第1話 『納豆とオクラのネバネバ』P1
最初の客は「先生」だった。店の建付けをトンカチで修繕していたら、「店いつから開くんですか」と訊いてきたのだ。「今夜から、といっても深夜の12時オープンですがね」と答えると、「おでん置いてますか?」と訊くので、置いてると答えると、「今夜行きます」って、店が開くと一番に来たんだ。
おでん3品、厚揚げ、ジャガイモ、こんにゃくを注文して酒は燗だった。おでんは前と味が全く同じで合格点をもらったよ。名前は多村さん、山手の進学塾で講師をしていて、中学生相手に教えていると先生は自己紹介した。その日、先生は2,3時間いて帰ったのだが、客は先生ひとりだけだった。
宣伝も何もしてないと語ると、前の営業時間は7時から12時までだったので、しばらく7時に開けたらと提案された。それと表に『おでんあります』の貼り紙をしろと、前の常連さんが、店の名前は変わっても、覗くだろうということで、従うことにした。身体はえらいが、客が来ないと始まらない。「あす、連れを連れて来ますと」先生は自転車で帰った。
先生は、頭はシルバーグレー、短髪のナイスミドルだ。服装はいつも小ざっぱりとしたラフな格好だ。教える教科は5教科全部らしい。その方が受験にはいいそうだ。得意学科を伸ばさせてどの学科を捨てさせるか、総合的に見るのにいいそうだ。「5教科凄いですね」というと、「中学生程度ならみな教えられますよ。公立の学校でもそうすればいいんですよ」ということらしい。大学の専攻は農学部、「もっとも僕はNO学部でしたがね」と笑った。
その張り紙が効いたのか、「おでんやってますか」と、暖簾を出してしばらくしたら何組かの客があった。その中に一人、小指の先がない40位の客と、20代の男の連れがあった。青年はその男を「先輩」と呼んでいた。先輩は指を見なくても、身のこなしでその道とは誰でもわかる。頭はリーゼント、イタリアン風の洒落たスーツ、中肉中背、目は細い。青年の方は普通のサラリーマン風であった。好きな女性があって、悩んでいるらしい。それを先輩に相談している。
先輩が「マスター、納豆とオクラあります」と訊いた。「ありますが、どうします」と云うと、「オクラは刻んで、カラシをちょっとと、だしをちょっとかけて下さい」と言った。小鉢で2つ出すと、箸でかきまぜながら「マツ、これにネーミングをつけるとしたらどうつける」と訊くと、「先輩、納豆とオクラのネバネバ」と青年が受けた。「マツ、その心は?」その青年は、わかりません、という顔をしたら「ネバー、ネバー、サレンダー」と答えた。サレンダーはギブアップを強くした言葉で、タイガースの年間標語にもなった言葉だ。
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