第15話 吸血姫とバイトの思い出作り

「やはり……」

 医師の診断結果を聞いて、私は納得した。

 吸血行為の時に、どうしても逆にこちらの血も混ざってしまうのだ。通常は、相手がそのまま命を落とすので問題となる事はないのだが、アイーシャの場合はイレギュラーで何度もその経験をしてしまった。私もうっかりしていたが、さすがに正常でいられるはずがない。ほんの一滴で、不死の体にしてしまうほどの「力」があるのだ。「食あたり」程度で済むわけがない。

「今夜が山ですな。姫の血だけ抜く事が出来れば、良いのですが……」

 それは、ミックスジュースの中からオレンジだけ抜くようなものだ。不可能とは言わないが、難しいだろう。

「うーん……。ん!?」

 視界がゆらりと揺らぐ。これって……。なんで、こんな時に……?

 「私」はカートの上にあったメスを、迷うことなく左手の平に突き刺し、「サングイノーゾ」を現出させた。

「全く、お前らは揃ってバカか? 私の血はアイーシャにとっては、単なる「異物」だ。だったら、これでその異物を叩き斬ればいい。欠片も残さずな。それが出来るのは。他ならぬこの『私』だけだ。ちょうど、牙の痕がいいだろう。ここなら、後でまとめて傷が治せる」

 赤い刀身の切っ先をピタリと傷に合わせ、そっと突き刺す。昏睡状態のアイーシャなら、ほとんど痛みを感じなかったはずだ。しかし、人を殺めるための赤い剣で人助けか……まあ、悪くない。

 サングイノーゾの刀身がアイーシャの体内で髪の毛よりも細く分裂を繰り返し、血管という血管に伸びていく。そして、彼女本来の細胞とは違うものを根こそぎ破壊していった。

 吸血鬼として持っている知識が、まさかここで役に立つとは思わなかったがな。

「くそっ、魔力が……」

 元々、私はさほど魔力が高いわけではない。かなり厳しくなってきた。

「お待たせしました。侍女の中で、魔法を使えるものをかき集めてきました」

 一体いつ移動したのか、侍女様が五名ほどの侍女を連れてきた。

 五人は何も言わず床に「増幅」の魔法陣を描き、「魔力譲渡」の魔法でサポートしてくれる。フン、気が利くじゃないの。

「よし、いくぞ!!」

 魔力さえ補充してもらえば、私は無敵である。

 それから、たっぷり六時間ほど経過した頃だろうか。

「術式終了……」

 この状態の私をもってしても、なかなかヘヴィだった。あとは、バトンタッチだ……。

「おぅふ……。サングイノーゾくらい……片付けろっての!!」

 どっちも「自分」なので、怒りようがない。赤い刀身を消そうと思ったのだが、その気力すらなく私は部屋の床にひっくり返った。

「お疲れさまでした」

 さすがに慣れている。侍女様も医師も剣に触る事はない。医師はアイーシャの容態を診ていたが、一つうなずいた。

「よし、これなら大丈夫だ。姫の方が危ないくらいだな」

 魔力スッカラカン、体力ゼロ……でも援護なし。外部電源こと侍女魔法隊も全滅しているので、何も言えないんだけどね。

「では、私は退散するよ。この子はもう大丈夫だ」

 医師は退散していった。次いで、侍女様がヘトヘトの増援部隊を連れて、部屋から出ていった。

 私は決めた。アイーシャは、明日の便で国へ帰そうと。ここにいると、ろくな事にならない。

「それにしても『私』のバカ。無茶しすぎ!!」

 よっこいせと、身を起こそうとした時だった。私の背に腕が差し入れられ、フワリと持ち上げられた。

「えっ?」

「お姉様……無茶しすぎです。色々と」

 復活したらしいカシムだった。私をそっと抱え上げると、アイーシャの隣にそっと寝かせてくれた。

「あはは……」

 謝っていいのか、お礼を言えばいいのか……。

「では、お疲れかと思いますので、僕はこれで。明日はみんなでどこかに行きましょう」

 そう言い残して、カシムは部屋から出ていった。

「ふぅ……寝よう」

 魔力切れの対処法で、一番シンプルかつ効果的な方法は寝る事だ。時間は掛かるけどね。

 強烈な何かに引っ張られるように、私は眠りについたのだった。


「………~♪」

 よく分からないけど、優しい歌声が聞こえる。知らない言葉だけど、調子からして子守歌?

 自分が寝ていたことくらいは覚えている。身を起こそうとすると、優しく止められた。

「まだ寝ていた方がいいです。全然魔力が戻っていないので……」

 すぐ近くでアイーシャの声が聞こえた。そちらを振り向くと、すぐ真横に彼女の顔があった。ちょうど、添い寝されている感じだ。あ~、思い出した……。

「体はどんな感じ?」

 再び天井を見て、私はアイーシャに聞いた。

「お陰様で絶好調です。ありがとうございます」

 ……こら、抱きしめるな。恥ずかしい。

「いえいえ、当然の事をしたまで……。アイーシャ、明日の便で帰りなさい。ここにいたら死ぬわよ」

「拒否します」

 ……言うと思った。

「なんで?」

 ここに執着する意味が分からず、私は素直に聞いた。

「簡単な理由です。今は秘密にしておきますが」

 優しい笑みを浮かべるアイーシャに、私は何も言えなかった。

「秘密ね……。まあ、何通りか予測できるけど、私だけはやめておきなさい。オススメはカシムかな。いい子よ。大穴は侍女様?」

 私は軽く笑った。

「誰を狙っているかは秘密です。そのうち分かりますよ。さて、今は休んで下さい。先ほどから『睡眠』の魔法を使っているのですが、効かないみたいですね」

「ああ、一応これでも吸血鬼だからね、普通の魔法は効きにくいわよ。いちいち魔法陣を描いて増幅させないといけないし、人間の術者では骨が折れるかもね」

 アイーシャは小さく笑った。

「なるほど、では歌で行きます。『まーるい……』」

「いや、違うそれ!!」

 インターセプト!! ヤバい!!

「冗談です。では‥‥「せーめるもまーもるも(以下略)♪」

 いや、寝るより前に、タイムセールという名の戦場にハリアーで出陣しそうだわ。

「発声練習終わりました。では‥‥」


Schlafe, mein Prinzchen, schlaf' ein!

Schafchen ruh'n und Vogelein.

Garten und Wiese verstummt,

auch nicht ein Bienchen mehr summt,


Luna mit silbernem Schein

gucket zum Feaster herein.

Schlafe beim silbernen Schein,

Schlafe, mein Prinzchen, schlaf' ein,

schlaf' ein, schlaf' ein!


 アイーシャの口から発せられる透き通るような声は、またも共通語ではない。

 恐らく母国語なのだろうが、その優しい声は私を自然と眠りに誘っていく。

 なるほど、これは下手な魔法より効果抜群だ。ウトウトしかけた時、その歌が不意に止んだ。

「あっ、先輩。お疲れさまです」

「いい声をしていますね。姫も喜ぶ事でしょう」

 相変わらず気配はないが、どこからともなく侍女様の声が聞こえた。

 ……はい、姫は耳が幸せです。

「あっ、侍女様。アイーシャがこっちにいる間に、ちょっとだけキャンプしようと思うんだけど、どうかな?」

 居座るというなら、なにか思い出を作ってもらうのもホスト役の仕事だ。

「この時期ですと、テントを張る普通のキャンプでは少々寒いので、バンガローを手配しておきます。一応、温泉付きで。日程は二泊くらいですか?」

 さすがに、気が利く侍女様である。私が言いたい事を完璧に理解した上で、しっかり対案を出してきた。

「うん、それでよろしく。護衛は最小限でね」

「はい、心得ております」

 侍女様の声が聞こえなくなった。

「聞いたでしょ。明日からプチ旅行。侍女のバイトは休みで、普通に来客として案内するからよろしく」

「はい、分かりました」


 こうして、私たちは普通に、思い出作りの旅に出ることになったのだった。むしろ、タイミングとしては遅い方だ。

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