第7話 白い跳ね馬と吸血姫

 困った事が起きた。カシムが離れてくれなくなってしまった。

 さすがに夜は自室に戻るが、それ以外はべったり張り付いたまま。侍女様も合わせて、完璧な防御態勢である。うーん……。

「それにしても、最近あの剣出し過ぎね。痛みすら感じなくなってきたわ……」

 なぜか知らないが、最近サングイノーゾを出すために左手のひらを切り過ぎて、感覚が麻痺してしまった。魔法では治せないし、困ったものだ。

「効くかどうか分かりませんが、エルフの秘薬を使ってみますね……」

 カシムはダボダボなズボンのポケットから、まるで試験管のような小さな容器を取り出した。中に入っている液体は緑色に発光し、なんだか怪しい感じではあるが、魔法薬なんて大体こんなもんだ。

「それ、もしかして……」

「はい、『エリクサゾロン』です」

 世界最強の万能薬だ。エルフのみその製法を知るとされ、あらゆる怪我や病気を一瞬で治すという恐るべき逸品である。

「いいよ。放っておけば治るから。そんな高価な薬品使う事って、こら!!」

 なんと、カシムは私の傷口に直接薬をかけたのだ。こんな使い方、聞いた事がない。

「本来は内服薬ですが、こうして外用薬としても使えます。この方が効果が早くでますよ」

 ニッコリ笑みを浮かべるカシムだったが、こんな贅沢……。

「……う~、痒い!!」

 左手がむず痒くて仕方ない!!

 思わず掻きそうになるが、それをやると酷いことになるので我慢だ。さすがに最強回復薬。効果があるようだ。

「うーん、思っていたよりは効かないですね……」

 カシムが残念そうに言うが、痒みを感じるだけでも成果だ。治ってきた証拠である。

「大丈夫、ありがとう。今日はゆっくりするか……」

 なにかもう、このところ色々起きすぎなので、たまにはゆっくりするのも悪くなかろう。

「そうですね……」

 ちなみに、ここは私の部屋だ。二人並んでベッドにちょこんと座っているのだが……会話が続かん!!

 気を利かせた侍女様が、ムーディーな曲……じゃねぇ、なんでこの状況であっちのあの世界のF1のテーマなんじゃ!!

「ドライブでも行きます?」

 ……ほれみろ!!

「いいけど、運転はちょっと苦手なのよね……」

 言えない。怖くて合流とか車線変更が出来ないとは……。

「ああ、大丈夫です。これでも、一応運転は出来ますから」

 ニコッと優しい笑みを浮かべるカシム。

 これに、ある意味騙される事になるとは、まだ気が付いていなかった。


 城には車庫もあり、車もそれなりにある。カシムが選んだ車は……。

「……えっと、マジ?」

 ど派手な排気音を立てているそれは、何と白塗りのフェラーリ テスタロッサだった。ありがちな赤や黄色じゃないところがミソである。

「ええ、このくらいじゃないと、面白くないですよ」

 ガチャリと助手席側のドアを開け、さりげなくエスコートしてくれるカシムに従い、私はシートに体を収めてベルトを締めた。うわっ、車高低っ!!

「さて、行きましょうか」

 正直、車のことはほとんど分からない。しかし、まず排気音が違う。普通の車じゃない。

 城から出てしばらくはつづら折りの山道だが、カシムの操るテスタロッサは危なげなく急カーブをパスしていく。それも、結構な速度で……。

「落っこちないでね!!」

 こんなところでダイブしたくはない。しかし、カシムは右手をハンドルから離してサムアップしてみせる。余裕ですか。そうですか……。

 山道を降りて幹線道路に合流し、そのままハイウェイへ。なんていうか、さすがに男の子だねぇ。ここまでは全く危なげない。

「どこに行くの?」

 私が聞くとカシムは少し考え、こちらを見た。こら、前を見ろ前!!

「この前暇つぶしにガイドブックを読んでいたのですが、なにか新しい遊園地が出来たとか……行ってみませんか?」

 暇つぶしか……ちゃっかりリサーチしていたんでしょ……なんてね。そこまで自惚れてはいない。

「いいわよ。まあ、気分転換しましょ」

 そのまま適当な速度で車を走らせていたカシムだったが、「ん?」と声を出した。

「どうした?」

 私の問いには答えず、カシムは少しだけ車の速度を上げた。

「なるほど……」

 言うが早く、シフトレバーを握ったカシムは、ギアを落として猛然と加速を開始した。

「ちょ、ちょっと!?」

「ランエボですか……いいでしょう」

 ……うわっ、聞いちゃいねぇ!! 

「よくない、よくない!!」

 さすがに状況は分かった。「お遊び」の始まりである。

 先に言っておく。女の子を乗せてこれやると、まず嫌われるのでご注意を。

 甲高い排気音全開でぶっ飛ばすテスタロッサ。速度でいえば戦闘機の比ではないのだが、なぜか凄まじく怖い!! そりゃいい音だけどさ。

「……さすがに速いですね。かなり弄ってます」

 あ、あんたの頭も弄ったろか!?

 こうして、よく分からないデットヒートは延々と続き、私がいい加減気分が悪くなった頃、目的地の遊園地に辿り着いた……吐き気がぁ。頭痛がぁ。

「あれ、あなたでしたか」

 車を降りたカシムが背後の誰かに声をかけた。

「はい、まだまだ私の敵ではありませんね」

 侍女様だ……付いてきたのか。ダメだ、気持ち悪い……。

「ところで、そこのポンコツはダウンのようですが……」

 じ、侍女にポンコツって言われたぁ。

「あっ……」

 カシム、気づくの遅いわぁ!!

「せっかくです。それは放っておいて、私と行きましょう。前から、ここに来てみたかったのです」

 じ、侍女様ぁ!?

「い、いや、さすがにそれは……ちょ、ちょっと!?」

 侍女様に引きずられ、遠ざかって行くカシム。

 ……勝てねぇよ。侍女様が相手じゃ誰も勝てねぇよ。

 吐き気と頭痛に苛まれつつ、私は思った。もう二度と、ドライブはしないと……。


 小一時間ほど過ぎた頃だろうか。ポンコツはようやく復活した。

「はぁ、どうするかな……」

 ここまできて、駐車場で終わりでは寂し過ぎる。よっこらせと車から降りて、大きく伸びをした。

「一人で回るか。呼び出しなんてかけたら、殺されそうだしね」

 「迷子のお知らせ」なんてやったら、確実に侍女様に消される。

「全く、何しに来たんだか……」

 ブチブチ言いながら、腹いせに全て乗り放題のチケットを買い、ゲートを潜ると迷わずに絶叫マシンへ。

「世界最強か……。ふむ、お手並み拝見!!」

 最高時速百四十キロ。なかなか、クレイジーなマシンだ。素晴らしい!!

 平日だというのにそれなりに混んではいたが、比較的スムースに乗車。えー、ここから先は……意外と普通だった。考えてみれば、戦闘機馴れしているのよね。アハハ……。

 しかし、自分でコントロール出来ない速度と方向というのは、それなりにスリリングで面白かった。

「はあ、少しスッキリしたかな。さて、次は……」

 それにしても、かなり広い遊園地である。話題になるだけのことはある。

「さて、次は『世界最凶のお化け屋敷』? ふーん……」

 口元の二ヤケが止まらない。よかろう、本物の『バケモノ』を見せてやろう。

 ……結果だけ述べよう。全「オバケ」が泣いて逃げ出した。サングイノーゾを出すまでもない。牙を剥きだしにして、襲うフリをするだけでこれだ。情けない……。


 そんなこんなで楽しみ倒し、夕食は遊園地にある少しお高めのレストランでお一人様。うむ、虚しいぜ。アハハ。

「おんやまぁ、美人が一人で夕食なんて似合わないぜ。ちょっとだけ話そうぜ」

 もう、すっかり馴染みになってしまったこの声。特に許可を出していないのに、勝手に向かいの椅子に座った泥棒のオッサンは、手慣れた様子でワインなどの注文を済ませていく。下卑たオヤジなら足蹴にしてやるのだが、変に品がいいので困る。

「あれ、いつもの黒スーツさんと警部殿は?」

 オッサンが大げさに笑う。

「黒スーツか。確かになぁ。ああ、あの二人なら、今頃はカーチェイスの真っ最中だろうさ。でもって、俺はつかの間の休暇中ってわけさ」

 オッサンはジャケットを少しはだけて見せる。そこには、宝石がギッシリ……やれやれ、ここまで来て仕事とは勤勉な事で。

「言っておくけど、また仕事だったら断るわよ。そんな気分じゃないから」

「わーかってるよ。まあ、ちょっとしたデートさ。まさか、一人でこんな場所に来るわけねぇだろ?」

「うっ……」

 来ないか。やっぱり……。

「あれ、図星かよ~。これはマズったな」

 本気で焦ったようにワタワタしはじめるオッサン。

「アハハ、彼が運転する車に付いていけなかっただけよ。別に恋人ってわけでもないし、気にしていないわ」

 これは本音だ。まして、侍女様に連れていかれたのでは、カシムに勝ち目はほとんどない。

「いや、そうだとしてもよぅ……。ったく、しょうがねぇ男だな。オッサンでよければ、閉園まで付き合うぜ。どうせ、まだ時間は豊富にあるからなぁ」

 オッサンと遊園地ねぇ……申し出はありがたいけどさ。

「うーん、ありがとう。素直に気持ちだけは受け取っておくよ。あなたまだ仕事中でしょ?」

「いやまぁ、そうだけっどもがな……」

「分かった。じゃあ、ここの食事はご一緒しましょう。もちろん、代金はあなた持ちで」

 私の提案にオッサンは慇懃無礼に頭など下げて見せた。

「身に余る光栄でございます、お姫様」

 ……ああもう、そういうのいいから!!

「さっさと席に戻りなさい!!」

 程よく、オッサンがオーダーしたコース料理の一品目が、静かにテーブルに置かれた。

 こうして始まった思わぬ晩餐、オッサンとの話はそれなりに……いや、かなり楽しかった。

 二時間ほど掛かって食事を終え、私とオッサンはレストランを出た。

 すぐに別れるつもりだったが、近くのベンチで加熱した頭を冷やす時間が必要だった。

「ごめんね。今気が付いたけど、やっぱりあの野郎に少しムカついていたみたい」

 私はすっかり日が暮れた夜空を見上げながら、オッサンに言った。

「そりゃそうさ。どんな事情があったにせよ、連れて来た女を置いて行く男なんざう○こだ」

 プッ、はっきり言うわねぇ。

「じゃあ、俺はそろそろ行くぜ。これは、お近づきの印だ」

 言うが早く、オッサンは痛む私の左手を取り、軽く口づけしてから闇の中に溶け込んでしまった。

「全く、あのバカタレめ!!」

 別に何も思わない……ことはないが、この程度は挨拶でも良くやる事だ。何の問題もない。

さて、やる事もなくなった。私は遊園地の出口を抜け、車に戻った。よく見たらキーを付けっぱなしである。よく盗まれなかったな。

 私は一度運転席に座ってエンジンを始動させて暖機運転を開始し、助手席に戻ってシートに身を預けた。

 しばらくして、遊園地から閉園のアナウンスが流れる頃、上機嫌のカシムと、満面の笑みを浮かべた侍女様が帰ってきた。

「その様子だと、楽しんだみたいね」

 私は苦笑交じりに二人に言った。

「はい、それはもう。久々に」

「僕も久々でした」

 ふーん……

「人を置き去りにしたんだものね。これでつまらなかったなんて言ったら、今すぐこの場で処刑してやるわ」

 私は自慢の牙をこれ見よがしに見せてやる。

「い、いや、その、途中で迎えに行こうかと……」

「やってないなら同じ事よ。大丈夫、一人遊園地を満喫したから。さて、急がないと門限に間に合わないわよ!!」

 カシムの声を遮って、私は再び車に乗り込んだのだった。

 帰りの運転が超安全運転だった事は言うまでもない。


「あ、あの……」

 遊園地から帰ってきた翌日、カシムは果敢にも私に挑んできた。放っておけばいいと知っている侍女様は、気配すら感じさせない。

「ん、どうした?」

 私は本から目を離さず、声だけでカシムを見た。特に意味はない、この魔法理論はなかなか手強い……。

「あ、あの、昨日は……」

「カシム、気にしてないわよ。昔からあんなだから……」

 侍女様のインターセプトは今に始まった事ではない。私と男性が深い仲になりそうな気配を察知すると、あの手この手で妨害するのだ。これも侍女が担う職務の一環である。

「いえ、その、ごめんなさい!!」

 カシムが再び頭を下げた時だった。いつぞやの警備警報とは違う音の警報が鳴り始めた。

「あー、またか。最近多いわね……」

 それは、空襲警報だった。この城には、古ぼけているようで最新の防空システムが備わっている。戦闘艦用のイージスシステムを陸上用に流用したもので、今頃はスーパーホーネットがスクランブル発進したはずである。

「そうですね、二日か三日くらいの割合ですね……」

 まあ、ほぼ全てが誤報なのだが、たまに反体制派の虎の子攻撃機だったりするので始末が悪い。

 ふと、警報が止んだ。

「なんだ、誤報か……」

 思わず天井を見てしまう謎がある。

「何度聞いても馴れないですね」

 カシムが苦笑する。まあ、空気を変える機会にはなった。

「あのさ、聞くんだけどこれ分かる?」

 私は魔法書の一節をカシムに見せた。

「えっ? は、はい。えっと、これは……」

 カシムの解説は丁寧だった。お陰で、私は一つの魔法を産みだした。


「始原の竜 世界の元 闇の炎 黒き翼 神たる汝に我ここに願い奉る。その黒銀の滅びを今ここに……バハムート!!」


 窓の外がサッと暗くなり、そこには黒い巨大な竜の姿があった。恐らく私くらいのものだ、召還術を使った吸血鬼など……。

「ほぇぇ!?」

 カシムがビビった声を上げた。

「ふぅ、ありがとう。これはお礼よ」

 うっかり牙を突き立てないように気を付けながら、私はカシムに軽く口づけしたのだった。

「あっ、倒れた……」

 あらま、お子様には早かったかしらね。なんちゃってね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る