもごもごしていたが、「さっぱりして、美味しいぃー」と気に入った。「どうしておばけっていうのですか」と質問した。徳さんが、紙切れに「尾羽毛」と書いてやった。それで美代さんは納得したようだった。
それから店に入って来る第一声が「おばけー」になった。その声でみなは振り返る。美代さんはおばけーではない。とっても愛くるしい顔をしている。出て来た小鉢を見て若い人はびっくりする。「それ、なんですかぁー?」
美代さんは私から聞いた説明をして、徳さんから教えてもらった漢字を書く。そして客に小鉢を差し出す。いっとき、夏でもないのに店は「おばけの季節」になった。
徳さんは前の店からの常連さんだ。あまりしゃべらない。はにかみ屋なのだ。でも、一言しゃべれば、的を得てズキッーと来る言葉を発する。だから皆は話しかけない。それで、徳さんは皆の話をひとり楽しんでいる。
美代さんは看護婦さんで、歳は30手前といったところだ。看護婦さんの勤務は3交代制で、〈深夜勤務でない夜勤〉の引けのときにやってくる。おばけ以来、徳さんの横が空いている時は横に座る。そして今日あったことなどを話す。徳さんは聞き役だ。
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