第2話 『おばけ』

 徳さんは沖縄出身だ。話せばすぐわかる。顔は、「天才バカボンのパパ」と云えばわかって貰えるだろう。やさしい目をして、髯はあるが歯は出ていない。歳は高田さんと、先生の間ぐらいだろうから、45歳としておこう。

 徳さんが来るのはいつも12時きっかり、一人で入って来る。パチンコを終えて、立ち食いうどんを食べてからやってくる。負けたからって、口にも顔にもださない。でも、負けたか勝ったか、俺にはすぐわかる。勝ったなぁーと思った日は、「どうでした」と訊く。「うんちょっとね」と、細い目がさらに細くなる。こんなときは大勝だ。でも回数は1カ月で何回もない。


 徳さんは元漁師だった。漁師といっても遠洋漁業の漁師で、アフリカ沖やインド洋で船に乗っていた。日本から船に乗って行くのかと思っていたが、船はいちいち往復なんて無駄はしない。船は現地で操業し続ける。乗り組み員の方が、飛行機で現地の港に行く、そして交代する。2、3ケ月して、また交代する。平均すると2ケ月半働いて1ケ月休むという具合だそうだ。

 カツオの一本釣りが専門で、景気のいい頃、かなりな金になったという。なにせ船の上はお金を使わない。腕は船でも1位、2位を争ったという。睡眠時間は4時間から6時間しかない。魚群にあたれば、釣り終るまで寝ないで働く。相当な体力がないと勤まらないと云う。海に落ちたら命はないと覚悟しておかねばならない。交代までの1か月は、もっぱら英気と体力の回復に専念する。英気をやしなうのは、たいてい女とバクチで、まず金を貯めた奴は見たことがないという。ということは、徳さんはそれをしなかったことになる。「女抜きの酒は安いもんだ」と徳さんは語る。


 徳さんはかなりなお金が貯まったところで、陸に上がった。なにか商売しょうかと思ったが、中学を出てすぐに船に乗って、する商売が見当たらない。そこで同郷の伝手でうどん屋に勤めた。うどん屋といっても店ではなく、製麺所のほうだ。その商売するつもりだったお金を、せっせとパチンコ屋に貢いでいる。そのお金を使い果たしたらパチンコをやめると云っている。目下、パチンコが徳さんを慰めてくれる恋人なのだ。


 徳さんは諏訪山*近くのアパートに住んでいる。部屋は台所に2部屋あって、アパートとしてなかなかなのだが、荷物がからっきしないらしい。携帯ラジオはあるがTVもない。一切ない。布団もない。これは酔っぱらって泊めて貰った高田さんの話だ。

「どうして寝てるんですか」と訊くと、「寝袋」と高田さんは答えた。徳さんの美学は、引っ越し荷物は野暮で、出て行くときはボストンバッグ一つが理想らしい。


 その徳さんが注文するのが「おばけ」である。おばけを肴に日本酒をのむ。夏は冷、冬は燗酒。徳さんが「おばけ」って云うと、来ていた美代さんが「えぇー、そんなのあるんですかぁー」と、す頓狂な声を上げた。


「あるんだよ。どんなのが出て来るか、楽しみにしていな」と云って、俺は料理場に立った。1分とかからない。「はい、お待ちー」と出した。それを見て、美代さんは「それ、それはなんですかぁー?」とまた声を上げた。


「さらしクジラだ。クジラの尻尾の部分を湯引きして、脂分を取って冷水で冷したものだ。コラーゲンたっぷりでお肌に最高なんだよ」と説明した。


「わー、わたし食べたぁーい」


徳さんが「一口食べてから注文したら」と、小鉢を美代さんに差し出した。口に入れてもごもごしていたが、「さっぱりして、美味しいぃー」と気に入った。「どうしておばけっていうのですか」と質問した。徳さんが、紙切れに「尾羽毛」と書いてやった。それで美代さんは納得したようだった。


 それから店に入って来る第一声が「おばけー」になった。その声でみなは振り返る。美代さんはおばけーではない。とっても愛くるしい顔をしている。出て来た小鉢を見て若い人はびっくりする。「それ、なんですかぁー?」

 美代さんは私から聞いた説明をして、徳さんから教えてもらった漢字を書く。そして客に小鉢を差し出す。いっとき、夏でもないのに店は「おばけの季節」になった。


 徳さんは前の店からの常連さんだ。あまりしゃべらない。はにかみ屋なのだ。でも、一言しゃべれば、的を得てズキッーと来る言葉を発する。だから皆は話しかけない。それで、徳さんは皆の話をひとり楽しんでいる。


 美代さんは看護婦さんで、歳は30手前といったところだ。看護婦さんの勤務は3交代制で、〈深夜勤務でない夜勤〉の引けのときにやってくる。おばけ以来、徳さんの横が空いている時は横に座る。そして今日あったことなどを話す。徳さんは聞き役だ。


 美代さんが入って来たが「おばけー」の一声はなかった。こころなしか、顔が蒼い。「おばけ」にしますかと訊くと、「おでんにする」と、か細い声。


「マスター、ほんとうのお化けがでたの。わたしの部屋に」


なんでも、夜中に起きてトイレに立った。ドアーを開ければ、そこで便座に座っている女性がいるではないか、思わず、ごめんなさいとドアーを閉めた。わたしの部屋にだれ?見間違いではないか、寝ぼけているのではないか、もう一度恐る恐る開けてみた。そこには何もいなかった。それから数日後、もういちど、同じことが起きた。見間違いでも、寝ぼけでもない。いると確信した。それから、夜中に起きたときでもトイレにはいけず、尿瓶にしているということだ。




そんな話のときに、徳さんが入って来て、美代さんの横に座った。そしておばけを注文した。美代さんが「今日はおでんにしなさいよ」と言った。徳さんは何事?と云う顔をした。




向かい側の席の清美さんが、「あなたの住んでいるとこ、山手ハイツといわない」と訊いた。美代さんは頷いた。「4階の東端ではないの?」。美代さんは頷いた。「やっぱり、あそこね、3年前に女の人が自殺した部屋なの。大家さん言わなかった」


清美さんの勤めているコンビニが、道を隔ててそのハイツの東向かいにあるという。美代さんが驚いて「ローソンの人」と訊いた。今度は清美さんが頷いた。徳さんは話を理解したようだ。美代さんが「怖いから徳さん泊まって」と言った。世の中で一番信用できる男性は徳さんだとも言った。清美さんが「泊まって上げなさいよ。か弱き乙女が頼んでいるのよ」と援軍を送った。




結局、美代さんはその部屋を引き払った。そして徳さんのアパートに移った。俺は高田さんの話を思い出して、いい具合だと笑った。近くのスーパーで買い物をしている二人を見たと清美さんは語った。


「ほんとうにお化けなんているんだろうかね」と云うと、清美さんは「さぁー、いると思う人には見えるんではないの」と云ってから「自殺ってのは嘘」と云った。


「亡くなったのは本当よ。救急車がきたもん。なんていったっけ、ながったらしい名前。病名は忘れたけど、亡くなったのは病院でよ」


「どうして、自殺?」


「マスター、変な意味で取らないでね。わたし、徳さんのファンだったの。徳さん幸せになればいいなぁーって、思っていたの」


清美さんはコンビニに勤めながら、母親を介護している。35歳だ。こんど、勤めているコンビニの店長に昇格したと話してくれた。




二人に子供が出来たら「天才の子供」なんだろうかと、俺はバカなことを考えていた。




レシピ


さらしたものは売っている。それを冷やしておいて、酢味噌和えで食べるのが一番。ちょっとカラシを添えて、カラシ酢味噌で食べるのもいい。梅肉でもなかなか。しゃきしゃきか、ぐにゅぐにゅか、独特な食感である。関西では夏によく食べるが、関東ではあまり見ない。




*諏訪山公園


桜の名所だ。散った花びらが川から海に流れて、中突堤あたりをピンク色にそめる。

2度諏訪山の花見ができるってわけだ。三宮からワンメーターで(かかっても1000円だ)いける。神戸にはいま、王子動物園というのがあるが、その前の動物園はここだった。戦争中ということで、動物たちは悲しい運命をたどった。夜ともなると・・出ないよ。駅から一番近い夜景スポットでもある。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る